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黄果樹・昆明・大理



1996/05/08
11時20分の列車に乗るべく、9時ごろのバスをつかまえようとするも、桂林駅行きのバスがない。すべてのミニバスは桂林城内へは入れなくなったらしい。仕方なく、桂林城外、平山行きのバスの乗る。平山からは徒歩で11路市内バスに乗り換えだ。

平山到着。11路バス乗り場へ向かうも、列車の時間がせまってきて焦る。ダイハツミゼット型の三輪タクシーをつかまえ、7元で駅までやってもらう。11時到着。おやつを買う時間も無く乗車。中鋪・下鋪というベストな位置である。

今回は硬いキップなしの代用票のみ。外人用窓口で楽をして買う訳だから、2元づつぐらいの手数料を払うのにはやぶさかではないのだが、「始発駅建設費」とやらで20元も取られるのは納得が行かない。なんなの、これ。

列車上では特筆すべきことなにもなし。西安からの社員旅行の団体が40人ほど乗っていて、列車はほぼ貸し切り状態。団体なのでにぎやかなのは仕方が無いが、たんを吐くのはひとりだけだったし、ゴミはゴミ箱へ、たばこが車両連結部へと都市居住者らしく皆お行儀よく、まずまずの移動であった。


1996/05/09
朝8時安順着。一応安順に泊まるつもりで宿を捜す。安順民族飯店30元、もちろん風呂などなし。旅社なみの設備であった。しかし安いので荷物を降ろし、黄果樹へ出かけることにする。

大きな十字路で黄果樹行きの札を出しているバスを発見。これが大失敗の本。11時半に乗車するも、同じ道を延々と客引きをし、結局安順を離れたのは12時をとっくにすぎていた。おまけに高速道路ではなく、下の道を客を拾いながらちんたら走るローカル生活密着バスで、挙句に黄果樹手前の鎮寧という町で黄果樹行きのバスに我々を乗せかえ、行ってしまった。(こういうのを「売猪仔」という)結局、63キロの道のりに2時間半かかったことになる。いらちの相棒はかんかんだ。

さて、黄果樹、中国最大の滝である。

晴れた日には水煙が遠くからでもよく見えるという。残念ながら私たちが行ったときは雨だった。相棒が「なんか前に来たときより迫力に欠ける気がする・・・」というので土産物屋の現地人に聞いてみると。確かに今は水量がない時期だとのこと。夏にはもっと水量が増えるが水が黄色くなってしまうので、美観でいうと今が一番なのだそう。しかしあいにくの雨模様。また、滝の後ろが天然の洞窟になっていて、右から左へ通り抜けられる。カサかレインコート持参をおすすめ。



正直言って、私自身にはたいそう心引かれるところではなかった。なんか、滝。中国最大だというので、ナイアガラの滝みたいなのを想像してたせいもある。

それより面白かったのは、この地方の布依族の村落。すべて石造りの民家。このあたりは桂林と同じカルスト地形らしく、石の山、岩山が非常に多く、平地がほとんどない。貴州の貧しさを現す一句に、「天無三日晴、地無三里平、人無三文銭」というのがあると相棒が教えてくれたが、まさしく岩と岩山ばかりで、くしの歯のようにとがった岩の間にひっかかった、ほんの洗面器ほどの広さの土地に、三株四株、また二株三株となにくれとなく植わっているのは、胸をつかれる眺めである。

きれいに地層が出た岩山は、その地層に沿って雲母のように一片一片はがれるらしく、このあたりでは家を建てるのに煉瓦や土を使っていない。厚みが煉瓦ほどのものを集めて壁を組み、薄いものを並べて屋根を葺く。野積みは通常、耐久性にも美観にも欠けるが、ここのは美しい。特に印象深いのは瓦がわりの石の屋根で、厚みは一様に2センチ程度、濃いグレーのグラデーションが不規則な鱗のように並んでいる。

さて、黄果樹からどうやって帰ろうかと歩きながら相棒と相談していると、早速客引きがやってきた。「5元でどうだ?」なにー!? 行きには12元を10元に値切ってきたというのに、しかも5元で高速に乗って帰るという。やられた。われわれはがっかりだ。

そのバスに乗ると、なんと列車で向かいの臥鋪にいた西安人ではないの。彼らは6人でこのバスをチャーターしたんだそうだ。相客を拾ってもいいという条件で値段交渉したのだという。いくらで乗ってんの?と聞かれたので、正直に答えると、皆フクザツそうな顔で黙り込んだ。彼らは6人130元でこのミニバスをチャーターしたのだという。なんだか申し訳なく、こちらも行きはぼられた話をする。

高速をスカスカ走って安順到着。

駅で明日のチケットを予約しようとすると、当日のしか売らないと言われ、いったん宿に帰る。しかし、寒いのと雨が降っているのとで気がすぐれず、宿も汚く気乗りのしない雰囲気で、やだやだやだやだと言いながらトイレに行くと水が止まっている。必然的に汚物たまりっぱなしのテリブルなトイレとなっており、用を足すのに難儀する。水がないので歯も磨けない。

プチ、と何かが切れ、今夜の夜行でここを離れると宣言、駅へ再度足を運んで本日のキップ購入にトライ。割り込みをした少数民族に注意をしたら腰のナイフを抜かれてしまい、「こらあかん」とにわかに日本語や英語で怒鳴ってみるも、外国人だとわかってもらえず効果なし。左半身で怒鳴りながら右半身でキップを買い、購入するなり下半身は速攻全速力で走って上半身はタクシーを止め、「今日はこのくらいにしといたるわ」とは言わなかったが何やら叫んでその場を去る。

宿で穏健派の相棒にこってり油を絞られる。

宿では手も触れられないほどの熱湯は出るが、水はやはり止まっているという不思議な状況になっており、トイレの水は熱湯に切り替えられていて、すさまじいにおいの湯気が立っていた。

今日のトイレ日記。

1) 列車 汚かった
2) 宿 狭くてドアがしめられない
3) 鎮寧バス停 人生でもっとも汚いトイレのひとつ
汚物で地面がじくじくし、うじがわきまくっていて目的地(穴)までたどりつけない。私も手前で済ませた。
4) 黄果樹 立ち上がると通行人から丸見えの腰だけトイレ
5) 宿 断水。椎名誠の「ロシアにおける・・・」みたいになっていた。
6) 宿 熱湯で流す奇妙なトイレと化していた
7) 列車 夜10時ごろ
8) 列車 夜12時ごろ

B胱炎(とくに伏せ字とする)持ちは大変だ。


1996/05/09
ところで、我々は硬臥票を買ったはずなのに。542kmで269元(二人分)とやたら高かった。桂林−安順が883kmで267元である。そこで、チケット代金の内訳を子細に見てみると、基本料金72元、寝台費が90元、保険が4元、手数料が10元に、なんと「冷房費」が93元もついていた。冷房ったって余りの寒さにセーターとジャケット着込んでるという天気でなにが冷房だ。

しかしながら、中国では冷房付きの列車というのは新車だということだ。私より年上の列車(もちろん蒸気機関車)だって珍しくない中で、少なくとも新しい列車にのれるはずと期待していたが、期待通りのキレイな列車で、テーブルにカバーがかかっており、カーテンは真新しく、通路にはじゅうたんがしかれていて、各開放式コンパートメントにゴミ箱がひとつづつ支給されていた。始めて列車に乗った90年には、ごみはたとえビール瓶でも窓から捨てるのが常識中の常識だったことから考えると、全くたいへんな進歩である。


1996/05/10
朝、昆明に到着、適当な三輪が見つからなかったので、でかいでかい荷物を背負ったまま昆湖飯店へ行く。昆湖のドミ、なんと30元/一人というすばらしい値上がりをしていて、二人で60元。4人部屋で先客が2人いるようだ。

相棒は食事に出、食欲の無い私が部屋でぼけぼけしていると、その先客が帰ってきた。日本人である。よく言えば楽ちんプーな服、はっきりいうとかなり変な(そして汚い)服を着ている。これはもしかして、ちょっとかんべんしてほしいタイプの日本人かと思ったら、やっぱりそうだった。変ににこやか〜なのだが、帰ってくるなり大麻を一服しはじめたのだ。

他人のことなのだから、勝手にやってはる分にはかまわないが(潔癖な相棒と一緒になる前は、私だって旅先でやらなかったわけではない)、公安に踏み込まれた場合に同じ日本人だということでとばっちりを食らうのはかなわない。それに、大麻はクサイから嫌いだ。ドミで吸うな。

この二人は自己紹介によると夫婦者で、タイ・カンボジア・ベトナムとまわって列車で昆明についたのだそうだ。夕食を一緒しませんか、我々はベジタリアンなんですがと誘われ食事に出るも、話してみても第一(悪)印象が変わることはなかった。旅している国について知的好奇心を持たない人は、私にはつまらない。

この二人がどのくらイカレテル連中かというと、酒・タバコはやりますかと聞かれたので、両方 たしなむ程度にはと答えると、「ドミトリーでタバコはちょっと・・・」とぬかしてけつかったのだ。いまそこで大麻のくっさい煙を吹き上げてた連中がやで。頭がおかしいというのは、つまり頭がおかしいということなのだなという真実を実感する。

以上のことを帰ってきた相棒に話すと、「オーム真理教みたいなやっちゃな。相手にするな」と一刀両断。相棒、外人のくせにナイス表現だ。

そういえば、地下鉄サリン事件が香港で報道されたとき、私はカルト系新興宗教のことは中国語でどういうのかと思い、相棒に「こういう宗教のことは中国語でなんというのか」と聞いてみたことがあった。相棒、さくっと回答。「邪教。」


1996/05/11
朝8時のバスで大理へ向かう。高速ができてるから速いと聞いてたが、建設が終わっているのは途中の楚雄までだった。その後はむかしなつかしガタガタの道。8時間ぐらいでつくかなーという期待もむなしく、10時間ちょっとでやっと到着。以前よりは3〜4時間程度の時間短縮か。

南門の外にオープンした第六招待所とやらを目指す。ドミ10元とやらに心引かれたのである。すると、第六招待所という看板などどこにも出ておらず、明明白白に外人向けのMCAゲストハウスという宿があった。中庭にはなんとプールがあり、植え込みがよく手入れされていて、レストランあり、申し分ない宿であった。キレイすぎてむしろ違和感あるけど。

ドミは10元のと20元のがあり、ちがいはベッドマットを直接床に置いてあるか、ベッドに乗せてあるかというもの。床はきれいなフローリングだし、客は基本的に土足では入っていないようなので、10元の方にする。50元のツインはただいま満室とのこと。空いたら見せてもらおう。

しかし、できたてだけあってキレイな宿だ。ここは二招(第二招待所)の向かいにあるチベタンカフェのオーナーの、四川人の水墨画作家夫妻が開いた宿なのだそうだ。どうりで外人の好みをようわかっとるわ。フロントのPCはネット接続してるのかとおもったら、それはマダ、とのこと。そういえば大理にプロバがあるとも思えんしなあ。

貸し本屋もあり、わくわくする。日本語の本も2〜30冊あった。さっせく明日はプールサイドで読書だ。


1996/05/12
昨夜借りた「水の上を歩く?」を本日も継続して読んでいる。1日2元。朝のうちに読了。大理はけっこう寒く、靴下をはいて寝ている。

シャワーやトイレが別棟にあって非常に遠く、夜中に電灯のないらせん階段を降りるのが非常に面倒なため、一階のドミに移動。部屋は同じようなものだが、中庭とプールに面した壁が上から下までガラス張りになっていて、日中のプライバシーというやつが全く無い。ドミだからもともとないんだけど。

シャワーを浴びたいが、相棒のまぬけが一足しかないビーサンをはいてどっかにいってしまった。

大理では、肉屋を営んでいるのは回教徒が多い。もちろん牛肉専門。

どうも消化の具合が悪く、ゆうべの夜、今朝と二食ぬいてみた。すると、昼ごろ猛烈にお腹がすいてきたので、太白楼にゴハンを食べに出た。従業員が日本人と結婚したあの店である。カツ丼と冷やっことほうれん草のおひたしを食べてみた。まあ、こんなもんだろうという味である。15元と高かったけど。



中庭のプールサイドでゆっくり過ごす。つばめが水面へ遊びに来る。ちっ、ちっ、と水面を切って飛び去り、また戻ってくる。遊んでいるのか? 水を飲んでいるのか?

相棒が私に、あれがつばめだとどうしてわかると尋ねた。尾羽が燕尾服の後ろのようだからと答えると、物知りだなあと感心された。こやつと私の自然認識のちがいに、驚かされることが多々ある。コオロギについて話しているときに、「空き地でつかまえて遊んだ」話を私がすると、相棒はちょっとだまりこんで、「コオロギは、農民が売りに来るのを買うもんやろ・・・」などと言うのであった。

「燃える秋」読了。イマイチ。「春昼・春昼後刻」を借りてきて、寝る。


1996/05/13
5時半に目が覚め、トイレに行く。星が、こぼれ落ちそうなぐらい空一杯にまたたいていた・帰りに2匹いる犬のうちの妹、小Kwaiが私に吠え掛かってきてちとコワイ思いをした。すぐに、姉の小蘭が走ってきて小Kwaiを一噛みしてだまらせた。晩御飯のときにハムをやったのが私ではなく相棒であったため。覚えていてくれなかったのだろうか。くっすん。

眠れず、夜明けの光で鏡花を読む。練り絹の、なめらかな光沢のような美文にうっとりする。あっという間に読了してしまい、いささか後悔。もっとみみっちく読めばよかった。

朝、ドミへの入居者が二人。イギリス人とドイツ人。どうも陽朔でみた顔だなと思い、尋ねるとそのとおり。二人とも靴がないんだ〜、中国では俺達のサイズの靴が売ってないんだ〜と嘆くので、軍用品放出の店があれば行ってみたらとアドバイス。

ウィリアム・ギブスンの「モナリザ・オーバードライブ」読了・こんなとこで読む本でもないと思うが、おもしろかった。大岡玲の「表層生活」を借りてきた。

中庭に座っていると、日本人から話し掛けられた。一人は北京と杭州の美術学院で絵の勉強をしているという男性。1年の漢語班とあわせて、もう6年も中国にいるという。うらやましい話だ。しかし、6年中国にいてこの漢語はなんなのだろうともヒソカに思う。

もう一人日本人がいて、もし日本で見たら完全に浮浪者とまちがえそうな風体であった。中国製のタオルを頭にぐるぐる巻いているのはどういう意図なのだろう。6年中国男が「この人の彼女が白人でー」と何度も強調するので(おそらく、私が分かりやすく感心してやらなかったので何度も言ったのだと推察される)、物好きな女もおるなあと思っていたら、同じくらいキタナイ格好のおばちゃんが、ゴム長をはいて出てきたので納得した。

もう一人は女の子。鼻ピアスに茶パツでタバコをすう様がなんかイタイタしい。結局、昆明の夫婦者といい、私がしばしば表現するところの「旅先でコワレタ」人々ばかりなので、なんだかがっかりする。まともにお話できる人、どっかにいないかな。


1996/05/14
「表層生活」読了。生きることにこんなに違和感を持つ人っているのだな。私ってば単純でよかった。ツインに空きが出たので見に行く。あかんかった。狭くて暗くて臭い。

雨でどうしようもなかった昨日と比べ、天気がいいのでちゃりを借りて湖まで降りてみた。考えていたより時間がかかった。こぶし大の丸い石を埋めた石畳をちゃりでとばすと、おしりが痛くてしょうがないったら。

ホテルの貸しちゃりにはコンディションのいいものがほとんどなく、いろいろと点検していると、レストランの厨房から最初から最後までじいっと我々を見ていた女がいて、彼女はレストランのウェイトレスである。この女が、初日からずっと穏健派の相棒をイライラさせているのであった。おそらくオーナーの親戚かなんかでもともと態度がでかいのだが、それにしても白人とそれ以外に対する態度の差がひどいのだ。

白人にはフレンドリーで、我々にはハイハイ何言ってんのってな感じである。白人のオーダーは常にすばやく、我々のオーダーはたとえ冷蔵庫から出すだけのヨーグルトであろうと遅い。私の注文が30分立っても出てこないので厨房まで見に行ったら、まだ手をつけられていなかったこともあった。

中国女には珍しくないタイプなので、正直私はあまり気にならならなかったが、相棒には我慢がならなかったらしい。相棒は中国人・私は配偶者ということで名誉中国人(笑)としてほかの白人以外の客(日本人とか韓国人とか)よりまだひどい応対を受けていたし。まあ、同じ民族にこんな女がおったら私だってハラ立つよなあ。民族的義憤ってやつですか。

さてこの女、ほとんど使えない貸しチャリの点検と空気入れなどの作業をようやく終わって、さあでかけよう!という我々を見て、フンと鼻で笑ってぬかしやがった。「ご苦労様。」

一塔寺へゆく。三塔寺は三度も行ったことがあるが、一塔寺は一度もない。一塔寺は公園になっていたが、手入れもされておらず人気もない。野の花が咲き乱れていて、かえって好ましかった。透明感のあるブルーの野花、白の細かい花、たんぽぽの黄色、サクラ草に似たピンク、さまざまだ。

一塔に座って湖を見下ろしていると、下から観光客らしくない二人連れが登ってくるのが見えた。と、相棒が「すぐ降りよう」と、どんどん歩きだした。そして「おーい、速く登ってこいよ、景色がいいぞー」と、あらぬ方角に向かって呼びかける。察した私も「花が一杯咲いてるわよー」などと、大声で出しつつ、速攻でちゃりを止めてあるところまで戻った。ま、何事もないとは思いますが、一応保険です。我々は外人には見えないことだし。

夕食を、相棒があのレストランでは絶対に食べたくないと言うので、城内へ食べに出た。150年の歴史のある木造建築という店で、おいしいソースのかかった熱いステーキに、おいしいドレッシングのかかった冷たいサラダを食す。10元。大満足。我々も日和ったものだなあ。


1996/05/15
30元の言い値を25元に値切って湖の対岸の五日市に行くことにする。9時半に馬車で船着き場まで連れていってもらい、船に乗って一時間半。対岸のWaseという町に着く前に、船の上でゴハンを食べる。











相客のデンマーク人たちがじゃがいもの料理を非常に気に入り、私にレシピを聞いてくれという。きわめて正確に「味精(MSG)をどっさり入れることが重用」と翻訳すると、"MSG"ってのが最初わからなかったようで、それはなんだと聞かれて大弱り。「うーんと、あかいんどおぶけみかるしーずにんぐ、なんやったけな、いっつしょーとふぉー モノソリディウム ぐるたみのーす?」などと言っていると、はた!とわかったらしく、一人が猛烈な勢いでもう一人に説明しはじめ、二人でフクザツな顔となった。(たいていの外人は味の素を毒だと見なしている。)

Waseの定期市はなかなかよかった。昔行った沙坪のとちがって完全に地元民向けで、外人向けのお土産などは全く売っていない。私が買ったのは麦わら帽子とトンボ玉14個。このトンボ玉、明らかにハンドメイドで、人間のメダマみたいになっているところがひとつにつき3ヶ所ある。この部分だけが透明で、しかも奥行きがある。PLの花火で丸く立体に広がるやつがあるが、あれみたいだ。どうやってつくるのかな。





市の日だけ開業する青空理容室。ひとんちの壁にいきなり釘を売って、鏡とハサミをかけて客を待つ。客が来たら今まで自分が座ってた椅子に座らせて、営業開始だ。



定期市をひやかしているころには日差しが強くて死ぬほど暑かったというのに、船にのって太陽が雲に隠れると、あっという間に寒くなった。海抜が高いとこういう気候になるのかな。




1996/05/16
いらちの相棒が大理に飽きたようなので、麗江に移動することにする。私ももっとのんびりするつもりだったのだが、大理はあまりに観光開発がすすんでいて、もはやくつろげない感じになってしまっていた。

乗ったバスがはずれバス。30分遅れの後発バスに追い抜かれ、機嫌が悪くなる。

さて、とりあえず三合飯店とやらに行ってみた。三人部屋ドミが一人30元。キレイはキレイなのだが、大理価格に慣れてしまった我々にはやや高い気がする。包すると90元だし。で、以前一番安かった第二賓館へゆくも、改装中でしまっており、向かいの玉泉賓館へゆく。ツイン70元。とりあえず本日はこのあたりで妥協か。

玉泉賓館の前で、同じバスで来たドイツ人と会う。彼は麗江賓館のドミが満室で、120元のツインを勧められたのでここへ来たと言った。玉泉にもドミがなかったので困っているそうな。三合飯店に30元のドミがあると教えてあげる。

さて、両替と食事を済ませてから、麗江賓館の一番安いドミを見にいくことにした。会議室を改造したような16人部屋、建物にはなつかしいクレゾールの匂いが漂っていて、ああやっぱり、という感じであった。ドミには3つか4つの空きがあって、明日はここに移るかという話をしながらフロントへ行くと、「今日も明日もいっぱいだ」と堂々と言われてしまった。来た来た、久しぶりの中国流だ。

つまり、さっきのドイツ人はだまされた訳である。空きベッドは確かにあるのだ。フロントは我々の人品骨柄を見て、我々には60元のツインを勧めやがった。相棒と二人で「白吃飯」だの「鉄飯碗」だのと悪態をつきながら帰る。


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