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マレーシアからインドネシアへ



1996/10/09
朝7:40の普通バスでハジャイへ向かう。9時間かかって4時半ごろ到着。駅前まで歩いて、Cathey G/H(国泰旅社)へ投宿。

街歩き。街ごとチャイナタウンという感じで、辛い辛いタイ料理にうんざりだった相棒、生き生きしている。中国語もよく通じるし。


1996/10/10
朝9:30のワゴンでペナンに向かうはずが、ワゴンがハジャイを出たのが11時。むう。客を引いて回っていたのだ。やめてくれよなあ。

1時間で国境サダオに到着。国境を抜けてしばらくはゴム林を抜けてのドライブである。このゴム林はどっち領に属するのだろう?マレーシア側国境へ。私は三ヶ月、相棒は2ヵ月のビザが出た。2-3日で抜ける国のビザはこんなに簡単なのになあ。

バタワース(北海)到着。カーフェリーで15分。ペナンのジョージタウンの、ルブ・チュリア(チュリアストリート)スイスホテル前で下車。そのままスイスホテル2階正面の気持ちのいい部屋にチェックイン。MR21。(MR=マレーシアリンギット)

近くにヤオハンがあった。ヤオハンはシャングリラと繋がっているので、なんだか笑ってしまう。ヤオハンとラグジュエリアスファイブスターホテルなあ。太古ジャスコとグランドプラザホテルぐらいなら釣り合い取れてるが。

覚悟していたが、インドネシアへ渡るフェリーはMR90(=4,000円)もするのだ。高いなあ。


1996/10/11
フェリーピアで直接買えば安いのでは?と行ってみたが、却って高かった。ぷんすか。いい観光になったけど。

観音廟に御参り。それから極楽寺へ行く。山の中腹にあって、ふもとの店屋のおばさんに道を聞いていたら、「あんたら、マレーシア人じゃないね?」と聞かれた。広東語のアクセントがマレーシア華僑とは違うんだそうだ。ふうふう言いながら登ると、「極楽寺」というベタな名前に名前負けしてないよ〜んという感じの、タイガーバームガーデンのでかいやつがどどーんと現れ、なんだか脱力して笑ってしまった。笑たらあかんがな。佛罰があたるぞ、また。

豪華絢爛というようりは豪華キテレツな本堂とか、下が中華風で真中がタイ風、下がビルマ風の白塔とか、亀が1,000匹ぐらいいそうな池とか、山の中腹でにっこり微笑む大観音とか(←ささってるように見える)。

インド人がいっぱい参観に来てたが、おかしくない、おかしくない、御釈迦さまだってインド人。しかしインド人としては「ここはヒンドゥー寺」と見なして来ているのか、それとも「仏教寺だけど観光に」来ているのか、どっちだろう。やっぱ観光かな。

フェリーチケットは、結局オーストラリア人女性の店で買った。MR90で港税込み、送迎バス付きである。それにしてもぺなんはごはんがおいしい。ついつい食べ過ぎてしまうぜ。サテー。けーてぃうー。そのたいろいろー。


1996/10/12
朝10時の船は10時半に出港、上出来。しかし4時間のはずだったが6時間かかった。途中からシュワルツネッガーの映画を放映し、退屈しのぎで助かった。スマトラのペラワン港へ入港。60日ビザをもらってひと安心。しかし、人口が多いとどこも中国並みの人品骨柄になってしまうのかのう。イミグレでぶつくさこぼしてしまったら、隣にいたインドネシア華人に「その通りだ、ここは貧しい国なんだよ」と北京語で言い返されてしまい、びびった。

しかしひとあたりよい人々もたくさんいる。メダンでバスを降り、モーレツにトイレに行きたくなってしまった私が通りすがりの華人女性に、トイレに行けるようなショッピングアーケードかホテルかはないかと訊ねると、それは御困りでしょうと、自分ちのトイレを貸してくださったのだ。うひー、ありがとうございます。本当に助かりました。そしてほんとにすみませんでした。

オート輪タクに乗った。途中で加油。先の細いじょうろにまず透明な油を大カップ一杯、それから黄色い油を小カップ一杯、ぐるぐるかきまぜてガソリンタンクに注ぎ込む。なんなんだ、あれ?ガソリンは赤、ディーゼルは無色透明だと思うのだが。

シャワー・トイレ付きダブルが1,5000Rps、US$1=2,250Rpsで替えたので、US$6.66666…か。しかし部屋は狭く、もひとつである。2階の広いほうの部屋は25,000Rpsだったが、安いほうに泊まることにする。

華人は多いが、ごはんにはもひとつの街である。夜市へ行ってみるもたいした収穫無し。部屋へ帰るとすることもなし、相棒はピーナッツをもそもそ食っており、私はガラムを吸っている…


1996/10/13
宿代に含まれている朝食(パン+コーヒー)を食べてると、向かいに座ったスペイン人女性が「朝4時からスピーカー最大にして歌っているあのキチXイは誰?!」と怒りを隠さない。まあ、知ってていっているのだとは思うが、あれはアザーンだ。私も夜明け前にベッドから飛び起きたよ。たそがれ時に遠くから聞こえてくるヤツは旅情をそそるが、夜明け前に真横のスピーカーから聞こえてくるのはなあ。とほほ。

ところでガラムというのはインドネシア特有のタバコで、煙草の葉にクローブ(丁子/丁香)を混ぜてある、甘い、独特の香りを持つタバコだ。吸いこむとクローブがパチパチはじけ、のどの奥にちょうどよいタバコの辛さがにじむ。と同時に、甘い、甘い、ちょっとほかに類を見ないような煙の味が口の中に広がって、なぜだか知らんがこれが南国のけだるい雰囲気によくあうのだ。そして煙を吐いた後に、舌の先や唇に、クローブのかすかな甘さが残る。それを舌の先で愛撫して、次の一本を取り出すまで余韻を味わう。不思議なタバコ。今まで愛飲してきたMOREのメンソールはちょっと辛すぎた。こっちに乗り換えだ。

朝から博物館。あまりたいしたことは無かったが、チケット売り場がどう探しても見つからず、結果としてタダ見となってしまったので、あまり無理はいわないことにしよう。

生理痛がひどく、帰って鎮痛剤を飲んでこてんと眠る。なにしろ朝4時に一度、アザーンでたたき起こされているため、寝不足なのだ。

午後から別のホテル探し。いくつかまわったが、今のところ以上のものはなさそうだ。値段と設備の折り合いを考えると。

ブキ・ルアワンへの行き方もだんだんわかってきた。しかし、皆言うことが微妙に違うので、どこかで「あ、アカン」「あ、話が違う」という苦労をするかも。しかし行ってみよう。私はオランウータンがめちゃくちゃ好きなのだ。

明日、ミニバスでBANK OF CENTRAL ASIAへ。そこからバスでピナン・バリスバスターミナルまで。そこからブキ・ルアワン行きのバスが出ているはずだ。これで行けるか?


1996/10/14
結局ミニバスが見つからず、歩いてバンクオブセントラルエイジアへ。1US$がRps2,310、T/Cが2,290なり。この国もT/Cのほうが安いのか。ふむう。とりあえず現金をUS$500替えた。ペナンではRps2,250、ペラワンではRps2,200、昨日聞いた両替商でもRps2,200であった。差がRps110で500替えたからRps55,000の差。おお、でかいぞ。

Oplet64に乗ってピナン・バリスへ。すんなり行けた。ただし正規料金Rps500のほかに荷物代Rps250とられたがこれが外人料金か現地人でもそうなのかどっちだ。どっちにしろ10円ぐらいの差だが。

バスターミナルへ入るのに、100Rpsの入場料。なんなんだこれは。ブキ・ルアワン行きのバスは久しぶりに中国なみの超ボロバスでなんだか楽しい。80キロに3時間かかったぜ。

ブキ・ルアワンは玉川峡(めちゃローカル)ぐらいの川沿いにあり、水は濁っておらず、美しい。泳げるところもある。上流へ20分ほど歩いたところにあるJangle Innにチェックイン。シャワー・トイレつきダブルが10000Rps、ちと高いが川に面しており、外に座れるところもある。OK!

対岸の丘を見ていると、尾の長いサル、ニホンザルよりもずっと体の小さいサルがたくさん降りてきた。時折、オランウータンも散歩にやってくるそうだ。

ここはだいぶ奥まったところなので宿附きのレストラン以外にろくなメシ屋がない。そして、ここはおいしいことはおいしいのだが、スパゲティを料理するのに1時間ぐらいかかる…のだ。イラチの相棒はカンカンである。


1996/10/15
朝起きたら8時近かった。ウータンがエサ場に来るのは朝8時-9時、午後3時-4時。今から許可証をとって公園に行くには、ちょっと寝坊である。

あきらめてゆっくり朝ゴハン。それからしばらくぶりの洗濯。ジーンズにシャツ3枚、下着3セットでへとへとになった。シャワーを浴びて昼食。やはり一時間かかった…、でもすんごくおいしいマッシュポテトだ。いらちの相棒は…(以下略)。

タイよりもさらに腐った外人の多いところである。というか、悪いけど、どうしてオージーガールズってあんなに頭の悪そうなインドネシア男が好みなのだろう。まさに頭が悪そう「だから」 か?しかし、どう見ても悪いのは頭だけじゃなさそう…。根性とか健康状況とか。病気か虫かどっちか持ってそうである。反対に、こちらの女性はタイとちがって身持ちが固いので、男性旅行者にとってはタイほどおいしい国ではないようだ。

とまで書いて、対岸を見やると、あ!オランウータンだ!!!若いオランウータンがゆっくりと木を伝って降りてきた。急いで双眼鏡を出してみたが、2-3分でまた丘の向こうへ帰っていった。でもラッキー。のそのそ〜とスローモーな動きがとてもご愛嬌。とシアワセにひたっていたら、また降りてきて、結局20分ぐらい私たちを楽しませてくれた。

3時前に自然公園に出かける。 木のカヌーで対岸へわたり、恐ろしくぬかるんだジャングルを30分ほど歩いて、 オランウータンのエサ場へ。公園の従業員がリュックからバナナを出すと、子連 れの若いオランウータンがやってきた。いやあ、かわいいなあ。それにしても私 たちがどろどろの地面の上をそろりそろりと歩き、何人かはきっちりすべってこ ろんで泥まみれになっているというのに、オランウータンの自由自在なことよ。 赤ちゃんウータンでさえも、ひょいひょい枝を飛び移り、体を支えるのに足一本 さえあれば充分なのだ。

満足。しかし動物には食材としての興味しかない相棒がぽつりと私に尋ねた。 「…満足?」付きあわせて悪いなあ、私は、とっても、満足。ぐはは。


1996/10/16
Jungle Innはカネの無い長期旅行者向けによく作られており、特に天然木の面白 さを生かした建て方や、イスや机は私にはとっても楽しかったのだが…。なにせ 泊まっているのが腐ったガイジンーズ、相棒が最も毛嫌いする人々なので、全く お気に召さないようである。

隣室を見せてもらった。部屋自体は今の部屋と同じくらいだが、川に突き出たテ ラスに丸太を切った机とイスが置かれてあり、ハンモックがあり、ベンチもあり と、同じ値段なのにお買い得である。しかも部屋と同じくらいの広さの愉快なシ ャワールームがついていてびっくりした。部屋から階段を下りると白と黒のタイ ルを市松模様に並べた目の覚めるような床の、丸いシャワールームにつながって いる。円の中心にヤシの木が植わっていて、シャワーノズルがその木に取り付け られているのだ。トイレは隅っこにある。そしてなんとなんと屋根が半分しかな く、対岸の丘、森の木々とサルとオランウータンを眺めながらシャワー、あるい は用便が足せるのであった。私はこの部屋に一目ぼれしたが、相棒がトイレがど うしてもイヤというので断念。

午前中はもう一度オランウータンを見に行った。それから速攻で荷物をまとめ、 11時のバスでメダンへ。1時半ごろ到着。すぐに乗り換えてベラスタジへ出発。 トラック改造型のバスに横5人がきちきちに座っての旅であった。尻が四角くな りそうだった。

ベラスタジ到着。高原の町である。涼しい。とういか、寒い。 Chinese Restaurantと書いてあるので入ってみたら、 濃ゆいインドネシア顔の従業員ばっかり。身振り手振りで炒麺とコーヒーを頼ん だというのに、食べ終わって店を出るころになって「従o那里来的?」先言えよ ー!

夜、涼しいとはいえなくなってきた。長袖を着込み、食堂で今夜の上映「アポロ 13」を見る。アメリカ映画はやっぱりよくできてるなあ。


1996/10/17
相棒、きっちり風邪。寒さに弱いやつだ。私は長袖を着ていたし、先手を打って 薬も飲んでいたので何とも無し。

本日は天気が悪く、火山に登るはやめ。というか、外国人ツーリストがもう10何 人遭難しているというのでびびったのである。天候の悪い日に温泉へ下るルート をとると、危険なのだそうだ。最も危険なのは火口から温泉へ向かうくだり道 で、死亡事故はすべてこのルート上だそう。しかし雨さえ降らなければなんてこ とはない山道であって、そこで人びとはやっぱり「登山の後の温泉」に惹かれて このルートをとる。ところが山の天気は極めて変わりやすく、一天にわかに掻き 曇り…で、10何人である。さて、どうしよう?

どっちにしろ相棒の体調が思わしくないので今日はムリ。本日はミニバス(コル ト?オプレット?)でリンガという近所の村を訪問。古い民家がたくさん残る、 飛騨の合掌村のようなところだ。一番大きな家を見せてもらったら、いろりがな んと5つもあった。ひとつの囲炉裏は2組の夫婦で共有するそうなので、ここに は10組の夫婦およびその子供たちが住むことになる。出産のときにつかまる木の 取っ手なんかも見せてもらった。

帰ってきて相棒、倒れる。午後中眠りつづける。大丈夫か?夕食後、9時にもな らないうちにまたしても眠る。毛布を一枚余分にもらい、さらにバティックを2 枚かけてやる。それでも寒そうなので、私の長袖シャツを2枚を着せて、粗織り シルクのマフラーを巻いてやった。大丈夫なのか?


1996/10/18
これではまるで風邪を引くためにベラスタジまで来たようなものである。相棒の 体調よろしくなく、登山どころではない。といっても、ずっと臥せっているほど ひどいわけではなく、ハンパな体調なんだけれど。タイからこっち、2人とも体 が熱帯仕様になってしまったようだ。もともと相棒は亜熱帯育ちだしなあ。

で、昼1時のバスでここを離れることにする。世界最大のカルデラ湖、トバ湖ま でのバスチケットは一人15000ルピアもした。途中、シプソ・シポ滝とかつての 王族(豪族?)の宮殿などを見学。

トバ湖ほとりの街、パラパットに到着したのが5時。6時のフェリーで対岸のト ゥクトゥク半島へ渡った。今夜の宿はABADI'S G/H、すべての部屋が湖に面して おり、すべてバルコニー付き。一番安いダブルはなんと4000ルピア、しかし私た ちは両名ともに風邪を引いているのでちょっとゼイタクをし、ホットシャワーが 使える大きな部屋に泊まることにした。ゼイタクったってたかが10000ルピア、 500円以下である。

チェックインが7時過ぎ、すぐシャワーを浴びて8時にはばたりと就寝。


1996/10/19
ベラスタジの寒波(←大げさ)を避けてやってきたトバ湖だが、同じくらい寒 い。暑かったら泳げるのに。透明な湖水がもったいない。相棒、熱があるよう で、食事以外はずっと眠っている。私も少し鼻カゼ。3日ほど前から下唇にでき ていた炎症はかなりよくなった。やはり野菜不足か。

階段で足をくじき、ちょっと痛い。相棒がずっと眠っているので、私は湖水を見 下ろすテラスで繕い物。小物入れの巾着袋、ボロボロのデイパック、ジーンズの おけつ(両名とも)などなど。デイパックは18歳の時から使っている骨董品だ。 これであちこち行ったなあ。


1996/10/20
徒歩でアンバリタという隣村まで散歩に出ようと思ったが、5キロも離れている ので途中でへたれて引き返した。帰ってきてやはりトゥクトゥクで昼食。トゥク トゥクはいいところだが、食事が貧しくて困る。炒飯・炒麺・炒菜すべてのレス トランのシェフが私並みの腕前である。つまり、救いようがない。炒麺に至って はインスタントラーメンの麺をふやかして炒めてあり、味付けはもちろんその調 味料だ。ううう。しかも注文してから出てくるまでに、コーヒーですら少なくと も半時間はかかるので、いらちの相棒はカンカンだ。このあたりに泊まってるの はほとんどオージーズ、舌が大雑把なんでしょうね。相棒には耐えがたい。

夕方、トゥクトゥク半島を一周してみた。美しいところだ。今度はお金持ちにな って、一番いい宿のCalolinaとやらに泊まってみたい。


1996/10/21
トバ湖を去る。相棒、食べられるものが食べたいんだそうだ…。昼のフェリーで 対岸のパラパットへ渡り、翌朝6時のバスを予約する。これしかなかったのだ。

魚の切り身のフライを発見!ひとつ1500ルピアもするのに、5つも買った。これ は海の魚だそうだ。トバ湖には小魚しかおらんのやと。街道沿いの小さな街をぐ だぐだ歩いて時間をつぶす。


1996/10/22
27000ルピアも取りくさってなんという破車なのだ。時速40キロぐらいしか出て ないではないか。ふたりでぶつくさ言う。途中、温泉で休憩タイムがあったが、 あまりの汚さにちょっと入る気にはなれない。(湯が汚いんではなくて施設が。)

朝6時ごろ出発して、夕方6時ごろ赤道を通過。赤道というぐらいやから地面に 赤い線でも引いてあるんだろうと、漢字文化圏の我々夫婦は勝手に思い込んでお った。別にそんな線は引いてなかった。しかも高地なのでたいそう涼しく、なん だかもの足りん赤道であった。

夜8時、ブキティンギに到着。客引きを振り切ってSingglang Hotelにチェック イン。ダブル8000ルピアで共同マンディ(風呂)。しかし運の悪いことに、ドアの すぐ前がテーブルとイスをしつらえた休憩スペースになっており。夜中までラフ なオージーたちが騒いどる。明日はホテルを移ろう。


1996/10/23
朝からG/H、LOSMEN、WISMA(どれもインドネシア語で安旅館)をめぐり、 Murni'sが8000ルピアで窓が大きかったので移ることにする。2階で空気もいい し。しかし空気は乾燥していて、相棒はカゼ、私は顔がばりばりに乾燥し、鼻の 下はがさがさ、くちびるはぱりぱりでほっぺたはかさかさというムザンな様相を 呈した。見た目もさることながら、痛い。痛くて仕方がない。

本日は週に2度の定期市の日、市場がにぎやかだ。健康のためと称して果物をど っさり買い込んだ。みかん大3000ルピア、小1500ルピアをそれぞれ半キロづつ、 パパイヤ3キロで1500ルピア、バナナがひとふさ1200ルピア、ドリアンまるごと 3500ルピア、アボガドふたつで1000ルピア、マンゴー1キロが3000ルピア。どう すんねん!2人で食うんかい!?何キロあるねん???

パパイヤが激安であった。スイカのようにでかいのに、ひとつ75円。市場へ運 んでくるだけでも苦労だろうになあ。

夕方から、オランダ植民地時代の砲台まで散策に出る。砲台を見学し、木橋を渡 って動物園。管理がよくなく、狭くて臭いオリに入れられた動物を見て心が痛 む。特に、巨大なオランウータンが一頭いて、それが狭い狭いオリの中でじーっ としているのを見るのは辛かった。顔の横に野球のグローブのように大きなこぶ が盛り上がっていて、体は非常にでっかい。その体全体に30センチから50センチ ぐらいの体毛がどっさり生えてたれさがっているのをはじめてみた。これ、普通 の状態だったらすり切れてしまうはずの毛が、運動不足によって伸びっぱなしに なってるんじゃないのかなあ。両手をあげるとエルビス・オンステージ状態。の っそり立ち上がるとマントをつけているようだ。それがゆっくり、ゆっくり動く ようすを見ていると鳥肌がたった。一種荘厳な眺めである。

ゴリラのシルバーバックとか、クジラとか、象とか、ある種の老人とか、文句無 しに大きなもの、美しく老いたものに対する畏敬の念をいだかせるに充分な風格 のオランウータンなのだが、それが観光客食べ残しのおべんとうをもらっている 姿には涙が出る。そしてオリの狭さ。シンガポールのオランウータンはオリに入 っていない。香港公園のオランウータンはオリ住まいだが、オリが充分に広く、 高さがあるのであまり惨めな感じはしない。

…気分を変えよう。揚げ豆腐に唐辛子ソースを塗って食べさせる店を発見。 10個で1000ルピアと非常にリーズナブルなのでどんどん食う。ハラいっぱいまで 豆腐を食うって、どんなだ。帰ってきてちょっと横になるなり、2人でこてんと 寝てしまった。夜中の12時ごろにごそごそ起き出して葉を磨き、顔を洗って再び 寝る。


1996/10/24
起きたら2人とも大風邪。特に相棒。鼻水とくしゃみの連発だ。朝9時までベッ ドでうだうだしていたが、薬を飲むためには胃に何かを入れねばならず、昨日の 豆腐を食べに行く。食後に市場へ向かい、ビスケットなどをささやかに購入。昼 食を奮発してガイドブックお勧めの中華屋へ行くも、とても中華とは思えない料 理が出てきて相棒と2人で声が出ない。「o古老肉」を頼んだら、揚げた豚肉に ケチャップがてんこもりで、その横にきゅうりの薄切りとバナナチップス がついている皿がでてくるとは、 中国人なら誰が予測できるでしょうか。味?…オーストラリア人の料理評なぞ、 クソの役にもたたんわい。結局この店でいちばんおいしかったのはお茶。 ポット一杯1000ルピア。

これで三日連続風呂に入っていない。水シャワーを使える気温ではないのだが、 ホットシャワーの使える部屋は35000ルピアもするので泊まれない。寒いからく さくない。と自分に言い聞かせつつ、眠る。


1996/10/25
毛布引っかぶって寝てるのに寒い!我慢できん!暑い熱いあついとこへ行く!れ っつごーパダン! パダンは海沿いの低地だ。暑いはずだ。

赤いコルトでバス停へ。でかバスでパダンまでは2時間半、2000ルピアであっ た。ふたつの3000メートル級の火山の間を抜け、道は下る一歩だ。松林が姿を消 すとともに、椰子とバナナの木が増えてきた。パパイヤの群生の見送り、たわわ にみのるジャックフルーツの横をすりぬけ、そうこうしているうちにうっすらと 汗がわいてきた。風が、湿り気を帯び始めた。熱帯だ。熱帯だ。

パダンは海岸沿いの都市である。人口約70万。大都市だけあってホテルが安くな く、バス・トイレ共同のツインが12,000ルピア。しかしとても暗い部屋で、手入 れも行き届いていないし嫌な感じだ。隣のホテルは窓も大きく、もうちょっとマ シであったが16,500ルピア。タイだと160バーツ出したらバス・トイレはついて るぜくそう。

しかしまあ、一泊のことなんでとりあえず後者にチェックイン。風呂だ。4日ぶ りの風呂だ。

風呂はいわゆるMandiスタイルで、銭湯のタイル張りの浴槽に似たものに水が張 ってあり、プラスチックの手桶で体を洗うというもの。張ってあるのが湯ではなく水だということ、水につかってはいけないことを除けは日本の風呂とかわらんので、私にとってはどってことないのだが、シャワーじゃなきゃイヤの相棒が不満たらたらだ。

風呂から上がって街に出る。ミスった。暑いんでついノースリーブを着てしまっ たのである。肩の部分の広い、ゆったりしたデザインだったがノースリーブはノ ースリーブ。インドネシアでは目立ってしまった。街に出たら人が見ること見る こと、100人のうち98人までが肩のあたりを見つめている。とくに殿方の視線と きたら、もしかして私、服着るの忘れて外出してるのか?というぐらいであっ た。

おかしいのが相棒で、怒ること怒ること。エサの皿を守るブルドッグのようにガ ンを飛ばしまくりながら、私の手を引くのである。無理すんなって。

ジャカルタ行きのバス、エアコンなしが45,000ルピア、エアコンバスが70,000ル ピア、「スーパーデラックス フルエアコン TV カラオケ リクライニング2− 1シート エグゼクティブバス」が100,000ルピアであった。このバスの名は真実 だ。横っ腹にそう書いてあるのだ。ちなみに飛行機は245,000ルピア。

夜行バスでカラオケが始まってはかなわんので、普通のエアコンバスにしたのだ が、30時間のタフな長旅の予定なのに、明日のバスはトイレの前しか空いておら ず、暗雲たれこめる出だしである。

現地の食べ物で相棒が食べられるものが何も無く、私も安めし屋のパダン料理に はもひとつ食指が動かんので、なんとびっくりKFCへ行く。相棒が自分からフ ァストフードを提案するなんて、信じられないことである。ところがKFCの看 板目指して歩いていると、200メートル手前にCFCという現地資本らしき店が あり、店もまあまあキレイなのでそっちに入ってみることにした。

チキン1ピース1500ルピア、紅茶1200ルピア、アップルパイ1600ルピアと、日本 人の感覚からすると鶏安すぎて不気味ではあるが、味はKFCとどっこいであっ た。


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