2004/01/21
一時過ぎに仕事を切り上げて空港へ。前日にやはり思い直してマスクとスノーケルの
ほかにフィンとブーツも入れてしまったので、結局かばんは二つに増えてしまった。
これで「服荷物」「泳ぎ荷物」「小僧」と、荷物が三つになる。空港で相棒&小僧と
待ち合わせ。キャセイ機上の人となる。
さて到着。タクシースタンドが長蛇の列で、並んでみたがさっぱり動かない。仕方な
くエアポートバスに乗車。どこで降りればいいのか、在タイの友人Aに電話をかけて聞
いていると、隣と前の日本人が横から詳しく教えてくれた。エンポリウムで下車して
タクシーを拾い、ネット予約しておいたホテルへ。しかーし!そこで待ち受けていた
のは私が予約したのは今月ではなく来月の今日であるというおポンチな事実であっ
た。ぽこぺん。
ネット予約の二倍の価格で空き部屋を勧められて即効でお断りしているところに友人
夫妻到着。泣き付く。友人はお勧めの宿を電話一本で予約してくれて、そのままご主
人の車で夕食に。やっぱり現地の友人は頼りになるな〜。えへえへ。
友人夫妻が連れていってくれたのはホアランポーン駅の近く、昨年秋の小泉首相のタ
イ訪問のときに大使が案内したという中華料理屋(※イタリア旅行でも中華屋を探
す中国人のページ参照)。相棒を気遣ってくれたのだと思う。友人Aが一応小僧に聞
いてくれた。「なに食べたいの?」「これ。」といきなりロブスターを指差す小僧。
「おもろいなあ、アンタ」と友人A。注文は友人Aにお任せした。でかい川えびを焼
いたもの、大きな肉蟹のカレー、ガルーパの甘酢あんかけ、牡蠣オムレツ、水草の炒
めもの。ビール。
がっつり食って、宿まで送ってもらった。宿は巨大ショッピングコンプレックスMB
K(マーブンクロンセンター)のはす向かい、真横がコンビニで目の前がBTS(スカ
イトレイン)の階段というグレイトな立地。下は24時間レストランで、部屋はエアコ
ン・ホットシャワー・冷蔵庫付き(いつもこの二つがある宿に泊まるわけではないので重要な
特記事項である)、特にバスルームは裸足で歩く気になれる衛生水準であった。気に
なるお値段はツイン素泊まり750B、ABF付きで800Bと、こないだチャイナタウンで宿
探ししたときよりC/Pがずっとよい。特にABFが一人25Bってのがすごいです。定宿の
予感かも。
実は本日の香港は約30年ぶりの厳寒の大晦日。新界の朝の気温は6−7度。辛抱たま
らず着込んできたダウンジャケットやら靴やら小僧ももひきやらラクダのシャツやら
をそのままそっくり一式友人宅に預かってもらう。すみませんねえ、何から何まで。
友人夫妻が去った後、外をぞろぞろ歩いてみるが、時間が遅すぎてもうコンビニしか
開いていなかった。風呂入って爆睡。
2004/01/22
小僧、まさかの夜泣きでもヒトツ清々しい目覚めとならず、不調。しかし朝寝が惜し
いので起きてしまう。MBKに行ってみるも、早すぎてまだ開いていないので、タク
シーでホアランポーン駅へ。チケット窓口は開いており、トラン行き当日寝台はエア
コン無ししか空いていなかった。翌日のエアコン寝台を購入。上下合わせて1400Bほ
ど。翌日のが買えると思っていなかったので結構うほうほ。駅前で米麺と油条の朝食
を優雅にとり、我々の会話を聞いていた華僑店主から広東語での新年の挨拶を受けて
から、チャイナタウンへ向かった(※イタリア旅行でも中華屋を探す中国人のページ参照)。
「海外旅行で真っ先に訪問するのがどうしてチャイナタウンなの?」と、一応弱々しく抗議してみると、「正月だから。」と真っ正面なご回答。
ナゼ旅行なのに真っ先にお参りをする。「初詣と旅の安全祈願に決まっとるだろう。」「・・・」
さてそのチャイナタウン、メインストリートのヤワラーは車両規制をしていてタクシーでは入れず、近所で降りて歩いていくと人の渦。ほぼ全員が赤い服。ヤワラー通りに列を作って並び、何事かの開始を待っている模様。
何だろうなーと思っていたら、翌日のBangkok Postを読んで
納得。くじ番号入りの利是(お年玉袋)が配られ、総額千五百万バーツ分の福引きがあったのだそうだ。一等賞は500万バーツ相当のコンドミニアム。
赤Tシャツ。中国風デザインの赤い服もたくさんあり、わりとカワイイので欲しくなったが、よく考えるとこんなめでたい色の服は旧正月ぐらいしか着られず、旧正月の香港はこんな服を着られる気候ではないので断念。
なお、何をもって起点とするのかは知らんが、今年はチャイナタウン222周年にあたるそうで、タイ王妃もとんでもないまっかっかヒラヒラ服プラスまっかっかルージュで式典にご参加。「大屋政子・・・」などと連想してしまった私はタイ人なら不敬罪です。
交差点には野外ステージが設けられ、マンダリンの女性歌手がなにやら熱唱していた。
干支のはりぼてはもちろんお約束〜。今年はどこも斎天大聖ですね。
脇の小路には屋台がたくさん。しあわせ。どどーんナマズのぶっさし焼き。体長50センチぐらい。なぜに駅前でつまらん朝飯などを食ってしまったのだろう我々は。
かわいい素焼きの鍋に入ったカレー。
カレーはともかく、鍋が欲しかった。でかいけど。でもかわいい。重いだろうなあ。でもかわいい。
いろんな種類のパット・タイ(タイ風やきそば)。一番奥のピンク色は何で色を付けてあるのだ?食紅かな。ほかではみたことないんで、たぶん縁起物なのでしょう。
ソムタムのベースになる、グリーンマンゴーの千切りにプリック(とうがらし)をかわいくアレンジ。かわいいけど辛いよん。
これを入れてある籠も長豆(インゲン豆のうんと長いやつ)を編んでつくったものという凝りようだった。左下にちょこっと見えてます。
トウモロコシまで飾ってしまうのかああ。
これは食べるんではなく、生。売り物ではなく飾り物です。道の両側に並んでました。
お、コレはなにかな?
じゃーん。イナゴと何かの幼虫でした。上の写真の手前の黒いのはゲンゴロウかな?。広州で水蟷螂(水ゴキブリ)と呼ぶのと同じだと思います。なお、台湾では水蟷螂はフナムシを指すようです。(不確かな豆知識)
黒いのと幼虫は勘弁だが、イナゴはギリギリ食えそうな気がしてきた。カラッと揚がってて香ばしそう。
小僧はお祭りにつきもののくだらんおもちゃを買ってもらい、ゴキゲン。「あれかってー。あれかってー。あれかってー。」
「これ。」←龍のおもちゃ。すぐ壊れた。
今日はたまたま小僧にまっかっかのTシャツを着せており、「観光客やのにドレスコードわかってるやん」ということなのか、それともこの「ヨソの子ベタかわいがり」がタイのスタンダードなのか、小僧はやたらとほっぺたをなでられたりつままれたりしていた。銀行員がなぜかスルメをくれたり、ぜんぜん知らんおばちゃんが風船をくれたりだ。
とにかく街は中国でした。 (※イタリア旅行でも中華屋を探す中国人のページ参照)
大量のラスタ帽。
ヤワラーの川寄りの地区は卸売り問屋(小売もしてくれる)が並ぶ地区で、昔ここを探索するのが大好きだった。トンボ玉のネックレスや安いアクセサリー、きれいな飾りボタンなど。そのころ着ていたスーツのかなり変わったデザインのボタンと全く同じものをここで見つけ、買って帰ってピアスやブローチに作り直したことがある。
どんどん混雑がひどくなるので、フェリーピアに脱出。大大大好きなチャオプラヤ・エクスプレス。だれが大好きなのかって?小僧ではなく、もちろん親二人がです。初乗りの小僧もすぐに気に入ってくれたようだ。
楽しく乗ってタ・ティエンで下船。
ワットプラケオ?の睡佛(涅槃仏)を参観。
小僧「おっきいひと、ねてるで。」
母親「このひとなあ、ウルトラマンやねん。」
20B札をバーツ以下の小銭に両替し、ずらりと並んだ金属の鉢(お坊さんが托鉢に持ってくやつ?)に一枚一枚入れていくというお賽銭をあげてみた。小僧がやりたがったので。
こんなふうに並んだ鉢に一枚一枚入れてゆく。
きっちり入れれば最後の鉢で終わりなのだろうが、もちろん小僧がちゃんと入れられるわけはなくとばしとばしなので、「最後に余るなあ」と思いながら見ていたら、案の定余った。しかし小僧だけではなくタイ人もみないい加減に入れているらしく、最後の鉢はコインであふれていてやや笑う。
寝ジャカのうしろあたま。枕にとげ刺さってそうです。 (一応仏教徒なんですが私。)
バスでひとつ北のフェリーピアへ。川べりのちょっとおしゃれなレストランで昼食。トムヤムクン、牡蠣オムレツ、シーフード炒飯。小僧はあいかわらずえびが好き好き太郎である。食後、タクシーで動物園に向かうも、たらふく食った小僧、入場するなり爆睡で、エントランス横のベンチに釘付け30分。無理やり起こして象・キリンなどを見るが、小僧はフラフラである(鬼両親)。仕方が無いので少し休もうと、夕方の渋滞を承知でエラワンまで再びタクシーに乗る。どっちにしろ相棒のエラワン参詣はバンコクのMustだ。
ここは中国系観光客にとっては非常に重要な目的地らしく、そごう前には観光バスがつぎつぎと止まっては善男善女を吐き出してゆく。たまたまそのグループのうちのひとつに混じってしまった私に向かい、ガイドが何のためらいもなくしっかと私の目を見つめて「六点半あ!六点半回来あ!」と大声で念を押し、私も思わず「知道!」と答えてしまいそうになった。
そこからBTSでエンポリウムまで。もともと泊まる予定だったホテルのあたりを散策。かなーりツーリスティックなところだったので、やめといてよかったかなという私の感想。駅までも歩くには遠く、タクシーに乗るには近く、やや中途半端。
エンポリウムで見た巨大ポスターがこれだ。左から渡辺謙、小雪、真田博之。終わり。あれ?誰か抜けてませんか?
二階のコーヒーショップでコーヒーブレイク。小僧は焼きプリン。下でどんどんと太鼓の音。のぞいてみると獅子舞が始まっていた。

さらにドラゴン・ダンスも。中国人嬉しそうね、いやしかし。
さて夕食。最初はチャイナタウンのシーフード屋に行こうかと言っていたのだが、朝の人ごみに恐れをなして変更。おまけに私にどうも食欲がない。普段デスクワークなのに突然暑い中を動き回って正直疲れており、近場にしてくれーと懇願。ホテル向かいのMBKのフードコートで簡単ごはん。小僧は猪脚飯、私は海南鶏飯、相棒は魚翅労飯、まるっきりの中華である。(※イタリア旅行でも中華屋を探す中国人のページ参照)。
食後にMBK内部を探索、すっかり道に迷う。全く反対側のホテルのほうに出てしまい、小僧を担いで半時間、ぐるっとまわって帰ってきたので完全に体力を消耗した我々は、宿に帰るとシャワーも浴びずに倒れ寝た。
2004/01/23
朝でーす。シャワーを浴びて宿で朝食をとり、荷物をまとめてクロークに預けた。
昨日のチャオプラヤ・エクスプレスがよほど気に入ったらしく、「おふねー、おふねー」と催促する小僧。BTSでタークシン橋まで行き、船の運転手の真横に陣取った。そのままぶーんぶーんとバンランプーまで。砲台公園で少し遊んでから、再び船で対岸の大きな市場へ。川べりのレストランで食事。おもいっきりタイ料理で、川魚のフライ、えびとたまねぎの炒め物、蟹のすり身の揚げ物など。私は辛いものも結構好きだが相棒はやや苦手、唯一辛くないえびを小僧にほとんど食べられてしまった相棒、食後に屋台の麺を食べて腹の足しにしていた
船で対岸へ戻り、そのまままたしてもチャイナタウンに向かおうとしているところに小僧、いきなり「しっこ!」。ためるとかガマンするとかができないお年頃なので、慌てて途中下車して用を足させる。ホテイアオイの浮かぶチャオプラヤ川に、ゴーカイな水柱がほとばしった。
そしてなんと小僧、そのまま「だっこ!」→爆睡。全く仕方が無いのでそのへんで唯一座ってられそうなアイスクリーム屋に入り、いちごパフェなどを食しつつ時間をつぶす。小僧のお昼寝って、やっぱり小学校入学ぐらいまでは続くんだろうなあ。
アイスクリーム屋のメニュー。始めてタイに来たころはこんな店、探しても探してもなかった。
小僧が目を覚ますと夕方5時の列車に乗るにはいい時間となったので、ホテルへ戻って荷物をピックアップ。ホアランポーンへ。いつ来ても旅情をそそる駅だ。数ヶ月前から小僧に言い聞かせていた「ねんねのでんしゃ」は10番プラットフォームに入っていた。
親子三人うきうき乗車。目指すはタイ南部、トラン。
列車員のおじさんが小僧に制帽をかぶせてくれた超かわいい写真があるのだが、ここでは公開しない。ムフ☆
2004/01/24
小僧と私は下段で熟睡、相棒も上段で熟睡。さわやかな目覚めとともに朝8時すぎ、トラン到着。
トラン駅。改札もないもない、小さな駅だ。駅前から歩いてトランホテルへ。トランはタイ南部の多くの街の例に漏れず、町の住民のほとんどが華人系である。島へ渡ってしまうとまともな料理が無いのがわかりきっているので、今夜はここへ一泊して思う存分中華を食う予定。(※イタリア旅行でも中華屋を探 す中国人のページ参照)
部屋のバルコニーからの眺め。エアコン・ホットシャワー・冷蔵庫つきの広いツインが590バーツ(=1650円)。80バーツとか100バーツの部屋に泊まっていた過去を考えるとすごい出世した気分。中国語で言う「發達了!」っていうやつよね、と相棒に言うてみたら、「オマエ恥ずかしいからヨソでそれ言うなよ」と釘を刺された。
さっそく街を探索。市場でプリック(とうがらし)がてんこもり。ちっちゃい市場で特に見るべきものはなし。でも市場が好きなんだよねー、私たち。
早めの昼食をトランホテルの下のレストランで。魚をDeep Fried以外の調理法で、辛くない味付けにしてくれと頼んだら、出てきたのは潮州風の料理であった。味付けは良かったが魚はどうやら河口に住む魚らしく、海のものほどめざましい味がしない。ほかにはえびと菜心のオイスターソースかけ、いかとえびのサラダ(これはタイ風だった)、えびチャーハン。何故えびだらけかというと、小僧の食が進むからだ。
食後、帰りのチケットを先に手配。寝台が思いのほか快適で、小僧でも無理がないことがわかったので、29日のバンコク行き寝台を買った。
この街のTukTukはたて座席型。英語で「市内は一回一人15バーツ」と高いことを書いてあるが(バンコクのメータータクシーは初乗り15バーツ)、交渉しだいで少しは安くなるようだ。街外れのボーコーソー(バス停)まで、20バーツで行ってもらった。
バス停の椅子はバスの座席の再利用であった。このへんの地元民は(華人を除くと)ムスリムが多い。となりのおっちゃんも、そのとなりのおじいちゃんもそう。それにしてもタイ人はヨソの子供をかまう。そして小僧はあまり人見知りをしない。

そしてバス停にも斎天大聖(孫悟空)の護符が貼ってありました。
明日、船着場へ行くワゴンはここから30分置きに出発することを確認。これで明日の交通は大丈夫なので、あとはお寺などを巡ってみた。タイ寺。
その向かいの中国寺(斗母宮)。タイでは中国道教の寺をあちこちで見る。ここでは脇に天后と観音が祭ってあったので、しっかり拝んでおく。
お気に入りのサンダルの紐がはずれてしまい、靴修理屋を探して市場をうろつくも、見つからない。中国やインドなら、靴修理やサンダル修理屋はどこでも見つかるのだが、ここでは全然見つからない。街行く人の足元を見ると、ビーサンかそれに毛の生えたようなゴム・ビニール製品。修理してまで履くほどのことも無いわけだ。
だもんで、あきらめてビーサン買いました。ベージュの木綿の鼻緒がかわゆい。おねだん50バーツ。ますますかわゆい。小僧のおててもかわゆい。
夕食は潮州おやじ店。またしても中華(※イタリア旅行でも中華屋を探 す中国人のページ参照)。タイまで来てなぜに白粥だ俺たち。なぜなんだ。(※イタリア旅行でも・・・しつこい。)
2004/01/25
ひゃっほう快晴!
キラキラの一日の始まりです。TukTukでワゴン駅まで20バーツ、ワゴンでパックマンの船着場までが@50バーツ。八時半のワゴンは一時間弱でパックマンに到着。となりに座ったのがイギリス人のおっちゃんで、生まれて初めて4ヶ月の休暇が取れて、アジア太平洋旅行なのだそうだ。なんとタイは初めて。そりゃ楽しいだろうなあ。初めてなのにまたマイナーな島に行くのねえと言ってみたら、友人のアイデアをコピーしただけ、とウィンクした。コ・ハイの後はクラビ、コ・ピーピーだそうだ。

船着場のレストランでブランチを取りつつ待つも、10時とか10時半とかに出るはずのフェリーが一向に来ない。フェリーチケットは@150バーツ、プラス外国人は国立海洋公園入境料として@200バーツかかります。
Kho Ngai Fantasy Resortへ向かうスピードボートがイギリス人のおっちゃん@すげえ荷物を載せて先に出航、結局私たちの乗るパブリックボートが出航したのが12時前。ま、タイ時間だとこんなもんなのでしょう。
揺られること1時間、長い長いホワイトサンドビーチを持つコ・ハイが見えてきたが、船は船着場のないビーチには接岸できず、沖合いの岩場で波と風を避けつつロングテイルボート(長い小船にプロペラエンジンを付けたもの)に乗り移る。一人で来ていた白人のおっちゃんが見事に乗り移りそこない、海に落っこちた。ぶるぶるぶる。ウチは小僧連れなんだ。気をつけよう。
小船はビーチに接岸。しかし風の強い日で、波を慎重に避けつつ、島までの20分がカナーリやなかんじだった。何しろ小僧がいるからなあ。揺れ揺れのボートから降りる際に結局下半身はずぶぬれになった。タイの海辺なんだからいいじゃんといいたいところなのだが、予想もせんかったほど涼しいのだタイ!寒いぞタイ!昼間なのに28度ぐらいしかないのではないか。そして思いもかけないほど風が強く、濡れると真剣に寒いのだ。
さて、予約無しで到着した我々は、島に三軒しかない宿のうち一番安いKho Ngai Villaへ。最も安いのが500バーツのバンブーハウスで、竹で編んだ床も壁も隙間だらけ。昔なら泊まれたが、小僧がいるので蚊が怖いです。800バーツでもう少しマシなバンガローがあり、まあまあのSea Viewだし、とりあえず一泊することにする。エアコン・ホットシャワーなどはもちろん無し。冷蔵庫?あるわけない。しかし床はタイルばり、壁はコンクリートに漆喰なのでまあまあ清潔。トイレは西洋式であったが、フラッシュは洗面器で流すんです。海辺のバンガローとしては標準的なところかな。しかし高いなあ。みたところ200-300バーツってとこの宿なのに。
ビーチに面したオープンレストランで、南の島への到着に祝杯。小僧は同じくらいの年の男の子とあっという間に仲良くなり、キャアキャア言って走り回っていた。イタリア人の男の子で、ママンに聞くと名前は「ターザン」と「ダルジャン」の間ぐらいに聞こえた。このイタリア人家族は四日間この島に滞在したが、毎日こんな風の強い日だったそうだ。明日モック島に移動するのだが、人数が集まらなくて大きなボートにならなかったらどうしようと心配していた。これだけ波が高いと、小僧の水遊びもままならないなあ・・・。
さてビーチを散策。美しいホワイトサンドビーチで、はだしで歩くのが楽しくて仕方が無い。カニ穴がたくさん開いていた。小僧は「うみ、こけてくる!こけてくる!」と波を表現した。
長いビーチはほとんど無人だった。そもそも宿が安くないだけあって、私と相棒が呼ぶところの「窮老外(貧乏ガイジン)」「らーじー老外(クズ外人)」がほとんどいない。家族連れか老人夫妻ばかり、それもなぜかアメリカ人がぜんぜんいなくてヨーロッパ人だけ。そもそも絶対数が少ないので全員が顔見知りだ。昼過ぎの定期便がつくころには、ほとんどの滞在者がビーチ前のオープンレストランで昼食を取っていて、どういう新客が来たかまるわかり。私たちが到着したとき、イタリア人夫妻は「しめた。子供の遊び相手が来たぞ」と思ったそうだ。
ビーチの沖すぐで海の色が変わっており、あきらかにコーラルリーフなのだが、風と波がこわくてそこまで泳ぎ出る気になれない。この風なあ。どうしたもんだ。明日はボートでスノーケリングに行こうと思っていたのだが、なにしろボートに乗り降りするだけでも一苦労の波風である。万が一のことを考えると、とても小僧をのせて小さな船に乗る気がしない。
しかしビーチは広く美しく、小僧を楽しく遊ばせた。相棒はカニを捕まえるのがうまい。
2004/01/26
朝、相棒が朝寝をしているので小僧とバンガロー前で遊んでいると、3歳と5歳の女の子を連れたスウェーデン人の女性が通りかかった。(それにしてもガイジンの名は覚えられん・・・。そりゃ向こうも同じだろうが。) 二日泊まったが、一日中風ばかりなので今日コ・ランタへ戻るという。
「コ・ランタから直接来たの?どのくらいかかったの?」「3時間。」「ロングテイルボートじゃなくて?」「普通の船よ。小さいけど。」「コ・ランタはこんな風じゃなかった?」「ぜーんぜん。We didn't expect such a windy island here.」「Neither did I.」
むーん。ここに泊まってると、毎日風で目の前の海を指をくわえて見ているだけになりかねんと、夕べも相棒と話し合っていたのだ。しかしここから行ける近場の島(コ・ムック、コ・クラダンなど)には小さい船しか出ておらず、行ってもやはり風の島だと困ってしまう。コ・ランタは大きな島なので船もややマシだろうし、トランへ帰る交通もあるだろうから行っちゃう事にしよう。アイランドホッピングだ。ひゅー。昨日のワゴンでいっしょだったイギリス人が私たちが宿を予約していない、いつもそうだと言うと、「じゃあalways by chanceな旅なんだね」と言ったが、その通りだ。
朝食がてら尋ねる、と今日午後3時の便が空いているという。さっそく予約し、チェックアウトを2時に伸ばしてもらった。ビーチを散歩、客が誰もいないSea Food Restaurant(←これが店名)に腰をすえ、小僧を交互に見ることにして海に出る。まず相棒。フィンなしで一時間ほど泳いであがってきた。岩場の沖がさんご礁だそうだ。
私は相棒ほど蛙ではないので、フィンを付けて沖へ出た。うーん。まあまあか。コ・ピーピーのロングビーチと同程度、コ・ピーピーから船で行ったバンブーアイランドや、ティオマン沖のコーラルアイランドにはかなわないが、ビーチエントリーだとこんなもんだとも思う。
昼食に頼んだ野菜料理、「緑の葉もの野菜で炒め物を作ってくれ」と頼んだら、出てきたのはカリフラワーとかブロッコリの葉っぱの部分であった。私「やっぱり食べられるんやん!私も料理のたびに捨てるのは惜しいと思っていたのよ。」相棒「人間が食うところとちゃう!」しかしこの島の閑散ぶりは捨てがたい。去るのが惜しい。もう少し部屋が合理的な値段で、レストランがましな味だったらなあ。まあ、料理の味はコ・ランタに行っても同じようなもんだと思うが。所詮はバンガローフード。
午後三時。ボート乗降の際に下半身ずぶぬれになることがわかっているので、水着にサロン(腰布)だけ巻いた姿で出発。小僧はパパに抱かれて無事。30人乗りぐらいのボートはもっとどっさり客を乗せて出発。
夕焼け前にコ・ランタの船着場に到着。集まってきた客引きに値段を聞き、感じの良いムスリムの女性が400バーツの部屋があるというのでそこにする。彼女のピックアップトラックで今夜の宿へ。Lanta Sunny Houseです。
荷物を降ろすなり、ビーチへ落日を見に行った。ビーチが東を向いているコ・ハイでは見られなかった美しい夕焼け。本日も美好(meihao)な一日であった。
明日もそうだといいなあ。
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