彼は町へ行くと店へ入り、身ぎれいな恰好をして現れた。
時代を遡って、貴公子が姿を見せたようだった。
彼は元々、好んで昔風の恰好をする。それが自分によく似合うことを心得ているように。

彼はそれから、僕にこれからのことを話し町角に立つ。
暫くすると中年の男が彼に声をかけて二人は歩いていく。
僕は彼に命じられた通りにその後をつける。
不安は高まった。


僕が室内に入った時、既に男は裸体を晒したまま寝台に横たわっていた。彼は壁際のソファに身体を埋めて、入って来た僕を見た。

「やつを起こせ」

彼は冷ややかに僕に言う。
僕は歩み寄って、男の肥えた身体を揺り起こした。目覚めた男は僕を見て驚き、それから身体を起こしてソファにいる彼を見て更に驚いた様子で、何やら意味をなさない言葉を喋った。

「おれはJ・・・」

彼はほくそ笑んで言った。

「こいつがT。おれたちは吸血鬼なんだ」

男は訳の分からないという顔をして僕たちを順々に眺めた。そして理性を取り戻すと言う。

「なにを馬鹿なことを言う?約束が違うっ!金はやらんぞ」

そして脱ぎ捨ててあった自分の服を手繰り寄せている。

「T、そいつをおさえろ。思い知らせてやれ」

彼は笑いながら僕に命じた。
僕は男の腕を掴んで身動きを封じた。男は抵抗するよりも腹を立てた様子で彼に怒鳴りたてた。

「おい、ガキが。いい気になるんじゃない、人を呼ぶぞ!」

彼は笑顔を消して、暫く何も言わなかった。
煙草に火をつけて、僕に言った。

「…それは大変だ。人を呼ばれたら、おれたちは愉しめないぞ」

煙を吐き出して彼は、眉をぴくりと動かした。残忍で、けれど綺麗な顔。

「口を塞いでしまえ。そこにあるタオルを、こいつの口に突っ込め」

僕は示されたタオルで男の口を塞ぎ、更に男の所有のベルトでそれをきつく結ぶと後頭部で縛った。
僕の忠実な行いに彼はとても上機嫌だ。
そして男は、僕の意志のない行動に心底恐れをなしたようだ。

彼は声をあげて笑った。

「奇妙な恰好だなぁ。これはいい。さぁおまえ、そこら中を歩き回れよ」

男に向かって彼は命じた。僕は男の両腕を後ろ手に縛り、男から離れた。しかし男は言うとおりにはしなかった。

「聞こえなかったみたいだな。無駄飯ばかり食ってないで、少し耳を掃除したらどうだい。T、やつの耳なんか取っちまえ。どうせ飾りみたいなものだからな。穴さえありゃ聞こえるさ」

男は身構えて僕を睨むと、矢庭に寝台から立ち上がり、僕の捕まるのを畏れて走り出した。
裸体を晒し、口と腕の自由を奪われた恰好で、巨体が室内を駆け巡った。

男は知っていた。

僕が、彼の言いつけを実行することを。
僕が彼に忠実であることを。

「こいつ、走ってるぞ。なんて無様なんだ」

彼は愉快そうに言った。しかし命令を撤回しなかった。
僕は男を捕まえてたちどころに両の耳をむしり取った。男の瞳が見開かれ、継いでしわくちゃに閉じ、タオルの奥からくぐもった絶叫が響いた。
血が飛ぶ。
助けてくれという言葉が、アクセントだけで聞き取れた。

「こいつの余分な肉を、剥ぎ取ってしまうってのはどうかな、T。おまえは、その方がいいと思わないか?」

男はかつて耳のあった場所から濁った血液を垂れ流しながら僕を見た。
その目には涙が溢れていた。
僕に哀願している。僕が美しい彼の提案を退けるように、願っている。
僕は男から目を放して彼の方を見た。彼は僕の返答を待っている。その表情は、ない。

「あなたがそうしたいのであれば、僕は異議を唱えない」

彼は満足げに笑い、顎をしゃくって行動を促した。
男は再び逃げようと足を上げたが、僕はそれを押さえつけ、男の弛んだ腹の脂肪を一掴み切り取った。そして倒れた男の太い腿の肉をも剥ぎ取った。
悲鳴。
苦悶の叫びが聞こえる。

彼はソファから立ち上がって僕と男の側へやって来た。そして血塗れの男を見下ろして言った。

「おまえ、死にたくないだろう?だって死ぬってことは、痛いからな。肉を剥ぎ取られて死ぬなんてのは、ちょっと普通では考えられないからな・・・よし」

彼は唇を奇妙に歪めて、狂気の狭間で微笑んだ。

「跪いておれにこう言ってみろ。おれに一生ひれ伏すと言え。おれたちはおまえたちより優れていると言え、神よりも偉大だと言ってみろ」

そして僕に男の口が聞けるようタオルを取り除かせた。
男は暫く苦痛の呻きをあげていたが、カーペットに頭を押しつけて彼の言葉を繰り返した。
彼はそれを冷たく聞き、言葉が終わると同時に口を開いた。

「よく言った。けど、おれは言ったから助けてやるとは約束してない」

それを聞くと男は、身も捩れる程の憎悪を剥き出しにして、彼に突進していった。

「おまえは人間じゃない、悪魔めッ!」

彼は身をかわして冷笑した。

「それが本心だろうさ」

そしてもう興味を失ったように背を向けて寝台に横たわると、僕の方を見ないまま言った。

「片づけろ、目障りだ」

男がそれを聞いて大声に助けを求める気配を見せた。僕は男を羽交い締めにし、声を紡ぎ出そうとしている喉元を切断した。男は事切れた。
死体が絨毯の上に崩れた。
僕はそれに身を屈めて唇を寄せた。

「やめろ」

彼の声。僕は顔を上げた。彼は僕と死体を見つめていた。そして煙草を放って続けた。

「そいつの血なんか呑むな」

僕はその言葉の意味が解せない。
しかし従って死体から離れた。彼は僕に側に来るように言った。僕は寝台の端に立つ。彼は男の死骸を眺めていた瞳を反らして僕をまっすぐに見つめる。

「おれは神よりも偉いなんて、そんなことどうでもいい。神なんて、何処にいる?おれたちが存在を許されるこの世界の何処にそんなものが?」

彼の言葉は僕の中で明確な意味をなさなかった。それでも僕には彼の哀しみが理解出来たように思えた。
どうしてこんなにも美しいあなたは、そんなことに心を痛める必要があるのだろう。

「僕はあなただけだ。あなたがそんな風だと、僕は哀しい」

彼は暫し瞳を閉じて沈黙を守った。それから、言った。

「おれを止めることは、おまえにも出来ないんだね」


あぁ、哀しまないで。
あなたはそんな風ではいけない。あなたは自信を失ってはならない。
人殺しをするあなたが、僕は好きだ。



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