Sendai仙台を拓いた伊達政宗の兜…
盛岡駅 鉄道・観光案内書政宗弁当を楽しみながら、盛岡駅へやって来た…
北へ向かっていることになるが、これは帰途ではない…仙台へ向かう途中、盛岡で忘れてしまった荷物を受け取りに来たのだった…
盛岡駅に到着し、駅員に忘れ物を受け取りに来た旨を告げると、「改札を抜けた向こうの硝子で覆われた“案内所”」に足を運ぶように言われた。岩手県の“観光案内所”と、JR東日本盛岡駅の“鉄道案内所”が硝子の向こうに並んで入っている。観光の方は3名程の女性スタッフが、鉄道の方は3名程の駅員が居た。
鉄道の方で忘れ物の旨を告げると、内線らしき電話のやり取りがあって、見覚えのある鞄が案内所のカウンターにやって来た…「悪かったね…もう離さないよ!」という感じで荷物と対面である…

盛岡駅 郷土が生んだ詩人石川啄木の筆跡を写した看板…荷物にはに渡すつもりで稚内から持参した菓子折りが入っていた。コンビニエンスストアから宅配便で送るつもりで、案内所の駅員に訊ねると、駅前に1軒ある旨を丁寧に教えてくれた。礼を言って立ち去り、用を足し、「仙台へ戻る都合も…」などと思いながら駅へ引き返すと、新幹線対応の高架線も在る駅舎の壁に写真のようなものを見つけた。上野駅に東北の訛りを聞きに出掛けて故郷を懐かしんだという石川啄木は、岩手県の人だった…北海道にも縁があるが…流石に駅名表示に彼の筆跡を写したものを使っている例は思い当たらない…
岩手県が生んだ文学者としては、他に宮沢賢治を思い出す…思い出したのは、宮沢賢治は稚内に足跡を残しているからだ…彼は教員をしていて、教え子の就職関係で挨拶に行くということで樺太を訪ねている。有名な『銀河鉄道の夜』はその旅の時に構想したという説がある。
思わぬ事態の結果として寄った盛岡だったが、北海道と存外縁があったなどと喜んでいた…

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