ウィラメット河岸公園


(v97.12.13)

<トム・マッコール河岸公園(Governer Tom McCall Waterfront Park)>

トム・マッコール河岸公園は、南はリバープレイス再開発地区(1)のマリーナ(2)から北は日系アメリカ人史跡広場(Japanese-America Historical Plaza)(4)まで約1,800mに渡ってウィラメット川西岸に伸びています。平均の幅は1街区分の約60mです。普段は静かなこの公園では、ベンチでひなたぼっこする老夫婦や、芝生でリラックスする家族連れ、ジョギングやスケボーをする若者などが見られますが、土日や休日には頻繁に野外イベントが行われて大勢の人でごった返します。夏にはサーモン・ストリート噴水(Salmon Street Springs Fountain)(3)での水遊びが子供達に大人気です。

現在の美しい公園を見ると信じ難いことですが、ここにはつい20年ほど前まではハーバー・ドライブという高速道路が走り、倉庫が並んでいました。もともとポートランドは川沿いの港町として誕生しましたが、その後の経済成長により川の両岸は高速道路や巨大な倉庫などで占められてしまいました。1960年代後半から「川を市民に取り戻そう」という市民運動が盛んになり、それを受けたポートランド開発委員会(Portland Development Commission)が1974年に高速道路の撤去を最終的に行ったのです。勿論、撤去による経済への影響も検討された上での決定ではありましたが、市民のまちづくりに対する高い意識、それを運動に展開する行動力、そして市民運動に応える行政決定、といったポートランドのまちづくりの特色が凝縮された歴史的出来事でした。


<日系アメリカ人史跡広場(Japanese-America Historical Plaza)--(4)

ポートランドには数多くの日本人が移民した歴史があります。その多くは第二次大戦中に迫害を受け、1942年にはアメリカ政府によって2,000人以上が中西部の収容所に抑留されました。そのため、かつてはBurnside Stの北側(現在の中華街/旧市街の辺り)にあった日本人街は消滅してしまいました。日米双方にとって悲劇的なこの歴史を記念して、日系アメリカ人史跡広場は1990年に造られました。日系アメリカ人のランドスケープ・アーキテクトであるロバート村瀬の設計は、石と100本の桜の木を芝生に調和させたものです。


<ウィラメット川に架かる橋>

サンフランシスコの金門橋のような派手な橋はポートランドにはありませんが、ウィラメット川には架かる橋はそれぞれに個性を競っています。これらの橋が市民に親しまれていることは、車の通行を制限して全ての橋を自転車で回るイベント「ブリッジ・ペダル」が毎年行われ、大勢の市民が参加することからもわかります。

ホーソーン・ブリッジ(Hawthorne Bridge)は1902年に焼失した木製の橋を1910年に架け替えたもので、アメリカ最古の稼働中の垂直昇降橋です。

モリソン・ブリッジ(Morrison Bridge)はウィラメット川に架かる最初の橋として1887年に架けられました。現在の橋は1958年に再築されたもので、無駄を削ぎ落としたミニマリスト・スタイルです。

バーンサイド・ブリッジ(Burnside Bridge)は金門橋を設計したジョセフ・ストラウス(Joseph Strauss)による設計で、1926年に架けられたコンクリート製の跳ね橋です。

スチール・ブリッジ(Steel Bridge)は1912年に架けられた、別々に垂直上昇する2層デッキを持つ世界唯一の橋です。上のデッキは路面電車MAXバス、自動車、歩行者用で、下のデッキは1日8本の列車が通る鉄道橋です。下のデッキは水面から63cmしか高さがありませんので船が通る度に頻繁に昇降しますが、その際に上のデッキは動かす必要がない仕組になっているので、他の交通を妨げることはありません。

ブロードウェイ・ブリッジ(Broadway Bridge)は1913に架けられた朱色のトラス型の跳ね橋です。


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