経済学ガイダンス

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経済学に関する雑感

1. 【目的としての経済学、手段としての経済学】
 目的と手段とどっちが大事?大事というより、どっちが先に来る?当然、目的ですね。ところが経済学を学んでる、「経済学は所与の目的に対する最適な手段の選択」を課題とする学問だと言われ続けるために、知らず知らずのうちに目的の重要性を忘れそうになります。というのも、経済学は、「何を(=目的)、どのようにして(=手段)最大化するのか?」について具体的には何も指示してくれないのです。経済学が教えることは、大概の問題はこの問題設定で対応できるということだけなのです。(この態度が極端に表れると「経済学帝国主義」と揶揄されることになります。)何を目的とするかは各自の選好の問題であると答え、その選好順序がどうなっているかも各人各様だと言うのみです。つまり、経済学に登場する経済主体は、目的意識を明確に持ち、その目的を達成するために賢明に選択する主体だということです。
目的としての経済学=消費財を消費するのと同じく、経済学の学習それ自体を楽しむ場合。しかし、経済学は文学や芸術に比べると、楽しみにはなりにくい。
●手段としての経済学 =投資財に投資するのと同じく、経済学の学習を将来収益増大の手段とする場合。しかし、経済学は理系学問や法律系に比べると、飯の種にはなりにくい。

 こんな風な消極的な結論しか出せないと、なんだか教える側としても無力感に襲われてしまいます。もう少し、積極的な意義を見いだせないものでしょうか?

2.【経済学の無力?】

@問題意識・問題関心
 現在の日本は戦後最大の経済危機に直面しているらしい。史上最低の金利にも関わらず、失業率は戦後最悪、そして経済成長率もマイナス。近頃は、不況・失業に関する記事ばかりが目に付く。私の就職は大丈夫だろうか。首尾よく就職できたとしても、はたしてその会社は順調に存続し続けられるだろうか?解雇される危険性はないだろうか?日本経済の不調が、個人の人生設計に不透明感と不安感の影を落としている。

A模索
 人は危険を察知すれば、これに反応する。何かしら危険を回避する手段はないかと、辺りを見回す。他人の行動を観察する。情報を集める。

B問題の解答(経済学にできること、できないこと)
安定的に推移している時代ならともかく、混迷の時代に誰が的確な読みと診断を下せるというのか?現に、つい最近、昨年度のノーベル経済学賞者二人を経営幹部にかかえるヘッジファンドが破綻した。その道の専門家を自認している人々でさえ、現在の激しい変化を読み切れないでいるのだから、自らの危険には自ら備えるという原則以上のことは言えそうもない。
 短期は読めない。中期なら傾向について語ることは可能。しかし、長期になると不確定要因が多すぎて、再び読めない。つまり、経済学は「所与の与件のもとでの均衡」を語ることができるのみで、「与件そのものがどう変化していくか」についてはほとんど語るべき中身をもっていない。
(参考)危険と不確実性
 次に出るさいころの目を当てることはできないけれども、反復指向していれば1の目が出る確率は1/6だと言える。しかし、二度と繰り返されない、つまり一回性の出来事については、その生起について言える科学的根拠は存在しない。

 さて、以上は「経済学」という単位で、その有用性について論じてきたわけですが、経済学と言っても、大きく分けて歴史・理論・政策という分類がされます。その中で、もっとも今その存在意義を問われているのが、歴史部門ではないかと思います。理論、そしてその応用としての政策は今現在の経済について語ることができるのに対し、歴史が対象とし論じているのは過去の経済でしかありません。昨今のように学問の現実的有用性が重要視される風潮の中では、歴史を学ぶことの意義が、通常期よりも強く問われます。事実、経済学に限らず歴史系の分野は縮小傾向にあるようです。そうなると、経済学史も理論の歴史という分野ですから、人ごとではありません。どうしても、自らのレゾン・デートルを問いなおさざるを得ません。
経済学の考え方
1.社会認識の道具としての理論
:「おいしい料理は道具と素材と腕」
 立派な道具だけではおいしい料理ができないように、理論を知っているだけでは正確な社会認識はできない。関心を持った問題(素材)を、理論の目で理解する力(腕)を養う必要がある。

2.経済の位置づけ、経済学の位置づけ
:社会の3層構造(思想・政治・経済の3層からなるピラミッド)
経済は社会の基礎に位置する。社会の中で、経済が最重要だとは言わないが、利己的動機が最も強力な動機であることは、大部分の人にとって事実。
 対立を、権威(思想)や権力(政治)という強制力によってではなく、折り合いのつく条件(価格)で解決しようというのが、経済学のアプローチ。

3.人生ゲーム:効用関数は各人のもの
 人生をゲームに例えるのは、誰しもが思いつく比喩です。この人生ゲームの難しさは、勝ち負けが何で決まるのかが決まっていないところにあります。(そもそも、勝ち負けがあるのかさえも分からないのですが…)
 経済学は、各人の効用関数(あるいは、選好)を所与として議論を始めます。自分の効用関数の形状や選好については、「既に熟知しているはずだ」と仮定するのです。(えっ、まだ自分にとって何が大切か分からない?困りましたね。あなたは「経済人」以前ですねえ…。でも、ご心配なく。「経済人」はフィクションですから。)

4.ルールに基づくゲーム:「フェア・プレイの精神」
 ルールは社会的な取り決めです。目に見えるルール(成文法)、目に見えないルール(慣習、他人の目、周りの雰囲気)が、適切であるか、適切に運用されているかにも配慮が必要です。「機会の平等」が保証されていなければ、ゲームはフェアではありません。

5.価値は希少性
人は足りないものを欲しがります。だから、足りないものが貴重なものに思えます。何が足りないかは需要と供給しだいです。供給がほとんどなくても、需要がなければ(つまり、誰も欲しがらなければ)希少ではありません。大量に供給されていても、欲しがっている人すべてに十分に行き渡らないようであれば、それは希少です。
 …えっ、愛が足りない?…それはお互い様。みんな欲しがるけど、供給は不足がち。たぶん、利己的人間の定めです。