第四章 再臨主を中心とする復帰摂理

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

第七章

目次

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一節 神が準備した摂理

人類が再臨主すなわちメシヤを迎えるためにはそのための基台が必要である。この基台をつくるために三次にわたる世界大戦があった。第一次世界大戦の勝利によってメシヤが地上で使命を果たす道が開かれ、そして第三次世界大戦の勝利によって、人類がメシヤを迎える道が開かれた。蘇生・長成・完成の三段階でメシヤを迎えるのである。

第一次世界大戦のアベル国家群の勝利によってメシヤを迎える基台ができたが、これは外的な基台であって、同時に内的な基台が必要であった。メシヤが誕生する国として神が定めた場所が韓半島であった。このことをよく知っているサタンはメシヤが韓半島に来る道を塞ぐためその国を世界地図からまるで消しゴムで字を消すように完全に消してしまった。その時サタンの手先となった国が日本である。サタンによって奪われた国を取り返す運動が抗日運動である。ここにおいてメシヤを迎える使命を持つ新婦圏の先頭にたって摂理的な道を開いた女性が柳寛順であった。

1919年3月1日ソウルを始め全国各地で独立を求める街頭デモが行われ、それに対する厳しい弾圧のために多くの血が流された。(三・一独立運動)柳寛順はこの時太極旗を掲げて韓国の存在を訴えた。命がけで韓国の存在を叫んだその信仰の基準を条件として、神はメシヤを地上に降臨させたのである。これがメシヤ降臨の内的条件となったのである。1945年に第二次世界大戦が終わったが、この戦争の最終的目的は韓半島の解放であった。

こうした歴史の推移の中にあって、メシヤを迎えるための内外の基台が準備されていたが、そのための内的基台がキリスト教であった。韓国のキリスト教が世界のキリスト教を代表して再臨主を迎える立場に立っていたのである。韓国が日本から解放された後、李承晩を中心として組織された自由党の党設立綱領委員会のメンバー5人の中に抗日運動に功績のあった文鮮明師が入っていた。文師は当然のこととして、神の摂理によって未来の韓国を建てようと提案したが、その内の二人の牧師が反対したために提案は実現しなかった。そのために、準備されていた本格的な民族レベルの基盤を持ったキリスト教への道が閉ざされてしまった。

このことから次には民族レベルのキリスト教の霊的集団を求めていかざるを得なくなってしまった。霊的集団には男性型、女性型、そして蘇生・長成・完成型の三段階の集団があった。その代表的なものが金百文のイスラエル修道院であり、文鮮明師はその弟子として入っていかれた。1945年12月25日のクリスマスの日、金百文は天の啓示を受けて文師をソロモン王として祝福するように指示された。二千年前、洗礼ヨハネはイエスに関する啓示を受けて、一字的にせよイエスをメシヤとして証ししたことがある。しかし金百文は啓示を受けていながらそうすることができなかった。修道院の院長、教団の教師という栄光の位置を失ってまで、その当時自分の弟子であった文鮮明師に従うことはできなかったのである。

そこで文師は次に女性の集団を求めて、神の啓示により北朝鮮へ入っていくようになった。いろいろなことがあった後、しばらくして北の牢獄の中で女教主許孝 にあった。この女性は神の啓示によって再臨主が自分の腹を通して生まれてくることを信じていた。それに対して文師は「今はそのことを否定して出獄するように」と人を介して伝えたが、女教主はその言葉に従わなかった。そこで最後の手段として、囚人服の端を裂いた布に魚の骨の先端を砕いてペンにして、墨の代わりに板の間のすすで黒くなったゴミを唾で練って、文字を書いて送った。しかしそれでも女教主は信じることができなかった。その時信じられなくても、祈るだけでも祈っていれば、必ず文師こそが自分が待っていた再臨主であることを悟れるようになっていたはずである。何故ならそこに入る前に神は女教主に「牢獄の中で再臨主に会う」と啓示を与えられていたからである。

しかし獄中において女教主は祈ることをせず、初めから信じなかったために、再臨主を不信したという条件をサタンにとられてしまった。サタンが侵入した結果として魚の骨で書いたメモが発覚し、それが原因となって文師は拷問で血を流し、女教主は獄中で死んだ。このようにしてキリスト教の摂理は完全に消えてしまった。その結果キリスト教に代わる新しい宗教を立てて再出発せざるを得なくなったのである。

次に外的な基台について見ていくことにする。神が再臨主を立てるために準備した外的基台は第二次世界大戦で勝利したアベル国家群である。三権復帰の観点から見た第二次世界大戦の摂理国家群は次のようになっている。

   エバ 英                    エバ 日
          /\                  ⇔              /\
アベル 米―仏  カイン        アベル   独―伊 カイン

心を代表(アベル型国家群)→体を代表(カイン型国家群)

この大戦でアベル型国家群が勝利したことは心が体を屈服させたことを象徴する。心はキリスト教を表す。キリスト教はイエスが肉体をサタンに奪われ十字架にかかって死んだため、肉的救いができず霊的救いのみであり、霊的宗教である。再臨主は霊肉両面の救いをなすために肉身を持って地上に降臨されるので、再臨主を迎える基台も霊肉両面の基盤がなければならない。従って霊的キリスト教だけでなく、キリスト教を中心とした肉的な国家主権が再臨主を受け入れていかなければ、再臨主は使命を果たすことができない。

英米仏のアベル国家群が心を代表して、体を代表する日独伊のカイン国家群を屈服させたことは全世界的に心を中心として体を屈服させた立場、すなわちキリスト教を中心として世界を統一した立場に立つことを意味する。これにより十字架によって失われたイエスの体が世界的に復帰され、世界的な霊肉の基台が復帰されたので、後はキリスト教が再臨主を迎えることができさえすれば、全世界が一挙に復帰される千載一遇のチャンスとなったのであった。短期間に一挙に世界を救うチャンスとなったのであった。

再臨主を送るために神が準備した外的世界舞台は国際連合であった。国際連合にメシヤの国の代表が来て、メシヤのメッセージを国際連合の総会において発表し、そこに参加した各国の代表が満場一致で可決したとすれば、メシヤの示す方向性が世界の方向性となったはずである。このようになれば文鮮明師がいつも言われるように世界は1945年から52年までの七年間で一挙に復帰されるようになっていた。

しかし国連はアダム国家を迎えることができず、逆にサタンが暴れ回る舞台となってしまった。国連は神の摂理に失敗し、それを担当した英米仏もその使命に失敗してしまった。

神が準備した内的基台としてのキリスト教がサタンに奪われ、また外的基台としての英米仏及び自由主義国家群も、また国連もサタンの舞台となってしまった。再臨主が立つための内的基盤も外的基盤も完全に消えてしまった。神がユダヤ教、キリスト教を通して準備した四千年の摂理の基盤を全てサタンに奪われてしまったのである。   

第二節 内的蕩減路程

再臨主のために準備された内的キリスト教が失敗したためそれに代わる新しいキリスト教を立てなければならなかった。キリスト教の失敗を世界基督教神霊協会を立てて蕩減してきたのが内的蕩減路程である。

1、個人路程(1945年〜1960年)

キリスト教を失った立場から出発した蕩減路程は僕の僕からの出発であった。具体的には牢獄からの出発であり、一番どん底からであった。その期間は神に侍ることのできない、サタンに侍らなければならなかった。そして牢獄から解放され、南へ来るようになって、神に侍ることのできる僕の段階へと入っていったのである。

次の話しは文鮮明師がこの期間ばかりでなく全生涯を貫いて実践された人生哲学であり、生涯かけてサタン屈服路程を歩まれた中心心情を証している。

興南の硫安工場

「お母さんが何度も訪ねてきたんだね。そして涙を流すお母さんを先生は厳しく追い返したんだ。そして追い返されて、泣く泣く去っていくお母さんの後ろ姿をあの時に見て以来、先生はお母さんに会わないんだよ。それが先生が見たお母さんの最後の姿だった。」

文師はお母さんがどれ程までに自分を愛してくれていたかは全てご存知であった。しかし文師は次のように考えられた。

「もしこのお母さんの願いに答えてあげて、そのとおりにやって、み旨を一歩でも退けてしまったら、いったい誰がこのかわいそうな神を解放するのか。誰が神に対して責任を取るのか。自分のお母さんよりも何千倍も、幾万倍もかわいそうな神に対して、それができるのは自分しかいない。」

文師はどんなにお母さんが訴えても、かわいそうな神を捨てることができなかった。

「皆さんはこの道を離れようと思えば離れることができる。しかし先生はたとえその道がどんなに辛くてもそうはできない。それは先生が神の心情を分かったからである。」

どれほど息子として愛してくれたお母さんであっても、神を愛する文師の心情に通じなければどうすることもできない。最後には二度と再びそのような心情で来て欲しくないといって、厳しく追い返されたのであった。

聖進様のお母さんが聖進様を連れて文師を訪問したときのこと

文師がボンネッコルにおいて食口にみ言を語っておられたとき外で人の気配がした。それをいち早く察知されて外に出ていかれると、そこには七年前に天の啓示を受けて何も知らせることなく北に行ったときに分かれた妻と七歳になった一人息子の聖進様が立っていた。文師は静かに会釈して子供を見つめて「これが聖進か。」と一言だけ言って、そのまま小屋の中に入っていかれて何事もなくみ言を語り続けられた。その時弟子たちが「どうぞ時間を取って下さい。」と言わない限りどうすることもできなかった。

カインが認めるまではアベルは自分の愛するものを愛することができない。これがアベルとしての文鮮明師の道であった。カインが認めてくれないのは自分の愛がまだ足りないからだと思われ、より遠い立場の弟子たちにますます愛を投入していかれたのである。

文師のお母さんの墓参

文師が次にお母さんに会ったのは1991年12月、北朝鮮に行かれたときだった。40年ぶりに訪ねた故郷の家の裏の墓にお母さんは眠っておられた。お母さんとは40年間会うことができなかった。会ってみたら、既にこの世の人ではなかった。その場所でお母さんと妹さんがじっと立っている文師の前で、墓の盛られた土をたたきながら、「お母さん出てきて下さい。あなたがあれほど待ちに待った、あれほど愛した兄さんが帰ってきました。どうして出てこないんですか。」と泣き叫んだ。

それに対して文師は「先生がここに来たのは自分の家族、親戚を慰めに来たのではない。自分の祖国の二千数百万の人たちを救わなければならない。この人たちを救わずにおいて、どうして自分の愛するものたちのために先に涙を流すことができますか。私はこの二千数百万を救って、それからもう一度ここにやってきます。その時には思う存分涙を流してお母さんを抱きしめてみたい。」とその後に言われた。

自分が愛するものを愛する前に遠い者、怨讐を愛して、怨讐の中に住むサタンを感動させて屈服させない限り、自分の愛する者を愛することはできない。これが文鮮明師が生涯歩まれた道であった。そのために子女様たちがどんなに辛い道をいったか分からないのである。このような歩み以外に天宙を主管してきたサタンを感動させて屈服させる道はなかったのである。これが長子権復帰の道である。

文鮮明師は1945年から1960年の個人路程を通して旧約時代を蕩減復帰することに勝利された。旧約時代の目的はカインとしてのイスラエルとアベルとしてユダヤ教が一体となってメシヤとその新婦を探し立てることであった。従って旧約時代の最後の人物でありその時代を代表した洗礼ヨハネの使命はイエスの新婦を探すことにあった。再臨主は洗礼ヨハネの立場で蕩減路程を歩まれ、イスラエルの代わりに韓国を立て、ユダヤ教の代わりに統一教会を立てて、その上に御自身の新婦を探し出していかれた。

2、三次七年路程(1960年〜1981年)

1)第一次七年路程(1960年〜1967年) 家庭的勝利基盤

出発点は1960年4月11日の御聖婚である。その日を迎えるまで、様々なことがあった。聖霊の活動が特に激しく、多くの女性たちは聖霊を受けて、狂うほどに文鮮明師を慕った。真のアダムに出会って女性の本性が目覚めたことによるもので、常識では考えられない現象であった。自分でもどうすることもできない心情の高揚がそこにはあった。女性たちは夜も昼もなく、たまらず文師を恋い慕った。仕方なく場所を変えても、霊界から啓示を受けてやってきた。そのような環境の中で新婦を迎えることはどれほど困難なことであったろうか。文師に仕える女性たち一人一人が心の中で再臨主の新婦となる女性は自分ではないかというひそかな願望を持っていた。そういう状況の中で十七歳の若い娘が突然新婦として選ばれたのであった。

韓鶴子夫人の路程は初めから再臨主の新婦として侍られるような立場に立つことはできず、どん底の僕の僕の立場から出発する以外になかったのである。

イエスの母マリヤの使命を蕩減する使命は1975年頃までは崔元福先生が果たしてこられた。さらに先生を助けるために二人の女性が立っていた。この三人は復帰されたエバの立場の女性である。それらの女性たちの協助、母子協助を通して新婦が現れてくるのである。御聖婚はそのようにしてなされたのである。

a)新婦の完成

再臨主は完成した基準に立っているが、新婦は未完成の立場から出発しなければならない。アダムは神が立てるが、エバは復帰されなければならない。完全に無原罪として現れてくるのはアダムだけである。完成したアダムの前に如何に新婦が完成するかということが問題となる。

文鮮明師が夫人に感謝されている点

第一は夫人の絶対信仰と従順であると言われた。夫人はどんなに辛くても、どんなに信じられなくても、文師を一度たりとも疑ったことはなく、これが夫人を今日あらしめた鍵であると言われている。

第二は夫人のみ旨に対する霊的な判断基準が正しいことである。「あなたはふさましくない。本当のお母様は別に神が準備している。」と言われるなど、様々な霊的試練に対して自分自身で正しく判断して対処してこられたと言われる。

第三は持てるものを全て与え尽くしていかれる精神であると言われる。

また夫人が一人で十二人以上の子女をお生みになったことに本当に感謝しておられる。1960年から1981年の間に十二人を越えなければならないと言う原理的な要求があった。そのようにしなければ後の氏族編成において十二の基準を立てて、天国の建設をすることができなくなってしまうのである。実際には夫人のお腹を通して十四人が生まれた。最後の四回は帝王切開であった。そのような苦しみを耐えて生んでいかれたのである。

夫人は僕の僕から全ての段階を勝利された。そのことによって1968年1月1日に第一次七年路程の勝利が宣布され、神の日が宣布された。その宣布の祈祷の中で文師は「神様、どうか勝利したあなたの娘を見て下さい」と祈られ、涙を流しながら文夫人を神に紹介された。

b)夫婦一体

文師御夫妻の愛の基準は過去のいかなる結婚愛にも勝らなければならない。そうしなければサタンが屈服しない。その基準を勝利するために、夫人は女性として完成するためのいくつかの路程を通して、心情を復帰しなければならなかった。文鮮明師も摂理の担当者として、心情を復帰しなければならなかった。その心情が四大心情圏である。

              再臨主   新婦
(父母の心情)父 ― 娘(子女の心情)
(兄妹の心情)兄 ― 妹(兄妹の心情)
(夫婦の心情)夫 ― 妻(夫婦の心情)
(子女の心情)息子― 母(父母の心情)

文鮮明師のお話として、前の三つの心情を持つことは難しくはなかったが、最後の息子としての心情は極めて大変だったと言われる。「この方がいらっしゃらなかったならば、人類は生まれることはできない。」と感じられ、御自身を人類の代表の立場に立ててみたときに、初めて夫人に対してお母さんとして慕う心情が出てきたと言われる。

四大心情はメシヤ家庭にも初めからあるのではなく、具体的に復帰しなければならない内容であったのである。

第一次七年路程においてメシヤ家庭に四大心情が復帰され、神の直接主管圏に入られた。しかしこの勝利圏は家庭的なものであって、未だ氏族、民族、国家、世界、天宙はサタン圏であるために、依然としてメシヤ家庭はサタンに打たれる立場に立っていた。それ故まだ完全に勝利したわけではない。

具体的には三大心情を復帰したとしても、人類を代表する復帰摂理の責任者としては完全にサタンの侵入できない天国にはまだ入っていない。実際の完全なる勝利圏は八定式を越え、三権復帰して、直接主管圏において四大心情の復帰完成をなすことによって成就した。

祝福家庭においても、祝福を受けて具体的に四大心情を復帰しながら成長し、氏族的なメシヤを勝利して神の直接主管圏に入って、もう一度祝福を受けた後に、初めて四大心情圏を勝利し得る立場に立つことができる。

c)二人の女性の一体化

復帰されたお母さんと新婦の一体化である。崔元福先生と夫人との間で素晴らしい愛の勝利が成し遂げられた。

d)子女との一体化

アベルの子女との一体化

御子女様を如何に育てるかという問題である。メシヤ家庭における子女教育が祝福家庭の子女教育の基準となる。その第一ポイントは「取って食べるな」という戒めである。この問題を如何に深く、真剣に教えるかということである。

第二には長子権復帰の道、サタンの自然屈服の道、文鮮明師の人生哲学の道を行かせるようにすることである。為に生きる世界を教えることである。

カインの子女との一体化

文師は自分の愛する者を犠牲にして、遠い者のために尽くされた。それを次には祝福家庭が氏族メシヤとして実践していかなければならない。

e)二人の子女の一体化

自分の生んだ子女と伝道した霊の子女の一体化という問題である。

最初の三家庭が代表的な三人の子女様に侍っていく立場を取られた。こうしてメシヤ家庭における二人の子女の一体化の条件を満たしていった。

長子権復帰がなされれば、その上に父母権復帰がなされる。1963年までに基本的にこれらのことが成し遂げられた。1964年から67年は上述の基盤の上に万物復帰がなされた。第一次七年路程を通して、今まで述べてきたように父母を復帰し、子女を復帰し、万物を復帰し、家庭を復帰されて、1968年1月1日に第一次七年路程の勝利を宣言された。その上で第二次七年路程の出発を宣言し、同時にこの日が神の日の宣布の日となったのである。

2)第二次七年路程(1968年〜1974年)

1、公式

a)祝福家庭基盤

再臨主の家庭と祝福家庭がアベルの家庭とカインの家庭として一体化することが第二次七年路程の最初の出発点である。それがなされれば氏族レベル(教会レベル)のアベルとなって、カインレベルの教会、すなわちキリスト教を包容し一体となってアベル民族となり、これを中心としてカイン民族としての非宗教圏を包容して一体となり神中心のアベル国家(アダム国家)を形成する。その基盤の上に、第三次七年路程として世界復帰に向かっていくのである。

祝福家庭の中心は男性よりもむしろ女性である。そして妻であり母である女性がどのようにして真の父とつながっていくかが極めて重要になる。女性が真の母の分身として、あるいはメシヤの新婦としてメシヤと摂理的に如何に一体化するかということが問題である。女性が祝福家庭の生命線であり、祝福家庭が勝利するのもしないのも女性による。女性の信仰が全てを決定するといっても過言ではないほどである。 男性(夫)はよりカイン的天使長の立場に立っている。したがって真のアダムであるメシヤの新婦の立場にある祝福家庭の女性が如何にしてまず天使長の立場の相対者を愛する以上に真のアダムであるメシヤを愛し、メシヤと一体化し母となって新しい生命を与え、男性(夫)を息子として如何に勝利させるかが重要な問題なのである。 

b)氏族的基盤

内的勝利

再臨主の家庭と祝福家庭の一体化の基準を摂理的に立てたのが、1970年に韓国で出発した1200名の祝福夫人の開拓伝道であった。

夫人の班長たちの修練会で、文鮮明師は次のように語られた。

「皆さんは自分の愛する夫、また愛する子供を残して、その胸を引き裂かれるような思いをしながらも、ここにやってきました。それは先生を誰よりも愛するからです。それを先生は嬉しく思います。しかしながらこの先生はいつ倒れるか分からない。そういう立場にあることを皆さん知って下さい。先生はいつも危険にさらされています。そのために先生はこの胸から遺書を離したことがありません。それはもし先生が倒れたならばその死の最後の瞬間に、この人類に対して言い残すべき最後の言葉を胸に秘めて、いつも歩いているからです。皆さんが先生を誰よりも愛したとしても、皆さんの愛が先生にとどまるならば、この先生が倒れたときにはその愛の対象を失った皆さんの愛はどこにいくのか。愛する対象を失った皆さんの愛がみんな散り散りになるときにはこの祖国は一体どうなるのですか。だから先生を愛する以上に祖国を愛しなさい。そうしたならばたとえ先生が倒れたとしても、皆さんはその屍を越えて、祖国のために戦えるではないか。そうすればこの祖国が救われます。」

そのような決意を持って出発したのが1200名の女性たちによる伝道だった。このようにしてメシヤ家庭と祝福家庭の一体化により氏族的統一基盤を作り上げ、氏族レベルの勝利圏を完成することができた。

外的勝利 

1200名の三年開拓伝道が内的勝利の条件となって、外的には金日成主席の北朝鮮軍の南侵を食い止めることができた。1970年、71年、72年は韓半島の危機一髪の時であった。金日成主席は憲法に自国の首都はソウルであると規定し、1972年4月15日の60歳の誕生日はソウルで祝うと世界に向かって発表していた。金日成主席は南侵に対して絶対的自身を持っていたのである。そのような情勢の中での開拓伝道であった。そのためにどれほど悲愴な決意であったか分からない。しかし祝福家庭が文鮮明師に絶対的に従っていったので、それが内的勝利の条件となって、外的に思いもよらない展開が現れてきた。それがニクソン大統領の訪中である。

ニクソン大統領は第七艦隊のみならず米国本土からの陸軍の大空輸作戦の演習により、金日成主席を牽制しながら対中共外交政策を進めたのである。金日成も中共の援助なく一人で米国と戦っても勝算がないため歯ぎしりしながら南侵を思いとどまらざるを得なかったのである。

このニクソン大統領の訪中は人類始祖の堕落において、天使長がエバを堕落させ、堕落したエバを通してアダムを堕落させたので、それを蕩減復帰するために善の天使長である米国が堕落したエバの立場にある中国を天の側に引っ張ることにより、その堕落したエバが本然のアダムの立場にある韓国を共産化することから守ったことを意味したのである。

日本においても1970年代の初め、共産化の一歩手前まできていたので、もし韓半島が共産化されていれば直ちに日本も共産化されていたであろう。アジアが共産化すれば世界が共産化する。この危機一髪の状況を救うために文鮮明師は三年間の開拓伝道の摂理をして下さったのである。

c)民族的基盤

民族的レベルはアベル教会としての統一教会とカイン教会としてのキリスト教の一体化である。このための摂理がキリスト教の教職者、牧師を対象とした原理公聴会の開催であった。アベル教会の全てを犠牲にしてカイン教会のために尽くしたのである。数千名の参加者の三分の二は賛成または少なくとも反対しない立場に立った。これによって統一教会とキリスト教会が一体化したという条件を立てた。こうして民族的レベルの勝利基準を立てたのである。

d)国家的基盤

国家的段階における摂理が勝共運動であった。国際勝共連合を先頭に立てて韓国の軍隊、警察など数十万の人々を勝共教育した。韓国は反共国家であったが共産主義を倒す理論がなかった。それを勝共理論で教育することによって国家のために奉仕し、感動させ、屈服させる。これが摂理の方向性であった。しかし当時の朴大統領は文鮮明師を尊敬し決して反対の立場には立たなかったが、その下にいたクリスチャンたちが強固に反対した。彼らのために現実的にはどうすることもできなくなってしまった。

このどうすることもできない困難な現実を打破するために、より大きなアメリカの摂理を展開していった。アメリカにおいて「希望の日」講演キャンペーン等を続けながら、キリスト教圏をのみ込んでいき、キリスト教を代表するアメリカは文鮮明師を歓迎した。その最後の総仕上げともいえる大会がニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンの大会であった。この大会には一万七千名の会場に二万数千名が押しかけて、大きな感動の中に大勝利を収めた。そのニュースが韓国に反響を与えた。韓国のキリスト教会は反対したけれども、世界を代表するアメリカが迎えた立場、すなわち国が認めなくても世界が認めたという立場に立った。この大会によって、世界から国家の壁を打ち破ろうとしたのが文師の作戦であった。 アメリカで摂理的勝利を成し遂げた上で、日本で準備を整えて実体的に韓国に総攻撃をかけたのが、国際統一十字軍(IOWC)を動員しての韓半島上陸作戦であった。そしてその最後のイベントが百二十万人を集めたヨイド大会である。これは韓国の歴史上、神を中心とした集会の中で最大の集会となった。

文鮮明師はこの大会において「共産主義は人類の怨讐である前に神の怨讐である」と述べられた。キリスト教会は反対したが、政府が支持し統一教会と一つになったことにより、二千年前にユダヤ教とイスラエルが一つになってイエスを十字架にかけたことを蕩減復帰することができた。

このことがそれ以後韓国が救われるための条件となって、第二次七年路程の最終的な勝利となった。1975年6月7日のヨイド大会より前、同じ年の神の日に文師は第二次七年路程の勝利と第三次七年路程の出発を宣布された。しかし実体的には半年遅れて、このヨイド大会において第二次七年路程を完璧に勝利したという立場に立ったのである。

その後文先生は四十日祈祷の後、朴大統領に会見要請の重大な手紙を送られた。しかし部下の反対の故に応じることができなかった。結局朴大統領は悲惨な最後を遂げることになってしまった。

3)第三次七年路程(1975年〜1981年)

1、出発のための摂理

第三次七年路程の目的は世界的勝利基盤をつくることであった。すなわち第二次七年路程におけるキリスト教の失敗を蕩減した世界的霊的勝利の基準を実体化し、世界的肉的基盤を造成することであった。

まずその出発点として韓国で基準を立てなければならなかったので、1975年1月1日に第三次七年路程の出発を宣布した後、1月16日朝鮮ホテルに韓国のトップクラスの人たちを招待して「希望の日晩餐会」を開催した。この時文鮮明師は初めて公的な立場でお話しされた。45分間の短いメッセージであったが、そこで文師は数十年間胸中に秘め温めてきた韓国に対して語りたかった心情を吐露された。それを聞いた人々は本当に驚き、あれ程までに悪く言われた文鮮明師と統一教会がこれほどすぐれた内容を持ち、またこれ程までに愛国者であったのかと感動して屈服する立場に立った。これが蘇生的段階であった。

続いて2月8日に1800双の祝福があった。これが長成段階となった。そして五月には世界宣教を出発し、日本、アメリカ、ドイツの三国から一人づつ三人一組にして、世界127カ国に宣教師を送った。三国のうち日本はエバ国として母の立場に立ち、アベルのアメリカとカインのドイツを抱き抱えて、真のアダムである文鮮明師につないでいく使命を持っていた。これが復帰摂理の原則であった。

完成段階はヨイド大会であった。この韓国における勝利基準を土台として、その勝利圏を世界的に拡大するのが第三次七年路程であった。そのために文鮮明師は再び世界を代表するアメリカへ行かれることになったのである。

既にアメリカにおける蘇生大会としてマディソン・スクェア・ガーデンでの大講演会が勝利していたので、残る大会は長成段階のヤンキースタジアムでの大会と完成段階のワシントンモニュメント広場での大会の二つの大会であった。したがって、この二つの大会に勝利することができれば第三次七年路程は基本的には勝利することになっていたのである。

1976年はアメリカ建国200年にあたっていた。建国以来の200年間はキリスト教2000年のキリスト教を代表する資格を持った特別な国となる期間であった。

摂理的にみた場合、200年祭の年である1976年に10年を加えた1986、7年までの10年間にアメリカの運命が決定されるようになっていたという。従ってこの期間にアメリカがキリスト教を中心として神に帰ることができれば、アメリカを中心に天国が実現されるが、反対にサタンが奪ってしまって共産化すれば、世界も共産化してしまう。人類の運命の岐路にあったのがこの期間であった。

アメリカのその重要な期間をカーター氏に任せるわけにはいかないために1980年の選挙の時には深刻になられた。何としても反共路線を打ち出したレーガン氏を立たせなければならなかった。最後には文師御自身がゲッセマネのイエスのような祈りをされた。そしてそこに想像を越えるようなことが起こったのである。

当時のニューズ・ワールドの朴社長を通してメシヤ以外には夢にも考えることができないような神の知恵によりレーガン氏の地滑り的大勝利の予言を同紙に載せたところ、それがマスコミを通じて全米に流れた。そしてその予言が実際のものとなった。後に文鮮明師は「先生が祈れば、神が聞かなければならないことを知っていた」と言われた。

レーガン大統領は強力な政策のもと、徹底して軍備を立て直しソ連と対決していった。レーガン大統領にとってアメリカとソ連の関係は善と悪の対決であった。そのような見つめ方はどこから出てきたかというと、ワシントンタイムズに負うところが大きいのである。

そのようなことが起こってくるためには内的条件が必要である。それがヤンキー大会、ワシントン大会であった。従ってアメリカを救い自由圏を共産主義から救い、そして文師の勝利圏を絶対的に確立するためにはどうしてもこれらの大会に勝利しなければならなかったのである。

2、ヤンキー大会

1976年6月1日に行われたのがヤンキー・スタジアムでの大講演会である。大会当日、全ての準備が終わったその時、突風が吹き荒れ、土砂降りの雨が容赦なくたたきつけて、今まで準備してきた全てのものを破壊してしまった。そうした状況を見て大会の責任者であった神山先生がそのどうすることもできない状況を文鮮明師に報告された。それに対してじっと聞いておられた文鮮明師は「最後までやってみないと分からないではないか」といわれた。そのような中にあっても文鮮明師は微動だにしなかったのである。ところがその瞬間に文師の後方に張ってあった文師の大きなポスターがはがれ落ちてしまった。それはなんとも不気味な縁起の悪い光景であった。この大会については霊界からも地上のFBIからも危険であるから注意するようにという警告が来ていた。しかし文師はいかなることにも微動だにしない信念を最初から最後まで貫かれたのである。

一方激しい風雨に見舞われていた会場では、トム・マクデビットという一人のアメリカの兄弟が立ち上がり、ユアマイシャンシャインの歌を歌い始めた。それがたちまち五人、十人、百人と広がり、そこに集まった人たちはずぶ濡れになりながら皆が必死に歌い続けた。すると三十、四十分過ぎた頃、少しずつ雲が散り、同時に太陽の光が差し込めてきた。共にいた人たちがその出来事に感動していると、やがてみるみるうちに会場に人が集まり、最終的には四、五万人が集まった。大会はこうして無事に文鮮明師のメッセージをもって終わったのである。

しかし大会の準備をした側の立場からは勝利した大会とは思えなかったのである。大会終了後神山先生はイースト・ガーデンへ行き、申し訳ない気持ち一杯で文鮮明師に許しを願った。その姿に文師は感動されて、最初の予定ではワシントン大会は朴先生の責任で運営するようになっていたが、神山先生がワシントンで再び責任者になって欲しいと言われたのである。

次の日のメッセージの中で文鮮明師はヤンキー大会は勝利したと言われた。その勝利の理由は何かというと、ヤンキー大会はイエスの十字架の時の再現であり、イエスの時には弟子たちは皆逃げてしまったが、再臨の時には誰一人として逃げることなく、皆一体となって再臨主を支えた。このことが条件になったというのである。

3、ワシントン大会

ヤンキー大会が終わった後、文師は急遽予定を早めて、同じ1976年の9月18日に決定し直ちに出発したのである。文師はこの大会に対して、もしこれに失敗すれば、今後四百万人の血が流れるか分からないと言われ、全員が深刻な覚悟で歩んだのである。その時ほどアメリカの食口が団結したことはなかったといわれるほどに団結した。全食口がワシントン大会ただそれ一つに向かって走った。

結果として三十万人以上の人々が集まり、ワシントン・モニュメントの広場を超満員にした大会は大勝利のうちに終わった。

その日、文鮮明師はメッセージの中で第一にこの大会は歴史上かつてない勝利であり、第二に無条件の勝利であり、第三には文句のつけようがない勝利であったと言われた。また神にとって今日ほど嬉しい日がなかったと言われた。その後の証し会の席でも文鮮明師は終始笑みを浮かべられて、周りからあれ程までに嬉しそうな文師を見たことがないと言われるほど喜んでおられた。

ワシントンDCはアメリカを代表し、アメリカは世界を代表した。従ってワシントンDCにおいてアメリカの歴史上誰もなし得なかった偉業を神を中心として成し遂げたなら、それは単にワシントンDCにおいてだけの勝利ではなく、アメリカの勝利であり、同時に世界での勝利ともなる。ワシントン大会にはこのような世界的勝利の条件がかかっていたのである。

大会の会場には三十万人が集まった。過去に神を中心とした集会で一番多く集まったのが故マーティン・ルーサーキング牧師の集会で二十五万人であった。しかしこの数字は五日間にわたる集会の合計であった。これに対して文鮮明師はわずか一日にして三十万人を集めた。しかもこの三十万人をして感動の渦に巻き込んだのであった。

ワシントンの大会がアメリカの歴史上かつてない、神を中心とした最大のものとなった結果、過去を含めてワシントンDCが文鮮明師の前に屈服したという条件となった。そう見ることができるのはそれが条件となることをサタンの承認のもとに神と文師が契約を結んでいたためである。サタン自体においても文師がそのような条件を立てた場合にはサタンが支配してきたその主管圏を文師に譲らなければならないことをよく知っていた。しかしもし失敗するようなことになれば、逆にサタンが世界を握ってしまう。サタンか神かその運命を決する戦いがこのワシントン大会であった。

この大会に文鮮明師が勝利することによって、ワシントンDC、アメリカ、そして世界が文鮮明師を長子として立て従っていかなければならない条件が成立し、全人類の救いが決定した日となったのである。従って神にとってこれ以上嬉しい日は他にないという喜びの日となったのである。

この期間文鮮明師はワシントンDCにはあまり来られず、海において条件を立てておられた。それがマグロ釣りであった。マグロに血を流させることによりそれを条件として人類が血を流さずにすむ条件を立てていかれた。

文鮮明師の人生はこのように蕩減条件を立てる道の連続であった。こうして蘇生・長成・完成と三段階にわたって、アメリカでの大会を勝利し、第三次七年路程の中心テーマを勝利されたのであった。

1976年10月4日にベルベディアにおいて「天勝日」が宣布された。この日の宣布の内容は第一に再臨のメシヤの使命完了の宣言であった。それによってもはや再びメシヤが降臨する必要がなくなった。第二に真の父母が勝利したので、次には一人一人が子女としての責任をもって勝利し Small Sun Myung Moon になりなさいということであった。これが後に家庭教会、氏族的メシヤとして展開するようになる。第三に霊界の協助が始まることを宣言された。地上の勝利が決定されたため、その基台の上に霊界が善のカインとして協助する立場に立った。第四はモスクワ大会開催の宣言であった。

3、その後の摂理

1)再臨摂理の全体像

1920年に文鮮明師が誕生され、1945年に具体的に地上摂理が出発した。この時点で外的には全ての準備ができていた。またキリスト教はメシヤを迎える新婦宗教として世界的になっていた。ここにメシヤを迎えることができれば、国際連合を中心として、1952年までの7年間で一挙に摂理が成就するようになっていた。しかし内的にはキリスト教が失敗し、外的にはアメリカ、イギリス、フランスの自由主義国家群が使命を果たすことができず、内外共にその基盤が完全に崩れてしまった。従って文師が全てを失い、真っ暗なサタン主管圏にたった一人投げ出されてしまった立場から、摂理を再出発していくためにはまず失われた四千年の歴史を蕩減復帰しなければならなかった。そのために密度を百倍にして四十年という期間で蕩減しなければならなかった。それはたった一度のチャンスであった。文師はかわいそうな神をかき抱いて、痛哭の涙の中で出発された。

内的には新しいキリスト教、すなわち世界基礎監督教統一神霊協会を創立して、1945年から85年までの四十年荒野路程を出発した。(52年から92年までとみることもできる)そして結果的にみると1960年の文師御夫妻の御聖婚までが文師の個人路程となった。

1960からの三次の七年路程を勝利して、1981年からは子女の責任分担時代に入った。その流れとしてホーム・チャーチの摂理があり、続いて氏族的メシヤの摂理がきて、それによって復帰摂理が完了し、神の国が実現するようになっている。従って氏族的メシヤの摂理が終わればもはや宗教は必要ない。神の国、天国には宗教はいらない。これが内的摂理の全体的な流れとなる。

1981年までの三次にわたる七年路程はある意味では霊的な二十一年路程であった。1981年を越えて2000年までは肉的路程が展開する。これは経済の道を開く路程である。神の国は精神的なものだけではなく、外的・物質的なものも復帰しなければならないためである。日本がエバ国家としてその摂理を担当したので80年から経済摂理が大きく打ち出されるようになった。

三次にわたる七年路程が四十年荒野路程の蕩減の中心的な位置を占めてきた。そしてこの間は重荷韓国と日本、アメリカ及びドイツを中心とした自由主義圏に対する摂理であった。この自由圏での勝利を具体的に共産圏に相続させ、共産圏を解放するための七年間があった。それが1981年以後1988年までの七年である。

アメリカ大統領に地滑り的大勝利で当選したレーガン大統領をワシントン・タイムズが支えて、共産主義に向かっていった。ワシントン・タイムズはレーガン大統領の政策の教科書として方向を示す役割を果たした。それによってレーガン大統領はアメリカとソ連の関係を善と悪という観点で理解するようになった。レーガン大統領がソ連と徹底して戦う姿勢をもったのはこのためである。超音速爆撃機を復活させ、地上500メートルを飛行するレーダーに引っかからないクルーズ・ミサイルを配備し、さらにレーダーに引っかからない爆撃機の開発を決定した。一方ソ連にはこれらに対する技術がないためにアメリカのテクノロジーをスパイする以外に対抗策がなくなるまでになったのである。このようなアメリカの政策によって、ソ連が二百億ドルも投入して設置したレーダー網も効力を失い、アメリカの攻撃に対する防衛能力を失うことになってしまった。

一方ソ連の攻撃能力の中心であるICBMを含む核ミサイルの攻撃に対して致命的打撃を与えたのがレーガン政権の打ち出したSDI構想であった。これはソ連の秘密の核基地から打ち上げられた核ミサイルを宇宙空間から打ち落とすもので、この構想が実現すればソ連のアメリカに対する攻撃能力は決定的に破壊される。コンピューター部門で遅れをとっているソ連がこのSDIに対抗しようとすれば、ソ連の経済は完全に崩壊するという現実に立って、ゴルバチョフは武力による世界共産化の戦略を放棄して、ペレストロイカ、グラスノスチへと大転換をせざるを得なくなったのである。

多数は民主党の国会とニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどのマスコミの激しい反対の中で孤軍奮闘し、時には倒れそうになるレーガン大統領を励まし続け、政策を最後まで貫かせたのがまさにワシントン・タイムズであった。レーガン氏はその八年間の大統領としての任期を終わる最後の日に朴社長を招き次のように述べたのであった。「私のレーガン主義はワシントン・タイムズの支援なくしては遂行することができなかったでしょう。ワシントンタイムズなくしては私は共産主義を滅ぼし、とらわれた人々を解放するという役割を果たすことができなかったでしょう。文先生によろしくお伝え下さい。」

このようにして共産主義の本山であるソ連が一挙に崩壊に向かった事実を知るときに、その背後に神の解放と人類の永遠の幸福のために涙と汗と血を流しつつその生涯を捧げてきた神の送った一人の天の息子、再臨のメシヤである文鮮明師があったことを知るべきである。

ニカラグアも文鮮明師によって救われた国である。ソ連はアメリカの喉元にキューバを置き、さらにニカラグアと組んで、メキシコの共産化を狙っていた。メキシコを共産化できればアメリカとメキシコの国境線は二千キロメートル余りあるためにその地帯を通じてアメリカに侵入することは容易である。この国境線を防備することは非常に困難なことである。もし国境線に軍を配置しようとすれば、日本、韓国の極東アメリカ軍を縮小して移動させる以外にない。そうすれば金日成主席の北朝鮮軍が再び韓国に南侵し、日本も間違いなく共産化される。アダム国家とエバ国家が両方サタンに奪われれば世界は共産化されてしまわざるを得ない。このような結果になることが目に見えているために、ニカラグア情勢にどう対処するかは深刻な問題であった。そのようなときにダンベリーの獄中で、文師は神から啓示を受けた。その内容がニカラグアの反共ゲリラ、コントラに対する支援と資金援助であった。

当時アメリカはレーガン・ドクトリンに基づいて共産主義と戦っている国、組織に援助していた。その一つがコントラであった。ソ連はキューバを通じてニカラグア政府軍に武器、弾薬を送り込んでいた。そのような戦いの中でコントラが危機に陥り、このままほっておけば破れてしまう情勢の中で、コントラ援助のためにレーガン大統領が議会に千四百ドルの援助を提案したが、民主党によって否決されてしまった。このままでは反共ゲリラが崩壊してしまうという切迫したときに、神は文鮮明師に啓示を与えられたのである。文師はワシントン・タイムズに「米国がやらなければ我々がやる」とコントラ支援の広告を出した。それに刺激されたアメリカの関係所たちがこれまでの態度を反省し、レーガン大統領は前以上の金額で再提案し議会を通過させたのであった。それによってコントラを助けることができ、やがて共産政権が倒れて民主主義の国に変わった。こうしてメキシコを共産化するというもくろみは消え去り、世界も共産化を免れた。

2)荒野四十年の最後の三年路程

1985年を境にして還故郷の摂理が出発するようになったが、その前に荒野四十年路程の間に犯した数々の不信仰の罪をきれいに清算しておかなければならなかった。その期間が荒野路程最後の三年間(1983年〜85年)であった。この間に、全ての不信仰を清算しなければならなかった。不信仰とは神のみ言を不信し神のみ言に従えないことである。歴史上の特別な摂理においては現実からみて非常識な神に無条件で従ったために失敗した摂理があったであろうか。ノアのときに山の上に舟をつくることは非常識なことであった。けれどもノアはそれに従って信仰基台に失敗しなかった。失敗とは非常識な神の摂理を人間の常識で判断して、ノアを裁いて失敗したハムのような場合をいう。ハムは神の摂理を現実と常識で判断して失敗したのである。

1983年からの三年間のうち第二年目の1984年が最も厳しい年であることを知っておられた文鮮明師はその年を避けて1983年中に蕩減条件を立てようとされた。神もそれを知って突如としてシカゴの空港で啓示を与え、韓国の八カ都市において勝共大会をするようにとの指示を与えた。文師はその時共にいた責任者たちに神の啓示をそのまま書き取ったメモを見せながら説明し、直ちに準備するようにと言われた。しかしそれはあまりにも非現実的な計画であった。

文鮮明師は会議が終わりそれぞれ帰っていった世界を代表する学者たちにもその計画を伝えソウルに行くようにと言われた。連絡を受けた学者たちはそれに従って、ソウルへ向かった。ところがソウルに着いた学者たちは何のためにどうして自分たちがソウルにいるのか分からなかった。理由はただ一つ、文先生が言われたのでそうしたというものであった。このような世界を代表する学者たちの絶対的信仰条件によって、世界が文鮮明師を支えた立場に立った。しかしながら最も信仰を立てなければならない食口が反対してしまった。今年は難しいので来年の春に延期されてはどうでしょうかと言ってしまった。非現実的な天の指示に対して、信じて従うことができなかったのである。誰もが簡単に信じられることを信じても、それでは不信仰を蕩減復帰するための条件とはならない。四十年の不信仰を一挙に蕩減復帰するためには常識では判断できない非現実的な指示でなければならなかった。またその理由を説明することもできなかったのである。人の目には非現実的な天の命令をいかなる現実よりも絶対的に信じて越えるべきであった。しかしそれができず、四十年間を蕩減しようとした摂理が崩れてしまった。この不信仰を条件として、サタンは文鮮明師の生命を要求してきた。しかしもしこの時文師が犠牲となったならば、この世界を収拾できる者は一人もいなくなってしまう。そのことを知っておられた神は文師の代わりに興進様を犠牲にせざるを得なかったのである。イエスの時と同じくひとたびサタンの手に渡された興進様は、誰もどうすることもできない運命的な立場で犠牲となっていかれたのである。

韓国光州において多くの人が集まり、素晴らしい雰囲気の中で文鮮明師がメッセージをされた。その時地球の反対側のアメリカでは興進様が交通事故で致命的な傷を負っていた。事故の知らせを受けた文師はそれでも最後まで公的責任を果たされ、その後アメリカに行かれた。病院に着かれた文師は意識不明のまま横たわっている興進様をおいて別の部屋に責任者を集めて特別な式典を行われたのである。

これが統一式で「自分の愛する息子をあなたの前に捧げますから、これを条件としてこの世界に統一をもたらして下さい」と祈られた。アメリカ時間の1983年12月30日であった。

第一にメシヤ家庭内の統一である。メシヤ家庭とは困難な家庭である。人類の全家庭の蕩減を背負っていかれる立場であるから、これほど厳しい家庭はない。メシヤ家庭は初めからの本然の家庭ではなく、全て復帰された家庭である。全ての蕩減条件を立てて復帰し、本然の基準に到達した家庭である。祝福家庭もまた本然の家庭ではなく復帰途上の家庭である。第二がメシヤ家庭と祝福家庭の統一。第三は統一教会とキリスト教の統一。第四が宗教統一。第五が人種の統一。第六が摂理国家の統一。第七が共産圏と自由圏、東西の統一。第八が地上界と霊界の統一。これらの統一をかけて、文鮮明師は興進様を祭壇に捧げられた。その時文鮮明師は一滴の涙も流されなかった。もしこの時文師が一滴の涙でも流していた場合にはそれをじっと見ていたサタンが「その涙は何の涙ですか。それは未練の涙ではありませんか。愛する者を失う未練の涙ではありませんか。そのような未練のある祭物を祭物として認めるわけにはいきません」と言えば、神はその祭物を条件として受け取ることができなかったのである。そのようになれば興進様の師は無駄になってしまう。このことをよく知っておられた文鮮明師は心の中にはどんな思いがあったとして、外には一滴の涙も流すことができなかった。

1984年1月2日昇華。1月3日愛勝日の宣布。これは真の愛が死を越えた条件の成立した日である。真の愛の勝利の記念日である。興進様が自分の生命以上に人類を愛する文鮮明師を自分の生命以上に愛した基準と、文師が愛する息子の死を越えて人類を愛した基準の両方が一体となって、真の愛が死を越えて勝利基準を地上に打ち立てた日が愛勝日である。真の愛のくさびが絶対的基準をもってこの地上に打ち込まれた日であった。自分自身の生命よりも愛する者を犠牲にしても、人類が救われ、神が解放されるのを見る喜びが自分の結婚式の日の喜びよりも大きく感じられるような真の愛の勝利がなされた日であった。 1月5日昇華式が終わり、遺体は霊柩車に載せられていく。それを文師は見送られながら、車がでる時間、後ろの窓越しに中をじっと見ておられた。そしてそのドアを2回、3回とたたかれた。それが文師が興進様を送った最後の時間であった。遠くなっていく車をじっと見つめ、やがて車が見えなくなったその時にも、文師の目には一滴の涙も見られなかった。

棺はアメリカから韓国ソウルに送られ、再び昇華式が行われ、元殿に納められた。元殿というのはもしアダムが堕落しなかったならば、アダムが祭られたであろうお墓のことである。このようにして全ての式典が終わったという報告を受けて、初めて文鮮明師は父親として泣かれた。それまでは一滴の涙も流されなかったのである。このようにして興進様はイエス様を先導者として霊界に行かれた。

歴史上初めて直接主管圏の真の愛の基準をもって興進様は霊界へ行かれた。この真の愛によって、霊界の宗教指導者たちが集まり、霊界の宗教統一がなされ、世界を代表する120人の王たちが真の愛に触れて一体となり、霊界における世界統一の基準が立った。この霊界の基準を地上につなぐために興進様との約束に従って、文師は40日を越えて50日目の2月20日に興進様と薫淑様との聖婚式をなされた。そのことによって霊界と地上界を結ぶパイプができ、興進様と最高の霊界の人たちが地上に降りてきて、留まることができるようになった。そして高い霊界が全面的に摂理に協助できる運勢圏になったのである。

ダンベリーの投獄をめぐってキリスト教が文鮮明師を指示するようになったり、アメリカの州議会の議員たちが統一運動に触れるようになったりした。また共産主義の崩壊やECのような経済圏統一の運動として現れてきた。このような世界の動きの背後に興進様の霊界の協助があると文師は言われる。世界が大きく変わっていったのは文師の勝利によるのはもちろんのこと、その背後に興進様の霊界からの協助があったためである。

1984年7月20日文鮮明師は神山先生と共にダンベリー刑務所に入獄された。5月14日に最終的に判決が下った。文師は14日から16日の三日間は絶対に口を開かないように言われた。もしその時口を開けば、話の内容は判決のことになり、何故神がおられるのにこのようなことになるのかと不平が吹き出すに違いないと文師はみておられた。このために絶対に口を開くなと言われた。ここに沈黙の三日間があった。イエスが十字架の後、墓中三日間を通して霊界に行き、ノアの時に審判された悪人たちを救ったと同じように、文鮮明師も地獄を通過されて、地獄の底を解放する条件を立てられた。それによって5月16日に愛天日を宣布されたのである。

三日間の条件によって文師のダンベリーでの歩みが守られた。もしこの条件がなければそこで殺されていたかもしれない。文師は僕の僕から再び歩まれ、その条件によって恩を仇で返したアメリカを解放し、自由圏を解放する立場に立たれた。そして翌年8月20日にダンベリーより解放された。最後の三年間はメシヤ家庭が苦難の道を行かれた期間であった。これらは全て真の父母であられる文鮮明師御夫妻の故でなく、後に従う者たちの故であった。

このようにして1985年8月16日ついに四十年の荒野路程を勝利され、一勝日を宣布された。この日は人類がどれほど感謝しても感謝しきれないほどの勝利の日であった。それにもかかわらず第二次世界大戦後に神の摂理がサタンに侵入されたのをようやくにして蕩減復帰した立場に立ったということにすぎず、もう一度1945年の時点に立って、再臨主として再出発できるようになっただけである。再臨主の人生の最も働き盛りともいうべき四十年が蕩減という二字のために費やされざるを得なかったのである。 本来は1952年に世界に対して真の父母宣言をされるべきであったのに、なし得なかったことを92年8月24日リトルエンジェルス会館において、千名を越える世界各国、各分野の代表者たちを前に「真の父母、救世主、再臨主」の宣言をされたことは偉大な勝利であった。しかし文師がブッシュ大統領を先頭に米・日・韓さらに中、ソまで引き入れて韓半島統一の道を開き、ブッシュ大統領をアジアを中心とする世界平和のチャンピオンとして立たせようとしたにもかかわらず、その神の願いは成就しなかったのである。従ってこの七年は再蕩減摂理に移行せざるを得なかった。そのため、1993年から99年(実質2000年)までの七年間は再び1945年から52年までの七年間と同じ立場になった。再臨主の勝利基準は絶対的であっても、それに相対する人間が責任を果たし得ないとするならば、摂理はさらに延長され、2006年またはそれ以後とならざるを得ない。

今日まで悲惨な道を来られた神と真の父母を解放し、人類を一日も早く罪の世界から解放するためには、外的には神の願う神の主権国家を復帰し、それを中心として世界的地上天国を出発する基準に至らなければならない。内的には真の父母の天宙的勝利圏を全人類にに相続させる摂理的総決算を成し遂げなければならない。その摂理の中心はいうまでもなく氏族的メシヤの摂理である。

第三節 外的蕩減路程

再臨主を迎えるための外的基盤は第二次世界大戦におけるアベル国家群、英米仏の勝利した基盤であった。これらの国が再臨主を迎えることに失敗した結果、サタンがこれらの国を奪い、これらの国は再臨主を迫害するサタンの道具となってしまったのである。このようにして共産圏のみならず、自由主義圏までが再臨主を迫害するようになった。二千年のキリスト教の犠牲を土台として再臨主を迎えるために用意された国がこれらの三国であった。従ってこれらの国が失敗したことにより神がアブラハム以来復帰摂理のために準備してきた四千年間がサタンに奪われてしまった。奪われた四千年を蕩減復帰するための四十年は内的摂理だけでなく、外的摂理においても復帰しなければならなかったのである。

予定論にあるように一度摂理に失敗すればその人に代わる別の人物を立てなければならないのと同じように世界摂理においてもある国が使命を果たし得なければ別の国を立てて蕩減しなければならない。失敗したエバ国家イギリスに代わる国として日本が代理使命国家として立てられた。それはサタンが神の立てたイギリスを奪っていったために、神は反対にサタン側のエバ国家を取ってこなければならないという原理があるためであった。 日本をエバ国家として決定したのは文鮮明師であった。神が全てを準備して、それをサタンに奪われたために神御自身が再びそれを準備することはできないのである。日本は神の摂理に反対した国であった。すなわち再臨摂理を妨害し、再臨主を迫害し、拷問し、血を流させた国である。神と再臨主の怨讐の国であった。従って日本をエバ国に立てることに対しては神さえも躊躇したという。しかし文師が必ず日本を教育して、深い天と日本との間にあるギャップを埋めることを神に誓って、日本をエバ国として立てたのである。まさに怨讐を愛するという心情に徹して許されざる日本を許し、最愛の対象国家として選んで下さったのが真のアダム、再臨主御自身であったのである。

次にフランスについてみると、代わりにサタン側のアベル国家であったドイツが立てられた。アメリカはどうであろうか。アメリカは摂理に失敗した張本人ともいうべき国であるから、アメリカに代わってイタリアを立てるべきではないかと思われるが、アメリカはそのまま摂理の中に残された。神側にあったアメリカを一度失敗した立場から再び摂理の中に立たせるには失敗によって生じた断絶を埋めなければならなかった。それをなし得る者はそれを知っておられる文鮮明師以外にはなかった。

アメリカは特別な摂理国家であった。アメリカは二千年のキリスト教を代表した国である。またアメリカ国内に一千万人を越えるユダヤ人がいる。ユダヤ教はアメリカの中にあるといえるほどである。アメリカには二千年のユダヤ教と二千年のキリスト教があり、それは蘇生、長成である。もしこの国を失えば完成期、成約時代の世界的摂理を出発する道がなくなってしまうためにこの国を失うことができなかったのである。

一度失敗してサタンに奪われてしまったアメリカを想像もできないほど大きな蕩減条件を立てて、再び神の摂理に引き戻す以外に道はなかった。サタンがしっかり握っているアメリカを取り返すためにはサタンの懐に飛び込んでいく以外にない。そのために文鮮明師はアメリカに入っていかれた。それが1971年であった。以来二十年間、投入に次ぐ投入の連続であった。文師は御自身と夫人を投入され、子女様を投入された。そのために子女様がどれほど厳しい道を通過されたか分からない。特に年長の子女様は耐え難く辛い道を歩まざるを得なかったのである。

文師は再臨主の十字架にあたるダンベリーに入っていかれた。愛して投入したアメリカから裏切られた文鮮明師である。神山先生と共に入獄したダンベリーの二段ベッドの上で、幾度アメリカのために神に許しを請い、救いのために祈られたことだろう。文師は十字架の上から怨讐を救うために愛の実践を続けられた。その典型的な実例がワシントン・タイムズであった。このワシントン・タイムズがアメリカを方向転換させることにより、共産主義から世界を救うことになった。特にアメリカ自体を救う決定的な役割を果たした。

ブッシュ氏はレーガン氏の時とほとんど同じようにワシントン・タイムズによって地滑り的勝利を果たした。当選が決定した翌日ダン・クェール副大統領はワシントン・タイムズ社に出向き、お礼の挨拶をした。ブッシュ氏は立場上来ることができなかったものの、ワシントン・タイムズに対する特別の敬意を表す言葉を寄せてきた。このようにしてアメリカを代表する二人の中心人物が再臨主の摂理の前に屈服したという条件が立ち、アメリカが再び神の摂理圏に帰ってきたという条件となった。

このワシントン・タイムズはダンベリーの時に、言い換えれば十字架の上から怨讐を愛する愛によって出発したものであった。このような怨讐を愛する愛によってアメリカを握っていたサタンが感動して自然屈服したのである。このことによってアメリカと自由圏が再び神の復帰摂理圏に帰ってくることができたのであった。

さらに1992年4月10日の世界平和女性連合の創立大会において、文氏の四十年の勝利基準を相続した韓鶴子総裁と共に天宙の真の父母として立たれた基盤の上に、1993年7月28日米国国会で真の父母と成約時代のメッセージを送られた。米国上下院はそのメッセージを中心として、その日を父母の日の祝日とすることを満場一致で可決し、1994年10月14日米国大統領がサインをしたことにより、全米が毎年7月第4日曜日は父母の日として祝うことになったのである。このことは文鮮明氏が21年にわたる米国への投入により、第二次世界大戦後の摂理の失敗によってサタンに侵入された米国をサタンの手から救いだし、ついに国家基準において真の父母を迎えたことを意味し、米国が神の摂理国家として立ったこと意味するものである。

第四節 女性時代とエバ国家の使命

1、女性時代

1)意義

堕落は天使長からエバを通してアダムへとなされるので、復帰は真のアダムである再臨主からエバを通して天使長へという順序でなされる。従って復帰摂理においては復帰されたエバが再臨主を迎える立場に立つようになる。このことから再臨主が来られるときには女性が立ち上がる運動が起こってこなければならない。これが女性運動が生まれて来なければならない原理的根本的理由となる。女性は本来男性よりも対象の立場にありながら、復帰摂理のある時点においては主体となって摂理を担当しなければならないのである。

再臨のメシヤの降臨は1920年であるから、第一次世界大戦が終結した1918年に女性運動は始まるようになっていた。文鮮明氏によればそれから七十年間すなわち1988年まで続くようになっていた。キリスト教もメシヤを迎えるための新婦宗教として、再臨主のための準備をしてきた。摂理的にみて女性が再臨主を先に待ち望み、その宗教の先頭に立つようになっている。エバ国家に女性信徒が多く、天使長国家などの他の国には男性信徒が多いというのもここに理由がある。このように摂理として神中心に展開するはずの女性運動がキリスト教が使命を果たさなかったために、反対にサタンに奪われてしまった。このサタンに奪われた女性運動が左翼的女性運動となっていったのである。

しかしながら今や再臨主が四十年の蕩減路程を終えて再び立たれたので、その再現した再臨主を迎えるために再度女性が立ち上がらなければならない。これが今の時代において、女性運動が起こってくる摂理的な根本的理由である。再臨主の再現に際して、一番先頭を切るべき女性が再臨のメシヤ御自身の新婦である。それが組織化されたものが韓鶴子女史が総裁を務める世界平和女性連合である。

再臨主の前に女性が立ち、その女性を通して天使長をつなげていくことによって、全世界が救われるようになる。天使長圏には善もあれば悪もある。この天使長圏のアベルとカインをお母さんが出てきて一体化させ、お父さん、すなわち再臨主につなげて救っていくのである。これが復帰の公式である。

今日の摂理において文夫人を先頭にしていけば、天使長圏は何も言うことができない。文夫人の天的で崇高な理念のみならず、その品性と人格と心情の前には全ての者が屈服せざるを得ない。文夫人が行くところどこでも人々が感動して胸を打たれて、文夫人を受け入れざるを得なくなる。このようになれば、文夫人の後ろにおられる文鮮明師を受け入れざるを得ない。文夫人の使命は女性運動の先頭を切って文鮮明師を全世界に紹介することである。そして女性連合の会員一人一人は文夫人の分身として、同じ使命をもった立場に立っている。それ故にこれからの文鮮明師の人類救済の天的使命は女性を先頭に立てることで成し遂げられていくことになる。

2)真の母の勝利圏

世界平和女性連合の準備はエバ国家日本において行われた。数年間の準備の上に1991年9月17日日本に文夫人をお迎えして、七千名を集めた大会を開き、アジア平和女性連合大会が行われた。神は全女性を一人のエバとしてみる。日本の女性を一人の女性と見れば、アジア平和女性連合はその体に相当し、1991年の終わりから92年の初めに結成された統一教会女性連合がその心に当たる。そしてこの心と体が一体となればこれがカイン側の女性としてのレアの立場になる。それに対して韓国の女性組織がラケルの立場として立つ。女性のカインとアベルが一体となって、その上に女性メシヤを迎えることができる。このようにして真の母を迎えるための摂理をしたのである。

韓国においてその準備の摂理が蘇生・長成・完成と3段階にわたってなされた。第一段階が創設大会、第二段階が一万五千名大会、第三段階が1992年4月10日、ソウルのオリンピック・メインスタジアムにおける十五万人の大会であり、ここで世界平和女性連合が創設された。この大会の意味は再臨主である文鮮明師の勝利を新婦である夫人に相続させることであった。

文鮮明師が再臨主としての使命を果たすためにはイエスが十字架にかかることによって起こった分裂現象を世界的に収拾しなければならない。歴史の起源はアダムにある。アダムが堕落することによって堕落圏が広がった。それを第二のアダムであるイエスを中心として収拾することによって、新しい歴史が出発するようになっていた。イエスを中心として始まったことが世界的に展開しているのが現代の世界である。 イエスの十字架の時、イエスを中心として三人の強盗がいた。一人はイエスをののしった強盗、一人はイエスを受け入れた強盗、もう一人は殺されたイエスの代わりに生命を拾った強盗バラバであった。この三人の強盗の基準を世界的に展開したのが、イエスを受け入れた右の強盗の流れをくむキリスト教民主主義圏、イエスをののしった左の強盗の流れをくむ共産主義圏、そしてバラバの流れをくむアラブ圏である。そのうち右のキリスト教と左の共産主義は人類の真の父母である文鮮明御夫妻のところへ帰ってきて、祭物条件を捧げて一つになった。これによって争っていた兄弟、世界的なカインとアベルが真の父母のもとで一体化したことにより、摂理的にはソウル・オリンピックを中心として東西世界の冷戦構造が終結した。 しかしここにバラバが残っているのである。モハメットの血統の出発点はアブラハムの仕え女ハガルの子、イシマエルであった。アブラハムが象徴献祭に成功していた場合にはアブラハムの信仰基台の上にイシマエルとイサクの間に直ちに実体基台の摂理を始めることができ、アブラハムの家庭を舞台として、そのまま延長することなくメシヤのための基台を造成することができるようになっていた。しかし象徴献祭に失敗したために、アブラハムが信仰基台の中心に立つことができず、摂理はイサクの家庭へと移っていった。そして実体基台はアブラハムの孫のエサウとヤコブに移ったのである。このためイシマエルは立場がなくなってしまった。イシマエルは負われて悲しい恨みを抱いて出ていき、母親のハガルと共に荒野をさまよった。その子孫が今日のアラブ圏を形成するようになった。一方今日のイスラエル民族はイサクの子孫である。

文鮮明師の主催する世界宗教議会に深い感銘を受けたイスラム教の最高指導者たちがそのもとにいる指導者たちをニューヨークにおける統一原理の四十日修練会に送ることになった。最初に参加したのがシリアであった。シリアからはイスラム教の最高指導者グランド・マフティが送った四十人の指導者がアメリカに来て、四十日間の原理教育を受けた。続いてイエメン、エジプトからもほぼ同数の参加者を迎え、文師の愛と原理に深く感動し素晴らしい成果を収めることができた。

イエスを中心にした右と左の強盗の立場にある自由圏と共産圏が一体となると共にバラバの立場にある回教圏が真の父母の前に現れるようになっった。これが1992年4月10日の出来事となって結実したのである。そしてイスラム圏の人々の祝福が行われた。

今までは文鮮明師の後についてこられた文夫人が文師の横に並んで同じ基準で立たれ、文師と共にサタンが指一本触れることのできない全人類の真の父母としてすべてを勝利されたのである。この勝利の上に1993年1月1日成約元年が宣言され、真の父母を中心とする成約時代の出発となったのである。さらに文師は夫人を先に立てて、後ろから援助するという立場にまで立たれ、今後の摂理は真の父母と一体となった女性たちが先頭に立ち、男性は天使長の立場から女性が完成できるように協助して歩むようになる。それが2000年までの摂理であり、そのための世界的な組織が世界平和女性連合である。

3)勝利した真の母を中心とする摂理

韓国のキリスト教が再臨主を否定し、英米仏がその行く道を拒み、国連に韓国を入れようとせず、そのために再臨主の道は内的にも、外的にも閉ざされてしまった。そして神が四千年間準備したものが完全に失われてしまった。それを再臨主は四十年で百倍の密度でもって蕩減復帰しなければならなかった。再臨主がたった一人でその全てを蕩減復帰され、第二次大戦直後に摂理された七カ国が真の父母宣言のみ言を受け入れた立場、すなわち真の父母を迎えた立場に立ったのである。それによってキリスト教が再び救われる時代が到来するようになった。

真の父母の勝利圏の上に1993年から氏族的メシヤを通して全人類を一挙に救うという成約時代が出発した。1993年に入り、5月13日からは「真の父母と成約時代」という題目で世界規模の講演旅行が始まった。最初に全世界のキリスト教を代表するアメリカで、文鮮明師が十二カ都市、その後文夫人が四十四カ都市、合わせて五十六カ都市で講演があった。ワシントンDCでは二百人以上の国会議員及び、その関係者が参加した。9月7日には国際連合で多数の国連大使を中心とする六百人以上の講演会が行われた。アメリカ国会がアベルとなりドイツを含む国連が自由世界の国会としてカインの立場に立ち、世界が国家的にアベルとカイン一体となって人類の真の父母である文夫人を迎えた立場に立った。

サタンは家庭、国家の長成期完成段階まで奪ったので、国家まで握っている。サタンが押し寄せてくる最終基準は国家基準までである。したがって国家を越えた場合には神のものになってしまう。このことをよく知っているサタンはそれを妨害するために世界をバラバラにして数多くの国をつくってきた。国もまとまらなければ世界もまとまらないようにしてきたのが今日までのサタンの勢力であった。それに対して神は世界的基準をもって一つにしようとする。神が自分の国を一つもつことができれば後は一挙に世界に向けて出発できるのである。

神の摂理は国家を通して世界に向かうので神の国が一つ立てば、その基盤の上に一挙に世界に出ていったとしてもサタンはこれを阻むことはできない。では如何にして神中心のアダム国家を創建するのだろうか。それを示すものが復帰の公式である。

アメリカ国会と国連を通して、アベルとカインが国家的に人類の真の母である文夫人と一体となった基盤の上に立つことができたので、次にアダムに行くためにはどうしても国家レベルのエバを立てなければならない。そのため文夫人は日本で講演し日本を文夫人と一体となった真の母の分身としての相対国家に立たせなければならなかった。このような目的があって、文夫人は1993年9月国連講演の直後に日本に来られた。東京ドーム五万人大会を中心とする一連の講演会の勝利によって、文夫人が天宙的に勝利した真の母、復帰されたエバの立場でその胎内に日本の女性と子供たちを抱き抱えて真のアダムと一体となり、新しい生命を与えたという立場に立った。その意味で国家的重生の摂理であった。

堕落は堕落した天使長とエバがアダムを堕落させたので、復帰は反対に復帰された天使長とエバがアダムを救うという立場に立っていかなければならない。文夫人が天使長としてのアメリカと国連、そしてエバとしての日本での勝利の基盤の上に韓国に帰っていかれたために、韓国としては受け入れざるを得なかった。それが文夫人が母として、二人の息子を抱き抱える立場に立った1993年10月の韓国における四十カ所の大学での大会であった。左翼やクリスチャン学生が反対する学生としてカインの立場に立ち、原理研究会の学生が賛成するアベルの立場に立って、それを文夫人が抱き抱えて一体化させる。このようにして韓国における勝利が成し遂げられたのである。この勝利圏を十一月には世界四十カ国に広げた。四十カ国は聖地を決定した国を中心としての国々であり、成約を代表する百六十カ国の代表としての四十カ国であった。

女性による海外宣教は文夫人の分身として、文夫人の手の届かなかったところへ文夫人と同じ使命をもっていく摂理である。

韓国において文夫人が二世のカインとアベルの学生を一つに抱き抱えて、真のアダムである文鮮明師と一体化させ、その学生たちをアベルの立場に立てて、さらにモスクワでの世界平和青年会議において北の二世の学生たちをカインとしてアベルの韓国の学生たちと一体化させて文師につなげば条件的にではあるが南北統一の道が開かれるようになる。実際には北朝鮮の学生は参加せず、金日成大学の教授が参加したが、その摂理的意味は同じである。

カインの息子とアベルの息子が母を中心として一体となり、真のアダムを迎えて一体化すればそこに神を迎えて復帰摂理は完成する。すなわち長子権復帰、父母権復帰そして王権復帰が完成し、韓半島は神主管圏に帰り、真のアダム国家が復帰されていく。このようにして南北統一が完成される。

ここにおいてエバと子女が重要な立場に立つのであって、サタンに主管されてサタンの実体となったアダムはこの時必要のない立場に立っている。南北統一におけるこのアダムの立場が北の政権、南の政府である。したがって両国主権がどのように対応しようとも南北統一の道は開かれてくるのである。

神の主権国家が立ち天法がその国の憲法となる国ができれば、その国から世界各国に送られる国の代表者たちは宣教師と一体となってその国の指導者たちに影響を与えられるようになり、一挙に世界摂理が展開するようになるのである。そのための道を開いたのが中国の北京における自由圏と共産圏の学生たちの会議であった。それは1994年6月に開かれた。世界平和女性連合が母の立場に立ち二世のカインとアベルを一体化せしめて真のアダムにつなぐ摂理であり、これに勝利することで、今までのこの世界を主管してきた天使長圏の動きいかんにかかわらず世界が神主管圏に帰る道が開かれたのである。

韓国での文夫人による四十大学の講演会、モスクワの学生セミナー、北京の大会という蘇生、長成、完成の勝利の上に1994年8月26日、米国ワシントンDCにおいて世界平和青年連合が結成されることとなった。共産圏、自由圏のカイン、アベルの二世(第二次世界大戦後に生まれた人々)が超国家組織として統一思想で教育を受け、これをアベルとして世界の青年を包容していくのである。

世界平和女性連合が母の立場に立ち、1991年8月27日に結成された世界平和連合が体またはカインの立場に立ち、翌日結成された世界平和宗教連合が心またはアベルの立場に立つとき、母はこの二人の子女を一つにしてそれをアベル型の国連とし、既成のカイン型の国連と一体化させていくことにより、また真のアダムと一体化せしめて神に至ることにより、神中心の統一世界が現れてくるのである。

真の母の代身としての女性宣教師は母の立場で宣教国のカインとアベルを一体化させる使命をもっている。アベルはその国の宣教師をはじめとする食口であり、カインは政府をはじめとするその国の人々である。そして真のアダムにつなげる。この真のアダムの代身として韓国の男性宣教師がいるのである。またアベルの中にもアベルとカインがあり、アベルが宣教師でありカインがその国の食口である。この宣教師と食口を抱えて一つにするのも、女性宣教師としての大きな使命である。さらにカインの立場に立って自国の国益を中心として動く大使館をその任地国の利益のために尽くす大使館たらしめていかなければならない。任地国において核になる人を伝道し、四大心情圏を失った現実の社会問題と、その解決のために歩む私たちの立場をはっきりと訴えることが必要である。

2、エバ国家の使命

エバ国家として日本の行くべき道は復帰の公式における復帰されたエバの使命に準ずるものである。エバはまず初めにサタン圏から善の側に復帰されたエバとして立たなければならない。次にカインとアベルの二人の子女を一つにして真のアダムに至り、真の父母を通して重生し、真のアダムと一体化し、天使長圏にある将来の夫と子女を共に助けて真のアダム勝利体を相続せしめてアダムの立場に復帰せしめ、その夫と一体化しやがて父母として立つのである。この公式路程を国家基準において勝利しなければならない。 日本がエバ国家の候補者として文鮮明師から認められたのは1950年代の初めである。その時から胎中に二人の子供をはらむようになった。すなわち文師が日本をエバ国家に決めてから民団(在日本大韓民国民団)と朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が分断された怨讐同士として胎中に一緒に生活するようになった。

エバ国家の心情基準はタマルの基準であるべきであるが、四十年経ってもその基準が立たず、そのために新婦として決定することができなかった。日本自体にタマルの心情基準がないならば、タマルと同じ心情基準をもった女性の心情基準、すなわち柳寛順の精神をもってきて、ここにその精神があることを実証すればいい。これを信仰条件としてタマルの胎中のペレズとゼラに相当する民団と朝総連が柳寛順の精神を中心に一つになる条件が立った。

そうして文鮮明師が1992年3月25日来日されるようになった。この時文師は日本を代表するカイン型アベル型の二人の政治家に会い、タマルから再臨主までの神の摂理を語られた。文師はある特定の個人に語られたのではなく摂理上日本に対して語るべき内容を語られたのである。このことを通して日本はエバ国家として認定された。しかし認定はまだ決定ではなく婚約のようなものである。決定は胎中のカインとアベルを一つにして南北統一を完成し、エバとしての使命を全部完成しなければなされない。

今日韓半島は善天使長と悪天使長とに分断されている。言い換えればアダム国家が善アダムと悪アダムとに分断されており、霊と肉の分断である。サタンの共産主義勢力が韓半島に入ってくるようになった責任は日本とアメリカにある。第一責任は日本にあり、第二責任はアメリカにあるので、それを蕩減するために日本とアメリカが協力して、南北統一を勝利する道を開かなければならない。

日本が南北統一のためにエバとしての使命を果たし、霊肉一体となった真のアダムの国を生み出した後にはそのアダム国家と一体化しなければならない。韓国と日本が国家的に重生すれば、夫婦の国となり、そして子女国家を生んで父母の国となる。永遠の母の国として世界の人々から慕われる国になろうとするのが今後日本の行くべき方向である。さらに父母の国としての韓国と日本及び天使長の国である米国が一つになれば、世界の国々は国家単位で重生するようになる。

日本が世界の母の国として教育する場合に、エバ国家、母としての信仰の勝利基準なくしては教育することはできない。日本は天の伝統を立てなければならない。そういうわけで真の父母は韓国より先に日本に天的伝統を立てさせようとされているのである。