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1996/06/16 ![]() 列車の服務員小姉はめっちゃかわいくて、服務態度もばつぐんであった。顔で選んでるのかなあ。列車は4回しか停車せず、我々は駅弁を買いはぐった。空腹をなだめ、眠る。 1996/06/17 一時間遅れで蛾眉山に到着。プラットフォームに降り立つなり、客引きが寄ってきてうるさいうるさい。追い払っても追い払っても寄ってくる。しかも「蛾眉山には泊まるところが無い、蛾眉市内に泊まれ」と大嘘をこくのであった。我々はお寺の宿泊所に泊まることに決めていたにで相手にしなかったら、我々をいつまでもいつまでもすごい目つきでにらみ付けているので(視線で人が殺せそーな目つき)、ぞっとした。 蛾眉バスターミナルで荷物を預け、10時発楽山行きのバスに飛び乗った。楽山は中国最大の摩崖仏で有名な観光地。蛾眉山を離れること31キロ。到着後、ぐうぐうのお腹で食堂にとびこみ、沙鍋豆腐と青椒肉片、おもいっき赤ムラサキ色の野菜を炒めたやつを食べた。白ごはんがショッキングピンクに染まって、ちょっとおもしろかった。 12時前、対岸の大仏サイドへ渡る船に乗るも、すぐ出るすぐ出るといいつつ1時過ぎまで客待ち。すぐ目と鼻の先なのにー。 ![]() 対岸の船着き場まで8元。そこで烏憂寺のチケット買ってお寺見物。花がたくさん植わっていて、静かで空気が良く、高台にあるため対岸の眺めもばつぐんで、いいところだった。ここにも宿泊所があるらしいが、一般人が泊まれるかどうかは不明。 寺から丘をえっちらおっしら登って、大仏へ向かう。暑い日で、汗まみれになる。くねくね曲がる山道を登ったり降りたりしていると、突然!という感じで大仏の頭のところへ出た。ここから大仏の足のところまで降りる階段が付いているのだが・・・だめ。私はもうダウン。頭の後ろの道を通って、反対側へ抜ける。 ところでこの大仏見物チケット、15元+傷害保険が1元。チケットのシリアルナンバーは1、375,820である。番号が通しであるとすれば、すでに140万元近くの積立てがあることになるが、一方、死亡者に対する最高補償額は1万元。オイシイ商売だと思いません? こんなのチェックする外人ってワタシだけ? <キミだけや、キミだけ。 大仏はやはりでかかった。それなりの満足を得て楽山を離れ、またしても群がる客引きの腕の下をかいくぐって蛾眉山麓の報国寺へ。一ベッド25元の清潔なツインにチェックイン。TVとベープマット付き。あくまでも静かで空気の澄んだ聖山。縁側のような廊下で中国椅子に腰掛けてお茶を飲むのは、最高に贅沢な気分である。 1996/06/18 共同風呂もなかなかよかった。紹興の宿を思い出す。本日はきっちり寝坊。朝食を食べはぐった。境内で精進料理の昼食をとってから、軽トラックで街へ。蛾眉山へ登ろうにも、人民元が全く無いことに気が付いたのだ。銀行を探し回るもあっちやこっちやと不正確な指示を与えられ、炎天下をさまよう。 (道の教え方には民族性が出る。中国人は「知らない」とはあまり言わない。不正確な記憶でもひねり出して指示を与える事が多い。一方日本人は一応知っていても確信が無い場合にはあっさり「知らない」と答える事が多いだろう。どちらがより親切/不親切か、という問題ではない。しかし「知らない」となかなか言わない民族は世界にけっこう多いようで、多くの旅行者から幾度も辛酸をなめた話を聞く。) やっと発見した外貨を両替できる銀行は午後3時まで昼休み。ここはスペインかい! 両替後、寺に戻り散歩。またもや街に出て電話をかけにゆく。郵電局はもうしまっており、仕方なくバスターミナルから掛けたのが間違いの元。オペレーターに電話番号を告げて個室で待つ方式、相棒は掛けてからどこにも価格表示の無い手数料を5元請求され、私は実家の番号を告げたというのに「にーはお」と女性が出たのでそっこーで謝って切ったその7秒の通話料に13元請求された。「通話記録を調べーい! 日本になんかつながっとらーん!」と、バスターミナルの人々の好奇の視線に見守られつつ怒髪天でやりあってもみるも、効果なし。ワタシ的には食い逃げ、つーか掛け逃げのセンでもよかったのだが、温厚な相棒が金だけは払おうと主張するのであった。教訓:国際電話は郵電局でかけよう。 夜8時過ぎに帰ってきたら、門がキッチリ閉まっていて、かなり困りました。結局裏門からコッソリ入ったが、お坊さんに見つけられて怒られた。門限があるなんて知らなかったよう。 1996/06/19 宿舎の裏の森に猫頭鷹(フクロウ)が住んでいて、夜になると電灯にたかる虫を食べに来る。裸電球の下でわびしく洗濯をしていると、何やらでっかいすばやい生き物が電球にぶちあたって来るので、肝をつぶしたわい。動悸を押さえつつ、離れたところから落ち着いて観察すると、フクロウ。野生のフクロウなんか見るの、初めてである。 本日も寝坊、朝ゴハンを食べはぐる。もっとも朝食は5時から7時までで、特別に我々が朝寝坊という訳ではない、と言い訳しておこう。本日は山頂(金頂)を目指すことにする。 お寺に荷物を預け、軽トラで蛾眉市内へ。数ある金頂ゆきミニバスのうち、客が大目に乗っているやつを選ぶ。片道15元。乗客のうち四人はもう2時間も乗ったまま待たされているそうで、行き先を聞くと報国寺。そんなん、軽トラの荷台にのって5分の目と鼻の先やないかあ。やはり観光地、気をつけねば。結局この4人は、客がある程度集まったところで軽トラに乗せかえられて行った。 さて蛾眉山入山料なんと30元。本来は徒歩で登るべきで、一般に2日半かかる。相棒は94年に登攀済み。バスは2時間半で金頂ちかくまで到着。ここからは歩きかロープウェイかである。我々?もちろん楽チンぷーすかな方。 歩けば2時間はかかる道を、ロープウェイは5分で結んでいる。金頂は寒かった。大衣(人民解放軍コート)の貸し出しをしていた。周りにひろがる雲海を堪能し、4時半のバスで下山する。 報国寺最後の一夜。宿としてはばつぐんだったが、なにせ山の中、虫が多く、昆虫キライ(なぜか蜘蛛は平気)の私には涙の出そうなこともあった。蚊取り線香を焚きまくって、眠る。 1996/06/20 本日も朝食に間に合わず。つーか滞在中、間に合った日が一回もございませんでした。成都行きのミニバスは18元、気持ちのよい田園地帯をスカスカ走り、途中いくつかの集落をぬけて成都長距離バスターミナルへ。交通飯店の3人部屋ドミは40元/1人とやや高いものの、朝食付き、部屋は清潔、毎日清掃とベッドメイキングあり、バスタオルも毎日お取り替えと、まさに一分銭、一分貨(払ったら払っただけのことはある)であった。 しかし成都暑い!本年度初めて「夏」を感じる日である・・・。街を歩くと古い古い通りにぶつかった。落ち着いた路地に植木屋や金魚や、茶室(中国風カジュアル喫茶店・客層は老年層の男性)などが並び、実にいい感じであった。ゆっくり歩く。 1996/06/21 朝食時に同室の旅行者から、成都の観光ポイントの入場チケット軒並み30元という話を聞き、あっさり成都を離れる気になる。この決定には私が劉備玄徳には「ま・つ・た・く」(全く)キョーミがないという事実が大きく影響しているだろう。乙女の心の琴線には触れないキャラクターである。相棒は「ええのか?ええのか?」と何度も私に聞くが、どう考えても私が成都で見たいのは、せいぜい本場のパンダぐらいであった。 宝鶏経由西安行きチケットを手配し、動物園へ。実はパンダを見るのはこれが初めて。相棒を退屈させるぐらい長時間、憑り付かれたように見物してしまった。こんな愛らしくユーモラスな動物が、どうかすると人を襲っちゃうとはなあ。(飼育係がお亡くなりになっています。) 銀行で両替。イラン人に順番を抜かされ、口論。しかしこっちは中国語をしゃべるモンゴロイド顔、向こうは中国語を解さないコーカソイド顔なんで、窓口嬢は向こうを優先。くっそー。住友VISAのT/Cを替えてやがったので、どうせ日本からの出稼ぎ帰りだろう。って、そこまでチェックするなよあたし。 担担麺美味し。 夕食をホテルで食べ、きっちり騙される。炒空心菜が5元だというから頼んだら、伝票には8元と付いていた。抗議するも「時価」だと。怒りつつ、ここまでチェックが厳しい外人観光客はやはりあまりいないだろうと、我が身を冷静に省みてみたりもする。ほとんど趣味の域か。 さて夕食後、中@で会った男の子たちにロビーでばったり。あれ?中@からラサに向かったんじゃなかったっけ?と問うと、昌都を越えてラサまであと二日の地点で公安に見つかり、罰金400元を払って成都まで強制送還されたということであった。まあ、でも、そこまで行ければたいしたもんなんじゃない? たいていはYanJingで捕まってるって言うでしょ、そう言えば中@チベット族の民族衣装ばっちり着込んだ女の子はどうしたの? 彼女もラサへ行きたいって言ってたけど・・・ 「彼女と一緒にはちょっと・・・」途中でまいちゃったんだそうだ。確かにややイタイ女の子ではあった。2000元の罰金を400元にまで値切り倒した話を聞く。今は密告料ほしさに公安にタレ込む運転手が多くて、ヒッチの際にはチベット族運転手でもなかなか安心はしていられないそうだ。 本日はビール2本・ミネラルウォーター3本飲んで、トイレ3回のみ。暑い日だった。 1996/06/22 ![]() WANTED Frank de Rooy Passp;670064L Nat; Dutch Age ; 26 Skinny Blond +-180cm Blue backpack, small glasses PROFESSIONAL CHEATER Rips off Hotels, Restaurants, AND Travellers with stories about stolen money... Be carefull, Now heading to Song Pan + Lanzhou 交通飯店の朝ゴハンは1)トースト2枚 2)バター 3)目玉焼き 4)フレンチフライズ 5)バナナ 6)コーヒー 以上がAセット。その他B/C/Dセットがあり、B/Cは甘い甘いオートミール付き。Dはおかゆにザーツァイの中華朝食であった。私はAセットがお気に入り。 成都では、小吃はおいしかったが普通の炒菜は味が濃すぎてややつらかった。塩か唐辛子か、どっちかが必ず多すぎるのだ。油も大めだし。しかしスパイシー好みの人にはおいしいだろう。我々はちょっと広東料理を食べ過ぎたな。 というわけで、武候祠すら見にゆかずに成都を去る我々であった。 さて乗車。我々の車両は、客が多すぎるために特別に連結された車両で、どこに連結されているのか駅員にもわからず、探すのにかなり時間がかかった。なにしろ中国の列車は全長1キロ以上あるので大変だ。プラットフォームでうろうろオタオタしている相棒の尻ポケットからサイフを抜こうとした不届き者がおり、相棒が気づいて蹴りを入れたところ、こやつ、ナイフに手をかけやがった。相棒、追求をあきらめ、そして乗車時間もせまっているので気を取り直して車両を探す。 だから尻ポケットはやめろというのに。<西安ですられた実績アリ。 やっとこさ乗車。特別車両はどっからひっぱりだしてきたんやというぐらい古ぼけた車両であったが、しかしまあ走ればヨロシイ。ところがアクシデントというのは起こるもんで、機嫌良くスカスカ走っていた列車が、いきなりつんのめるようにして停車した。網棚の荷物は落ちてくるわ、そのへんの小物はすっ飛ぶは、赤ん坊は母親の膝から転がり落ちるわ、茶はこぼれるは、てんやわんやである。 乗客が何事何事!?と騒いでいるなかを、トランシーバーやらなにやらでっかいペンチやら持った男が走り抜ける。脱線かと思いきや、やっぱり走ってきた服務員小姐に事情を聞くと、列車が線路上に寝ていた「牛」を引いたんだと。牛って・・・ 牛と牛の持ち主には悪いが、めったにない経験だ。列車は小刻みに前進と後退を繰り返し、車輪の間から牛の死体を引きずり出した。降りて作業を見ていたが、でかいでかい黒牛であった。 一度食べてみたかった康師博ブランドのカップラーメンを食べる。をを!ウマイやん! カップラーメンの大嫌いな相棒が、私を嫌そうに見ている。ほっといてんか。相棒はピーナッツパンを夕食にしていた。今回は両方とも下鋪というチケットの売り方をされ、壁をはさんで背中合わせだったらいやだなあと心配していたが、幸い向かい合わせ。ぐうぐう寝た。 1996/06/23 朝8時、西安到着。ゆうべ相棒が「なぜかいきなり延安に行きたくなってきた」と唐突なことを言い出したので、唐突、いいじゃないですか、さっそく西安駅で延安行きチケットを手配。朝8時の便は入れ違いに出ちゃってるので、夜10時20分の夜行を買って、夜まで西安でヒマをつぶすことにする。 どっちにしろ延安から西安にはまた戻ってくるので、ホテルを先にみつくろっておくことにする。 承徳飯店、ツイン140元。五一飯店、改装中。あまり行きたくなかった勝利飯店、ツイン66元。18元のドミは改装中。こんなもんかのう。勝利飯店は90年に泊まったときよりはややマシになっていた。昔はベッドの上に畳表のようなものが敷いてあるだけで、シーツなしだったもんなあ。トイレは全く流れず、テリブルなホテルであった。 勝利飯店のフロントで彼女に国際電話のSくんとばったり。本日夜9時40分の列車で酒泉に発つという。あまりかわらない乗車時間なので、夕食を一緒にとる約束をする。6時に待ち合わせ。 歴史博物館へ。5年前に建ったばかりの博物館は、展示品が時代ごとにわかりやすく区分されており、特に夏〜唐の収蔵品は見事だった。(反面、宋以降のものに見るべきものはあまり無い。これは西安という都市の歴史的な性格上、当然のこと。) 特別展覧は1)唐代婦女衣服展 2)首都博物館展示(明清) 3)しゃん西地方の銅金展 4)秦〜明の兵馬よう展 であった。1)の唐代婦女衣服展の、ヘアスタイルの部がおもしろかった。元禄時代かマリーアントワネットかってなてんこもりの髪型である。2)では「酔菊図」という絵が素敵だった。じいさんと子供が菊に戯れている図。頭に菊を飾ったりして、柔らかな和める筆使いなのだ。作者名を忘れてしまったのが悔やまれる。有名な画家なんであろう。他にどんな作品があるのかな。 さて6時。ゴハンの時間だ。駅前に小吃の屋台でいっぱいの路地があり、相棒がさっそく羊の足を購入。足って、もも肉じゃなくてひづめのついたままの先っぽだ。豚足みたいであるが、匂いが羊! 羊足売りのおじさんはもちろん回族で、白いレースの中途ハンパな大きさの帽子をかぶっていた。 西安風の細いシシカバブを食べたくて、屋台に座る。1本2毛ぐらいで安いのだが、50本からでないと売らんと言われ、そんなに食べられるだろうかと躊躇して別の店をさがす。ところがどっこい、一本1.5毛の屋台に腰を据え、おいしい青島ビールの生ジョッキを片手に食べ出すと、入るは入るは3人で102本! この他にモーモーという西域風羊ハンバーガーもキッチリ1人一個づつ食べ、最後にすいかを食べて飽食の宴は終了。 満足な夕飯だったが西瓜がやや高め。聞くと、西安の西瓜はまだ熟しておらず、これは沿岸部産だという。で、1.8元/斤。西安産なら0.5元/斤以下だそうだ。香港では3〜6ドル/斤ぐらいかな。 Sくんを見送って、我々も乗車。眠る。 1996/06/24 早朝6時着。睡眠もひとつ不足のまま延安見物。革命聖地である。しかしながら相棒が私に見せたがったのは毛沢東旧居ではなく、元代創建の道教寺と宋代の仏教石窟であった。 延安駅前はさびれためし屋以外はなーんにもなく、バスがぽつねんと客を待っていた。 バスに乗り、市内へ向かう。今夜の宿は延河飯店ツイン62元。 夜8時〜9時まで湯が使える狭い狭いユニットバスがこの価格帯では捨て難い。 部屋は狭いが清潔。ベッドで寝るのは二日ぶりなので、取り合えず、寝る。 日が暮れてから屋台へシシカバブを食べに出る。 羊の腎臓を薄切りにして塩焼きにした串がコリコリして激ウマ。もちろんビールを飲む。 ![]() 1996/06/25 黄土の急斜面をよじ登って、道教寺へ向かう。味のあるじいさん(道士だ)がたいそういっぱいいた。 寺へのアプローチの階段、奥行きが20センチほどなのに高さがその倍もあり、 登るのも骨が折れたが降りるのがコワイコワイ。 次に、清涼山石窟へ。岩肌に多くの文人たちの落書き(揮毫と言ってやれよ)が彫られており、 おもしろい。万仏洞はその名の通り壁が一面に高さ 20センチぐらいの仏のレリーフで埋め尽くされており、 敦煌の塑像仏とちがって、岩盤への彫刻である。レリーフというには立体的すぎ、 その規模 と迫力には圧倒される。どれほどの歳月と人手を掛けたのだろう。 しかもよく見ると一体一体ポーズがちがう。 しかしながら、手が届く範囲の仏像は、顔を削り取られているものが多かった。 線香売りのおばちゃんに確認すると、やはりというかなんという か、文革。 大きめの仏像も、首を欠いているものが多かった。 ここの仏様は宋代のものだけあって、敦煌のようなエキゾチシズムには欠けるが、 そのかわりしっとりと落ち着いた印象があって、日本人にはなじ みやすい顔立ちである。 さて次。宝塔山を見に行くも、門票が10元なので入るのやめ。 明日のチケットを買いに駅までいったが、明日の券は明日買えと言われ、ムダ足 に。 明日は昼間の移動になるが、田舎の列車で不衛生なのが目に見えてるし、 10時間以上かかるので臥鋪を買うことにする。硬座なら29元、硬臥 は78元。 1996/06/26 毎朝8時前に部屋の掃除に来るのはやめてくれ。おおかた、中国人(相棒のことだ)が外賓の女を連れて泊まっているので、イヤガラセに来とる のだろう。夫婦だっつーのだ。中国語のわからん外人のふりをして追い返す。9時過ぎにチェックアウト。 服務員室に、言ってはならない10のコトバという標語が張ってあり、いくらなんでも、笑った。「時間だ、早くしろ」「釣り銭はない。自分でくずしてこ い」「あんたは私に尋ねるが、私は誰に聞けばいいと思ってるの?」「知らん、下で聞け」「知らん、別の人に聞け」「上に言うなら言えばいい。私は 別にかまわないから。」「うるさい」などなど。写真を撮りたかったが、モメるのがわかっているので断念。 列車は黄土高原をぬけて、夜8時過ぎに西安到着。タクシーで勝利飯店へ。56元と66元のツインが空いており、どうちがうのか尋ねると、エアコンの有無だと。半信半疑ながらエアコン付きのツインをとる。なんとびっくり、冷え冷えであった。すごいやん。 長いことコメツブを食していないので、食堂探しに出る。1階で昆明で同室だったO氏に再会。例の、59歳には見えない人だ。成都から重慶、三峡 下って武漢から来たところだという。明日、ゴハンを食べに行く約束をする。 久しぶりのコメツブには、最近めずらしくなった国営の食堂でありつけた。きのこのいためものがはおつーである。風呂(共同シャワー)入って寝 る。 1996/06/27 エアコンうれしがって付けたまま寝たため、ふたりともおなかがゆるゆる。貧乏性な体である。本日は天水行きのチケットを手配にゆくも、外人窓 口では軟臥しか扱っておらず、5〜7時間ぐらいの乗車時間なのでそれはもったいない。しかし、硬座でも座れそうな西安始発は夜10時すぎに天水着なので、出来れば避けたい。遅れたら真夜中である。 その他は西安を経由する列車で、席はまずなさそう。無座で6時間。やだなあ。とりあえず乗ってみて硬臥車へアップグレード。出来るかなあ。失敗したら目も当てられん。それくらいならバスのほうがマシと、バスターミナルへ行ってみるも、天水行き/経由のバスがなぜか無い。あそこならあるかも、と教えられた西安西駅バスターミナルを探すと、西安西駅にはバスターミナルなんてそもそもなかった。(中国人は「知らない」と言わな いの項参照。) ホテルに帰って(エアコン(はぁと))不貞寝をしつつ、どうすべいと考える。時刻表をじっくり見ると、夜9時40分発の143次直快は朝5時すぎに天水に到着することが判明。1晩寝るのなら軟臥でももったいなくはないと自分に言い聞かせ、軟臥を購入することに決定。下の一般窓口はあいかわらず大変な人込みであったが、外国人窓口はスカスカ。天水まで1人100元なり。 軟臥票を買い、気が大きくなったのか、本日は買い物をどっさりしてしまう。歯磨き粉、帽子、ノート、メモ帳などなど。(なにがどっさりやねん。) 西安で気が付いたこと。 1)普通どの街でも街角立ち新聞売りは定年後のじいちゃんばあちゃんのお仕事である。しかし西安ではカバンを斜めに下げた若い衆をけっこう見た。1部4毛だ。10部売れて4元、100部売れて40元か。利ざやはいくらぐらいなのだろう。元手を考えると、一日働いてたばこ銭にすらならん ような気がする。 2)ジョルダーノがあった。品揃えはどう見ても去年香港で売ってたジョルダーノ。しかし、看板をあげていない。小さい看板も「 IORDANO」になっ ている。ジョルダーノの肥黎老板、李鵬のワルクチ叩いてから、中国での商売は大変らしいなあ。 2)西安のタクシー、上のタクシーランプが覆面パトカーのと同じで磁石でくっつけてある。平日は自家用車に早変わりか。 日焼の進むデコをなんとか保護するための野球帽(中国語では鴨子帽。鴨のくちばし・・・)、数日前から探していたが、本日発見。ししゅう入りの やつは48元で、「GAP」とまったく同じロゴ字体で「CAP」とか、へんな犬のもようとか、タダでもいらん奴ばかりであった。黒無地のが17元。しかも服務員が間違えて16元のレシート切り(古い百貨店では服務員がレシートを手書きし、レジでお金を払ってそのレシートにはんこを押してもら い、それと引き換えに商品をうけとるしくみである。)、ラッキー。本日のおかいどくそのいち。 本日のおかいどくそのに。コルゲートの旅行用歯磨き粉、5.6元が半額の2.8元。購入後、向かいの百貨店でまったく同じ物を6元で売っているのを 発見。おいおいそれではコルゲート社がわざわざ化粧箱を特別にしてキャンペーンを張っている意味がないではないか向かいの百貨店。仕入れ価格だって普段より安いはずだろう。コルゲート社もちゃんと市場を監視しましょう。 1996/06/28 6時半、起床。かすかな吐き気とかすかな腹痛。またしてもおなかがゆるくなっている。何食った、ゆうべ。とりあえず正露丸を5粒のんでみた。吐き気は治まる。腹痛もなんとか気にならない程度に回復。 ゆうべは例の国営の店でO氏と食事。さすが国営、だいぶたってから「今日は米がない」とぬかしてけつかったため、しかたなく昼に焼いたというモーモー(ナンのようなもの)をもってこさせ、主食にして食べた。 たけのこと豚肉の炒めもに、きのこのいためもの、麻椒豆腐、たまごのスープ、以上4品を注文したが、スープが最後まで出てこない(中華ではスープは最初というのが基本)。忘れとるのだ。さすが国営。 国営への悪態をサカナに、和平門夜市へ行ってシシカバブを30本、ビール1本、羊の腎臓20本をたいらげたのだが、さてどれにあたったのか。 11時半。大解(小用は小解という)に行くと正露丸の匂いのするかたいやつが出た。どうなっておるのだ、私の腹。しかし全快。 全快したので性懲りもなく国営の食堂へ行く。なんで行くのか自分でもわからん。マゾか。なんか期するトコロでもあるのか。30分待ってやっと料理が出てきたが、催促しても催促しても白ゴハンが出てこない。本日は「白飯はあるのか」と確認した上での食事である。これが期するところか我々。そしてさすが国営。期待を裏切らない。それはちがうぞ。 オカズをきれいにさらえてしまい、席を立ってゴハン代を返却せよと申し立てると、レジのクソ女ときたら金を返してほしかったら厨房へ行って食券を取返してこいとぬかしやがった。 もともと、麺を注文するつもりだったのだがこのクソ女が白飯があると断言したから炒菜(オカズ)+白ゴハンの食事にしたのである。その方が麺よりかなり高くつく。しかし南方人の相棒は麺や餃子などの粉食はめったに食べない。だからメシにしたのだ〜!バカモノ。その態度、口のきき方、すべてがにくそいことこの上なし。しかし我々はひょっとするとこれを期していたのだろうか。いやちがう。と思う。しかし。 「自分は食券売りだから、どんな料理の準備があるかなんかわかるわけない」(白飯が料理かっ!)「とにかく金を返してほしくば厨房へ行って食券を取返してこい」なんで客の我々がそんなことをせんなならんのだ。だいたい厨房へ入ったってそんなもの返してもらえるとは思えんぞ。 温厚な相棒、ぎゃあぎゃあわめくクソ女(と、わめきかえす私<私って公平)を相手にしていても仕方がないと感じたらしく、では今、白飯があるなら袋に入れよ、持ってかえると指示した。これで食堂は2元(2元だ・・・)分の米を得することがなくなるわけで、穏健派の相棒らしい決着の付け方である。しかし、彼の相棒ときたら全く穏健派ではないのであった。つーか、こういうのを期してたのかなあ、私。いつか刺されそう。 ビニール袋入りのほかほかごはん、受け取るなり、食券の上にぶちまけて、念入りに食券とこねくりまわしてやった。クソ女の顔の上じゃないだけ、私にとっては温厚な解決法だ。 相棒、私に激怒。クチきいてくんない。 夕方6時にチェックアウト、O氏の宿泊証を借りてシャワーを済ませ、タクシーで駅へ。荷物を預けて食事に行く。辛い辛い麻婆豆腐を食べて、軟臥へ。さすがに快適でヨロシイ。待合室も冷房代2元も取るだけあって立派だったしなあ。 |