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1996/08/21 朝通りすがりのトラックにバッテリを貸してもらって発進。6時半ごろ、バスは再出発した。 9時、ViengTianeに到着。バシに同乗していた4人のスウェーデン人と、あわせて6人でTukTukをシェア。安 いゲストハウスまで連れて行ってもらった。TukTukの運転手は英語が皆目わからず、料金交渉はフランス 語。私と相棒だけじゃお手上げであった。バス・トイレ付き8ドル。なし6ドル。6ドルの部屋は窓無しの1階し かあいておらず、2階の8ドルの部屋に入る。 朝市へ。目も眩むような手織り布の洪水であった。シルク、きらびやかな光沢、細かい編み込み模様、田舎 で見た布とは格がちがう。値段も格がちがったが。首都到着を祝ってBeerLaoで乾杯。 銀細工のアクセサリーをを1200Kipで購入。アメジストのネックレスと銀のブレスレットを合わせて32ドルで。 やはり酒の上の買物はあかんなあ。アメジストのピアス、6ドルをを3ドルにねぎって購入。 悲しい出来事がひとつ。りすぞうが脱走した。ドアの下の隙間から、どっかへいっちゃったのだ。ここでは犬も 猫もいっぱい放し飼いになっているというのに。 りすぞうの大きな黒い瞳や、目と鼻と口のピンク色の小さな亀裂のところや、小さい頭蓋骨や、長くてきれい なしっぽや、背中のはげや、私を見上げて「なんですか?」という顔をするところや、かわいらしい前歯や、お まけみたいな耳や、食べ物をあげると顔を横にしてかぶりつくところや、ほっぺたに食べ物を入れすぎてすご いぶたりすになっているところや、おしっこをするときにしっぽをぴっと上に持ち上げるところや、背中のくっき りした5本のシマシマや、寝る前と起きた後、小さいくしゃみをなんべんもするところや、歩くときの小さなかさ こそいう音や、丸くなって寝ているところや、大の字になって安心し切って寝ているところや、そんなときにお いしいものをあげると目を閉じたまま、横になったままさくさく食べるなまけものぶりや、私の枕の下でいい場 所を探してごそごそするところや、毎朝早朝から物音をたてて私達をおこしてくれる目覚まし時計かわりのと ころや、いったんカゴに入れると顔をだしても「出たらあかんよ」と言うとおとなしくひっこんでゆく聞きわけのよ さや、私があんまりやつを手荒に扱うと「くう」と鳴いてわたしの指にぱくっとかみつくところや、でも決して痛 いほど噛んだりしないところや、つまようじをあげるといつまでもくるくる回しながらかじっているところや、ご はんの後には手をきれいに舐めて口を拭いてまた手を舐めて、顔をこすってまた手を舐めて、耳の後ろをくる んとこすってまた手を舐めて、足で背中をたんたん掻いて、足を舐めて、 おなかを舐めて、最後に両手で尻尾を根元から先っぽまでしごくようにして点検して(一度、食べ残しのキャンディが尻尾にくっついていたときはおかしかった。はっ!?という顔で一瞬止まり、きれいになるまであせってせかせかしっぽなめつづけていた。)、それからやっと安心するところなどを考えると、悲しくてなかなか眠れない。相棒は「ねずみがどっか行ったー」と能天気にうれしそうだ。 1996/08/22 本日は市場で国境行きのバス乗り場を確認。パリの凱旋門を模したというでっかいアーチに登って、ビエンチャン市街を見下ろした。それから金色の大塔のある寺まで2キロを歩き、あやうく日射病に。ビエンチャンくそ暑い。タイはもっと熱いんだろうなあ。つらいなあ。 また別の市場へ行き、ThaiFoodという看板の店でぶっかけごはんを食す。あまりうまくない。 私の感じでは、ラオスでいちばんおいしいのはフランスパンだ。バゲットにいろいろはさんだサンドイッチ、これが最高。そして濃いコーヒー。冷たいやつもいい。この二つがあれば朝ご飯はパーフェクト。 1996/08/23 りすぞうが見つからないままに、この地を去ることとなった。後悔で胸をかきむしりそうである。どうしてドアのすきまを確認せずにりすぞうを放したのか。いや、そもそもなぜこんな暑いところに連れてきてしまったのか。どうしてつれて旅行などというかわいそうなことをしてしまったのか。 もう殺されたか、食べられたかしたかなあ。あのかわいらしいくしゃみや、背中をかく時に床を打つたんたん言う音が聞こえないかあちこち耳をすませたが、聞こえない。ドーナツぐらいの大きさになって、丸くなってどこかで眠っているのだろうか。 今日数えたらゲストハウスには猫が4匹、犬が二匹。遅かれ早かれ彼らの餌食だ。私がりすぞうを捕まえるのに、いつも3分とかからないもの。あんな警戒心のないどんくさいリス、あっというまにつかまってしまう。あるいはシマリスをしらないラオス人に、ねずみとまちがわれて殺されてしまうか。 ああ、どこで何してるのかなあ。もうこの世にいないのかなあ。ごはんにありつけてるかなあ。きもちのいい隠れ家はみつかったのかなあ。涙でそう。 ゲストハウス→バスターミナル 500Kip ビエンチャン→タドゥア 200Kip タドゥア→タイ側イミグレ 300kip イミグレ→ノーンカーイ US$1 Mut Mee G/H、バストイレ共同で130B。いい感じの木造の二階建ての上の部屋。メコンに面していて、庭にはオープンレストランがある。レセプションではアメリカ人がバイトをしていた。オーナーはタイ妻を持つイギリス人だそう。 大通りからG/Hへ入る小道の途中に、アメリカ人経営の貸本屋があり(つか、こんなとこで経営は成り立ってるのか)、日本語の本も結構あった。早速借りる。「どこにもない短編小説集」「政治的に正しいおとぎばなし」「復讐のような愛がしてみたい」 1日15Bであったが、3冊借りたら45Bではなくて、一日何冊借りても15Bなのだと。ええんか?わし読むで? 1996/08/24 「C.W.ニコルの旅行記」「剣客商売」「今夜、すべてのバーで」と快調。が、本を読んでいても向こう岸のりすぞうのことばかりが思われる。ベッドの足のところなどに、いるはずのないりすぞうを思い浮かべてじーっと見てしまうのだ。すごくさびしい。「子供に先立たれた母親」そのまんまである。相棒が不愉快そうに私を見ている。 街に3つある市場のうち、ふたつを朝からめぐってみた。ひとつはメコンに面した観光用のマーケット。ラオスのものがたくさん売られているのもこっちであった。私がルアン・プラ・バンで買った布が、きっちり倍額で売られていた。 まちはずれにあるほうは、もっと地元民むけだった。小花を散らしたえんじ色のノースリーブブラウス、綿100%でやわらかくて着やすい前開きのを50Bにて購入。(ちなみにこのブラウスはこの後5年間着たおされた挙句、任期の最後の1年をおむつとして活躍、ついに惜しまれつつ引退することになる。) 1996/08/25 朝から魚の干物を4枚(3Bx4=12B)も買ってきて、ベランダで猫と一緒に食べる。この白猫はハラボテで、しんどそうに一日中横たわっているのだ。 貸し本屋は古本屋もかねており、Lonely Planetのタイ篇を購入。今日はウドンターニーへ向かうのだ。バス代15B、あっという間に到着。ところがウドンターニーのバスターミナルは街から結構離れており、なんだかめんどうになった私は10分で気が変って、そこへきたチェンマイ行きのバスに飛び乗ってしまった。といっても、チェンマイまで行く気はなく、スコタイで途中下車するつもり。バスのおっちゃんは、「6時にほにゃらららんに着く。そしたら7時にはスコタイだ。」と推測されるようななにかを言いつつ、腕時計を指した。ウドンターニーに着いたのは12:20、このバスは12:30発。よろしい。 バスは中国や、ましてやラオスとは比べ物にならない性能と手入れの良さでスカスカ走り、夕刻6時、なにやらバス停にとまった。そしてそこで私たちは無理やりおろされてしまったのである。!!??!! ここはどこ? バス停で地図を手に茫然と立ち尽くす我々。まわり中にききまくってやっとここがピサヌロークという街だとわかった。そこでLPの登場だ。あってうれしいガイドブック。 LPべたぼめのユースホステルへ。ドミ50Bなのだがノンメンバーフィーが40B加算され、90Bx二人で180B。ちっとも安くない。しかも「素敵な庭」だった場所にレストランが開業していて、なかなかけっこう繁盛している=やかましい。むむう、時はすべてを変えてしまうのか。とりあえずゴハンを食べて寝よう。そのレストランで。 相棒、タイ料理が全くダメなことが判明。 1996/08/26 ドミに180Bも払うのはおまぬけなので、もちっと安いG/H探し。鉄道駅そばのASIA HOTEL、清潔な部屋に広めのシャワールームがついて150B。部屋が広いのでデスクと椅子2脚、洗濯物干し、クロゼット、全身鏡と顔鏡、すべてシンプルなデザインの古い木製の家具付きである。シャワールームにはタオルとせっけんつき。角部屋なんで窓は2面。ひゃっほう! 中国名を「亞州大酒店」という。つっても3階建てのちいさなホテルだけど。華人というのはどこにでもいるなあとロビーに飾ってある横長の額の漢字を読んでいたら、なんぞの決意表明のような文章がつづってあり、最後に「孫文[印]」。 げ、孫中山!?左横に若い軍服姿の男性の写真があり、横に小さく「蒋中正敬贈」と書いてある。げー、蒋介石ー!そういえばこの顔…。 相棒と二人で顔を見合わせてしまった。相棒曰く「ここの先代か先々代はどうやら革命家やったみたいやなあ。この手の南洋華僑は美しい理想を持って帰ってきて、文革のときにエライ目におうたんや…廈門にもいっぱいおった。しかし、こんなもん中国で玄関に飾ってみい、翌朝にはあらへんで。タイは治安ええなあ。」 外で書店に入るとなんとびっくり読売新聞があり、65Bもするのに買ってしまう。中文紙は10B、英文紙は15Bであった。 ランブータン、13Bで大きなビニール袋いっぱいどん!と手渡された。食いきれん。ドリアン中サイズひとつ95B。なつかしのメンソール天花粉HULA HULA!を17.5Bにて購入。実は勝手にBORA BORA!だと思いこんでおり、見つけたときは照れた。 お寺へお参りに行ったらなぜか体重計があったので計ってみた。66kg。5ヶ月で-13kgか。 1996/08/27 孫文の遺墨について宿のおねえさんに訊ねると、じいちゃんが海南島出身で、孫中山・蒋中正両名と親交があったそうである。しかしおばあちゃんはタイ人なのでこのむすめさんももはや中国語はなにも話せない。 博物館へゆく。けっこうおもしろい。それからバスに乗ってスコタイへ。16Bなり。スコタイは宿の安い街だと聞いていた。バスルームつきで120B、なしで80B。なしのほうに泊まってみた。まあまあだ。ピサヌロークを出る前に飲んだ鼻炎の薬のせいで、死ぬほど眠い。街で15Bの炒麺を食したあと、宿に帰って夕方まで爆睡。相棒曰く、熱あったぞとのことである。 6時すぎにのろのろ起きだして、夜の街をうろうろする。タイではどこもそうだが、日中の暑さを避けて、街は夜のほうがにぎやかだ。二人とも香港で買ったHK$15.9のサンダルがあちこち壊れてきたので、タイ製のすっごく履きやすいサンダルを購入。185Bなりなり。 しかしどうしたことだ、うまいめし屋がみつからない。屋台で麺。おいしいことはおいしいのだが、カロリーだけたっぷりで、その他の栄養の足しにはならんことは確かだ。くだものやジュースをなるべくとるよう心がけよう。私はサプリをとっているが、相棒は飲んでいない。 1996/08/28 スコタイ歴史公園にゆく。トラック改造型乗合バスで5B、ガタガタ揺られて30分、そこから一日20Bのチャリを借りて公園へ。 公園はかつてスコタイ王国の首都であった遺跡を、ユネスコが整備・修復かつ保護しているもので、修復といっても余計な修復はせず、朽ちたものは朽ちたまま、これ以上荒廃しないように手入れをほどこしたうえで、見学しやすいように回りを整備してある。この「修復しすぎていない」ところがいい感じであった。 柱だけが立ち並ぶ回廊にはかつては屋根があったのだろうが、そこは復元されていない。朽ちて高さがふぞろいになった柱はローマやギリシャの遺跡のようだが、純白の大理石とちがって赤茶けた素材のこちらのほうが、アジア味があって私は好きだ。 公園の中にはいくつも寺院があり、スコタイ王朝が仏教を保護していた様子がうかがえるが、最も見ごたえのある遺跡は公園の外にあった。スコタイ期の大仏(実際には釈迦ではなく聖人らしいが)で、私が今までに見た大仏の中では最も優雅なものだ。 大仏は、柳の葉のような不思議な形の入り口を正面に座っていた。入り口の幅は人がひとり入れるほど、高さは建物の2/3ほどに達している。建物正面から見ると、入り口の隙間から座っている大仏が窺える。はっきりいうと、私はこの入り口の形状から、すぐ女陰を想像した。バチあたりですね。なにより優美だったのは大仏の右手。2メートルぐらいあるけど。 タイは両替がすごく便利だ。街のほとんどの銀行で両替が可能。すばやさでは香港に劣るかもしれないが、どこでも応対が丁寧でよい。遅いといっても中国のように非効率なまでに遅いわけではないし。 1996/08/29 本日はメーソットへの移動日。しかしスコタイからに直行バスはなく、まずがタックへ向かい、そこで乗り換えだ。朝10時のバスでタックへ。ガイドブックにはタックには見るべきものは何も無いと無情なことが書かれてあったので、私たちも着くなりバスを乗り換えた。 タックからメーソットへの交通はワゴン車であった。15人乗りぐらいか。たいへんな山道をぐるぐるまわり、途中で見事な見晴らしの峠を越えてメーソット到着。ところが不運なことに、私は猛烈にトイレに行きたくなってしまっていたのだ。で、めったにないことだがサムローに乗り、宿まで連れていってもらった。エアコンつきが200B、なし100Bと高くはないが、100Bの部屋は木と竹でずさんに作った小屋状の建物。もひとつ清潔ではなく、しかもベッドが相棒が嫌いなマットを床置きタイプであった。で、やめにしてそこから歩いて街中のホテルにゆく。普通の安ホテルに投宿。100B。 1996/08/30 体調崩して死に寝。 1996/08/31 メーサリアンへの移動日。けっこう時間がかかった。まずは朝8時のエアコンバスでチェンマイへ。到着が14時半だったから。6時間半もかかったことになる。チェンマイ15時発のバスにのってメーサリアン到着が19時半。4時間半かかっている。計11時間。うんざりだ。 軽く夕食を食べて寝る。 1996/09/01 メーサリアンでの宿はRiver Side G/H。120Bの部屋が広い! 古びた木の家、ぴかぴかに磨かれた木の床、12畳ぐらいありそうな部屋に3畳ぐらいありそうな床ベッド(寝返り5回ぐらい打てそう)。私には心地よい限りだが、相棒は木造建築も床ベッドもキライである。 本来ここに来たのは、ビルマ国境の町までソンタウを乗り継いでゆき、国境の川を2時間ほどボートトリップしてカレン族の村を見て帰ってくるという一日か二日のツアーの出かけたかったからなのであった。しかし、G/Hでは今はもうやってないと断られた。国境での小競り合いが激しくなり、治安上の問題があるからだとのこと。自力で国境まで行くことは可能ですよといわれたが、そこまでして行きたくは無いなあ…。で、計画はお流れ。 町は小さくて、お寺がふたつみっつ、あとは川が一本流れているだけ。ゲストハウスからの川の眺めは抜群で、ホテルはリヴァーサイド♪川沿いリヴァーサイド♪食事もリヴァーサイド♪WOWOWOリヴァーサイド♪♪♪と歌ってしまいたくなるほどであった。対岸は一面の湿地帯で、見渡す限りの緑なのだ。 することがないので朝からごちそうを食べてみる。105B、私にはすんばらし−!味であったが、何しろタイ味Hot&Spicy&Sweet、相棒がむっとしている。薬屋の親父が普通語ができたので、滴鼻薬と虫除けをリステリンを買うのがラクチンであった。いつもうこうはいかんだろうから、あとで辞書を調べとこう。虫除けはベトベトだが効きそうだ。滴鼻薬は香港の1/5のお値段でよく効いた。リステリンはタイ製。ちょっと薄味のような気がする。おやじはなぜか合計から1Bまけてくれた。端数を切ったというわけでもない。 J&J社が蚊取り線香を出していたので買ってみた。あけてびっくり真っ黒な蚊取り線香。しかも匂いが違う。多分、除虫菊を使っていないのだと思う。箱には(1)Less Smoke (2)No Smellと書いてあり、これは外人の発想やで・・・煙も匂いも無い蚊取り線香はさみしいやろ。部屋に帰ってさっそく点火。蚊とそれ以外の羽虫がたちまちバタバタおちてくるので、効き目に感心するよりなんだか不安な気分になった。人体に害は無いのか。そして部屋つきのヤモリには。 明日は朝10時半のバスでメーホンソンへ移動だ。めんどくさがりの私は、たぶんトレッキングには行かないと思う…。 1996/09/02 10時半出発のはずが、11時を過ぎてもバスが来ない。たぶんチェンマイからのバスで、メーサリアン経由なんで遅れてるんだろうとのんびり待っていたら、11:10、私の嫌いなエアコンバスが来た。窓が開かないがしょうがない。次のバスは12:30だ。お昼をはさんでの長旅になるので、おやつをどっさり買いこんで乗車。 乗ってびっくり109B。普通のバスなら47Bなのに〜。3時すぎにメーホンソン到着。しかし雨。ガイドブックの地図をよくみておいたのでどかどか歩いてJong Kham G/Hにとびこむ。シャワーとトイレは共同だが、シャワーはなんとホットシャワー。でかいベッドの部屋が80B。相棒の嫌いな床ベッドだが、清潔なのでよしとしよう。 市場へ出かけると、串焼き状のものがいろいろ出ていてひゃっほう!焼き鳥・焼肉・焼き魚。豚の腸にもち米をつめて焼いたもの。なまずの塩焼き。モツ。などなど。30センチぐらいのなまずの塩焼きを、相棒とひとり一本づつ食べた。うは。きわめて美味なりなり。 ひさしぶりのホットシャワー、中国を出て以来だ。宿に客引きに来たトレッキングガイドはKMT(国民党)とリス族のハーフ、くびながカレン族の村に行かないかーとしきりに誘う。一日ツアーで500B。ちょっと行ってみたいが私たちには安くはない。 カレンの村のうち、ひとつはバイクで自力で行けるそうである。でも私は原付しかのれませーん。貸しバイクのホンダドリームにはクラッチついてるよなあ…。しかも道は舗装されてない山道で、雨であっちこっちぬかるんでるはず。旅行社でジープの借り賃を効いたら750-1000Bであった。ちなみにバイクは150B。しかし旅行会社の人が言うには、すべての村は入場料250Bをとるそうである。 そこで私にはむくむくと疑問が湧いてきた。その村は本当に村なのか?それとも深センの「世界之窓」「錦繍中華」「中華民族村」のプリミティブなやつなのか?白老アイヌ村なのか? LPを開いてみるとこうあった。「旅行者たちをひきつけてやまないミャンマー国境とロングネックカレン族の村は、はっきりいってまやかしである。何時間かのたいくつな風景ののちにあなたが出会うのは、カレン族の香具師たちによって囲われている事実上の奴隷たちだ。」やっぱそうか。 すっぱりあきらめて市場の屋台でご飯を食べていると、首の長い女の人が買い物にやってきた。首には金属のわっかがどっさりはまっている。ものすごく重そうだ。(7kgほどあるそうだ) 首は極端に前に向かって突き出されており、バランスのためか背中はずいぶん曲がっている。TVや写真で見たときには、へんなのー、すごいなー、しんどそうー、程度の感想で済んだが、実物を心の準備無しに見てしまった私の感想は本人には悪いけどひとこと「めっちゃグロテスク」であった。しかも食事中。 湖のほとりを散策していると、白と灰色のまだらのガチョウが3羽いた。とってもきれい。近づこうとすると相棒が「気をつけろ、ガチョウは人を攻撃するぞ」。言い終わらんうちにガチョウが襲い掛かってきた。背の高さが私のふとももあたりまであり、けっこうでかく、なかなかこわい。飛ぶし。羽をひろげるとさしわたし1mはゆうにあり、ばっさばさばさと風圧をうけると真剣にこわくなって、走って逃げた。 昔、チェンライからのトレッキングで泊まった村で、ヒヨコにちょっかいをだしてめんどりに背中を蹴られたことがある。あれは痛かった。こどものころ、川で泳いでいてアヒルに襲われたこともある。私と家禽類との相性は悪いのか。 1996/09/04 本日は移動日。しかしめざましが壊れてて、朝7時のバスに乗るはずが、起きたら7時半。そごうで買った日本製のシチズンなのにー! 仕方が無いので8時半のバス。パイを経由して北ルートでチェンマイに向かうバスは、南ルートのバスよりずっと小さく、二人がけの席では通路にお尻がはみでちゃう。交代で座った。 この道はWWUのころに日本軍がビルマ戦への補給路として突貫工事で開いたものだという。ジェットコースターのようにカーブとアップダウンの激しい道で、香港のピークあたりの道が8時間続くとお考えください。白花油を鼻の下に塗りつけて過ごした。 パイで一時間の昼食タイム。小さな街だがメーホンソンよりFarang(ガイジン)が多い。見たところ静かでいいところだが、なんかあるのか。あと、ムスリム人口が多そうで意外だった。 チェンマイ到着。市街への3番バスに、方向を間違えて乗ってしまい、反対側の終点まで行ってしまった。かわいい中学生の女の子が声をかけてくれなければ、状況を把握するのにもっと時間を食ってただろう。正しい方向へ、東門で降りてDaret G/Hへ。シャワー・トイレ付きの部屋がなんとびっくり80B。部屋は広くはないがとっても清潔で、シーツと枕カバーは淡い薔薇模様(笑)。1階はオープンレストランで食事と夜の一杯に便利。 1996/09/05 チェンマイナイトバザールは、つまりは香港の女人街であった。しかもふっかけがすごくて、例えば私が60Bで買ったコットンのパンツを、260Bと言ってきたりする。しかしとりあえず欲しいものをチェック。 1)綿厚手の長袖ブラウス白 260B 2)綿薄手の長袖ブラウス緑 200B 3)荒織シルクのスカーフ緑 180B 4)銀ピアス 280B 5)銀ブレスレット 320B とにかく欲しいものだらけで目移りする。とくにコットンの着やすそうな服。シルクもいいが、高いし、長い旅行での酷使には向かないので、スカーフだけ買う事にする。上の値段はとりあえずの開価(言い値)。 1996/09/06 朝から動物園に出かける。私は動物園がメインのつもりだが、相棒は動物園の横の丘にあるお寺参りがメインのようだ。年寄りくさ…。さて動物園は丘の斜面につくられてあり、規模は小さいのだが道が非常に込み入っていて、結局私たちはすべてを見て歩くことができなかった。坂道ばっかりで疲れちゃったのだ。オランウータンをみのがしたことが惜しい。 動物園でもっともうれしかったのは、柵の中の動物ではなく、そのへんにいっぱいいたリス。シマリスではなくて、タイワンリスに似た体の大きなリス。今度飼う時にはあれでもいいなあ。 寺はキンピカで、どうでもよかった。丘の上なので、ながめはよかった。 そうそう、動物園では日本ザルに似た、でもしっぽの長いサルがいて、一匹だけでオリに入れられているかわいそうな若いサルが、手に持った棒を軸にしてくるくる回る踊りをいつまでもいつまでも踊っていて、面白くもあり哀れでもあった。 あと、仔象に鼻でたたかれた。「よう、元気?」ってな感じの叩かれかた。相棒は鼻水をかけられてた。象の鼻はおもしろい。鼻の先の上と下をきゅっと閉じて、手のように物をつかむのだ。 夜、ナイトバザールでお買い物。昨晩めっこをつけておいたものを、それぞれ1+2)あわせて300B、3)80B、4)150B、5)180Bで購入。買い物はうれしいなあ。 1996/09/07 本日はチェンマイを発つ日である。なんだか慌しいが、ふたりとも南タイのビーチが恋しくなっちゃって、一日でも早く陽に灼かれ、潮風に吹かれたくなってしまったのだ。チェンマイ、また来よう。 夕方6時すぎ、バスターミナルへ。8時のバスに乗車。 |