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1996/09/08 バンコク北バスターミナルに到着。記憶にあるものよりもずいぶん遠く、おまけに大通りよりずいぶんひっこんだところに入っていくのですこし戸惑った。しかも、夜がまだ明けきっておらず、あたりは暗い。ターミナルの職員に「バンランプー!」といろんな発音、アクセントで言ってみた。やっと通じた。「プー」を英語のシャンプーのように、きつく発音するのがコツのようだ。 90何番かのバスで記憶にある北バスターミナルへ。そこから3番バスへ乗り換え。3番バスはまだ明けやらぬバンコクを突っ走り、土地カンのまったくない我々には、どこがどこやらさっぱりわからない。適当なところでやみくもに降りたら、なんとぴったしバンランプー。神様。 適当に探し、適当にチェックイン。200B。汚くて狭い。やはりバンコク、こんなものか。夜行バスの疲れを癒すために、とりあえず眠る。午後まで眠った。しかし、空気の悪い部屋だ。長所といえば本棚に日本語の本が何冊かあったことだけ。 土地カンを取り戻すため。歩き回り、バスに乗った。夜、香港にTelしてびっくり、相棒のパスポート、もうできあがってるやん。4ヶ月はかかるとかいうハナシはどーなったのだ。一ヶ月どころか1週間で通知が来たそうな。へなへなへな〜。 1996/09/09 朝から香港行きのチケット探し。一番安いのがJALとGULFで、JALは週3便、GULFはデイリー。ともに5,600-5,700Bぐらい。JALはいい空きがみつからず、GULFに。どんな乗り心地だろう?明後日9/11発、9/13帰の便をとった。 1996/09/10 今最も欲しいもの。コイルヒーター(携帯湯沸し。電熱のコイル部のみに電線とコンセントがついたもの。カップの水に浸して使う)。みつからない。本日デパートで発見したのはドイツ製の230Bもするやつで、赤と白の変なデザインでしかもあまりコンパクトではない。私はお茶を沸かすためだけに欲しいのでちっこいやつでいいのだが、料理用に利用できないかともくろんでいる相棒が、けっこう悩んで見ている。それで料理って、何する気や? ワールドトレードセンターでさしみを買って帰る。鯛・イカ・鯖。全部で150Bぐらい。相棒に嫌がられながら、部屋でちみちみ食べた。 1996/09/11 昼12:10のフライト、10時にチェックインのため、8時の空港バスを予約。私はいつもどおりバスと列車の乗り継ぎで充分だと思ったのだが、今回ばかりは乗り遅れては話にならんので、相棒の意見を入れる。しかしバスは70B、バス+列車なら8.5Bだ。 GULFのボーイング767はピカピカの新品だった。なんとなくエアインディアとかビーマンから類推していた私を許して欲しい。産油国だよね、みなさん。フライトアテンダントはすっげえ美男美女ぞろいで、サービスもばつぐんによかった。ごはんもおいしく、ワインのミニボトルも出た。(←普段どんなキャリアばっかり乗ってるのか) これでなんで安いのだろう? 尖沙咀ミラドールマンションの中のG/H、エアコン+シャワー+トイレ+TV+窓ありの狭いダブル、HK$240なり。パキスタン人経営。馬馬虎虎。 1996/09/12 朝からパスポート受け取り。5分で済んだ。CIが3カ国しかビザ免除を受けられないのに対し、BNOは80余ヶ国のビザ免除がある。これから行くマレーシア・インドネシア・パキスタンも然り。つーか、インドネシアはCIでは事実上個人での入国ができない。 昼食を前の職場のA氏と。日本料理屋で食べていると、案の定知り合いに見つかってしまう。天重定食HK$90+10%であった。 1996/09/13 タイに帰るぞお。夕方4時の便。朝から税務署へ出向き、本年度の税額を訪ねる。正確な税額を算出するのに1時間ほどかかるそうなので、昼食後に来てくださいといわれ、税務署38階の大家楽で食事。大家楽のくせにフルシービュー。1時15分、窓口を再訪すると、なんとびっくり昨年2年分払ってたぶんから調整されて、日本の年末調整のように帰ってきた。払いに行ったのに帰ってくるなんて~。幸せ。 帰りのGULFも乗り心地良かった。到着。空港向かいの駅から列車に乗り、ホアランポーンで3.5Bの23番に乗り換えて、バンランプー西で下車。New Marry G/H シャワー・トイレ付240Bを、3泊660Bに値切って泊まった。 1996/09/14 一泊220Bというのはタイで泊まった中では最も値の張るG/Hということだが、そのぶん抜群にキレイであった。ドアを開けるとテラス廊下で、下は緑とブーゲンビリアが素敵な(他人ん家の)庭。遠くにワットアルンまで見渡せるという眺望付き。20Bの差で昨日の宿とはおおちがい。 チャオプラヤ・エクスプレスでGPOへ。今日はいい服(ってほどでもないけどさあ)を着て化粧をちょこっとしたので、2回もサギ師に声をかけられた。いい気分だ。シーロムロードのセントラルデパートメントで水着購入。950B。さあ海だ! 1996/09/15 朝からウィークエンドマーケットへ。あまりの暑さと人ごみに死にそう。みやげ物エリア、服エリア、電気製品エリア、食べ物エリア、動物(ペット)エリア、USアーミー放出品エリア、などなど。 動物エリア!うさぎ、鳥、犬、とかげ、ヘビ、そしてリスなどなど。ここで見たリスはすべて日本で言うタイワンリスに似ていて、シマリスはいなかった。タイワンリスは目がでっかく、顔が長くて、よく見るともひとつ私の好みではなかった。つか、ネズミに似ている。やたらでかいし。オリの中でも人間の手の上でもじーっとしていて、シマリスと習性もかなりちがうようだ。 ネズミもいた。ハツカネズミ。まっしろで眼がぽちんと赤い。 コイルヒーター発見!以前見たのと同じ台湾製だが、少し大きくて長い。150Bの値札で見ていたら140Bまで下がったが、私はなるべく小型のもの欲しいし、相棒は100B以下の差ならドイツ製を買うとのことで、結局ここでは見送り。金属製のかわいい洗濯バサミ(12B)とイカ焼き4本を買っておしまい。 バンランプーへ戻り、私の眼鏡のレンズ交換。HOYAのHILEX=IIというやつがペアで1400B。高いのか安いのか。ロンリーープラネットのインドネシアを450Bで購入。小さいコイルヒーターもやはりここにあり、150B。相棒はシーロムまでもういちど足を伸ばしてドイツ製を買うことにしたようだ。そしてなんとびっくり、へそが見えるタンクトップを2枚も購入した私である。黒とグレー、@70B。頭がすっかり南の島。 1996/09/16 19路でトンブリ北区へ渡り、7路エアコンに乗り換えて南バスターミナルへ。12時20分のバスでホアヒンへ向かう。16時到着。田舎町であるが、新しい、立派なホテルがけっこうどっさり建っている。 相棒、さっそく小鍋を購入。大きなえびを市場で買って来た。1kg320Bだと。香港の半額だが、タイの所得水準を考えるとすんごいごちそうだ。そこでコイルヒーターの登場! ところが相棒のドイツ製コイルヒーター、私の台湾製に比べて明らかに沸きが遅いのであった。おそらく、より安全に設計されているんだろうと思う。が、料理には不向きである。私はお茶を入れるために買ったので、えびをゆでるためには貸してやらない。結局相棒は鍋をあきらめ、カップで一匹づつちまちまとえびをゆでていた。ゆであがったえびはもちろん私も食べた。食べごたえがあってうまいなあ。 本日はこれで洗濯をして終わり。Tシャツ2枚、パンツ一枚、長袖シャツ1枚、タンクトップ2枚。以上。 1996/09/17 市場でご飯。海南鶏飯(英語ではハイナニーズチキンライス)が20B、コーヒー5B。水着に着替えてビーチに出かける。水が意外とキレイじゃないのでがっかり、透明度50センチぐらいだ〜。相棒が言うには、今干潮で泥が沈んでないからだってさ。満潮時にはもうちょっとマシのはずとのこと。そう言って島育ちの相棒は旧暦の日付から満潮の時間を割り出す方法を教えてくれたが、これが通用するのって廈門だけじゃないのかなあ? 旧暦の日付に8をかけて、例えば4日なら32で3時の2の字=3時10分、13日なら104で10時の4の字=10時20分。16日以降は日付から15を引いて同様に、だそうだ。ほんまか。 水が最もキレイなのは、満潮の1時間ぐらい後だということだ。水位は旧暦1日と15日に最も高くなるのだそうだ。私は潮の満ち引きが日に2回あるということも知らなかったよ。 朝からばちゃばちゃ泳いでいるうちに、上半身がすっかり焼けてしまった。ビーサンの跡がくっきりの足をなんとか焼いてごまかしたいのに…。雨がパラついてきたので宿へ戻り、相棒は再び市場へ出かけ、なにやら貝を買いこんできた。二枚貝。ちなみに中国語では普通、「貝」は二枚貝しか意味しない。海の巻貝は「海螺」、淡水のは「螺子」である。でもカワニナはなぜか「川貝」だなあ。 私は気がつくと右足のすねが、なぜか傷口も無いのに見事に化膿していて、直径7センチぐらいがぱんぱんに腫れあがっている。熱をもっていて非常に気持ちが悪い。こういう日は魚介類は食べたらイカンのだと相棒が私にいい聞かせつつ、買ってきた貝の調理を始めた。ドイツ製コイルヒーターに見切りをつけた相棒、電気コンロを90Bで購入したのである。まず小鍋に湯をかんかん沸かし、火をとめて、沸騰水の中へ貝をぼちゃんぼちゃんと落とし、ぐるぐるっとかきまぜて、はいできあがり。 これで終わり? 火、通ってないやん! 相棒は「没問題没問題〜、この貝は「血貝」と言って、開けると血がぼたぼた落ちる〜」とかなんとかかんとか言いつつ貝をこじあけると、鼻血のような血がぼたぼたぼたぼたっ…、それに口をつけてうまそうにすする相棒。なんてスプラッタな貝だ。眉をひそめて見つめる私に、「生魚よりマシ。」と言い返す相棒。 私は市場へ出かけ、なんきんの煮付けと白ごはんを食べた。うまうま。どうしてこんなにおいしいタイ料理(正確にはタイテイスト潮州菜)、相棒はもひとつ気に入らんのだろうか。 本日はへそ出しタンクトップを着用におよび、日中のそのそ歩き回ったため、上半身が見事に焼けてしまった。 1996/09/18 相棒がタイ料理全くだめなので、中華屋を探しては海南鶏飯を食す。こればっかり。ビーチを散策、あまりの暑さにへばって帰ってきた。 私がガイドブックをつらつら眺めているうちに、相棒がまたしてもなにやらさげて市場から帰ってきた。でかい蟹。昼食はこれか。 2匹で320B、うーん、けっこうな値段である。小鍋で一匹づつゆでた。私にはどれもこれも同じように見える蟹だが、相棒に言わせると何種類も有り、肉がうまいやつ、卵がうまいやつ、ミソがうまいやつ、はさみの肉が特別うまいやつ、いろいろあるんだそうだ。今日買ったのは「卵になる前の部分がうまいやつ」だそうだ。私は蟹のオスとメスの見分け方すら知らんよ。 甲羅を開くと、鴨卵の黄身みたいにオレンジ色のほくほくしたやつがむちむちにつまっていて、かにみそもたっぷり。これに酒を注いで飲むを抜群にうまいのだと、相棒が日本人と同じことを言いよった。私も大賛成だ。それにタイなどこにでもあるライム(でもタイ人はレモンだと言い張る)をきゅっと絞ってもいいんじゃないの?などと、シアワセなことを言い合う。 今泊まってるゲストハウスは五階建て、私たちは最上階に泊まっているため、部屋よりずっと広いバルコニーが専用で使えるのだ。椅子と机があり、海が見えて見晴らしもばつぐんによい。コンセントがあるので、料理もここでやっている。周りはほとんど平屋建て、このゲストハウスより高い建物は、向こうのほうに見えている1泊3000-5000Bの高級ホテルだけである。 相棒「今あのホテルに孤独な一人の老人が泊まってて、俺らが仲良くカニを食べてる姿を見て、激しく嫉妬してるねん。」と勝手なことを言う。カニは肉もたっぷりで、はさみも特別でっかく、一匹食べると本当におなかがいっぱいになってしまった。 明日か明後日あたりコ・サムイに移動するつもりで、スラターニー行きのバスの時刻表を調べると、コ・サムイ直行バス(バスごとフェリーに乗る)があることがわかった。エアコンバスが191B、VIPバスが300B。エアコンバス、安すぎるなあ。フェリー代だけでも40Bはするはずなのになあ。といぶかりつつもエアコンバス購入。 足の腫れ、不思議な展開を見せている。腫れはほとんど引かず、硬くふくれているのだが、表面にキズは全く無し。しかし化膿に付きものの熱は引いてしまい、さわるとひんやりしているのだ。しかし押すとぐりぐりし、痛い。なんなんだこれは。なんか変な寄生虫とか入ってんとちゃうやろなあ。 1996/09/19 起床。例によって海南鶏飯。ビーチで泳ぐ、と、クラゲにさされまくった。といっても腫れるほどではない。ちょっとピリピリするぐらい。このビーチにますます未練が無くなり、心置きなくコ・サムイへ行ける。 ところで、話に聞いていたがやはり、タイの女性は泳ぐとき水着一枚にはならない。Tシャツ・ショートパンツでばちゃばちゃばちゃと水際で遊び、そのまま帰って行く。不思議だ。一方白人は堂々のトップレス。私にはやっぱり「ローカルに失礼」に見えてならない。 日焼けがヒドイので日焼け止めを買いに行く。(←遅いって。)ニベアのSPF20のを180Bにて購入。焼けてしまった肌ケアローションを55Bで。本日はクロスタービアを飲んでみた。60B。ををを、高級な飲み物だ。豚の耳20B。 夜10:30のナイトバスでコ・サムイへ。冷房がんがんで泣きそう。チェンマイ→バンコクで乗ったVIPバスとちがて座席の幅も狭く、もちろん夜食なども無し。 1996/09/20 早朝7時にドンサックのフェリーピアに到着。フェリーは8時発なので、船着場でぼけぼけ1時間を過ごす。フェリーは一時間ちょっとでコ・サムイに到着し、またまたバスに乗り込んでコ・サムイで一番大きな街、ナトーンへ。ここで食事を済ませてから、ソンタウでラマイビーチへ向かった。 ラマイビーチのはじっこ、Sunrise G/Hとやらのバンガロー、狭いがきっちり海に面した素敵なロケーションのを200Bで。海は絵のように美しかった。水は透明で済みきっており、砂はどこまでも白い。にもかかわらず、相棒はソンタウに乗って町へご飯を食べに出かけようと言うのだ。そのへんのゲストハウスに、海に面したレストランがいくらでもあるのに。変なやつだなあ。 本日はナイトバス明けなのでとりあえず死に寝。 1996/09/21 マスクとスノーケルを借りて泳いだ。水がキレイなので楽しい楽しい。10センチぐらいの熱帯魚、白と黒のしましま、メダマ模様、黄色と黒のしましま、黒のフリルふりふりなどなど、カニもいた。スノーケルは500Bほど。一方、借り賃は1日50Bなので、10日以上遊ぶなら買ったほうが安い。顔との相性(水漏れとか)もあるので、やっぱり買おうかな。 昼からバイクを借りておでかけ。100ccのホンダドリーム、4クラッチ。バイクは一日150Bなので、スノーケルと比べるとレンタル料のコストパフォーマンス良すぎである。しかし、わたしはてっきり相棒がバイクぐらい乗れるもんだと思っていたのだが、乗るなり30秒でコケた。発進すらできなかったのだ。試しに一人で乗らせてみると、ふらふら非常に危なっかしい。そっかー、原付も乗ったこと無いねんもんなあ、と自分を納得させつつ、両手のひらの擦過傷、右足の大きな擦り傷、買ったばかりのレイバンのサングラス(乱視用レンズ入れたから高かったのよー)のつるか大きくゆがみ、やや怒っている私であった。 仕方が無いので私が前に乗ることに。私だって二輪は原付の免許しか持ってないのだ。友人のバイクで教えてもらって、クラッチの扱いはなんとか知ってるけど。後ろに乗せてると怖いなあ。ぼやきつつナトーンへ。 スノーケルとマスクのセットを購入。TABATAというメーカーのだが、日本のメーカー?台湾製であった。店先でよく確かめたつもりだったのだが、帰って海へ出ると水もれまくり。うえーん。 1996/09/22 朝、借り物のスノーケルを返しに行くと、日本語の本があった。文庫本一冊100B前後、レンタル料はその30%。読み終えるまで何日でもその値段。ということは、冊数が必要な私には割高なシステムだ。 宿を移動。近所にもっと広くて安い部屋を見つけたからというのと、なぜか私がこの宿のマネージャーのおかまちゃんに嫌われてしまったからというのと…。なぜだ。ひょっとして相棒を気に入りでもしたか? Palm Resort G/H、150B。おそらくラマイビーチでは最も安いのではないか。これ以下だとシャワー&トイレが共同になってしまうが、電気コンロで料理をする都合上、水場はどうしても必要なのだ。それとコンセント。ここはシャワールームがやや広くて料理に便利な上、コンセントがふたつあってばっちりの部屋であった。 バイクでナトーンへ。スノーケルを取替えに行く。お金を追加して、もちっといいのを買った。その足で海へ入り、試す。おっけー。 帰って来たもののなにやら非常に疲れていて、泳ぐ気力が出ず、ビーチに寝そべって相棒を眺めるだけで終わってしまった。3時ごろ遅い昼食を取った後、ぐたりと寝てしまう。夜中に一度目を覚ますもまたすぐ寝てしまい、起きたら翌朝8時。16時間の爆睡であった。 1996/09/23 「猪のように眠るなあ、おまえ」(中国語で惰眠をむさぼるという意の慣用句)と言われ、むっとする。原付しかもってない私が、クラッチつきのバイクをタンデムして40キロも離れた街まで往復したから疲れたんじゃい。 朝から泳ぐ。場所を変えて岩場にも行ってみた。相棒の釣りと、私のスノーケリングの両方にいいかなと思ったのだ。しかし釣果は8センチぐらいの小魚一匹。かわいそうなのでリリース。そして岩場で滑った私、岩に張りついているフジツボでむこうずねを大根おろしのようにおろしてしまい、たいへんな流血。おまけに水着のお尻に小指が入るぐらいの穴をあけてしまった。気にせず一時間ほど泳いでいたが、陸に上がっても血がぼとぼと。けっこう深手であった。相棒が、「香港やったらいっぱつでサメの餌食」と、イヤなことを言う。 部屋に帰って、抗生物質入りの軟膏をぺたぺたぬる。昼食を取っていると、たいへんなスコールとなった。が、いつまでもやまず、バンガローに帰れない。ちょうどTVでメル・ギブソンのブレイブハートが始まり、ヒマつぶしに見る。(私の好みの映画ではない。どっちかというと好みはこっち。)私は、主人公はてっきり良きライバルの王子に助けられて死刑台を脱出し(もちろんライバルはそのために死ぬ。お約束。)、お姫様をかっさらって新しい土地へ旅立って終わり、かと思ってたらこの主人公、死刑台でえらいゴーモンをされまくった挙句、「Freedoooooooooooooooooooooom!」と叫んで首を落とされるのであった。ありゃりゃ。読み違えた。 男らしくてかっこよくて悲劇のヒーローの主役…で、エンディングのクレジットの冒頭が「監督:メル・ギブソン」。やっぱり、ナルシストでないと役者なんてやれないんだろうなあ…。 小降りをみはからって買い物に。貸し本屋で本を借りてきた。ルーフで涼みながら私は本を読み、相棒は短波でVOAだかBBCだかの普通語放送を聞いていると、隣のバンガローの客が話し掛けてきた。 東チモール人で現籍はポルトガル。現在はノルウェーに住み、人権擁護団体のボランティアをしているという。タイのビルマ難民キャンプ、カンボジア難民キャンプなどで働いたことがあるというふれこみだ。インドネシアによる東チモールでの人権抑圧状況などについて語っているあたりはよかったが、私は死刑に反対しているととくとくと主張し始め、かと思うと毛沢東を尊敬していると言い出したり、ノルウェーでアウンサン・スーチーや柴玲に会ったことがある、インドネシアには20年以上帰っていない、東チモール独立運動のブラックリストに載っているのだ、こないだ香港へ行ったときには、SCMPのミリンダ・ローに会いたかったが留守中だった、マカオでカジノを見学したときには、警察がボディガードについてくれた、英・仏・伊・葡・西・ノルウェー語が話せる(←英語そんなにうまくなかった)、名古屋に留学していたことがある、祖母はマンチュリア(満族)だ、という時点で手持ちのネタをすべて振り尽くしたのか、「香港の知り合いが引越しをしたらしく、連絡が取れない。手助けしてもらえないだろうか」と切り出した。相棒と二人で、「またか。」 またしてもサギ師である。我々って、そんなにまぬけにみえるのだろうか。東洋人はスレた白人よりだましやすいのか、それともはっきり、日本人の女(←私だ、いろんな意味で一応)がだましやすそうに見えるのか、さあどうだ。でも私ってば、もはや少なからぬサギ師と第X次接近遭遇(c)唐獅子株式会社を経験してるので、とりあえず適当にあしらったのであった 1996/09/24 私は泳ぎに、相棒は市場へ買い物に。一時間ほど泳ぎ、半時間ほど体を焼いて部屋に戻った。シャワーを浴びてルーフで絵葉書を書いていると、昨日の男がまたしてもやって来たので、「我々の国の習慣では、主人の留守中に婦人は男性の客を迎えられないのだ」と申し渡してお帰りいただく。後で帰ってきた相棒がそれ聞いてゲラゲラ笑うこと。 世界各地の難民キャンプで働いてるような人が、Short Wave Radioを知らんはずはなかろう。 岩場で転んだ足のケガ、普段の私ならたちまち化膿して腫れあがって膨れ上がってえらいことになるはずだが、今回は全く腫れもしない。体調がいいのか、抗生物質軟膏がよく効いているのか、相棒が言うとおり、海水は最良の消毒薬なのか。 1996/09/25 いらちの相棒が、そろそろ場所をかえたくなってきたらしい。この人は「コオロギは農民が売りに来るのを買うもの」というような環境で育ったため、田舎には耐えられないようなのだ。せっかく街から離れた宿なのに、日に何度も乗合トラックで買い物に出かけて行く。私はビーチで本を読んだり、昼寝をしたりだ。 朝から昼過ぎまでがんばって泳ぎ、へとへとになる。相棒、釣った魚が例外なく不味いので釣りをあきらめた。昼食のあと、ラマイの町まで買い物に行く。パン・ミルク・マッチ・水・おやつなどなど。9Bの切手は10Bだというので買わなかった。 ラマイの町はFalangだらけ。それも、旅先で壊れたヒッピー(死語)くずれとか、トップレスのどでかいおねえちゃん/おばちゃんとかである。こういうタイプの人々とはあまり中国には来ないから、久しく目にすることが無かったのだ。が、タイにはいっぱいいる。相棒はこういうガイジンがことのほかキライである。 ビーチを2キロも歩いて帰ってきたため、へとへとに疲れた。距離もさることながら、白い砂浜は強烈な照り返しだ。 1996/09/26 宿の食事(確かにヒドイ。私の料理よりヒドイ。)に業を煮やした相棒、朝から鶏卵を買ってきて卵焼きを作った。昨日ラマイで買ってきたパンといっしょに食す。ふむ、美味い。そして安上がりだ。自分でする気はないけど。 本日は日和がよろしくなく、一日中曇天なり。相棒が泳ぐのを横目で眺めながら、ビーチで寝そべって借りてきた本を読んでいると、宿の犬かずうずうしくもいきなり乗っかってきたたまげた。鳥も寄ってきた。それから相棒が漁村へ行き、えびといかを入手して帰ってきた。おいしかった。 明日はここを離れる。 1996/09/27 チェックアウトしてナトーンへ。バスの時間を聞くと、プーケット直行はなく、スラート乗り換えになるとのこと。それだと到着がうまくいって9時、へたすると11時を過ぎてしまう。明日の朝イチの便に乗ることにして、本日はナトーン泊まり。 Sea View G/H。"None of the rooms actualy have seaview."とLPに書いてあるとおりであった。本日は旧暦8月15日。夕方7時ごろから海南公所(海南華僑の互助団体であろう)がにぎやかなので行ってみたら、海南語でチャイニーズオペラを上演していた。お題は「金花女」。以前に台湾で見たやつと同様、やたらやかましくにぎやかな、ちょっとコメディくさい劇であった。めったやたらにハデな衣装と楽しいオーバーアクションが、私にはとても興味深く、ばつぐんに笑かしてくれる見世物であった。 帰って木瓜(パパイヤ)食べて消灯。この宿、ひさしぶりに見事な売春宿で、きれいな娼婦のおねえさん方でいっぱいだ。 |