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落ち穂拾い
day by day stories


 ひねもすのたり、ひぐらしぐらし。
 日記などから、小話抜粋。


目次

「私の仕事は間違ってない」 97年10月中句
「P2の未来」 97年10月下句
「象の足の裏バーガー」 97年11月上句
「顔」 97年11月上句
「密造酒の作り方」 9?年??月?句



97年10月中句

「私の仕事は間違ってない」

 学校で講演会があった。医学と工学(コンピュータ)を繋げる話、(又は、繋げた話)だった。
 自身の研究とも深く関連し、その意義と、そして限界について語ってくれた。……だが、「限界」は限界ではないのだ。医学と工学が手を取り合えば。



 自分のやっている研究が、決して間違いではないのだと思わせてくれた。久々に良い気分である。

 人間と、コンピュータは、根本的に違う。
 SFなんかではやたらと擬人化した機械が出てくるし、事実それが好きでもあるのだが、そうでないアプローチもあるし、その方がむしろ現実的なのだ。
 ニューロが、ファジィが、カオスがもてはやされた昨今、誰もが「もうすぐ人間そっくり」なロボットが出来るぞ、と期待をしたし、その方向で商品開発も行なわれてきた。事実、やたらに人間臭い品物も多い。
 だが。と、言い切ってしまおう。それらは全てまやかしである。
 宣伝に踊らされているか、ただの「きのせい」なのである。
 論理[ロジック]に生きる機械、などというと非常にチンプなのだが、他に言い様がないのでそうしておく。そもそもの視線が、物事の捕らえ方が、そしてその処理と解釈の仕方が異質なのである。どんなに人間を真似ようとも。

 だからこそ、人と機械は、お互いを助け合えるのだ。
 同じ長所を持たず、同じ短所を持たない、そんな異質が故にこそ、
 長所を利用し合い、短所を補いあって。

 工学から医療の分野に突然身を投じる事になった私にとって、その辺りの自覚は皆無だった。なんとなく感覚で判っていたにせよ、それを理論として頭に理解させてなかったのだ。それに今日目覚めた。
 この視点は医療にだけに収まるものでもない。更にそれに気がついた瞬間、久しぶりに目の前の広がる様な感覚を覚えている。

 さて、本論。
 医学では放射線が見つかって以来、「医療画像」と呼ばれる分野が発達してきた。超音波、CT、MRI。近頃の流行では、それからの3D画像の再構成。
 だが、ハイテクだハイテクだともてはやされつつも、結局それを見て「診断」を下すのは「人」だけの役目だった。
 「人」には、誤診がある。勘違いがある。疲れもあるし、新米もある。いわんや、相手はごちゃごちゃと筋繊維や血管がうろちょろする、なにがなんやら訳の判らんモノクロ画像である。貴方も一度見てみればいい。「これがそうです」と医者に指さされてから、実際にその輪郭が見えてくるまでにかなりの試みが必要になるから。
 一説では、医者の誤診率や見落し率は30%になるという。難診断の癌患者のうち、100人に30人には手術後に切り残しがある、という訳だ。
 ここに「機械」の目を持ち込む事が、今の研究のはやりなのだ。おっと、ここでいきなり「自動診断」なんて夢な言葉を持ち出してはいけない。それはまだまだ将来、又は実現しない未来だ。今我々の取り組むのは「診断支援」と呼ばれるものなのだ。

 医者が診る。患部をピックアップする。機械が同じ画像を処理して、「ちょっと待って、この辺りもちょっと臭いんですけど」と、ピックアップされてない部位についても注意をうながす。医者はもう一度データを取り直し、「いやあ、それはやっぱり通常組織だよ」とそれを却下する。又は、(そう、これが本番だ)「おっと、確かにその組織も怪しいぞ、ノイズに隠れて見落としてたわ」とチェックを入れる。

 医者だけが診た時の正診/誤診率のグラフを見た。やはり、完璧とは言えない。
 だが、機械だけが診た時の正診/誤診率のグラフを見ても、実はどっこいどっこいなのだ。
 そう、「人」だけではない。「機械」も「誤診」するのだ。

 ところが。この二つを組み合わせた時、確実にそのグラフは、前述の二つを上回る。
 してやったり、である。
 人間と機械とは誤診の仕方が違うのだ。人が見れば明らかなミスを機械は犯し、機械から見れば当たり前の事を人は見逃す。
 両者は助け合えるのだ。
 多くの医学診断において、それは実証されつつある。
 医学において可能なら、医学以外の分野でも、きっと。

 おっと。最後に釘を指しておこう。面白い事実と事例をひとつ。
 ある病気を機械で診断した所、いつもその病気を「第二候補」してあげ、「第一候補」の病名は常に間違いだった、という話がある。
 そしてまたある分野で「コンピュータによる医療画像診断支援システム」を導入した所、正診率が落ちた、という事実がある。機械に振り回された故の結果なのか、それとも、機械不信に陥り過ぎた故の結果なのか、それは判らない。
 「常に機械を入れればそれで安心」では決してないのだ。
 つき合い方というのを、自覚せねばならない。
 そして、その責任の多くは、大抵「人」の側にある事も。


97年10月下句

「P2の未来」

 車とバイクで有名なホンダが、突然に発表した重大事件。
 そう、二足歩行ロボット「P2」の登場である。
 私の衝撃は、流行から数週間遅れての反応だったにも関わらず、やはり、衝撃だった。



 不覚ながら、初めて話題の「P2」を見た。ホンダの作った二足歩行ロボットの事である。雑誌ASCIIに載っていた。
 二足歩行と伝え聞いて私が想像してたのは、例の、下半身だけがある様な、でもってアルミパイプと鉄板とビニールコードがわやわやしてる様な品である。ところが、現物は二足どころか、既に四肢に頭を備えている、宇宙服臭い味のある姿のロボットだった。
 余談だが、同時に載っていたソニーのペットロボットもキいた。
 「企業が本気になればこんなのちょいよ、なあにが研究者だ、象牙の塔のゴク潰しが。」
 記事の中にそれっぽい言があったのが、返す言葉がない。とにかく人間の模倣から、とにかく客受けする可愛いペットな仕草から、というアプローチによって完成したロボット達であるが、そのアプローチをけなすつもりは俺には毛頭なく、むしろそれをしたいのにうまく出来なくて、理論に逃げてる学者な背中がすすけて見える。俺の背中も含めて、というか、特に俺の背中が、というか(笑)。
 企業って、すごいよな。正しいよな。
 そんな感慨も浮かんで来る一コマでした。

 ロボットも小型化が進むと言う(ホンダの目標は身長 130〜140cm)。というのは、でかくて重いと危ない上に、人に「恐怖感」を与えるからだというのだ。フランケンシュタイン・コンプレックスは、そしてゼノフォビアは健在という訳だ。
 果たして近未来、私達は彼等を、恐れることなく受け入れる事ができるのだろうか。おそらく、サイズは一つの誤魔化しにしかならず、より根本的な所での違和感が根を張る事だろう。
 「アトムからガンダムへ。」そう、その記事は締めくくった。我々の上の世代から、我々の世代への感覚の変化がこれだそうな。
 正にアトム的な姿と仕草のロボット「P2」の次にくるのがガンダムか、と思うと、同時に私は戦争の影をも感じてしまった。それだけは止めて欲しい。手に入れた玩具を使いたいが為に、そしてテレビの見過ぎで狂ってしまっている感覚(<俺、自覚あるです)がそれを許すが故に、そんな殺し合いの道へと入りたくはない。誰か止められるだろうか。その世界の歯車の狂いを俺は自覚できるだろうか。自信がない。
 もしうまく抑制出来て、ガンダムの次へと高飛びが出来たらとしたら、そこには何が来るだろう。そう考える。つまり、我々の世代から、我々の下の世代への感覚シフトは何なのか、だ。
 という訳で、俺なりにその「未来のロボットの可能性」を分析・分類してみる事にする。

 まず、一番にありそうなのは。
 ズバリ。
 「女の子型」と見た。(笑)

 最近見たのでは「アミテージ・サード」というOVAがありましたね、女の子の姿をしたロボット。しかし私にとっては、早川SFから出てる 「ヴァーチャル・ガール」 という方がピンと来るのだが。でなきゃ 「アンドロイド」 とか。
 小型化、危害を加えない形態、そしてアンチ戦争となれば、おそらくその辺りに収束するんじゃないかな。最近の恋愛ゲームとか、そのへんのノリもそれを助長すると見る。
 あれ? でも、これもそんなに新しい意見じゃないか。「生きてるダッチワイフ」いや、この場合は機械だから「生きてないダッチワイフ」の方が正確か? は、昔からよくあった意見だ。
 でもなあ、SFモノ、ロボット好きモノの私としては、やっぱりそういう女の子型がいたらイソイソとお近付きになろうと出かけるだろうな、うん。ダッチだろうが、そうでなかろうが。
 「召使」というよりは「友人」「恋人」の位置づけの方が納得できる。
 ……うん、やっぱり次は「女の子型」でキマリだわ(笑)
 目指せ、「ガンダムからマギーへ。」
 小型化や「人に恐怖を与えない」という姿勢、及び一部のヨコシマなる人間心理の具源とそれにノる企業より、この方向の可能性は高いと見る。
 ……と後輩に話してると、そんなのヤダ、生身の方が絶対にイイ、という反論。
「見ろよアイツ、旧式を連れてるぜ、不細工だよなあ」
 と言われるのが嫌とかそいつは言ってたが、それは生身でも変わらんと俺は思う。

 次に思ったものは。
 ガンダム型。

 兵器産業が一番力の強い事を思えば、さもありなん。確かに兵器としてなら、「巨大化」でもって「人に恐怖を与える」が主軸になるだろうしねえ。個人的には一番嫌だ、とか言ってたら、これまた後輩が一言。
「バーチャファイターやロボテックはどうなんです?」
 なるほど! つまり、ゲームとしての大型化か。体感ゲームどころか、リアルゲームになる訳だ。
 がんばれ、某セガ。

 もうひとつ。
 スーツ型。

 兵器、というカテゴリからの連想。早川SF 「宇宙の戦士」 の戦闘スーツなんかを指している。それを言うなら、一応ガンダムも「スーツ」だけどさあ。更に言い出すと、ボトムズもサイズや雰囲気からして、上よりもここが近いかもしれん。
 他、 「エイリアン2」 のパワーローダとか、 「アップルシード」 のギュゲスとか。あ、 「モスピーダ」 もいいなあ。
 ……うん。モスピーダは欲しい。あれならレジャーとして成立する。ホンダがしてるんだし。おお、なんだかごっつい実現しそうな気がしてきた。(笑)

 及び。
 サイボーグ009型。

 つまり、技術の熟成は、人間の身体代用部品技術へとより強く流れるのではないだろうか。アニメでなく言うと早川SFで 「マン・プラス」 なノリである。
 でもねえ、加速装置はねえ。いきなりそれを連想しないで欲しい。無茶やって。脳味噌をどうやって高速化するんだらう?

 そして、
 ロボット型。

 実はこの可能性も考えてる。つまり、あくまでも「産業ロボット」の延長としてしか、ロボットはその存在を許されないのではないか。ボルトやリベット、金属で作るのを義務づけられ、能力も技術にではなく、社会により制限を受けて。悲しく感じるのは単なる私の気の迷いであり、実はそれが一番正しいつき合い方かもしれない。
 反乱も協調も出来ない、使われるのみの哀れな召使よ。
 あれ、これは漫画 「ファイブスターストーリーズ」 のファティマなんかにも通じてるかな?



97年11月上句

「象の足の裏バーガー」

 変な夢を見ました。誰か解析して下さい。



 変な夢見たっす。おかげで気分が変っす。

 何人かが囲むテーブル、座長は痩せチビのひょいひょい動く奴
「ここでは格式ある作法を守って貰いますよ。手を載せない、肘をつかない」
 席に座ってた一人が動く
 でん!
「足を載せてよーこそ一歩のテーブル(食卓)へ!
 ご注文は御随意にどうぞ」
 大柄の紳士が声を上げる
「象の足の裏バーガー」
 2秒と待たせずにさっと出てくる、シェフのメモ付き
『食べていて下さい、次の注文もすぐにお持ちします』
「ちっ、今度も当てられたか」
 そしてディナー(宴会)は始まる。

 ……謎っす。象の足の裏バーガーって、 なんだ? マクドで飯食った影響だろうが。
 そう言えば、 「
ダブル・スター」 (太陽系帝国の危機・新訳改題) を読みながら寝たんだ、やたら芝居臭いのはそちらの影響か。




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