第3次中東戦争で勝利したイスラエルは、エジプトのシナイ半島を占領しました。そして、シナイ半島への植民も、スエズ対岸最前線でのイスラエル陣地構築と平行して増えました。
イスラエルが陣地を築くという事は、この占領地を手放す事は無い、と主張しているということです。このため、国民も安心?して植民しました。
駄菓子菓子!第5次中東戦争が勃発し、エジプト軍は奇襲により、イスラエルの陣地を突破し、シナイ半島を進んできました。
一般の市民が(といっても軍隊の予備役兵ですが)拳銃を持って”くるならこい、ここから先へは一歩も通さない”などというのは虚勢でしかありません。そんな事を言っていたら、無駄に死傷者が増えるだけです。結局、幸いな事に戦争はイスラエルが押し返し終了します。
やれやれと、戦争を乗り切ったことで植民者たちにはますます愛国心が増幅し、国を守ったという意識があったことでしょう。
しかし、戦争が終わってほっとしていたのもつかの間、イスラエル政府は突如、エジプトと平和条約を結んだのです。
この平和条約の条件に、シナイ半島の返還が含まれていました。まさに、青天の霹靂!あわくってデモをやりましたが、政府はだんまりを決め込んで、国防軍も徐々に撤収していきました。
シナイ半島の経済力をエジプト時代より上げて、感謝までとは言わないがそれなりによいこともあったイスラエルの占領が終了する時が来ました。問題は植民してきたユダヤ人です。もちろんシナイ半島返還には大反対です。政府に裏切られた訳ですが、止む終えません。
いきなり自分達の家から出て行けといわれた日にはたまったものではありません。しかし、デモや抗議ではどうしようもなく、自分の家の屋根に上って”絶対に動かない!”と住民や反対派の人々が抵抗を試みましたが、イスラエル国防軍の実力行使によって引き摺り下ろされました。
1982年、シナイ半島入植者達は政府からの違約金を受け取り、イスラエルの領土内に帰ってきました。
ちなみに、ガザはエジプト領ではありません。人々もエジプト人ではありません。エジプトはなぜか第1次中東戦争で占領したガザ地区の人々をエジプト人としなかったのでした。今はパレスチナ人で以前はイスラエル人であり、エジプトに占領されていた間は被占領のイスラエル人だった人々。ああ、ややこしい。 |