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イランの出来事

イラン・イスラーム共和国 Powered by CIA :

■ イスラーム原理主義国家イランの誕生

1979年1月16日、イランのパフラヴィー朝が倒れ、追放されていたホメイニ師の帰還により、イラン・イスラーム革命が成りました。

ホメイニ師はイスラームによって世界を救おうと考え、親自由主義の前政権とはまったく路線を変え、まずイスラエルとの関係を断絶。イスラエル大使館員に即時退去を命じました。

そして、11月には市民がアメリカ大使館を占拠し、政府はこれを黙認。これにより、アメリカも国交を断絶しました。ちなみに、前イランはアメリカから兵器を購入していたので、保守部品が手に入らなくなりました。これは後に大変な事になるのです。

そしてホメイニ師は、自由主義で世は救えないと考えたのでしょう。イスラームに乗っ取って国家を運営するとともに、世界のイスラームに向けてたちあがれ!と言ったのです。

つまり、革命により現体制を打倒し、イスラームによる国家を作るのだと世界に向けて発信しました。そして、イスラームによる運動に対して援助を惜しまなかったのです。

この結果、イラン・イスラーム共和国はイスラームの盟主のようになっていったのです。それと同時に、東西冷戦のいずれにも属さない第三勢力になりました。しかも、両者をまったく恐れない。

 

■ イランに対する周辺諸国の憂鬱

さて、ホメイニ師の革命輸出を狙った発言に危機感を募らせている、君主制イスラーム周辺諸国でありましたが、もう1人、このイランの影響力を危惧している人物がおりました。

そう、隣国イラクのサダム・フセイン大統領です。中東の覇権はイラクが取るという、フセイン大統領は革命政権の粛清により弱体化したイラン軍に目をつけ、1980年9月、時期は今!とイランに攻め込みました。これこそ、イラン・イラク戦争の始まりでした。

 

■ イスラエルのレバノン侵攻

戦争は決着がつかず、長期戦を予想させていたそんな時、イスラエルによるレバノン侵攻が始まり、イランはイスラエルと極秘軍事協定を結んでいるにも関わらず、レバノンに対イスラエル義勇兵(ホメイニ師の親衛隊パスダラン)を送り込みます。

このパスダランはナチス・ドイツで言うSS武装親衛隊にあたり、ホメイニ師直属のエリート・イスラーム戦士でした。パスダランは後のレバノン・ヒズボラ旗揚げに大きく関わっています。

 

■ ホメイニ師逝く

1989年、スーパー・カリスマ・ホメイニ師が亡くなりました。後任にはパスダランの初代司令官だったハメネイ師が就任し、イスラーム原理主義国家はなおも続きます。

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