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2002.12.31
カウンターテロという言葉があります。テロ対策という意味ですが、世界各国には対テロ特殊部隊があります。
イスラエル警察のカウンターテロ部隊はヤマムといいます。ヤマムはこの度、テロの攻撃に生物と化学兵器が用いられる可能性があるとして、これに対する訓練を通常訓練に組み込みました。
たのもしーい。ってゆーか、不安を煽ってるような・・・。

2002.12.28
キリスト誕生後の西暦では年の瀬ですが、ユダヤ人にとっては複雑でしょう。
金曜日の夜八時ごろウエストバンク、ヘブロンの南にある入植地に侵入したイスラミックジハードの隊員が、入植者達が夕食を取っているレストランに向かって銃撃、さらには手榴弾を投げました。
もちろん、すぐさまIDFが駆けつけ約30分間の銃撃戦で、犯人は射殺されました。
このイスラミックジハードの隊員が入植地に侵入するサポートをした隊員もいました。彼は、すぐ現場から離脱したのですが、IDFに呼び止められ銃撃戦となり、射殺されました。この銃撃戦では、兵隊3人が負傷しました。

2002.12.24
シャロン首相はイラクの生物化学兵器化がシリアに隠されていると発表しました。
イスラエルはアメリカがイラクを攻撃する事を望んでいるのでしょうか?戦争が始まればとばっちりを受ける可能性が高いのに・・・。

2002.12.24
クリスマスイブですが、今日もイスラエルでは軍事訓練に余念がありません。それはアメリカがイラクを攻撃しようとしているので、そのとばっちりをミサイルに乗せて受け取る事になるからです。
戦争=本土決戦というのはつらいものです。化学防護服(サリンから死の灰まで)に身を包んだ兵士が訓練しているのを見ると気が滅入る。
そーいえば最近(クリスマスが近くなってから)カミカゼがない!

2002.12.23
IDFはヘブロンに違法入植する人達が後をたたないため、出張監視所を建てることにしました。
しかし、これはこれでアラブ人から見たらIDFの威力入植みたいなんですが・・・。アラブ人たちは結局はこうなるのか、と言った感じで新たに建てられた監視塔(ユダヤ人を見張るため)を見上げているのです。

2002.12.20
IDFが戦っているのはパレスチナの過激派だけではありません。イスラエルのユダヤ過激派とも戦っています。
さらに、ユダヤ原理主義の人々も対象となる事があります。彼らはパレスチナ自治区に勝手に入植してしまったり、ムスリムの人たちに嫌がらせをしたりしちゃうのです。
勝手にシナゴクを建造したりするので、ここでもIDFの装甲ブルドーザーがそれを撤去します。しかし、彼らはブルドーザーの上に乗ったり下に入ったりして妨害をするのです。
本日、ヘブロンで勝手に入植し、家を立てていた人たちもIDFによって追っ払われました。
彼らが狙うのはやはり、ユダヤの聖地であるヘブロンとエルサレムなのです。

2002.12.18
!、   !!、  にまん超えとる!いつの間に・・・。神さまありがとう。いや、みなさまありがとうございです。
ところで、もうすぐクリスマスです。クリスマスといえば中東ですね。キリストの生まれた町ベツレヘム(パレスチナ自治区)では、盛大なイベントが行なわれ・・・!、  !!、  アラファト議長来ないの?マジで?
IDFはクリスマス期間中はベツレヘムのキリスト聖誕教会の警備をゆるめると発表しました。以前、パレスチナゲリラが篭城した教会です。
IDFは突入せず、話し合いで解決しました。犯人はヨーロッパに亡命しました。

2002.12.16
ほぼ毎日、イスラエルではIDFとパレスチナ市民の衝突があるのですが、これはインティファーダだからです。気持ちを煽っているのでしょう。
昨日もガザでIDFがテロリストの家を破壊したのですが、10代の姉妹が負傷しました。さらに土曜日ですが、同じくガザでIDFの兵隊が2人のテロリストを撃ち、負傷させました。
なぜテロリストだと分かるのか?それは自動小銃を携帯し、不審な動きをしているからです。兵隊が職質をしようと近づいたら、自爆するかもしれないので、離れたところから”動くな!”というわけです。
しかし、パレスチナ自治政府の警察も自動小銃を携帯しています。でも、IDFにはテロリストか警察官なのか分からないので銃を向けるのです。これにキレて撃ち返してきたらテロリストと言うわけです。
ところでガザでIDFの装甲ブルドーザーによって破壊された家の中に日本人はいなかったのでしょうか。いや、別にいたからといって私がどうこうと言うわけではないのですが・・・、ただ聞いただけです。(誰に?)

2002.12.09
日曜日にレバノンとの国境で装甲車が地雷に触れIDFの兵隊2人が負傷しました。
”殉教者ラムジ・ナハラ”という未確認の組織が犯行声明を出しました。ラムジ・ナハラとは先週の木曜日に自動車に仕掛けられた爆弾によって暗殺された人物です。ヒズボラと関係している人物でした。
ヒズボラはこの犯行に関わっていないと発表しました。

◎当サイトのタイトルが新しくなりました。これは当サイトの素材をご提供くださっている”ヒカルの旅の素材屋”様のご好意で実現いたしました。誠に誠にありがとうございます。
ところで、当サイトはユダヤやアラブに対して偏見を持つやうな表現はしていませんよね?
今日、いろんなサイトを見ていて少し”偏見?”と感じる事がありました。別にそのサイトはそういう方針なのでよいのですが、当サイトは自己紹介でも言っていますが、良い悪いを判断していません。そのつもりなのですが、自分自身の事はわからない事もあるので、少し気になりました。

2002.11.28
本日、イスラエル人が多数宿泊しているケニアのホテルで、自動車爆弾が爆発しました。これはイスラエル人を狙ったものかどうかは分かりません。7人(以上)死亡、数人が負傷しました。
同時刻、ケニアの空港を離陸した直後のアルキア航空機に対して対空ミサイルが放たれました。二発のミサイルは飛行機に命中しませんでした。アルキア航空機はナイロビ空港に緊急着陸しました。
ミサイルは偶然外れたのか、飛行機が回避したのかは分かりませんが、こういう事態も想定しているイスラエルの航空会社については用語集のエル・アル航空の項を参照してください。ここをクリック(下の方です)
犯行はアル・カエダ(アル・カイダ)であるとケニア大使は語っています。

2002.11.27
昨日の夜、IDFのアタックヘリがジェニンの難民キャンプに飛来し、アル・アクサの殉教者(団)のリーダー、アラ・サバール Ala a-Saba'arとハマスの幹部アイマド・ナシャータ Aimad Nashartaのいた家に対戦車ミサイルを撃ちこみ、暗殺しました。
IDFはここのところ活発に作戦活動(パレスチナ自治区内でのテロリスト掃討)を行っています。

2002.11.26
ナルブスでIDFが8歳の少年を撃ってしまいました。この少年は学校帰りにIDFに石を投げて遊んでいるだけでした(と思われる)。
ジープに石を投げてきた集団に対し、IDFが照準射撃(威嚇ではなく狙って撃った)をしたのです。
IDFは少年たちが火炎瓶を投げたから発砲した。と発表しました。

2002.11.23
ジェニンでIDFとテロリストの銃撃戦があり、なんと国連の従業員が死亡してしまいました。この人はイギリス人です。イギリス帝国は深い遺憾の念をうんたら・・・。
ガザでは、イスラエル海軍の艦に自爆テロです。と言っても突入したのではなく至近距離で自爆したのです。
進入禁止エリアを航行中の不信船に海軍のパトロール艦が近づき、高水圧噴射と威嚇射撃で警告をしました。そして自爆、これで4人の水兵さんが死亡しました。イザ・ディン・アル・カサムが犯行声明をだしました。

2002.11.22
労働党の党首選が終わったエルサレムで、ハマスのイザ・ディン・アル・カサムによる自爆テロです。昨日の朝、通勤ラッシュで込み合うバスを狙って爆破させました。11人死亡、約50人が重軽傷です。
特攻隊員は5キロの爆薬を使い自爆しました。爆薬はバスを破壊するほどの量ではなく乗客も全員死亡とはなりませんでした。
これに対してIDFはベツレヘムに侵攻し、犯人の家族を逮捕しました。

2002.11.18
日曜日の夜、エル・アル航空機がハイジッャク未遂を受けました。しかし、犯人はセキュリティーガードと乗客によって取り押さえられ事なきを得ました。
犯人はイスラエル・アラブ人でテロリストかどうかは分かっていません。武器はナイフのみで爆弾も携帯していなかったのです。

2002.11.16
昨日(金曜日)イスラームの休日ですが、夜、ヘブロンでパトロール中の国防軍が待ち伏せ攻撃にあいました。銃撃戦となりイスラエル人が12人死亡、15人が重軽傷を負いました。国防軍の兵隊と市民も巻き添えになりました。戦闘は約一時間半ほど続き、テロリスト(イスラミック・ジハード)は撤退しました。
イスラミック・ジハード側の死者は3人確認されました。

2002.11.11
昨日の深夜、キブッツで銃撃があり、5人死亡3人が重軽傷です。アル・アクサの殉教者(団)が犯行声明を出しました。

2002.11.10
土曜日の午後、ガザ地区をパトロール中のIDFギヴァティ旅団の1人が地雷に触れ死亡しました。
イスラミックジハードが犯行声明を出しました。ギヴァティのパトロールコースに地雷を仕掛けたのです。
これは、ジェニンでイスラミックジハードの幹部がIDFに暗殺されたことに対する報復だと発表しました。

2002.11.08
本日からイスラームのラマダーン(断食月)が始まります。
イスラエルでは連日イラクからの攻撃に備えて防空訓練が行われています。国民にはガスマスクも配られています。

2002.10.31 ハロウィーンです
昨日(デビルズ・デイ)にベン・エリエゼル国防相(労働党)が国会に辞表を提出しました。イスラエルの政権は常に連立なのですが、シャロン首相(リクード党)の命運やいかに?

2002.10.28
日曜日の朝、ウエストバンクの入植地で自爆テロです。三人死亡、十五人が重軽傷です。当初、アル・ファタが犯行声明を出しましたが、これは間違いでありました。
このカミカゼはハマスが実行したと犯行声明をだしました。アル・ファタはカミカゼを狙っていたが、失敗したのではないかと思われます。
入植地はIDFがしっかり警護しているので、爆弾を持って進入することは不可能に近いです。このアリエルという入植地の入り口にある、ガソリンスタンドで自爆したのです。
この犯人がスタンドに入ってきたとき、近くにあるカフェのオーナーが犯人を見て、怪しいと気づきます。オーナーは従業員1人とともにスタンドに行き、犯人に近づきます。
そして、これは間違いなく自爆テロを狙っていると判断した二人は、犯人を取り押さえます。そして、テロリストだ!と叫びました。
ここは、国境です。IDFがすぐさま駆けつけ犯人を射殺しました・・・。が、爆弾が炸裂してしまったのです。この爆発は、犯人が死亡する前にスイッチを押したのか、IDFの撃った弾が当たって爆発したのか不明です。
ガソリンスタンドは軽い火事が発生しましたが、すぐに消し止められました。

2002.10.24
IDFのへーたいが、ヒズボラのスパイをやっていたということが判明しました。シン・ベットはスパイ容疑で11人を逮捕しました。そのうちの1人がIDFのへーたい(この階級は正確には将校といいますが)、イスラエル国防軍中佐だったのです。
見返りにお金と麻薬を貰ってやっていたようです。ヒズボラは麻薬を生産しています。
二年位前からヒズボラに協力するイスラエル国民が逮捕され始めていましたが、今回はIDF中佐でした。

2002.10.23
イスラエルのハデラという町で自爆テロです。14人死亡、40人重軽傷です。犯人は二台の車に爆薬を積み、バス停でバスがくるのを何食わぬ顔で待ち伏せて、車ごと爆発させました。
イスラミック・ジハードのアル・クドゥス部隊が犯行声明を出しました。車の方が爆薬をたくさん運べ、大規模な爆発を起こせるということです。

2002.10.21
ナルブスとカルキリヤの中間あたりに、不法(イスラエルでの法律で)入植している、ユダヤ人を追い払うためIDFが出動し強制退去となりました。しかし、IDFと警察が撤収すると、またしても進入してきてシナゴクを作り直し始めます。IDFが建物を取り壊すためブルドーザーを用意すると、集団はブルドーザーの上に乗り、IDFを妨害しました。
シャロン首相はデモや投石でIDFを妨害するならば、暴動に対する適切な処置(=攻撃)をとらざるおえないと発表します。

2002.10.17
ブッシュ大統領とシャロン首相はホワイトハウスで会談をしました。その時、もしアメリカとイラクが戦争になり、イラクがまたイスラエルに対しミサイルなどで挑発攻撃に出た場合、イスラエルは反撃も可なりとブッシュ大統領は語りました。
ちなみにイスラエルは核を持っています。イラクは以前見つかった化学兵器は処分されたので、今はどうなっているのでしょう。

2002.10.12
昨日のことです・・・。ハマスの自爆テロで1人死亡、30人が負傷しました。もちろん特攻隊員も死亡しました。なぜなら彼の腰に巻いた爆弾ベルトを爆破したからです。
犯人は爆弾ベルトを巻いてバスに乗り込んだのですが、運転手が爆弾ベルトに気づき乗客の1人とともに犯人の腕をつかみバスから降ろし、取り押さえていました。
犯人が爆破のスイッチを押したら終わりです。運転手は乗客にバスから降りて離れるように言います。乗客が離れたことを確認して、2人は犯人から手を離しダッシュします。
犯人は起き上がり少し歩きましたが、目的が達成されないと悟るとその場でスイッチを押しました。しかし、爆弾の威力はすさまじく、71歳のおばあちゃんを殺してしまいました。

2002.10.09
みなさまこんにちは、作者の近藤虎之介でございます。本日はみなさまにお礼を申し上げたく表のほうに参上つかまつりました。
ゲストブックへのご記帳やメールでの励ましのお便りをいただき、誠に感激しております。これからも末永くご愛好のほどをよろしくお願いいたします。
このサイトの秘密をここで暴露したいと思います。このサイトはカウンターをつけており、訪問者様の数がわかるのですが、先月、月間最高値を更新いたしました。ありがとうございます。
そして、秘密と申しますのは、2001年9月の数値でございます。例のテロのおかげでカウンターの数値は前月比の10倍に跳ね上がりました。そして、その数値とはなんと”911”だったのでございます。偶然ではない・・・このサイトはアッラーのご加護があるとしか考えられません。ああ、ありがたや。
そして、最後にお願いでございます。このサイトや中東に関してのご質問は誠にお手数とは存じますが、メールのほうへお願いいたします。ゲストブックは構造上お返事できかねるのでございます。
E様にはこちらでお答えさせていただきます。”原理主義国家をアメリカが倒すということはアメリカはソ連との戦いを終え、今度は敵が世界のイスラームとなった”ということです。
それでは、また。とら

2002.10.08
昨日の夜、ガザでハマスとパレスチナ自治警察が衝突しました。これにより、2人死亡、15人が負傷しました。
この衝突の原因は月曜日の朝に起こった暗殺です。覆面をした男たちがパレスチナ自治警察の暴動対策室長ラゲ・アブ・レヒバ(Rageh Abu Lehiya)大佐が乗った車を銃撃し暗殺したことから始まりました。大佐は去年、ハマスが行ったラディン師を支持するデモを取締った指揮官だったのです。
ガザは衝突のあと、両者の気づかいで静寂を保っています。

2002.10.07
昨日、ユダヤ人入植者たちがパレスチナ人の農夫たちを銃撃し、1人が死亡しました。IDFのオフィサーは非公式ですが、若い入植者たちの集団のことは知っていたが、この攻撃を予知できなかったと語りました。

2002.09.28
IDFのヘリがハマスの活動家の乗っている車に対して、ミサイル攻撃を行ないました。狙ったのはムハンマド・ディフ Mohammed Defでしたが、本人は重傷ながらも死亡していない模様です。

2002.09.20
昨日(木曜日)テルアビブのダウンタウンでバス自爆テロがありました。5人死亡、60人重軽傷が重軽傷をおいました。アルアクサの殉教者、イスラミック・ジハードおよびハマスが犯行声明を出しました。
これに対し、イスラエルはラマラーのアラファト議長のオフィスを取り囲みました。

2002.09.19
昨日、イスラエルで警察が2人組みの男を職務質問をしたところ、1人が突如自爆しました。これで警察官が1人死亡です。アル・アクサの殉教者(団)が犯行声明を出しました。
ハマスは(犯行声明が出される以前に)久しぶりのイスラエル国内での自爆テロを歓迎し、すべての攻撃はイスラエルの占領に対するものだと発表しました。

2002.09.14
IDFはテロリストがガザから砂漠に向けて新たなロケットの発射を行なったと発表しました。カッサムロケットのグレード2は射程距離が5キロでしたが、今回の新型は射程距離12キロと思われます。
ロケット発射はヒズボラがレバノン国境を超えてイスラエルに撃ちこんでいますが、パレスチナ自治区へ持ち込まれたということは、イランからの密輸船が発見されずに到着したと言う事です。

2002.09.10
ユダヤ教の新年を狙って、ハマス、タンジーム、PFLPなどが攻撃を行なう事をうそぶいていましたが、シン・ベットはいくつかのテロを未然に防ぐ事が出来ました。
そして、IDFも月曜日にガザとウエストバンクで作戦行動をとりました。この作戦間に2人のパレスチナ自治政府の警官がIDFの銃撃で死亡しました。誤射ではなく、逮捕しようとして銃撃になったということでした。

2002.09.05
 明後日からユダヤ歴での新年です。これを狙ったテロが起こるであろう事は予想されます。そして、火曜日の早朝、検問(イスラエルではどこにでもある)での停止を無視し逃走した2台の車がありました。
 警察がこの車を発見し、中を捜索すると、なんと600Kgの爆発物が搭載されていました。もし、これが爆発させられていたらインティファーダ発生以来の最大の被害が出ていたであろうと思われます。

2002.09.01
 ヘブロン近くの入植地で4人のパレスチナアラブ人がIDFに射殺されました。射殺した後、死体を調べるとフェンス切断用のはさみを持っていましたが、武器は所持していませんでした。
 このためテロリストではなく一般人だと言う事になったのです。

2002.08.30
 イスラエル北部国境でヒズボラとIDFが小規模な戦闘を行ないました。ヒズボラが国境付近に侵入し対戦車ミサイルを発射し戦闘が開始されました。この戦闘でIDFは3人が負傷しました。
 IDFはヒズボラが逃げ込んだと見られる村に野砲と戦闘機でもって攻撃を仕掛けました。
 レバノンから完全に撤退したIDFですが、ヒズボラは依然として攻撃をやめません・・・。

2002.08.26
 8月4日のバス自爆テロに協力したとして、7人のアラブ人が逮捕されました。アラブ人といいましたが、イスラエル国籍のアラブ人です。つまりイスラエル人の中の20%ほどのアラブ人です。パレスチナに住んでいるアラブ人ですが、イスラエル占領地民のいわゆるパレスチナアラブ人ではありません。このテロはイスラーム過激派のハマスが実行したものであり、協力した彼らもイスラームであると思われます。
 つまり、国家より宗教をとったという事ですね。悪い事ではありませんが、イスラエルにとってはやりづらいですね。

2002.08.20
 パレスチナ自治区へ侵攻しているIDFですが、昨日ベツレヘムから撤収しました。これは、自治政府との交渉でテロリストの取締りを自治政府側が強化する事でとりあえず合意に至ったのです。
 このときガザとベツレヘムから撤収するという案があったのですが、ガザにいるイスラミックジハード、ハマス、アル・ファタ、アルアクサの殉教者を抑える事が現実的でないので、ベツレヘムだけからという事になったのでしょう。
 さらに、IDFはトルカレムへ侵攻し、銃撃戦がありましたが、けが人はありませんでした。

2002.08.16
 昨日、ガザでアル・ファタのデモンストレーションがあり、”アメリカはイスラエルへ武器を与えて、パレスチナ人を攻撃している。今度はイラクを攻撃するつもりでいる。そうなれば、我々(パレスチナ人)は義勇兵を送る”とアメリカを非難しました。 

2002.08.06
 昨日の夜、イスラエルのアタックヘリがガザにある、ハマスの極秘兵器工場を攻撃しました。三発放ったミサイルで四人が軽症を負いました。
 報復は報復を呼んで、終わり無き報復合戦が続きます。

2002.08.04
 今日の朝(イスラエルの時間)、イスラエルのバスが爆発しました。10人死亡、40人重軽傷です。ハマスが犯行声明を出しました。これは先日のイスラエルによる、ハマスのイザ・ディン・アル・カサムのリーダーであったシェハダ氏暗殺に対する報復でした。
 さらにカミカゼの2時間後、アルアクサの殉教者(団)がエルサレムで銃撃を敢行し、2人死亡、14人が重軽傷を負いました。犯人はその場で2人とも射殺されました。犯人の1人は19歳でした。

2002.08.01
 エルサレムのヘブライ大学の中のカフェで爆弾が炸裂しました。アメリカ人、フランス人を含む7人死亡、86人が重軽傷です。学生カバンに爆弾が仕込まれ、置いてあったので、気付かなかったのでしょう。ハマスが犯行声明を出しました。

2002.07.23
 今日の朝、IAFのF−16がガザにあるハマスのイザ・ディン・アル・カサムのリーダーであり、イスラエルのブラックリストのトップを飾るサラ・シェハダ Salah Shehadaの家を爆撃しました。この攻撃で本人と家族を含む10人が死亡し、40人が重軽傷を負いました。

2002.07.18
 自爆テロはしょっちゅうあるイスラエルですが、一応は報道され、テレビも特番になるのです。そして、またイスラミック・ジハードによる自爆テロです。テル・アビブのバスステーションで、2人で自爆しました。その方が一人が捕まってももう一人が自爆できると言う事なんでしょうか。
 3人死亡(内2人は外国人)、30人が重軽傷です。

2002.07.15
 さーてさて、IDFの参謀総長が交代しても作戦は続きます。ハマスのテロリストとして、イスラエルがブラックリストに載せていたユソフ・アブドゥル・ワハブ Yusof Abdel Wahabを狙って、F−16がガザの拠点を爆撃しました。
 この攻撃で2人死亡しましたが、その中にターゲットは含まれていませんでした。ユソフ氏はこの攻撃の数分前に建物から出ていたのでした。
 ちなみに1人を狙って市街地へ爆弾を落とすなんて他の国が行なえば国連の制裁を受けかねませんが、イスラエルは平気でやります。なぜか!?アメリカも同じことをやってるからです〜。

2002.07.10
 IDFの参謀総長が交代です。モシェ・ヤーロン中将(Rav Aluf : Moshe "Bogie" Ya'alon)が就任しました。前任のシャウル・モファズ中将はデフェンシヴシールド作戦を指揮し、今回のディターマインドパースも指揮しました。ヤーロン新参謀総長はこの作戦を継続していく方針だそうです。

2002.07.05
 昨日7月4日はアメリカの独立記念日でした。アル・カエダがテロを起こすという噂があり、アメリカではかなり厳重な警備体制だったそうです。
 しかし、ロス・アンゼルス空港でエル・アル航空(イスラエルの航空会社、世界一ハイジャックが難しい)のカウンターに対して銃が乱射され2人死亡、6人負傷という事件が発生しました。
 アル・カエダと関係ありそうでなさそうな微妙な関係です。

2002.07.04
 ガザでPSSとハマスのサポーターが衝突しました。ハマスのサポーターは先日イスラエルに暗殺されたリーダー達の復讐にイスラエルに協力した犯人を死刑にしろと叫んでいました。
 PSS側が発砲しけが人が出たようです。
 パレスチナアラブ人の中にもイスラエルに協力する人たちがいるのです。本業のスパイではなく、協力者=エージェントと言いましょうか。

2002.07.03
 アメリカのパウエル国務長官が改めてアラファト議長の不支持を発表しました。イスラエルのバラク元首相も”アラファト議長はうそつきだ”と発言しました。元国家元首が他国の国家元首に対して言う言葉としてはきついです。

2002.06.25
 アメリカのブッシュ大統領はパレスチナの独立には新しいリーダーが必要だと言い放ちました。これはアラファト議長がテロを止める力がない事をあらわしています。

2002.06.24
 本日で6日目になったオペレーション ディターマインド パースです。イスラエルの攻撃ヘリコプターがハマスの活動家が乗ったタクシーをふっ飛ばしました。
 テロの撲滅をめざして侵攻したイスラエルですが、占領も辞さないということです。

2002.06.20
 EUはテロリストグループのリストにユダヤ過激派のカハネ・カイを追加したと発表しました。もちろんユダヤ人にも過激派はいるのです。さらに、PFLPとアル・アクサの殉教者も追加されました。
 PFLPが認定されていなかったとは。

2002.06.16
 ガザでテロリストの掃討作戦を行なっている、IDFのサヤレト・ギヴァティとハマスのイザ・ディン・アル・カサムの撃ち合いが発生しました。
 この撃ち合いでギヴァティ側の兵士が2人死亡、4人が重軽傷を負いました。アル・カサム側は4人くらいで攻撃してきたようですが、1人が死亡しあとは逃亡したようです。

2002.06.11
 先日からラマラーに侵攻しているIDFは、パレスチナ人の特攻隊員など、テロリストを逮捕したみたいです。
 いくら特攻隊員を逮捕しても、志願者はいくらでもいるわけなので根本的な解決にはなりません。まあ、イスラエル側もそれは心得ているのですが、逮捕しないわけにはいきませんからね。
 この作戦でなんと、爆弾カーが発見されました。先日のようなテロを計画していたのでしょう。

2002.06.06のニュースU
 アラファト議長のオフィスを取り囲んでいたIDFですが、議長のベッドルームに砲弾を落下させてしまいました。意図的なのか偶然なのかわかりませんが、IDFは今回の侵攻はアラファト議長の暗殺が目的ではないと言っています。
 そして、六つの建物を爆破したIDFは撤収しました。

2002.06.06
 昨日イスラエル北部でカミカゼがありました。お客はIDFの兵隊さんを乗せたバスがテルアビブに向けて高速道路を走行中に、バンが接近してきて自爆しました。これによりバスは完全に破壊され17人が死亡しました。
 このテロに対してイスラエルはラマラーのアラファト議長のオフィスに侵攻し、またしても取り囲みました。まだ中までは侵入していませんが、撃ちあいは発生しました。
 ちょうど前回議長が解放されてから五週間ぶりの事になります。

2002.06.04
 本日はPFLPのリーダー、サダット氏のお話です。
 パレスチナ自治政府によって逮捕されたサダット氏ですが、イスラエルにとってはのどから手が出るほど捕まえたい人物であります。なぜなら、イスラエルのゼエビ観光大臣を暗殺した首謀者だと思われるからです。
 そして、イスラエルはパレスチナ自治区に侵攻し、アラファト議長のオフィスを取り囲んで、サダットを渡せと言っていました。
 しかし、アラファト議長がサダット氏を引き渡すと、きっとパレスチナ人から裏切り者と呼ばれるでしょう。そんな事はできるわけありません。
 それを見かねて、アメリカとイギリスがイスラエルの代わりに引き取るから、と言ったのです。
 そして、議長は解放されたのでした。
 ところが、アメリカとイギリスの監視下にあるはずのサダット氏は面会謝絶でもなく、かなりの自由行動をとっているということが判明しました。
 しかもパレスチナ最高裁が、サダット氏は無実であるとしました。しかし、パレスチナ自治政府はサダット氏の釈放を認めないと発表しました。
 で、結局サダット氏はエリコの監獄に収監されています。

2002.06.02
 IDFはウエストバンクへ侵入し、テロリストの掃討を行なっています。もちろん市街地で撃ちあいになる事もしょっちゅうで、危なくてしょうがありません。なんせテロリストではない市民のほうが人数は多いのですから。
 市民の生活はどうなっているのでしょう。

2002.05.28
 昨日、ペタ ティクヴァのカフェで自爆テロがありました。一歳の子供とそのおばあちゃんが死亡、両親は負傷しました。アル・アクサの殉教者(団)が犯行声明を出しました。
 一方、ジェニンで銃撃戦をやったIDFはハマスやタンジームのテロリストを逮捕しました。IDFの国境警備隊です。

2002.05.27
 IDFは週末にベツレヘムとトルカレムに侵入し、テロリスト狩りを行ないました。これは、ディフェンシヴシールド作戦ではテロリストを完全に逮捕していない、と言う事ですね。
 そして、大した戦果もなく撤収した後に、今度はカルキリヤに侵入しました。これは昨日の日曜日の事です。
 IDFはこれでも戦果が上がらなければ、作戦地域を拡大すると言っています。

2002.05.23
 モサド関係者の”Y”氏が語ったところによると、ラディン師がユダヤ人へのテロを計画していると言う情報をつかんだようです。イスラエル以外の国にあるユダヤ人のコミュニティーはディアスポラと呼ばれますが、ディアスポラへ注意を呼びかけているようです。
 なんせラディン師の活動場所は世界中であり、ユダヤ人がいるのも世界中です。どこが狙われるのかはわかっていないみたいですね。 

2002.05.21
 PFLPから分離した小さいグループにPFLP−GCと言うのがございまして、ダマスカスに本部をおいて活動しておりました。そのリーダーはアハメド ジブリルと言う方ですが、その息子がベイルートで爆殺されました。名前はジハード ジブリル(41)と言うそうです!
 活動としてはレバノンからパレスチナ自治政府に武器の密輸などを行なっていたようで、彼の父アハメド ジブリルは、息子はモサドによって殺されたと言っています。
 イスラエルはこういうことに関わっていたとしても、絶対にコメントは出しません。言い訳さえもしないのです。完全秘密主義なのです。

2002.05.20
 昨日、イスラエルのネタニヤで自爆テロがありました。青空市場での自爆で、3名死亡(特攻隊員含む)と56名重軽傷です。PFLPが犯行声明を出しました。
 PFLPはいわゆる共産主義のグループですが、なぜこのイスラームのジハード的な自爆テロを行なうのでしょうか?イスラーム過激派組織とは少し違うはずですが・・・。

2002.05.17
 IDFは昨日、ガザとエジプトを結ぶ密輸トンネルを爆破しました。このトンネルは今年見つかったもので、長さが250Mもありました。密輸と言っても運ぶものは麻薬ではありませんよ。武器です。
 もちろんエジプト側からガザに運び込まれていたのです。この武器で、パレスチナ人の過激派はIDFと戦っていたのです。

2002.05.15
 ベツレヘムでの教会たてこもりの犯人達は、EUが身柄を引き受ける事で解決し、主だった犯人13人はとりあえずキプロスへ輸送され、その後の受入先を決定しすると言う事でした。
 EUは解決のため犯人を受け入れると言ったものの、テロリストを好んで受け入れる国なんてあろうはずがありません。そのため、とりあえずキプロスに移動させ、ユダヤ教、イスラームとキリスト教の対決を回避したのです。犯人はホテルに収容され、もちろん面会謝絶です。
 そして、結局ベルギー王国、ギリシャ共和国、アイルランド共和国、イタリア共和国、ポルトガル共和国とスペイン王国が受け入れを決定しました。

2002.05.13
 リクード党は先日の総会で、ネタニヤフ派が提出したパレスチナ独立反対を、投票によりシャロン首相の反対をしりぞけリクード党の方針として決議されました。しかし、シャロン首相は今後も今の政策は変わる事はないとしています。
 やっぱり、セージの話はいやだなぁ。
 一方アラファト議長はIDFから解放されたあと、初の自治区内視察に出ました。そして、ベツレヘムの教会たてこもり事件の場所も視察しました。

2002.05.11
 昨日ベツレヘムの教会たてこもり事件が38日ぶりに現場としては解決しました。たてこもっていたパレスチナ人テロリス達は国外退去という形で決着がついたのでした。
 しかし、受入先のヨーロッパ諸国はすぐにOKを出したわけではありません。なんせ、テロリストを受け入れるんですから大歓迎な訳ありません。EUとしてはパレスチナ自治政府は支持していても、テロリストを支持しているわけではないからです。
 で結局、13人の主要容疑者はとりあえずキプロスに移動と言うことになり、教会から出てきました。そして、武装解除の後、イギリスの軍用機でキプロスへ運ばれました。
 キプロスはとりあえず彼らを受け入れたのですが、それは一時的なもので、この後はまだどうなるか決まっているわけではありません。
 とりあえず受け入れに合意している国はイタリア、オーストリアとスペインですが、全員を受け入れたくはないのです。そして、月曜日にEU外相会議を開き、今後の対策を協議するそうです。
 ちなみに、その他26人の容疑者はガザに移動し、84人の市民も解放されIDFもベツレヘムから撤退しました。

2002.05.05
 ハマスは、イエメンのサレハ大統領が自爆テロに賛同していると語りました。
 サレハ大統領はイスラエルがパレスチナ自治区に侵攻した時、他のアラブ諸国にパレスチナ人の抵抗運動に力を貸すようにと発表しています。
 さらし、ある筋によるとサレハ大統領はパレスチナ自治政府に対し多額の資金援助をしているとのことです。単なる資金援助なら良いのですが、ハマスやイスラミック・ジハードへの資金援助として送られているようです。

2002.05.03
 本日はキリスト誕生の地ベツレヘムでの教会篭城の話。
 アラファト議長も解放されたと言うのに、ベツレヘムの教会にはまだテロリストがたてこもっています。人質は少しずつ脱出していますが、まだ全員ではないようです。人質が完全にいなくなると、IDFも突入するのかと言うとそれはわかりません。
 なんせ、ユダヤ教の軍隊がキリスト教の教会に突入するとなるといろいろしがらみがあるわけなのです。
 この件に対しバチカンは使者を派遣し、問題の解決にあたるそうです。しかし、イスラエルはともかくアラファト議長がこのテロリスト達に対して影響力があるのかどうかは疑問ですね。

2002.05.02
 ディフェンシヴ シールド作戦が終了した後も、ラマラーでアラファト議長を取り囲んでいたIDFでしたが、極右政党のゼエビ観光大臣を暗殺した犯人の身柄を引き渡せと言っていたのです。
 しかし、アラファト議長はこっちで逮捕したのだからこっちで裁判をやると言って聞きませんでした。
 そのため、議長はラマラーのオフィスにいるところをIDFに侵攻され、そのまま取り囲まれたので監禁状態にあったのです。
 で、結局犯人をアメリカとイギリスに預けることで、IDFとアラファト議長は合意しました。そして、本日IDFはラマラーから撤退を始めました。
 ちなみにこの犯行(イスラエル側から見たら犯行)はPFLPの仕業でした。パレスチナ自治政府が逮捕していたメンバー6人のうち4人はPFLPです。そして、リーダーのアハメド・サダットも含まれています。そりゃあイスラエルも欲しいでしょうね。

2002.04.30
 ヘブロンへ侵攻しているIDFですが、テロリストの拘束が目的です。しかし、一般市民にも死者が出ているようです。市街地で銃撃戦になったらこういうことも起こりうると言うことです。
 もっとも、テロリストがテロリストらしい格好をしているわけでもないので、見分けはつかないでしょうけど・・・。
 中国戦のときの日本軍、ベトナムの時のアメリカ軍やその他の市街戦でも同じ事が起こっているし、IDFの兵士はこう言うでしょう。
 「テロリストか市民か見分けがつかないんだよ!市民かと思って油断したら撃たれちまう!」と。
 つまり、兵隊さんも引き金を引きやすくなると言うことですね。

2002.04.29
 IDFがヘブロンに侵攻し、テロリストの逮捕を行ないました。これは、ヘブロンのイスラエル植民住宅エリアで、ハマスによって四人が殺害された事件に対する報復でした。

2002.04.26
 ガザの戦闘でIDFに撃たれて死亡した少年、13歳が2人と15歳が1人、という事件がありました。
 この銃撃戦があった場所はハマスの拠点であり、ハマスが少年兵を使っていると言う疑いがあります。
 これに対しハマスは”そのようなことはもちろんない”と発表しました。PSSも”イスラエルの攻撃があるときは親や学校の先生そして、町会長さんなどを通じて避難勧告をするので、少年たちは親に連れられ安全な場所に避難するはずだ”と言っています。
 しかし、少年達が志願してやったのか、単に逃げ遅れていたのかはわかりません。どちらにせよ、ある日、不意に亡くなってしまいました。
 こういうことがあるからIDFの兵士もパレスチナ自治区に配属されるのを嫌うのでしょう。もっともですね。

2002.04.24
ヘブロンでアル・アクサの殉教者(団)のリーダーMarwan ZalumがIDFにより暗殺されました。暗殺と言いますか、アタック・ヘリがミサイルで車ごとふっ飛ばしました。派手ですねー。
 こういう暗殺はヘリから車に乗っている人物を判別することはできません。攻撃するヘリは本人の顔を確認できない状態で攻撃している訳ですが、よく誤射がないものと思います。
 きっと、情報部がきちんと敵の行動を把握して軍に知らせているので正確な攻撃ができるのでしょう。

2002.04.23
 ジェニンへIDFが侵攻中にパレスチナ難民キャンプで”虐殺”があったということで、国連から調査団が派遣されるようです。
 まあー、ねぇー。どーなんでしょう。緒方貞子さんもメンバーに入っています。
 そして、IDFはラマラーのアラファト議長のオフィスとベツレヘムの教会にたてこもる、テロリストは取り囲んだままです。教会にたてこもるイスラーム(たぶん)ってのもすごいです。
 バチカンはどう思っているのでしょう。

2002.04.22
 IDFのOperation Defensive Shieldはナルブスとラマラーからの撤収をもって終了という事になりました。
 しかし、ラマラーのアラファト議長のオフィスはまだ包囲しています。
 今回の作戦で29人の戦死者が出ました。しかし、IDFはそれなりの戦果を上げたようです。なんせこの作戦間でIDFは合計4,258人のテロリストを逮捕したのですから。 

2002.4.13
 エルサレムのマーケットで自爆テロ。また女性です。まーねー、これじゃあシャロン首相も態度を硬化させるでしょうねぇ。あ、このシト最初から硬いんだった。

2002.4.11
 イザ・ディン・アル・カサムを率いるアクラム・アル・アトラッシュ(Akram al-Atrash)がIDFとの銃撃戦で戦死しました。
 ジェニンの難民キャンプでもテロリストが降伏しているし、国際世論もさすがにやばくなってきたみたいですが、シャロン首相は作戦はまだ終わらないと言っております。

2002.4.10
 イスラエルのハイファ付近でバスに乗った特攻隊員が自爆しました。八人死亡、十七人が重軽傷です。パレスチナ自治区から撤収しようとしているイスラエルに対し、こんなことをすれば、また侵攻作戦が長引くだけだと思いますけどねぇ。
 もう少し、駆け引きというものがありそうですが、自爆をする殉教者の方はそんなことより自分の使命を果たすことこそ喜びなのでしょうね。

2002.4.9
 パレスチナ自治区のベツレヘムへも侵攻しているイスラエルですが、国境警備隊が建物の屋根から付近を偵察していたところ、教会から鐘を合図に銃撃を受けました。この教会というのはキリスト教の教会です。
 もちろん、IDFが駆けつけて撃ち合いになり、パレスチナ人1人を射殺して戦闘は終了しました。
 この件について、バチカンはイスラエルに対し深い遺憾の念を表明しました。なんせ、イエス・キリスト誕生の聖なる地ですからねぇ。まあ、でも、撃たれたらどこであろうと撃ちかえしますよねぇ、きっと。

2002.4.8
 イスラエルはアメリカのブッシュ大統領に気を使って、テロリストの脅威がないと判断された町から徐々に撤収するということです。しかし、イスラエルの北部ではレバノンからヒズボラがロケット弾を打ち込んできて、IDFの兵士が負傷しました。まさか、今度はまたレバノンへ侵攻なんてことはないでしょうねぇ。

2002.4.3
 さて、イスラエルはパレスチナ自治区への侵攻を拡大しました。つまり、包囲している町を増やしたということです。ここらへんがイスラエルとパレスチナ自治区との関係がわかりづらいところですねー。
 戦争をしているのであれば、攻め込んで占領してしまえばよいのですが、それだと以前の形態に逆戻りです。現在のような事の繰り返しだと、パレスチナ自治政府の先行きはまったく不安です。

2002.4.2
 さて、ラマラのアラファト議長を取り囲んでいるIDFですが、さすがに強硬派のシャロン首相も殺せとはいえないみたいです。このイスラエルの行動にヨーロッパは深い不快感をしめしています。

2002.4.1
 実は、最近イスラエル国内でテロが頻発していまして、このコラムでは大きいもののみを紹介していました。しかし、実は紹介しきれなかったのは一つや二つではなかったのです。あっちこちで自爆や銃の乱射が起きていました。
 で、イスラエルがそのテロ頻発に対して、IDFを自治区に侵攻させました。イスラエルの言い分は、テロリストの確保だそうです。でも、パレスチナ自治区の人々は戦車が押し寄せてきた時の恐怖は戦争と同じでしょう。
 そうそう、イスラエル国防軍(IDF)をヘブライ語で発音するとツァハルです。まあ、このサイトでは基本的にIDFと表記します。

2002.3.30
 エルサレムのスーパーで女性による自爆テロが起こりました。2人死亡し22人が負傷しました。この女性というところがミソで、女性はテロを起こす対象としては珍しいのです(イスラーム原理主義では)。このため警戒を逃れることが可能なのです。今後、頻発するかも。でも、取り締まりもどんどん厳しくなる一方でしょう。
 パレスチナ・アラブ一般市民の生活もテロによって、不便なものなのでしょう。一般の人はテロとは関係ないのに、検問は受けるし、戒厳令は出るし、商売あがったりでしょうね。

2002.3.29
 アラブ首脳会談が27日にレバノンの首都ベイルートで始まりました。とはいえヨルダンのフセイン二世陛下とエジプトのムバラク大統領が欠席しました。しかし、アラブのトップが一堂に会すこのイベントはすごいです。もちろん議題は現在のイスラエルとパレスチナ自治政府の争いです。

2002.3.25
 ヨルダン国境から進入を試みたテロリストがサヤレト・ゴラニの兵士によって射殺されました。侵入を試みたと言いましても、実際は進入されているのです。それを捜しだして射殺したということは、国境線に張り巡らされている電気フェンスは役に立っていないのでしょうかね。
 まあ、これはテロを未然に防げたのでよかったのですが、テロはこれだけではありません。ヘブロン近郊で走行中の車を銃撃され1人死亡しました。
 実際、イスラエルのユダヤ人はテロリストが待ち構えているかもしれない、と思って行動しているのでしょうか?自分が死ぬかもしれないという感覚はないかもしれませんね。交通事故にあうのと同じ感覚かもしれません。

2002.3.22
 エルサレムでバスの自爆テロにつづいて、また自爆がありました。今度は街中で自爆し、三名が死亡しました。もちろん自爆した本人を含めると四名ですが・・・。そして、アル・アクサの殉教者が犯行声明を出しました。
 自爆した殉教者は22歳の青年で、先週刑務所を出所したばかりでした。

2002.3.20
 またカミカゼ・ストライクによってバスが爆破されました。最近では特に珍しいことでもないですが・・・。
 最近では怪しい行動を取っている人物を取り押さえたら、自爆を狙っていたということが結構ありますが、今回は生き残ったバスの運転手によると、まったく普通の青年で気づかなかったと話しています。
 ちなみにイスラミック・ジハードが犯行声明をだし、この殉教者は24歳の青年だということです。インシャラー。

2002.3.16
 パレスチナ過激派が走行中の車に対し銃撃を加えるというテロが日常化していますが、なぜユダヤ人の車と判別できるのでしょうか。それは、イスラエル国内ではアラブ人のユダヤ人の差別化がはかられており、車のプレートでそれが判別できるのです。ユダヤ人プレートをつけている車に対して銃撃をしているのです。

2002.3.15
 今回の戦闘はイスラエル国防軍とパレスチナ自治政府がやっているとはいえ、戦争とか内戦とか呼べるものではありません。なぜならば、相手があくまで市民の過激派だからです。
 なんと、ガザで地雷によるイスラエル国防軍の被害がでました。これは、戦車が地雷を踏んで付近にいた兵士が死傷したものです。問題は地雷がガザのような市民の生活の場で使われたことです。
 地雷最悪! 

2002.2.11
 昨日、ガザからイスラエル向けてミサイル攻撃がありました。今までレバノンからヒズボラゲリラがイスラエル国内へ越境ミサイル攻撃をすることはありましたが、パレスチナ自治区からは初めてのことです。

2002.2.5
 イスラエル国防軍の兵士はヒズボラゲリラとにらみ合っていて、戦死の確率が高いイスラエル北部への出征を希望する人が多いそうです。これはパレスチナ自治区だと相手が投石をする少年たちや、一般市民と見分けがつかないゲリラであり、やっぱり銃を向けている自分がいやなのでしょう。なんということ。

2002.1.10
 イランからパレスチナへの武器密輸船を拿捕したイスラエルでしたが、なんとその船にはパレスチナ自治警察官も乗り込んでいました。この船の船長の証言によると武器はイランからPLOへのものでありました。

2001.12.23
 21日の金曜日にガザのパレスチナ警察に向けて、銃撃がありました。イスラエル軍ではありません。なんと、イスラミック・ジ・ハードです。これは、パレスチナ警察がイスラエルの圧力によって、イスラミック・ジ・ハードとハマスの取締りを強化していることへの報復でした。ハマスもパレスチナ警察署の前でデモを行なうなどして抗議しています。

2001.12.21
 シン・ベットはゼエビ観光相暗殺に関与したとされる三人の容疑者を逮捕したと発表しました。この三人はいずれもPFLPのメンバーでした。

2001.12.20
 イスラエル政府はPLOを今後、パレスチナの代表組織として認めないと発表しました。アラファト議長がテロを抑制しないことに憤慨しての事です。アラファト議長はハマスやイスラミックジハードにテロの停止を命令しましたが、両組織はまったく聞く耳をもちません。しかも、アラファト議長直属のアル・ファタがテロを起こし、犯行声明を出す始末です。
 いままで、イスラエルがアラファト議長を暗殺せずにいた理由は、議長が穏健派だからでした。殺してしまうと彼以上の危険人物が議長になり、テロがさらに激しくなるという判断でした。しかし、もう今回は見限ったようです・・・。

2001.12.12
 アラファト議長はアメリカのイスラエルよりの態度に対し、私はビン・ラディンではないと発言しました。さらにアメリカからの圧力に辟易しているパレスチナ自治政府ですが、以前はパレスチナよりであったEUも、外相会議でパレスチナ自治政府に対し過激派の取締りを強化するように声明を出しました。しかし、まだカミカゼは収まらないようです。

2001.12.4
 イスラエルで2日、自爆テロが相次ぎ、かなりの被害がでてしまいました。このテロに対してイスラエルは、ガザ地区の空港とヘリを破壊しました。これはアラファト議長が外国ばかり訪問せず、国内のテロを取り締まれとの警告のようです。
 そして、イスラエルはPLOをテロ組織と認定しました。せっかくパレスチナ人の代表としての地位を築いたPLOですが、また以前の形態にもどるのでしょうか?
 だいたい、アラファト議長直属のアル・ファタが犯行声明を出さなければ良いと思うのですが、何でアピールするんだろう?

2001.11.27
 イスラエルのシャロン首相を暗殺しようとしていた容疑者が逮捕されました。しかも、アル・ファタが関与を認め、今後も首相の生命を狙うと発表しました。
 首相の自宅はイスラーム地区にあり、なんと隣人も抱きこまれていました。

2001.11.27
 WTCビルへの神風ストライクはこのインティファーダと係わり合いがあるのでしょうか。ハマスのヤシン師は特に係わり合いはないがアメリカは受けるべくして受けたといっていました。
 ラディン師も宣伝ビデオの中でアメリカはパレスチナから手を引けと言っていましたが、これは前からずっと言っているので特に今回はと言うわけではないようですが・・・。

2001.11.10
去年の夏から始まった、アル・アクサ・インティファーダですが、すでに自爆テロは100件をこえました。
 イスラエル市民に対しての銃撃も日常茶飯事で、今この国に旅行しようとは誰も思わないでしょう。
 イスラエルはパレスチナのテロが発生すると報復としてパレスチナ自治区へ国防軍を侵攻させ、しばらくすると撤退をするという繰り返しです。
 パレスチナ自治政府はテロは過激派の犯行であり、われわれには関係ないといっていますが、イスラエルは容赦しないようです。
 双方のこの非生産的な行動はいつまで続くのでしょうか。

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