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2005.12.29
今日の朝、パレスチナ自治区ウエストバンクの町トルカレムで、イスラエル国防軍が張っていた検問に現れた特攻隊員が自爆しました。

この特攻隊員はイスラエル国内へ潜入して自爆する計画だったと思われます。今日は、偶然イスラエル国防軍がこのルートを検問していたため、引っかかったのです。タクシーで通りかかった特攻隊員は降車を命じられ、事の発覚を悟ると自爆して果てたということです。

この自爆によって声を掛けたイスラエル国防軍の仕官1人が死亡したのです。さらに付近にいた2人のパレスチナ人も死亡し、その他にも9人が負傷したという事です。

イスラミック・ジハードが攻撃声明を出しました。

一方ガザでは昨日、イギリス人3人がゲリラに拉致されたという事です。パレスチナ自治政府はゲリラと交渉を始めたと発表しました。

先週の21日に誘拐された学校の先生はすぐに解放されたので、ガザで誘拐されたとしても、多分大丈夫では無いかというのが一般的な予想です。イラクの様な事は無いというわけです。

2005.12.28
北海道沖の公海上で日本の漁船と衝突し、救助活動を行わなかった疑いがあるジム・アジアのコンテナ船ですが、イスラエル警察が捜査の状況を発表しました。

事故当時、船長は当直しておらず(つまり寝ていた)、ブリッジにいたセルビア・モンテネグロ人のセカンドッサー(二等航海士)に過失の疑いがあるようです。レーダーで第3新生丸を発見した後、船長を起こす事が規則でしたが、セカンドッサーはこれをせず、そのまま操船を行っていたと言うことです。

昨日の夜、レバノンからイスラエルに向けて、カチューシャロケットが発射され、キリアト・シャモナに着弾し民家1棟が被害を受け、電線も切れたのか周辺が停電しました。人的被害はありませんでした。

イスラエル空軍がこの攻撃に対し、レバノンへ越境し、ゲリラ訓練基地へ空爆を行いました。ターゲットになったのはPFLP−GCの訓練基地でした。PFLP−GCは、イスラエルの攻撃の後、我々はロケット攻撃は行っていないと発表しました。ちなみにヒズボラも攻撃を否定しました。

2005.12.22
今日の朝、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、ナブルスで作戦を行ったイスラエル国防軍は、ゲリラ3人を射殺したと発表しました。

このゲリラはイスラエル国防軍に隠れ家を取り囲まれ、降伏を求められたが、そのまま逃走を計ったため、射殺したという事です。

死亡したゲリラの1人はPFLPのナブルス管区を取り仕切っていたバシャール・ハラニ野戦司令官Bashar Khalaniだったという事です。

2005.12.21
今日、パレスチナ自治区ガザのガザシティー近郊で、ゲリラがオランダ人のアメリカンスクール校長とオーストラリア人を誘拐しました。車を止められてそのまま連れ去られたと言うことです。

ちょうど昨日、とあるゲリラがパレスチナ自治政府に対して要求を突きつけ、これが呑まれなくば外国人を誘拐すると脅迫していました。しかし、この誘拐はそのゲリラが行ったものではないという事です。

それにしても、外国人の誘拐は何度かあり、ほとんどがパレスチナ自治政府に対する脅迫に使われました。

昨日、ガザからイスラエル国内に向けてロケットが発射されました。このロケットはイスラエル国防軍の野戦基地を狙ったものでした。

ちょうど食事を取って屋外で休憩中だったという兵士等は、ロケット発射の警報が鳴ると逃げ場を失い、パニックに陥ったと言うことです。なぜなら、野戦基地には兵隊達の退避壕が無かったからでした。

結局、この時は5発のロケット弾が発射され、2発が野戦基地内に着弾しました。被害はありませんでしたが、兵士からは退避壕を作れと、クレームが出ていると言うことです。

例えば戦闘中なら、敵の銃弾が飛んでこようとも勇敢に突撃する兵士達も、不意の奇襲にはパニックに陥ると言うことです。まさに、水鳥の飛び立つ音に驚いて逃げ出した平家を髣髴とされるお話です。

2005.12.19
昨日の夜、シャロン首相が体調不良を訴え、病院に運ばれました。搬送中に意識不明になったと言うことですが、病院の発表によると、現在は意識も戻って、検査を受けているという事です。

2005.12.16
今日の早朝、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ヘブロン近郊で、イスラエル人の乗る車に対し、銃撃があり、乗っていた1人の男性が死亡し、2人の女性が負傷しました。

乗っていた男性はウエストバンクの入植地ベイト・ハッガイに住むヨシ・シュウクさん(35)Yossi Shukです。攻撃はイスラミック・ジハードとアル・アクサ殉教者軍団が共同で声明を出しました。

ベイト・ハッガイ自治会の広報によると、銃撃があったのは、数時間前までイスラエル国防軍が検問を行っていた場所だったという事です。ゲリラはイスラエル国防軍が撤収したのをみて、攻撃を行ったと言うわけです。

一方ガザではイスラエル国防軍が攻勢に出て、本日の空爆は13箇所に及び、さらにイスラエル空軍機は、ガザ上空で音速を突破させ、その衝撃波によって威圧も行いました。ガザからは反撃とばかりに、イスラエルに向けて、自家製MLRS(多連装ロケット弾発射システム)による攻撃がありました。

2005.12.15
昨日、パレスチナ自治区ガザで走行中の車に向けて、イスラエル空軍の戦闘機がミサイルを発射、ミサイルは車に命中し、乗っていた4人のパレスチナ人が死亡しました。

死亡したのはPRCのメンバーで、イスラエル国防軍はこの車は爆発物を積んでいたという事です。つまり、彼らはこれからイスラエルの攻撃に向かうところだったという訳です。さらにイスラエル空軍はイスラミック・ジハードのハデー・ハビブ(40)広報官Khader Habib の乗る車にミサイルを発射しました。

しかし、ハビブ広報官はジェット戦闘機の飛行音が聞こえたため、車から飛び出しました。このため、ハビブ広報官は暗殺から逃れる事に成功しました。

そして、今日の夜明け前にも、イスラエル空軍はガザへの攻撃を行い、PRCを攻撃し、武器を隠している建物を空爆しました。

2005.12.13
今日、パレスチナ自治区ガザのイスラエルとの境界付近で農作業中のパレスチナ人の男性に、イスラエル国防軍が戦車から銃撃を行い、この男性は死亡しました。

しかし、イスラエル国防軍は攻撃を否定し、さらにその時間帯は射撃を行った報告も無いと発表しました。

パレスチナ自治区ウエストバンクの町ナブルスで作戦中のイスラエル国防軍ですが、行軍中の部隊の近距離で、爆弾が炸裂しました。この爆発で兵士2人が軽い怪我をしました。またナブルスの別の場所で作戦中のイスラエル国防軍はゲリラと何度も銃撃戦が発生しています。

ナブルスでの作戦では少なくとも13人のパレスチナ人が負傷したと言うことです。

2005.12.12
今日、レバノンで反シリアのジャーナリストで議員のゲブラン・チュエニ氏(48) Gebran Tueniが暗殺されました。走行中の車が爆弾の爆発に巻き込まれて乗っていた3人が死亡したのです。他にも1人が死亡し、30人以上が負傷しました。

チュエニ氏は5月の選挙で当選し、議員となっていましたが、8月に暗殺されると言う情報があり、身の危険を感じたチュエニ氏はフランスに逃げていました。そして、昨日、帰国したばかりでした。当然ですが、乗っていたのは装甲自動車でしたが、爆弾の爆発には耐えられなかったのでした。

しかし、なぜ反シリアの人々ばかり暗殺されるのでしょう。ドルーズ族のリーダー、PSPのワリド・ジュンブラット師はシリアを糾弾しましたが、シリアは暗殺への関与を完全否定しました。

2005.12.09
ブラジルは、ナチス親衛隊でユダヤ人最終解決法の指揮を採った、アドルフ・アイヒマンのナンバー2で、ナチス特別手配人物のアロイス・ブルンナーSS大尉がブラジルに潜伏している可能性があると発表しました。

ブルンナーSS大尉はインタビューで『ユダヤ人は死ぬ必要があった、私は自分のしたことに後悔は無いし、また同じ状況になれば同じ事をするだろう。』、さらに『ユダヤ人をもう1人でも多く殺しておかなかった事を後悔している。』と言い放った人物です。アイヒマンはイスラエルに捕まりましたが、ブルンナーSS大尉は逃亡し続けているのです。

今回、ブルンナーSS大尉ではないかと言われている人物は、スイス生まれでブラジルの永住権を持っています。しかし、その経歴も偽造されたものでは無いかと疑われているのです。この男性はそれからすぐにスイスに旅立ちました。スイスでインタビューに答えた男性はブルンナーSS大尉との関連を全否定しました。

ブルンナーSS大尉は指名手配歴60年!で生きていれば齢95歳です。戦後は多くのナチス高官らがそうしたように、中東の反イスラエル国の一つ、シリアに匿われ大統領特別顧問のような役職についていました。この時、モサドによって手紙爆弾を送りつけられ(一度目で左目を失い、二度目で指を数本失った)、シリアから出て行くよう脅迫されたと言うことです。

その後、90年代にはブルンナーSS大尉は南米へ移動することに成功したと考えられています。と言うのもシリアに対しブルンナーSS大尉を渡せとヨーロッパから圧力が掛かったのです。

しかし、ナチスの生き残りについては噂か本当か分からないというのも実情です。

2005.12.08
昨日、イスラエル空軍の戦闘機がパレスチナ自治区ガザに飛来し、走行中の車にミサイルを発射しました。この攻撃で車は大破し、乗っていたPRCのラファ地区を取り仕切っていた、マハムード・アル・アーカン野戦司令官(29)が死亡しました。

イスラエル国防軍による暗殺です。この攻撃で付近にいた市民10人も負傷したと言うことです。

暗殺されたアーカン野戦司令官は元パレスチナ自治政府海上警察の警察官だったそうですが、後にPRCに入隊し、イスラエルが撤退する前には、ガザとエジプトの国境でイスラエル国防軍に対する攻撃を指揮していたということです。

ガザからはこの暗殺に対してイスラエル国内に向けてロケット弾や迫撃砲が発射されました。イスラエル国防軍はすぐに反応し、ガザを取り囲むように配備している自走榴弾砲が、反撃を行ったと言うことです。

さらに戦闘機も飛来し、ロケットの発射地点に向けてミサイルを発射したと言うことです。しかし、この戦闘による死者は報告されていません。

ゲリラによるロケット発射の様子は写真と動画のコーナーを参照してください。

2005.12.07
昨日、イランのテヘラン近郊で、軍の輸送機が墜落しました。墜落したのはC−130ヘラクレスで、パイロットは不時着をしようと頑張ったようですが、10階建てのビルに翼を引っ掛けてしまい、墜落し、ビルも倒壊したと言うことです。

この事故によって116人が死亡し、16人以上が負傷したと言うことです。飛行機に乗っていたのは84人だったと言う事なので、それ以上の死者は地上にいた人だという訳です。飛行機は取材班を乗せて、軍の演習の取材に向かうところだったと言うことです。

飛行機はエンジントラブルだったと言うことですが、軍は原因(と言うかクレームですが)は、アメリカがイランにスペアパーツを渡さないからだ、と発表しました。C−130ヘラクレスはアメリカ製の輸送機です。

イスラエル空軍のC−130はギャラリーから

2005.12.05
今日のお昼前、イスラエルのネタニヤにあるショッピングセンターの入り口でイスラミック・ジハードの特攻隊アル・クドゥス部隊の隊員が自爆し、少なくとも5人が死亡し、30人以上が負傷しました。

自爆したのはウエストバンク出身のルフィ・アミン・アブ・サレム隊員(21)Lutfi Amin Abu Salemですが、ショッピングセンターで見咎められたサレム隊員は、警官に包囲され銃を向けられた所で、自爆しました。

イスラエル当局はこの攻撃をまったく予測できていなかったと発表しました。

2005.12.03
イスラエルはイランの新大統領がイスラエルに対して敵対発言を繰り返している事に危機感を示しています。イランはミサイルの開発に熱心で、その射程距離はいずれイスラエルに届くという訳です。

イスラエルはこれに対して、MD(ミサイル防衛システム)の開発を急いでいます。昨日にもアロー・ミサイルの発射テストを行ったという事です。

イスラエル海軍は地中海のガザ沿岸で、パレスチナ人の乗るボートに停止を命じました。しかし、これを無視されたため、銃撃を行い撃沈したという事です。乗っていたパレスチナ人は死亡しました。

国防軍によると向こうも反撃をしてきた、さらに陸側(ガザ地区)からも銃撃を受けたという事です。乗っていた22歳のパレスチナ人は釣りをしていたのだと関係者は言っています。

一方、陸上ではガザを見張っているイスラエル国防軍の哨戒班が、国境フェンスを乗り越えようとしていた3人のパレスチナ人を発見しました。彼らに銃撃を行うと、銃弾を受けた3人は逃亡しました。

2人は病院にたどり着き手当てを受けましたが、1人は死亡しているのが発見されました。

2005.12.01
韓国が空中早期警戒機の導入検討していますが、アメリカのボーイング社の早期警戒機が性能も良いのですが、なんとここにイスラエルが売り込みに入ったそうです。イスラエルの売り込んでいる早期警戒機は、ビジネスジェットのガルフストリームをベースにした物で値段も安いので、アメリカも焦り韓国に圧力を掛けているようです。

来月、小泉首相はイスラエルとパレスチナ自治政府を訪問する事になるようです。

昨日、労働党のシモン・ペレス元首相が労働党からの離党を発表しました。先の総裁選でペレツ新党首に破れた事が原因でした。来年の3月に予定されている総選挙では、シャロン首相の新党カディマ党を支持する意向を示しました。

イラクでは、連合軍とゲリラとの戦闘が続いていますが、先月11月9日に自爆した特攻隊員は女性で、しかもベルギー人だった事が判明しました。イラクにはヨーロッパ人のムジャヒディンがいる事は分かっていますが、彼女が始めての特攻隊員となったのでした。

ベルギー人の彼女はムスリムの夫との結婚を機に、イスラームに改宗したと言うことです。そして、その夫もイラクですでに戦死したという事です。

2005.11.26
本日、ガザとエジプトの国境がパレスチナ自治政府によって初めて開かれました。イスラエルが国境の管理を委譲することに不安を持っていた為、イスラエルがガザから撤退してからは封鎖されたままでした。

そのラファ国境検問所がパレスチナ自治政府の管理によって開かれたのです。これでガザの人々も自由に国境を越えられます。この日、国境にはパレスチナ人が殺到しました。

シャロン首相はリクード党内部の分裂に嫌気がさしたのか、リクード党を離脱し新党を旗揚げしました。シャロン首相に同調する党員も多かったため、新党カディマ党は来年の3月に予定されている総選挙で、躍進するとの予想が出ています。

2005.11.25
今週の初め、イスラエルの北部国境へヒズボラが攻撃を掛けて来て戦闘がありました。イスラエル国防軍は反撃を行い戦闘は収束しました。

この時の戦闘で越境してきたヒズボラの決死隊を4人を倒したのですが、彼らの戦死体が、1人はレバノン人によって回収され、残り3人はイスラエル国防軍によって回収されていました。

レバノンは木曜日にイスラエルに対しヒズボラの戦士の遺体を返還するように要請しました。そしてイスラエルは今日、これを受けて国連軍が守るレバノンとの国境で遺体を返還しました。

2005.11.24
昨日の午後、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ジェニンで作戦を行ったイスラエル国防軍ですが、激しい戦闘となりました。

各家々を捜索していた国防軍に対し、ゲリラが銃撃を行ったので、戦闘になったようです。この戦闘でイスラエル国防軍側は3人の兵士が負傷し、ゲリラは11人が負傷した模様です。

その他の町でも作戦を行ったイスラエル国防軍も若干の戦闘を行いましたが、こちらは被害はありませんでした。

一方、月曜日にヒズボラがイスラエルに向けて砲撃を行いました。この攻撃でイスラエル側に11人の負傷者が出ました。イスラエル国境の町では4年ぶりに住民がシェルターに避難したということです。

イスラエル国防軍もヒズボラの攻撃に反撃し、ヒズボラ側は4人の兵士が戦死したということです。火曜日にはイスラエル国防軍がヒズボラの野戦基地に空爆を行いました。

そして、昨日にはイスラエル空軍の飛行機が越境し、レバノンの空にビラを撒きました。市民にヒズボラを支持しない様呼びかけるビラです。

2005.11.21 ガザとエジプト国境検問所ラファについて
ガザから完全に撤退したイスラエル国防軍は、ガザとエジプトとの国境を見張ることが出来なくなりました。撤退する前は、エジプトから武器が密輸されるため、ガザとの国境にフィラデルフィ・ルートと名付けられたデッドラインを設けて、パトロールを行っていたのです。

パレスチナゲリラはこれに対抗して、フィラデルフィ・ルートに隣接する民家を取り上げて、家の中から穴を掘り、エジプトまでの密輸トンネルを作っていました。このルートに隣接する家に住む住人は、ゲリラには脅される、その影響でイスラエル国防軍からも威嚇射撃を受けるので、多数が家を放棄して逃げ出しています。

そういう訳で、イスラエル国防軍としては撤退した後の事を考えて、エジプトにしっかりと取締りをしてくれと頼みに頼んでいました。しかし、国境検問所は閉じたままでしたが、実際にはイスラエル国防軍が撤収すると、ガザとエジプト両方から勝手に越境する人々が絶えませんでした。

イスラエルは国境検問所ラファを国際管理する事を希望していましたが、結局、パレスチナ自治政府が管理し、国際的な監視も行うと発表されましたが、それまでは、自治政府警察とエジプト国防軍が封鎖するということで、どうやら国境は封鎖されました。しかし、なんと封鎖前に越境していた人々が帰れなくなると言う事が発生し、どうしようもないので彼らには特別に再度国境を越えさせました。

そして、やっと先週、関係国同士の合意が取れました。それによると、”ラファ国境検問所はパレスチナ自治政府が管理するが、EUが管理体制を監視する。”、”イスラエルはラファの国境を通過する人々をカメラで監視する事のみ出来る。”、”荷物の輸送は新たに設置された検問所でイスラエルがチェックを行う。”という事です。

2005.11.19
今日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ジェニンで、イスラエル国防軍の検問に引っかかったパレスチナ人の17歳の少年が爆弾を所持していた事がわかり、逮捕されました。この少年が謝って隠していた爆弾を落としたため、バレてしまったのです。

昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ヘブロン近郊で、イスラエル国防軍のパトロールが、地面に寝ているパレスチナ人を発見しました。何かを隠している素振りだった為、兵士はこのパレスチナ人を射殺しました。

イラクで国際旅団イラク・ジハード・アル・カイダを率いるザルカウィ野戦司令官は、先日のヨルダンにおけるカミカゼ攻撃で、イスラームの人々や結婚式を狙った訳では無かったと発表しました。狙ったのはCIAとイスラエルの情報部関係者の会談で、偵察によって両者がその場にいた事は間違いなかった。と言う事です。

そして、ヨルダンは情報関係者の被害について隠しているとも言いました。イスラエルはこの件について、当然ながら『情報関係の件に関してはコメントできない。』と発表しました。

2005.11.18
今日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ラマッラ近郊の村で作戦を行っていたイスラエル国防軍ですが、17歳の少年を射殺してしまいました。この少年は国防軍の兵士に近寄ってきた時に、モデルガンを持っていたので撃たれてしまったそうです。

2週間前にもイスラエル国防軍がウエストバンクの町ジェニンでモデルガンを持っている少年を射殺していましたが、またも発生してしまいました。

2005.11.14
日曜日の夜、ガザの北部からイスラエルに向けて迫撃砲が発射されました。この攻撃の被害はありませんでした。イスラエル国防軍はガザからイスラエルに向けての攻撃に対し、攻撃地点を砲撃します。そのため、ゲリラとしては危険なのであまりイスラエルに接近出来なくなっています。

そのため、最近のガザからの攻撃はイスラエルまで届かないことがあります。今回の攻撃も境界線付近に着弾したのでした。イスラエル国防軍は戦車をガザとの境界に集結させ、ゲリラに対しプレッシャーを与えました。

一方、パレスチナ自治区ウエストバンクのナブルスでは、今日の夜明け前にイスラエル国防軍と警察の対テロ部隊が共同で作戦を行い、8人のハマスのゲリラ容疑者を逮捕しました。この作戦間にゲリラから銃撃を受けたため、イスラエル国防軍も反撃し、銃撃戦となりました。

この戦闘でイスラエル国防軍が狙っていた、ハマスのナブルス管区アムジャド・ハイナウィ野戦司令官(34)Amjad Hinawiが戦死しました。

2005.11.10
昨日の夜、ヨルダンの首都アンマンにある3ヶ所のホテルで爆発が有りました。この爆発で57人が死亡、115人以上が負傷しました。死者の中には確認されただけで、1人のアラブ系イスラエル人と2人のパレスチナ人高級治安当局者が含まれていると言うことです。

爆発が有ったのはラディソンSAS、デイ・イン、グランド・ハイアットの3ヶ所です。高級ホテルのラディソンSASではちょうど結婚式の最中でした。イスラエル人のフサム・ファティ・マハジナ氏(40)Husam Fathi Mahajnaも結婚式に主席していたのでした。

死亡が確認された2人のパレスチナ人はグランドハイアットにいた、パレスチナ自治政府軍情報部(PSS)のウエストバンク軍管区長官バシャール・ネフィ少将Bashir Nafehとアベド・アルム大佐Abed Allunです。

この爆発はイラク・ジハード・アル・カイダが攻撃声明を出し、ヨルダンはキリスト教徒とユダヤ人に協力しているから、攻撃を行ったと発表しました。グランド・ハイアットで自爆した特攻隊員はイラク訛りだったと言うことです。

ヨルダンのアブドゥラ2世陛下はカザフスタンを公式訪問中でしたが、事件を受けてヨルダンにとって帰りました。

今日の夜明け前、イスラエル国防軍はガザの境界フェンスに接近してくるゲリラ2人を発見し、攻撃を行いました。この銃撃で1人のゲリラが戦死しました。

イスラエルの労働党の党首選はアミー・ペレツ氏が当選しました。

2005.11.08
パレスチナ自治区ウエストバンクの町、ナブルスで昨日から今日に掛けて作戦中だったイスラエル国防軍のジープに向けて銃撃がありました。ジープに乗っていた兵士等が反撃し、ゲリラ2人を負傷させたと言う事です。

しかし、この戦闘中に至近距離で爆発があり、ジープに乗っていた兵士1人が負傷しました。この攻撃はアル・アクサ殉教者軍団とイスラミック・ジハードが共同で攻撃声明を出しました。

イスラエル国防軍はこの日の作戦で20人の容疑者を逮捕しました。

チェチェン独立運動ゲリラと戦っているロシアはイスラエルが建設している”ウエストバンクゲリラ越境防止フェンス”に興味を示していると言うことです。

昨日、シャロン首相とロシアのドミトリ・コザック対テロ当局チェチェン管区長官が会談し、ロシアはチェチェンとの国境にこのフェンスを建設してゲリラの侵入を防ぎ対という訳です。

2005.11.02
昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクのジェニン近郊の村でゲリラ容疑者逮捕作戦を行ったイスラエル国防軍ですが、目的のイザ・ディン・アル・カサムの隊員を逮捕しました。しかし、被疑者を車に乗せようとした所、仲間のゲリラが接近してくることに気付いた国防軍は射撃を開始しました。

パレスチナゲリラ側もこれに反撃し、銃撃戦となりました。この戦闘で国防軍の下士官、ヨナタン・エブロン軍曹(20)Yonatan Evronが頭部に被弾し、戦死しました。ゲリラは現場から逃走したという事です。

エブロン軍曹は、イスラエル国防軍がガザから撤退して、初の戦死者となりました。

2005.10.31
昨日、イスラエル国防軍は先日のハデラでの自爆攻撃の関係者の捜索のため、自爆した特攻隊員の出身地へ出撃しました。

被疑者の潜む、ある家を取り囲んだイスラエル国防軍は降伏を迫りました。すると1人の男と女性、そして2人の子供が家から出てきました。その後、家の中から銃撃が行われたため、イスラエル国防軍も反撃を行いました。しばらく撃ちあいの後、銃撃が止みイスラエル国防軍が家に入ると、被疑者2人の戦死体がありました。

ガザでは、イスラミック・ジハードがイスラエルに向けて、カッサムロケットを発射しましたが、この被害はありませんでした。

2005.10.28
昨日の夜、イスラエル空軍がガザ北部に空襲を行いました。ジャバリア難民キャンプで走行中の車に対し、ミサイルが発射されました。この攻撃によって車に乗っていたイスラミック・ジハードのメンバー、シャディ・マーネー隊員(25)Shadi Mahanehと他、6人が死亡しました。

イスラエル国防軍はマーネー隊員を狙って暗殺したのですが、これでガザ撤退から2回目の暗殺となりました。

イスラミック・ジハード、イザ・ディン・アル・カサム軍団、アル・アクサ殉教者軍団が復讐を宣言しました。イスラミック・ジハードはイスラエルのガザ撤退から、攻撃の手を緩めていません。そのため、最近ではイスラエル国防軍に激しく狙われています。

2005.10.27
昨日の夕方4時前、イスラエルのハデラにある市場で自爆があり、5人が死亡し、55人以上が負傷しました。イスラミック・ジハードが攻撃声明を出し、先日のイスラエル国防軍によるイスラミック・ジハード、ウエストバンク管区のルァイ・サーディ野戦司令官暗殺に対する報復であると発表しました。

同時に昨日は、モサドによるイスラミック・ジハード創設者ファティ・シャカキ師暗殺の10年目に当たる日でした。(1995年10月26日、ファティ・シャカキ師はマルタ島でモサドによって暗殺されました。)

自爆したのはウエストバンク出身のハッサン・アブ・ゼイド隊員(20)Hassan Abu Zeidwでした。イスラエルはウエストバンクを封鎖し、パレスチナ人の車はイスラエルへの入国を制限しました。さらに、イスラエル国防軍は今日の早朝からガザに空襲を掛けています。

2005.10.25
日曜日にイスラエル国防軍が行ったルァイ・サーディ野戦司令官暗殺作戦に対する報復として、パレスチナ自治区ガザのイスラミック・ジハードがイスラエル国内に向けてロケット攻撃を行いました。

ガザのすぐ近くにある町シデロットに着弾したロケット弾でしたが、何も無い場所だったので被害はありませんでした。イスラエル国防軍はロケットの発射を発見すると、その付近に対し野砲を発射しました。

そして、今日の早朝ですが、イスラエル国防軍はロケット攻撃に対する報復として、ガザのラファ難民キャンプに空襲を掛け、イスラミック・ジハードの関係者が所有する建物に爆弾を投下しました。この爆撃で5人のパレスチナ人が負傷しました。

さらに、アタック・ヘリがガザの北部の町、ベイト・ハヌンに飛来し、アル・アクサ殉教者団が使用している建物にミサイルを発射しました。この攻撃では建物に大穴が開いたのみで、人的被害はありませんでした。

2005.10.24
昨日の夜、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、トルカレムで作戦中のイスラエル国防軍がゲリラ容疑者の家を取り囲んでいたところ、後方から接近してきた車から、いきなり銃撃が浴びせられました。
国防軍は反撃し、戦闘となりました。この銃撃戦はゲリラ2人が戦死することで、決着が付きました。死亡したゲリラの1人はイスラミック・ジハードのアル・クドゥス軍団ウエストバンク支部を取り仕切っている、ルァイ・サーディ野戦司令官 Luai Saadiだと言うことです。死亡したもう1人はアル・アクサ殉教者軍団のメンバーだと言う事です。

他にも昨日、エルサレムで国境警備隊の私服警官が刺されました。刺された2人は病院に運び込まれました。犯人のパレスチナ人は他の国境警備隊員に銃で足を撃たれ、そのまま逮捕されました。

2005.10.23
今月の初め、北海道沖で漁船の第3新生丸がイスラエルの貨物船ZIM ASIA号に接触し、第3新生丸が転覆し乗員8名のうち7名が死亡した事故がありました。今日、そのZIM ASIA号がイスラエルに帰還しました。

イスラエル警察は早速、同船の調査を行い、10日前に別便でイスラエルに帰っていたモシェ・ベン・デイビッド船長を逮捕しました。激突した後、救助活動を行わなかった事、及び事故の報告を行わなかった事の容疑です。

2005.10.22
昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町トルカレム近くにあるイスラエル国防軍の野戦基地に対し、2人のパレスチナゲリラが攻撃を仕掛けてきました。イスラエル国防軍は銃撃戦を行い撃退しましたが、奇襲攻撃であったため軍用車両に少しの被害が出ました。

イスラエル国防軍には人的被害はありませんでしたが、戦闘の後、付近を捜索すると、ゲリラ1人の戦死体が発見されました。さらにパレスチナの病院によると、1人のゲリラが運び込まれたが、死亡したと言うことです。

パレスチナ自治区では、カフェでパレスチナ警察官が撃たれて重症を負う、と言う事件がありましたが、この件に関してはどのゲリラも声明を出しませんでした。

2005.10.20
昨日、イラクでサダム・フセイン大統領他側近等の裁判が開始されました。昨日始まった審理は、1982年のシーア派住民が住む、ドゥジャイル村をイラク軍が襲撃し143人を虐殺した事件の命令を出したことに対しての審理です。

フセイン大統領は挑発的な態度だったと言うことですが、実際問題、裁判でどうなろうとも、フセイン大統領がまた大統領になることは無いでしょうから、諦めて毒づいているのでしょうか・・・。

ただ、いわゆるこの勝者(アメリカ)による裁判は公平さに欠けるとして、アナン国連事務総長はや人権団体が非難しています。(フセイン大統領の味方をしているのではない)

次回の裁判は11月28日の予定です。

2005.10.19
エジプトはシナイ半島の紅海に面したリゾート地、シャルム・エル・シェイクをセキュリティーフェンスで囲み、テロリストの侵入を防ぐと発表しました。今年の7月23日にシャルム・エル・シェイクで大規模な連続攻撃があり、70人以上が死亡した事件を受けての処置です。

フェンスの高さは約1.5メートルで、約20キロに渡ってシャルム・エル・シェイクの中心部を囲むそうです。工事はすでに10月15日に開始されていると言うことです。

2005.10.18
日曜日にイスラエル国境警備隊の特殊部隊がイスラミック・ジハードの幹部ニアド・チブ・ゲイネム野戦司令官(25)Nihad Abu-Gheinemを射殺しました。

特殊部隊がパトロール中に、偶然ゲイネム野戦司令官の乗る車と出くわしました。国境警備隊はゲイネム野戦司令官を確保するため、ジープで行く手を阻むと、ゲイネム野戦司令官は銃を抜きました。しかし、特殊部隊の方が早く、射殺したのでした。

今日の夜明け前には、エルサレムでパトロール中の国境警備隊にパイプ爆弾が投げつけられ、3人の警備隊員が負傷しました。投げつけた犯人は逃走したということです。

イスラエル国防軍はパレスチナ自治区ウエストバンクの各町で、逮捕作戦を行い、夜明け前までに、18人のパレスチナ人を逮捕しました。

2005.10.17
昨日の夕方頃、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ヘブロン近郊のガッシュ・エツィオン地区で、ヒッチハイクをしていたユダヤ人に対し、銃撃がありました。ヒッチハイク停車場で待っていた人々、3人が死亡し、他3人が負傷しました。負傷した内の1人は兵隊さんでした。

その45分後には同じくウエストバンクの町、ラマッラ北部を走る道を歩いていた3人のユダヤ人が、走ってきた車から銃撃され、1人が負傷しました。この付近は危険なため、ユダヤ人が歩くときはガードを付けなくてはならなかったのですが、彼らはつけてなかったということです。

この2つの攻撃にはアル・アクサ殉教者軍団が攻撃声明を出しました。イスラエル国防軍は付近のパレスチナ人の町に出撃し、攻撃した犯人を捜しているということです。

2005.10.13
昨日、シリアの内務大臣のカジ・ケナーン准将 Ghazi Kenaanが自決しました。国連がレバノンのラフィク・ハリリ元首相の暗殺について調査をしてるのですが、’82年から’03までレバノン駐留のシリア情報部長官だったケナーン准将も取調べを受けた後でした。

一方イスラエルでは、昨日パレスチナ自治区のガザでアメリカ人のジャーナリストとイギリス人のカメラマンがゲリラに拉致されました。彼らは7時間後に交渉によって無事解放されました。

彼らを拉致したのはアル・ファタから分離した小さな組織で、その名も”ブラック・パンサー”であるということです。パレスチナ警察によると、ブラックパンサーとは単なる地元の愚連隊で、誘拐を行ったのも名を売るのが目的だったということです。

2005.10.10
今日、イスラエル国防軍がガザとの境界に張ってあるフェンスを登っているパレスチナ人3人を発見し、射殺しました。

ガザでは警察官がPRC幹部を乗せた車を職質のために停車させようとしたところ、逆ギレして銃撃戦となりました。このさわぎで2人のゲリラと1人の警察官が負傷し、2人のゲリラは逮捕されました。

昨日、ガザにあったユダヤ人入植地モラグ後に、パレスチナ人の町を建設を開始するセレモニーがあり、アッバス議長とUAEのアブドゥラ・ビン・ザイード・ナーヤン情報相(アブ・ダビ)が出席しました。
記念すべき最初の町の名はナーヤン情報相の兄でUAEの大統領である、”ハリファ・ビン・ザイード・ナーヤン陛下”の名前を頂きました。というのも工事のための費用のスポンサーとなってくれたからです。

2005.10.07
北海道沖で第3新生丸と接触した、Zim Asia号は香港に入港しました。ここで、日本とイスラエルの調査を受けます。ただ、今日の午後には香港を出港予定のため、しっかりと調査できるのでしょうか・・・。

昨日はエジプトのラマダン戦争(ヨム・キプール戦争)記念日及び、サダト大統領の暗殺日です。当時、サダト大統領が暗殺されたことに対して、PLOは”当然の結末だ。”との声明を出しました。サダト大統領が暗殺された原因は、アラブを裏切ってイスラエルと平和条約を結んだからです。

2005.10.05
昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ナブルスにあるイスラエル国防軍の検問に1人のパレスチナ人女性が来ました。この女性はいきなりイスラエル国防軍の女性兵士に隠し持っていたキッチンナイフで襲い掛かり、この兵士を負傷させました。
さらに他の兵士に襲い掛かろうとしたため、この女性は射殺されました。後に判明したのですが、彼女は5人の子供を持つ母親だということです。

北海道沖で転覆した第3新生丸ですが、接触した事はもう間違いないということで、船を所有する海運会社Zimのドロン・グダー社長が遺族に謝罪するため、昨日、日本に到着しました。

2005.10.03
先日、北海道沖で第3新生丸が転覆し、日本人乗組員7人が死亡する事件がありました。この船は他船にぶつけられてひっくり返ったということが濃厚になり、さらにその船はイスラエルの海運会社Zimのアジア支社が所有する船の疑いがあります。

その後、韓国のプサンに入港していた該当船に接触痕があることが発見されましたが、乗組員は接触したことに気付いていませんでした。船は韓国当局の調査が済むと中国に向けて出向しました。

そして、Zimは『もし、当て逃げした船が当社の船であることが確認されたら、当社としてはちゃんと責任を取ることを約束する。』と発表しました。そして、該当船のクルーにも会社が聞き取り調査を行うということです。

ただ、乗組員は本当に接触に気付いていないのではないでしょうか。あのサイズの船と第3新生丸がぶつかったとしても、衝撃などないでしょう。

日曜日にパレスチナ自治区ガザにあるシャティ難民キャンプの警察署をハマスが襲撃しました。この攻撃で署長のアリ・マッカウィ氏と警察官1人、そして10歳の少女が巻き添えで死亡しました。

これは、警察がハマスのムハンマド・ランティシ氏(故アブドゥル・アジズ・ランティシ師の息子)の乗る車を職質しようとした所、銃撃を受けて戦闘になり数人が負傷した事件が発端になりました。ちなみにこの戦闘は市民も警察官に対して投石を行っていたという事です。

現在、エジプトのシナイ半島にテロ警戒警報が出ています。これに伴いイスラエル人は続々と帰国しているようです。

2005.10.01
日本での話ですが、北海道の沖で漁船の第3新生丸が転覆して船員が死亡した事故がありました。この船は他船に接触され転覆した可能性があると報じられています。この事故で船員7人の死亡が確認されています。

この事故で接触した可能性があるのはイスラエル海運会社のZim Asiaでは無いかとの事です。プサンに入港した船から接触痕が発見されたのでした。しかし、船の船長は接触した事は認識していないと言っています。

2005.09.29
今日の夜明け前、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ジェニン近郊の村で作戦中だったイスラエル国防軍に対し、ゲリラが反撃を行い銃撃戦となりました。この戦闘でゲリラ2人が戦死したという事です。

一方パレスチナ自治区ガザではパレスチナ警察とイスラミック・ジハードのゲリラが戦闘を行いました。パレスチナ警察官がゲリラがガザシティーの東にある国境フェンスに接近していたため、制止しようとしたら攻撃されたということです。この攻撃で警察官2人が負傷したということです。
このゲリラはイスラエル側からも国防軍の銃撃を受けていたということです。しかし、2人いたゲリラの被害は分かっていません。

5年前の今日(9月29日)、アル・アクサ・インティファーダ(暴動)が始まったとされています。イスラエル秘密警察シン・ベットによると、この5年間でパレスチナゲリラによって、1,061人のイスラエル人が殺害され6,089人が負傷したという事です。

2005.09.28
今日の早朝、イスラエル空軍の戦闘機がガザシティーを空襲しました。さらに国防軍は野砲も発射し、この攻撃で発電所が破壊され、市内は停電しました。
F−16が発射したミサイルはアル・ファタが使用しているビルの2階に命中しました。一連の攻撃による死傷者はいないという事です。

一方、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ラマッラ、ヘブロン、トルカレムに侵攻したイスラエル国防軍はハマスとイスラミック・ジハードのメンバー24人を逮捕しました。

アフリカのチャドは月曜日に、スーダンから攻撃を受けたと発表しました。この攻撃で襲撃にあった”村”の36人が虐殺されました。チャド国防軍によると反撃で7人のアラブ・スーダン人を倒したということです。

攻撃を行ったのはアラブ・スーダン人民兵”ジャンジャウィード”だと思われます。ジャンジャウィードはスーダン政府が裏でバックアップをしているともっぱらの噂ですが、彼等は停戦合意もなにもあったものじゃありません。

ジャンジャウィードと政府の言い分は、『アフリカ人が攻撃をしてくるから反撃した。停戦していても攻撃されたら反撃止むなしというのは当たり前だ。』という事です。一方アフリカ・スーダン人の言い分は『彼等がイキナリ攻撃してきた。政府やAUが守ってくれないなら、我々で武装する。』と言うことです。

2005.09.26
先週23日、パレスチナ自治区ガザでハマスが集会をしていた所、爆発が有り15人が死亡するという事件がありました。ハマスはこれをイスラエル国防軍による攻撃だとし、報復を宣言しロケット攻撃を激しく行いました。
パレスチナ自治政府はこれはハマスの誤爆だと発表しました。ハマスはこの発表にクレームをつけています。

イスラエルはこの爆発への関与は否定しましたが、ハマスはロケットをイスラエル国内に向けて撃ちこみ続けたため、イスラエル国防軍は反撃として空襲を行いました。アタックヘリが出撃し、ロケット発射の準備をしている所に逆にロケット弾を撃ちこみました。イスラエル国防軍は暗殺作戦の再開も宣言します。

そして昨日、イスラエル国防軍は、イスラミック・ジハードのアル・クドゥス軍団を指揮しているムハンマド・ハリル野戦司令官(31)を暗殺しました。ハリル野戦司令官の乗る車に対して対戦車ミサイルが発射されたのでした。

ハリル野戦司令官はイスラエル国防軍に狙われていましたが、過去3度の暗殺からは辛くも逃れていたのでした。自宅にミサイルを撃ちこまれた時はハリル野戦司令官の弟が死亡しました。

ハマスはこの攻撃の直後に声明を出し『ハマスはイスラエルに対してロケット攻撃を停止する。』と発表しました。しかし、イスラミック・ジハードは停戦するつもりは無いようです。

昨日、レバノンのテレビ局LBCの朝の政治番組のキャスター、マイ・シディアックさんの車が爆発しました。乗っていたシディアックさんは重症を負い、近くの病院に運び込まれましたが、手の施しようが無く大きな病院に移送されました。当初は両手が吹っ飛んだと言うことでしたが、彼女の両腕は大丈夫です。と病院が発表しました。

爆弾は0.5キログラムのプラスチック爆弾で、車の運転席シートの下に仕掛けられていたということです。

2005.09.16
シャロン首相が国連にて演説を行ったのですが、その中で『我々ユダヤ人がイスラエルに暮らすことは当然の権利だが、その他の人々が暮らす権利を無視するものではない。』との発言をしました。でも、パレスチナ自治政府はこれを猜疑の目で見ているようです。

ちなみに、シャロン首相と同じリクード党のネタニヤフ元首相(ガザ撤退反対派だった)は、この発言にも不満を漏らしているということです。

一方、一向に締りの無いガザとエジプトの国境ですが、国境にあるフェンスなどはゲリラによって穴が開けられています。パレスチナ自治政府国境警備隊はゲリラを止めることが出来ないそうです。そのため、エジプト国防軍には頑張ってもらわないとなりません。

2005.09.15
イスラエルがガザから撤退すると、ガザとエジプトの国境はエジプト国防軍とパレスチナ自治政府軍によって守られるはずでした。しかし、ガザとエジプトでは国境を勝手に越える人々がいるので、イスラエルはエジプトに対して、ちゃんと国境の秩序を守ってくれ、とクレームを付けました。

国境破り(密出入国)は重罪ですよ。何より、イスラエルとしてはエジプトからガザへの武器の密輸が簡単に行えてしまい、迷惑だという事のみならず、アル・カイダの構成員などがガザに入り込んでくるということです。

エジプトはすぐに対応するとは言いましたが、実際には国境を封鎖しきれていないようです。

イスラエルは今日だけで、ガザからエジプトに抜けて、エジプトからイスラエルの国境を越えようとしていたパレスチナ人20人を逮捕しました。

2005.09.12 イスラエル国防軍が38年間の占領を終了してガザから撤収しました
本日の朝3時、イスラエル国防軍の装甲車や戦車がガザから撤退を開始しました。前日までにガザにある野戦基地の施設などは爆破処理していました。

国防軍はガザの境界出口7つの内の、北側のエレツ、東側はカミとキスフィムを通って撤収しました。そして、午前7時、国防軍の最後の1人がキスフィム境界出口から出たとこで、イスラエル国防軍ガザ司令のアビヴ・コカビ准将がその兵士と握手を交わしました。これを合図にゲートが閉められ、鍵が掛けられました。

パレスチナ側は早速、入植地のあった場所に繰り出し、大騒ぎです。そこには置き去りにされた家具などがありますが、これらはパレスチナ人が持って帰っているようです。花火と空砲(多分)が発射され、モスクのスピーカーからは祝辞の演説が流れています。

ガザとエジプトの国境は、エジプト軍とパレスチナ自治政府軍が守ります。

2005.09.10
ガザに駐留するイスラエル国防軍は野戦基地の機材を撤収しました。てでし、戦車や装甲車はまだ配備されています。国防軍は来週の火曜日に完全に撤退する予定としています。

一方、エジプト国防軍が本日、ガザの国境に展開しました。イスラエル国防軍がまだ撤退していないので、取り敢えずは200人の兵隊さんが配備されました。最終的には750人の兵隊さんが国境を守る事になります。

昨日、選挙ではムバラク大統領が88%の票を獲得し、大勝しました。

2005.09.09
先日、PRCによって誘拐されていた故ムーサ・アラファト氏の息子マンハル・アラファト氏が本日の朝、釈放されました。マンハル氏はその足でアッバス議長の元へ報告に上がりました。
パレスチナ自治政府はムーサ・アラファト氏の暗殺とマンハル氏の誘拐はPRCと言うより、ジェニン・殉教者軍団(詳細不明)と言う組織が黒幕ではないかとの見解を持っています。

故ムーサ・アラファト氏のお葬式は本日、行われる予定です。問題は、その後です。ムーサ・アラファト氏をどこに埋葬するかと言う問題です。

ヤセル・アラファト議長を除いたアラファト家のお墓はガザのハーン・ユニスにあるので、ここに埋葬するべきであると言うのがもっともな意見なのですが、最近ハーン・ユニスではゲリラ同士の戦闘が発生していて、この埋葬の件でまた騒乱が起きる可能性があります。

イスラエルがガザから撤退するので、各ゲリラが浮き足立っているのか、アッバス議長の統率力の問題なのか分かりませんが、アル・ファタ傘下のアル・アクサ殉教者軍団、ファルコン軍団、そしてPRC、他にはハマスのイザディン・アル・カサム軍団やイスラミック・ジハードが入り乱れて揉めています。

イスラエル国防軍が昨日、住民が撤収したガザの入植地に近づいてくるパレスチナ人1人を射殺し、もう1人を負傷させました。

2005.09.08
ムーサ・アラファト氏を暗殺したPRCのリーダー、ジャマル・アブ・スマドナ書記長は”この暗殺はパレスチナ自治政府内の腐敗を一掃するためだ。”と語りました。

エジプトでは昨日、大統領選挙の投票がありました。立候補者は10人いますが、ムバラク現大統領(民主党)が優勢だと言うことです。(おそらく対抗勢力として最大規模になるであろう)ムスリム同胞団は選挙に参加できなかったと言うことです。

ムバラク大統領もすでに77歳で、サダト大統領が暗殺されてから24年も大統領を勤めてきましたが、まだリタイアは無いようですね。

2005.09.07
昨日、パレスチナ自治政府ガザの治安責任者であった、ムーサ・アラファト氏(65)が射殺されました。ムーサ・アラファト氏の自宅に武装したゲリラが集結し、本人を引きずり出し、路上で射殺したということです。ムーサ・アラファト氏は病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。

当然ですが、ムーサ・アラファト氏は重要人物なので、家にもセキュリティーガードが24時間護衛をしています。しかし、約100人のゲリラとセキュリティーは銃撃戦を行い、ゲリラは門を突破し家に突入したのでした。

ムーサ・アラファト氏は故アラファト議長の甥に当たります。去年からガザの治安責任者を務めていましたが、今年の初めにアッバス議長によって解任されていました。現在の肩書きはアッバス議長の軍事顧問という事でした。

この暗殺にはアル・ファタ傘下のPRCが声明を出しました。さらにムーサ・アラファト氏の長男ニムヘル・アラファト氏を誘拐したとの発表もされました。

イラクではフセイン元大統領の裁判について、タラバニ現大統領が『サダムは1日20回絞首刑にすべきだ、なぜならば奴は私を過去に20回も暗殺しようとしたからだ。』と述べています。

2005.09.06
昨日の夜、ガザ地区のガザシティーで爆発が有りました。これはハマスの武器工場と化していた民家で爆弾が暴発したのでした。
この爆発で3人が死亡し、30人が負傷したとの事です。

先日(3日)、ハマスはイスラエルからの暗殺を恐れて極秘にしていた、武装部門イザディン・アル・カサム軍団の司令官等を公表しました。トップはイスラエル特別手配人物のトップも飾っている、ムハンマド・ディーフ野戦司令官です。ディーフ野戦司令官は今更、顔がバレようと関係ないということでしょうか。

昨日、イラク政府の内務省庁舎に攻撃がありました。銃撃と手榴弾によって攻撃を受けた内務省庁舎は、そこを守る警察官2人が死亡し、5人が負傷したということです。
ゲリラは10台の車に分乗し、奇襲を掛けてきたのでした。攻撃は約10分ほどで終わり、ゲリラはすぐさま現場を去りました。

2005.09.02
昨日、イスラエルのガリラヤ地方にある町でユダヤ教超正統派の人々がイスラーム・ドルーズ派のナジブ・カイス Najib Kais さんに暴行を加えました。
カイスさんは所有するブドウ園で家族と共に作業していたところ、ハイキングに来た超正統派グループ70人がカイスさんにこの場を去るように言ったそうです。

カイスさんは自分の土地から出て行く理由は無い、と拒否すると超正統派のグループが石を投げつけて来たということです。騒ぎを聞きつけた付近の住民達が駆けつけて、グループと対峙しました。警察が駆けつけたので、大乱闘にはなりませんでしたが、カイスさん他の数人が軽い怪我をしたということです。

ユダヤ教超正統派の人々はいわばユダヤ教原理主義で排他主義なので、今回の事件は、それによるアラブ人に対する嫌がらせ行為だと思われます。

ガザとエジプトの国境はゲリラが武器の密輸を行うため、イスラエル国防軍によって厳しく監視されています。しかし、イスラエル国防軍はもうすぐガザから撤退するので、この後の監視をエジプト国防軍に任せることになりました。

昨日、取り合えず750人のエジプト軍兵士をガザの国境に配備することが、イスラエル国防軍とエジプト国防軍の間で調印されました。

イスラエル国防軍はこの度、撤収したガザとウエストバンクの入植地の家屋の解体が終了したと発表しました。お墓の移動も終了し、イスラエル国防軍は今月中旬にも撤退する見込みです。

2005.08.25
昨日、エルサレムでイギリス人のイェシバ生徒シュムエル・マット(21)Shmuel Matがパレスチナ人に刺殺されました。一緒にいたアメリカ人の学生も負傷しました。犯人は逃走したということです。
イェシバとはユダヤ教の神学校です。

昨日、トルカレムで作戦を行ったイスラエル国防軍は、カフェでイスラミック・ジハードのメンバーである被疑者を発見し、逮捕するために出てくるように言いました。そして、空に向けて威嚇射撃をしたとたん、付近にいたゲリラから銃撃を受けました。
現場は銃撃戦となり、爆発物も投げられる激しい戦闘になりましたが、イスラエル国防軍がパレスチナ人5人(被疑者を含む)を射殺することで収束しました。

2005.08.24 ガザ撤退 10日目
昨日、ウエストバンクにある入植地サ・ヌーとホメシュに突入したイスラエル国防軍と警察は反対派の人々と住民を排除しました。ウエストバンクの入植地は4つが撤退計画に含まれていました。
サ・ヌーとホメシュ以外の2つはガニムとカディムの住人は自主的に撤収していたので、強制排除は行う必要がありませんでした。

昨日で入植地撤退計画のすべて入植地から住人の撤収が終了しました。後は建物を解体するのみです。

2005.08.23 ガザ撤退
さて、昨日でガザ入植者の最後の砦ネツァリムからも住民と撤退反対派グループの強制退去が完了しました。これでガザ地区にある21の入植地からの撤退が完了したことになりました。
住民の撤退が終わると今度は、家屋の解体です。アスベストの飛散には注意してもらいたいものです。お墓も移転です。

そして、本日からはウエストバンクにある入植地サ・ヌーとホメシュにイスラエル国防軍と警察が突入しました。この入植地も撤退に強行に反対しているのでした。反対派の人々は石や卵を投げつけて抵抗しています。

2005.08.22
昨日、強制排除作業が再開された(イスラエルは土曜日が休日のため)ガザのユダヤ人入植地ですが、昨日中に住人の排除が完了した入植地は、セラブ、カティフ、ドゥギド、ネベ・デカリム、アツモナ、エリィ・サイナイです。
これでガサの入植地はネェツァリムのみとなりました。ネツァリムも今日中に排除を完了する予定です。そして、家々の解体作業も進んでいます。

2005.08.21 ガザ撤退
一昨日からついに入植地の建物の解体が始まりました。最初の入植地はケレム・アツモナでした。

本日、閣議でガザとウエストバンクの残りの入植地の撤退が決定しました。撤退作業が開始された後も、何度かに分けて、撤退する入植地を閣議決定しています。閣議決定されていない入植地は撤退作業に入っていません。
本日、決定されたのはガザの入植地(エレィ・サイナイ、ドゥギド、ニサニット)及びウエストバンクの入植地(ホメシュ、サ・ヌー、カディム、ガニム)でした。

2005.08.19 ガザ撤退
昨日、イスラエル国防軍はガザの入植地の中でも、最強行反対派の入植地ネベ・デカリムとクファー・ダロムから住民や支援者を排除することに成功しました。
この作戦で27人の警察官、14人の反対派活動家、2人の国防軍兵士が負傷したということです。そして、225人の反対派が逮捕されました。

木曜日中に撤収が完了したのは上記2つの入植地とナツァー・ハザニ、ガン・オー、シラット・ハヤム、クファー・ヤムの4つの入植地です。

本日イスラエル国防軍は入植地ガディッドでの撤退作戦を行いました。シナゴグバリケードを作って立てこもる反対派の若者を、屋根から引き摺り下ろし、人々を排除することに成功しました。

本日、ヨルダンのアカバからカチューシャ・ロケットが発射されイスラエルのエイラート空港付近に着弾しました。これによりイスラエルのタクシー運転手が軽い怪我をしたと言う事です。
アカバ港に停泊中のアメリカ軍艦を狙ったものかと思われますが、こちらにも被害はありませんでした。ロケットは付近の建物に命中し、ヨルダン兵1人が死亡したとの事です。

昨日、サウジアラビア・モースト・ウォンテッドのリストに名を連ねる、アル・カイダのサウジ管区司令官サラー・アウフィ Saleh Owfi がサウジアラビア当局によって射殺されました。
リヤドとメディーナで作戦を行ったサウジ治安当局は、逃亡を図るアウフィと銃撃戦になり、射殺したということです。アウフィ以外にも1人が死亡し、もう1人が負傷したということです。

2005.08.18
撤退作業が続くガザのユダヤ人入植地ですが、撤退反対派の立てこもる入植地の1つ、クファー・ダロムにイスラエル国防軍と警察が突入しました。この作戦でシナゴクにバリケードを築いて立てこもる反対派も降伏しました。

水曜日の時点で住民や反対派の人々を排除出来た入植地はテル・カティファ、モラグ、ゲネイ・タル、ベドラー、ケレム・アツモナの5つです。イスラエル国防軍は来週の火曜までにはすべての入植地から住民と反対派の人々を排除する予定です。

人間を排除したら、今度は解体作業です。この時にパレスチナゲリラからの攻撃が考えられるため、国防軍は防御体制で挑むと言うことです。

ウエストバンクで、ユダヤ人によるパレスチナ人労働者の射殺事件がありました。銃撃したのはユダヤ人入植者のアシャー・ウェイスガン(38)Asher Weissganです。

彼は入植地に働きに来ているパレスチナ人を毎日、彼等の仕事が終わると、車で入植地のゲートまで送っていました。そして、ゲートを守るセキュリティーガードに水を貰ってくると言って車を降り、ガードに近づいて銃をもぎ取り車に乗っているパレスチナ人を射殺したと言うことです。

車に乗っていた2人のパレスチナ人が死亡しました。ウェイスガン被疑者は乗ってきた車を死体を乗せたまま発進させ、アルミニウム工場に到着すると、工場内の更衣室に走りこみそににいたパレスチナ人3人に銃撃を浴びせました。2人がその場で死亡しました。

ウェイスガン被疑者はすぐにセキュリティーガードにつかまり、警察に連れて行かれました。彼は自分の行動はガザ撤退とはなにも関係ない、と語っていると言うことです。

ハマスは復讐を宣言しました。

2005.08.17
ガザ撤退

反対派が陣取る入植地ネベ・デカリムに、昨日の夜、イスラエル国防軍が突入しました。昨日が自主的撤退最終期限でした。

突入に当たってネベ・デカリム入り口のバリケードに先陣を切ったのは、イスラエル警察の特殊部隊ヤマムでした。彼らを排除し、入植地内に入った国防軍は家々を回り、残っている住人の自主撤退を促しています。

一方、住民ではない反対派が立てこもるシナゴク(礼拝堂)には若者がバリケードを築いていました。国防軍は彼らの説得にあたりましたが、効果があるとは思えません。彼らからは逮捕者が続々と出ています。

入植地ゲネイ・タルでは、国防軍との間で自主撤退の合意がなされ、住民は今日中に撤収することになりました。

イスラエル国防軍の撤退作業が開始されても、まだ、入植地に残っていた(いる)入植者は830家族に上るという事です。

2005.08.15
今日はイスラエルがガザから撤退する日です。ガザにあるユダヤ人入植地全てと、ウエストバンクにある4ヵ所の入植地から撤収します。

入植者たちの家を解体し、ユダヤ人の生活跡を無くすのですが、インフラなどは残し、パレスチナ自治政府に引き渡すそうです。

撤収作業は反対派が実力行使に出る可能性があります。以前のシナイ半島からの撤収でも反対派が入植地の家の屋根に上り、国防軍からの放水を受けている映像を見ました。

イスラエルはガザに入植者以外が立ち入ることを禁止する法律を作り、反対派の人々がガザに入ることを禁止しました。そして、昨日からガザへの道を封鎖しています。

ガザの入植地でも、5つの入植地(ネツァリム、クファー・ダロン、アツモラ、カティフ、ドゥギト)が強硬に反対しています。この入植地では住民や違法にガザに入った反対派の人々が入り口を封鎖しているということです。イスラエルはこれら入植地は取り合えず後回しにして、他の入植地の撤収を開始しました。

入植者たち全員が撤収(引越し)に合意したわけではありませんが、イスラエルは全員の合意を取らずに撤収を開始しました。

パレスチナ自治政府警察もこの撤収に協力し、警備をしていると言うことです。ハマスも攻撃の停止を宣言しています。

2005.08.12 イスラエルのガザ撤退まで後、3日
昨日の夜、ガザからの撤退反対デモがテルアビブで行われました。撤退反対派が、水曜日に行ったデモでは7万人!が集まりました。しかし、なんと昨日のデモでは15万人!!が集結したと言うことです。
テルアビブでは携帯電話の回線がバンクしたと言うことです。これを2千人の警察官で取り締まろうと言うのですから、話になりません。(警察の予想人数は5万人だった)
撤退反対派は、またもガザまで行って、撤退を押しとめるのだと言うことです。

2005.08.11
イスラエルガザ撤退まで後4日に迫りました。国防軍も撤退に反対する人々を抑えるためと、撤収に関してゲリラからの攻撃を防ぐ最終訓練を終えました。

イスラエル国防軍はガザとエジプトとの国境沿いに、エジプトからの武器密輸を監視するために、パトロール用のラインを引きました。これをフィラデルフィ・ルートと言います。
イスラエル国防軍は毎日このルートをパトロールしていますが、国防軍がガザから撤退すると、密輸し放題になってしまいます。
イスラエルはエジプトに協力を要請し、国境線はエジプトとパレスチナ自治政府によって守られることになりました。国境の監視にはエジプトに駐留する国連軍(イスラエルとエジプトの兵力引き離し監視軍)も参加するとの事です。

2005.08.09
昨日の午後、パレスチナ自治区ガサにあるハーン・ユニスにある難民キャンプで働く、2人の国連職員とパレスチナ人1人がゲリラに誘拐されました。
誘拐されたのはスイス人とイギリス人のスタッフでした。両者は国連の車で移動中に、突如ゲリラが道を塞ぎ、拉致したと言うことです。

パレスチナ自治政府警察が犯人を追跡し、銃撃戦まで行い人質を救出しました。ゲリラは逃走したという事です。パレスチナ秘密警察は2人の職員に対し、謝罪の声明を発表しました。
パレスチナ自治政府警察は日曜日に、アル・アクサ殉教者軍団のハーン・ユニス軍管区司令官を逮捕したばかりでした。それに対する報復と思われます。

一方、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、トルカレムではパトロール中のイスラエル国防軍のジープに対し、少年等によって激しい投石と火炎瓶による攻撃がありました。ジープに火炎瓶がヒットしたため、国防軍の兵士は危険を感じ、威嚇射撃を行ったと言うことです。
しかし、この射撃が1人の少年に命中し、18歳の少年は死亡してしまいました。この少年はサウジアラブビアに住むパレスチナ人で、休暇で親戚の家に泊まりに来ていたとの事です。

2005.08.06
一昨日、イスラエル国防軍のユダヤ人兵士(脱柵中だった)がバスの中で銃を乱射しました。銃撃をしたのは、エデン・ネイタン・ザダ(19)Eden Natan-Zada です。この銃撃で4人が死亡し、10人以上が負傷しました。ザダ被疑者はその場でバスの乗客等に殺されました。
このザダ被疑者はユダヤ極右組織”カハ”のメンバーだと言うことです。死亡した4人はアラブ系イスラエル人でした。

2005.08.03
8月1日、サウジの国王であらせられる、ファハド陛下が病気のため崩御されました。新国王は皇太子のアブドゥラ陛下です。すぐに就任されました。

一方、モーリアニアでクーデターが発生している模様です。同国の大統領は故ファハド陛下の葬儀に出席のため、不在でした。この間隙をぬって、軍が放送局を占拠したとの事です。

先日、スーダンのジョン・ガラン副大統領が行方不明といいましたが、実際にヘリが墜落して亡くなってしまいました。

これを受けてスーダン国内は暴動が発生しています。この暴動ではすでに71人もの死者が出ています。

2005.08.01
スーダンのジョン・ガラン副大統領(SPLA)が行方不明になっているということです。まず、反政府軍のSPLAのリーダーがなぜ副大統領かといいますと、今年の初めに政府軍との停戦が決定し、7月9日にはガラン中佐が副大統領に就任することが決まったのです。
ウガンダからヘリでスーダンに向かっていたのですが、行方不明になったということです。

昨日、イスラエルのニーサン Nitzan(アシュドット〜アシュケロンの中間にある)に建設中のガザ入植者の移住先の仮設住宅が完成し、鍵が渡されました。完成したのは160棟の住宅でした。
今後も住宅の建設と移住は続けられます。しかし、この仮説住宅を見た移住者たちは”狭い”と苦言をもらしています。
入植地より、生活が良くなるなら喜んで移住したかもしれませんが、今回は政府の意向による強制移住なので、移住に合意した人々も複雑な心境でしょう。

2005.07.28
イラクで先週の木曜日にイラク・ジハード・アル・カイダに拉致されたアルジェリアの外交官2人が殺害されました。昨日、ジハード・アル・カイダがインターネットに2人を殺害したとの声明を出したのでした。
アルジェリアはイラクから外交官を引き上げると発表して、彼等の助命を嘆願しましたが、かなえられませんでした。

レバノンで、今週の火曜日に予てから開放の噂があった、レバノン・フォースのシャミー・ジェアジェア司令官が釈放されました。ジェアジェア司令官は1994年に逮捕されたので、11年間の刑務所暮らしでした。逮捕された理由は殺人ですが、反シリアを標榜していたため、政治犯として捕まったわけです。
シリア撤退と、反シリア内閣の成立で釈放されたのでした。イランが頻りに、この釈放に因縁を付けています。

2005.07.24
昨日のエジプトで発生した爆発での死者は88人に達しました。

パレスチナ自治区ガザで昨日、南部の入植地からイスラエル国内へと向かうユダヤ人の車に対し、銃撃がありました。この攻撃で車に乗っていた2人が死亡しました。
イスラエル国防軍はすぐさま現場に駆けつけ、ゲリラと銃撃戦となりました。この戦闘でゲリラ1人が戦死しました。国防軍の兵士2人も負傷しました。
もう1人いたゲリラは逃走したということです。
イスラミック・ジハードがアル・アクサ殉教者軍団とPRCと共に攻撃声明を出しました。

2005.07.23
シャルム・エル・シェイクでの爆発ですが、死者の数が83人に達しました。爆発時の状況もだんだんと分かってきました。
午前1時15分、まず、2台の自動車に積載された爆弾が爆発、ほぼ同時に、海岸沿いの遊歩道で、バックパックが爆発しました。
アル・カイダ系を名乗る、”アブドゥル・アザム旅団”がネットに攻撃声明を出しました。

今日の朝、紅海にあるエジプトのリゾート地シャルム・エル・シェイクで3度の爆発が有り、少なくとも49人が死亡し、200人以上が負傷しました。
シャルム・エル・シェイクのナーア・ベイにあるホテルなどで自動車に積載された爆弾が炸裂したのです。
爆発は午前1時過ぎから連続で起りました。ガザーラ・ガーデン・ホテル Ghazala Gardens hotel (4星)のロータリーで自動車爆弾が爆発し、ホテルは爆発によって破壊されました。2つ目は、ムーベンピック・ホテル Movenpick Hotel 近くの駐車場で爆発しました。3つ目は旧市街のミニバスの停車場で爆発しました。

一方、レバノンのベイルートでも昨日、爆発がありました。アメリカのライス長官がレバノンの新らしい内閣と顔合わせのために突如訪問し、レバノンを出た直後でした。
ベイルートの繁華街で道路に停車していた車が爆発したのでした。この爆発で12人が負傷したということです。
攻撃声明などは出ておらず、爆発の狙いは何だったのか分かっていません。もしかしたら、整備不良の事故かもしれません。爆発した車の所有者は判明しているとのことです。

イスラエルでは昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、ヘブロンでイスラエル国防軍に対して、銃撃がありました。銃撃戦の結果、国防軍の兵士2人が負傷し、近くにいたパレスチナ人が死亡しました。
銃撃を行ったゲリラは逃亡したということです。

2005.07.21
昨日、ガザ撤退デモ隊本部は現在いる場所クファー・マイモンのキャンプ地からガザにむけて少しでも進もうと気勢を上げましたが、イスラエル当局の人間の壁を突破することが出来ませんでした。そして、この場所でデモを行うと言うことで、イスラエル当局と”停戦”に合意したということです。

ところが、デモ隊の一部が、イスラエル当局の目を盗み、ガザまで到達したということです。デモ隊の発表によると約1500人がガザに潜入することに成功したということです。イスラエル当局はガザに入ろうとしていたデモ隊250人を逮捕したと発表しました。

予定の三日間が終わったので、デモ隊の一部は家路についているということです。

ガザが軍事封鎖されてからも、撤退反対の支援者達は入植者達の車の中に潜み、ガザに潜入しているということです。イスラエル当局によると約600人の支援者がすでにガザ入りしているということです。

2005.07.20
昨日、ハマスとパレスチナ自治政府治安部隊の間で戦闘が発生しました。これは夜明け前に、ハマスの関係者の車に放火された事件をハマスが自治政府の仕業だと非難したことから、ゲリラが自治政府と衝突し、銃撃戦となったのでした。
この戦闘で30人が負傷したということです。数時間後には両者は停戦合意し、共同記者会見を開きました。
ところが今日の朝、ハマスのゲリラがアル・ファタの司令部と関係者の自宅に銃撃を行ったのです。どうやら、パレスチナ自治政府の検問を通過しようとしたゲリラが止められたことに対してキレてしまったようです。

レバノンでも難民キャンプで、アル・ファタとPFLPが銃撃戦になったということです。死者は出ませんでした。

イスラエルでのガザ撤退反対デモですが、イスラエル国防軍と警察、そして国境警備隊の治安部隊はデモ隊を包囲し、昨日キャンプした場所から、一歩も出さぬと頑張っています。

イラクニュース
2005.07.20 イラク国防軍リクルートセンターで、自爆による攻撃で10人が死亡

2005.07.19
昨日、イスラエル南部の町ネティボット Netivot にガザ撤退に反対する人々が集合し、ガザの入植地を目指して歩くというデモ行われました。
イスラエル国防軍と警察はこれを阻止せんと、2万人体制で挑みました。国防軍と警察はネティボットを封鎖し、到着するバスは追い返すという徹底的な取り締まり作戦を行いました。

この結果、集合した反ガザ撤退の人々は、行進を始めても、国防軍と警察とのにらみ合いが続き進むことが出来ませんでした。そして二時間後、デモ隊の責任者と警察との話し合いの結果、ネティボットから3キロ西のキャンプ地まで行進し、そこで一晩を明かすと言うことで、今日の行進は決着がつきました。
すでにデモ隊の一部はそのキャンプ地まで到達し、警察とぶつかっていたのでした。

警察はデモ隊の一部は個別にガザに入ろうとする可能性があり、それを取り締まるのも大変だと言うことです。警察の見積もりでは約一万人がネティボットに集結したとのことですが、デモ隊側は5万人が集結したと発表しています。

デモ隊は警察と国防軍に対して、『(デモを止める)命令を無視してください。』と叫び、オレンジ色の旗を振り抗議しました。ガザ反対のシンボルはオレンジ色なのです。このデモは非暴力デモに徹し、警察も暴力を持って鎮圧と言うことにはなっていません。

デモは月曜日から3日間の予定です。国防軍はガザを封鎖しており、軍事封鎖地区に入ることは犯罪であると強調しています。

2005.07.18
ガザからの撤退予定まで一ヶ月を切りました。
今日、イスラエルで大規模なガザ撤退反対デモがあると思われます。数万人規模の参加者が予想されているため、イスラエル国防軍と警察は2万人の部隊を集結させ、これを鎮圧するようです。

ガザでは国防軍が侵攻作戦を計画していると脅しても、ゲリラの攻撃が止まず、今日も南部の入植地に向けて、カッサム・ロケットや迫撃砲による攻撃がありました。
昨日も、ロケットや迫撃砲の攻撃で、入植地に住むイスラエル人6人が負傷しました。そして、イスラエル国防軍はガザのハーン・ユニスで、イザ・ディンアル・カサムのサイド・サイム(32)Said Siamを射殺しました。
その他にも入植地に接近してくるイスラミック・ジハードの隊員1人を射殺したということです。

2005.07.16
一昨日のゲリラによるロケット攻撃に対する報復攻撃として、イスラエル国防軍はガザを空襲しました。この攻撃はウエストバンクとガザで行われました。
イスラエル国防軍のアタック・ヘリが飛来し、ミサイルを発射、ウエストバンクではハマスのメンバー2人が死亡しました。
一方、ガザへの攻撃では、走行中の車にミサイルが命中し、乗っていたハマスのメンバー4人が死亡しました。
イスラエルのモファズ国防相はガザへの大規模な侵攻作戦を始めるつもりでいるとのことです。国防軍は今日も朝からガザに空襲を行っています。

一方、昨日ガザで、パレスチナ自治政府警察とハマスが衝突し、銃撃戦を展開しました。始めまりは、ハマスが警察署に向けてロケット弾を発射したのです。
これはパレスチナ自治政府とイスラエルが協力体制にあることに腹を立てたイザ・ディン・アル・カサムのメンバーが攻撃を行ったのでした。
ハマスは攻撃声明でパレスチナ自治政府のナセル・ユセフ内相Nasser Yousefを解任を要求したということです。
この戦闘で少なくとも2人が死亡し、25人以上が負傷した模様です。

2005.07.15
昨日の夕方六時ごろ、カッサム・ロケットがパレスチナ自治区ガザから、フェンス越えにイスラエル国内に撃ち込まれました。このロケットは民家屋根を突き破り、その場にいた女性、ダナ・ガルコビッチさん(22)Dana Galkovitchが死亡しました。
その家は彼女の恋人の家で、一緒にいた恋人のアミー・ラゴルスキーさん(24)Amir Ragolskyも重症ということです。
この攻撃があったのはネティヴ・ハアサラNetiv Ha'asaraと言う町で、ガザの北1キロほどの距離にあります。ガザ撤退については、パレスチナ側が、(現在のガザ地区の外にある)この町もパレスチナ側に返せと要求しているそうです。ここは一度ガザ地区だったことがあるからだというわけです。

イスラエルはこの攻撃に対し、今日の早朝、ガザにアタックヘリを出撃させました。アタックヘリは、四発のミサイルを発射しました。攻撃にさらされたのは、ガザシティーにあるハマスのチャリティーセンターと、ハーンユニスのお墓でした(ゲリラがロケットを発射した場所と思われる)。

2005.07.14
今日の早朝、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、ナルブスでイギリスの記者にインタビューを受けていたアル・アクサ殉教者軍団のムハンマド・アラシ隊員(24)Mohammed Alasiが、イスラエル国防軍に射殺されました。
突如イスラエル国防軍がアラシ隊員がインタビューを受けていた家に突入してきたのです。アラシ隊員はとっさに逃亡を図りましたが、国防軍から撃たれてしまったと言う事です。

そして、2月の四者会談で話し合われ、決定していたウエストバンクの町のパレスチナ自治政府への返還はですが、先日ベツレヘム、ラマッラと先送られたカルキリヤを返還すると発表されたばかりでしたが、12日のイスラミック・ジハードのカミカゼ攻撃を受けて、シャロン首相はこれを凍結すると発表しました。

イスラミック・ジハードは最近イスラエルに対しての攻撃を行っています。ハマスは静観しているようです。両者共にそれぞれ、何か狙いがあるのでしょうね。

2005.07.13
昨日、イスラエルのネタニヤのショッピングモールでカミカゼが発生し、3人が死亡し、90人以上が負傷しました。攻撃を行ったのはイスラミック・ジハードの特攻隊員アハメド・アブ・ハリル君(18)Ahmed Abu Khalilです。
午後6時30分頃、ハリル隊員はショッピングモールに接近していましたが、なぜか中ではなく入り口に向かう途中の横断歩道で自爆しました。
イスラエルで開催されている、ユダヤ・オリンピックですが、出来る限り続けていく予定だということです。

イスラエル国防軍はこの攻撃を受けて、すぐさまトルカレムに突入し、パレスチナ自治政府の警察署に威嚇射撃を行いました。この作戦でパレスチナ側からの反撃があり、国防軍の兵士2人が負傷したとの事です。

2005.07.12
イスラエルが建設中のゲリラ越境防止壁、イスラエル版”万里の長城”ですが、もっとも総延長は万里の長城には及びませんが、コンクリで高さは8メートルの壁もあります。でも、高さや距離は問題ではなく、パレスチナ人の土地に食い込んでいる場所があるのが問題です。
正規に土地の買取交渉をしたのでしょうか?したとしても、かなり強引にやったのではないでしょうか?国連を初め、世界中から非難されても、建設は続けられます。

昨日、パレスチナ自治区ガザとエジプトの国境線、フィラデルフィ・ルートで、パレスチナゲリラの攻撃があり、イスラエル人の建設作業員が負傷しました。ゲリラは対戦車ロケットを発射したということです。
今日には、ガザの入植地を守るイスラエル国防軍が爆弾の爆発によって負傷したということです。

イスラエルは今週中にもウエストバンクの町、ベツレヘムをパレスチナ自治政府に返還すると発表しました。ベツレヘムの後は先送られていた、カルキリヤも再び返還の予定です。何もなければですけど。

2005.07.09
昨日、パレスチナ自治区とイスラエルを分離するテロリスト防護フェンス(高さ8メートル)の工事現場で、パレスチナ人の少年が警備員に射殺されました。
この少年等が警備員に向けて石を投げつけていたのですが、警備員が発砲したのです。救急車が駆けつけましたが、少年はすでに死亡していたということです。
発砲した警備員は逮捕されました。死亡した少年はマユブ・アシ(17)Mahyoub Asi 、父親はインティファーダの初期に、イスラエル国防軍の銃撃で死亡していました。
パレスチナ人、イスラエル人、外国人の大人はというと、こちらは石は投げませんが、イスラエル国防軍と激しく言い合いをします。時にはもみ合いになります。催涙ガス攻撃を受けます。その度に負傷者が出ます。

一方ガザでは昨日、ユダヤ人入植地(もうすぐ出て行くって!)を守るイスラエル国防軍に対し、対戦車ロケット弾が発射されました。しかし、これによる被害はないとのことです。

2005.07.08
昨日、ロンドンで同時爆破テロがありましたが、これに関して、ロンドンのイスラエル大使館はイギリスの情報機関から情報を得ていたのではないかと、AP通信が報道しましたが、イスラエルはこれを全否定しました。
攻撃はアル・カイダがやったのではないかと言われています。イギリスはすでに犯人はアル・カイダだと決定しています。でも通常、アル・カイダは、イラク派遣部隊を除いては攻撃声明を出さないので分かりません。
ちなみに、パレスチナのハマスは『市民やその生活を攻撃対象とするのは、許されない。』と、攻撃を非難しました。

さて、イラクのアルカイダは先日拉致したエジプトの次期大使イハブ・シェリフ氏 Ihab al-Sherifを処刑したと発表しました。インターネットに投稿されたビデオによると、シェリフ氏らしき人が喋っているのですが、イスラエルの大使も勤めたことがあると言っているそうです。ビデオには殺害シーンはありませんでした。

2005.07.07
昨日、パレスチナ自治区ガザにある、ユダヤ人入植地モラグを守っているイスラエル国防軍がゲリラから銃撃を受けました。国防軍もすぐさま反撃し、銃撃戦となりました。ゲリラは3人だったのですが、国防軍によって1人を射殺、もう1人は負傷、残りの1人は逃走したということです。
この攻撃はイスラミック・ジハードが声明を出しました。入植地を攻撃に向かっていたところ、国防軍と出くわしたようです。

一方、パレスチナ自治区ウエストバンクでは、爆発物を所持したパレスチナ人の少年が逮捕されました。少年は自爆要員ではなく、おそらく爆発物の輸送をしていたと思われます。少年はシン・ベット(秘密警察)によって厳しく取り調べられているでしょう。

昨日、イラクでイラク・ジハード・アルカイダに拉致された、エジプトの次期大使ですが、アルカイダがネットで再度声明出しました。曰く、『エジプトはアラブの中で一番大きい国であり、その国がアメリカに協力している。これは十字軍とユダヤに同盟していると言うことである。』
そして、その愚挙はイスラームの法廷によって裁きが下るであろうと、言うことです。つまり、死刑でしょうか・・・。声明はそれだけで終わっているので、未だ無事かどうかも確認できていません。

2005.07.06
イスラエル国防軍はパレスチナ自治区ウエストバンクに建設されていた、9棟のユダヤ人の違法住宅を撤去しました。これはピース・ナウが裁判所に撤去の要請をし、それが認められた形で行われたのでした。
パレスチナ人の所有する土地に勝手に家を建てるわけですから、国策としての入植とはかけ離れた、違法行為です。でも、過激なユダヤ人たちは、ここは神に与えられた我々の土地だと言い張っているのでしょうね。

イラクで拉致された、エジプトの次期大使に関してですが、イラク・ジハード・アルカイダが声明を出しました。でも、彼等を拿捕していると言うのみで要求はありませんでした。

2005.07.04
一昨日になりますが、イラクでエジプトの次期イラク大使がゲリラに拉致されました。エジプトは湾岸危機の1990年に、イラクを非難し大使を召還していました。そして、この度、アラブ諸国では一番最初にイラクに正式な大使館を復活させたのでした。

イスラエルはガザ撤退に関して、現在イスラエル国防軍が守っているエジプトとの国境線からの撤退も望んでいますが、実際に国防軍が撤退してしまうと、ゲリラが武器を密輸し放題になってしまいます。

それは、困るというので、イスラエル国防軍はエジプトと交渉し、イスラエル撤退の後にはエジプト国防軍が国境線を警備し、武器がイスラエル側に流れるのを防いで欲しいというわけです。

エジプトはこのイスラエルの危惧に対して、兵力引き離し協定の見直しを行い、エジプト国防軍を国境に配備し、武器の密輸を取りしまりましょうという訳で、交渉が最終段階に進んでいます。

エジプトは3000人の兵士を国境警備に配置すると申し出ましたが、イスラエルはさすがにそれは拒否し、結局エジプト国防軍750人の兵力によって、ガザ・エジプト国境は守られる事になりそうです。

2005.07.01
ガザには地中海に面したビーチがあります。しかし、アル・アクサ・インティファーダが始まってから、外国からの旅行者が激減したため、ビーチのホテルは閉鎖となり、建物だけが残されていました。
そのホテルにガザからの撤退反対を標榜するユダヤ人入植者達が入り込み、そこを砦として立てこもる計画を実行に移したのです。当然、彼らは武装しています。
戦う相手はイスラエル政府というわけです。政府はこれ以上の混乱を防ぐため、ガザへの一般人の立ち入りを制限し軍事封鎖をすると発表し、入植地に続く道に検問を設置しました。撤退反対派に共鳴するユダヤ人が援軍に来るのを防ぐためです。
そして、政府はホテルに立てこもった入植者達を排除する作戦を行いました。さすがに銃撃戦にはなりませんでしたが、政府は力ずくで立てこもりの住人150人を排除したということです。

2005.06.30
昨日、イスラエル国防軍の兵士が、ヒズボラの兵士5人が国境を越えてくるのを発見し、銃撃を加えました。これに対しヒズボラ側も応戦しました。
この銃撃戦でイスラエル国防軍の士官1人が負傷し、ヒズボラの兵士1人が戦士、もう1人が負傷した模様です。
銃撃戦を受けて、ヒズボラが後方から迫撃砲による支援攻撃を始めました。この迫撃砲が野戦基地に命中し、ゴラニ師団の兵士1人が戦死しました。
イスラエル国防軍は野砲によって、迫撃砲が発射された地点を砲撃し、これを沈黙させると、今度は空軍が戦闘機とヘリによってレバノンのヒズボラ基地へ越境攻撃を行いました。

2005.06.25
昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクのヘブロンにある、入植地ベイト・ハッガイ Beit Haggaiにある、ヒッチハイク・ステーションに向けて銃撃がありました。
この銃撃で17歳の少年が死亡し、他3人が負傷しました。少年達はヒッチハイクをするため、車を待っていて、目的地に行く車が止まってくれたので乗り込もうとしていたところを銃撃されたということです。そのため、彼等を乗せるため、停車した車に乗っていた2人も負傷しました。
銃撃したゲリラは、車で一度少年等を通り越しましたが、Uターンしてきて銃撃を浴びせたとのことです。このゲリラはさらに攻撃を続け、2人のイスラエル人を負傷させました。
攻撃を行ったゲリラはムハンマド・アッバス議長率いるアル・ファタ所属のグループでマスード・イヤド軍団 Masoud Ayad Brigadesと名乗りました。マスード・イヤドとは2001年にガザでイスラエル国防軍に暗殺された人物の名前です。でも、実際はアル・アクサ殉教者軍団が攻撃を行い、便宜上名乗ったのでしょうけど・・・。

イランで22日から開催されていた選挙が終了し、開票が始まりました。どうやらテヘラン市長のムハンマド・アハマデニジャド氏Mahmoud Ahmadinejadが当選確実となったようです。
ちなみにアハマデニジャド氏は”師”ではありません。保守派の立候補者でバックにはハメネイ師が
付いています。

2005.06.24
昨日、イラクで自衛隊がロードサイドボムで攻撃されました。狙われたのは、軽装甲機動車に挟まれて装甲していた、高機動車というアメリカ軍で言うハンビーみたいな軍用車両です。装甲車ではないため、攻撃されたら弱いものでしょう。
攻撃したのは殺傷能力の弱い爆弾だったため被害は少なかったということですが、もっとも攻撃されたのが軽装甲機動車だったとしても、相手が本気であれば破壊されてしまうでしょう。以前、アメリカ軍のストライカー装甲車が走行中にロードサイドボムで狙われ、爆発の威力でひっくり返ったシーンを見ました。当然、撮影したのは爆弾を仕掛けたムジャヒディン側です。
イラクで軍用車両が移動する場合は、ものすごくスピードを出しています。それは攻撃を受けにくくするための自衛手段ですが、それでも敵はタイミングをあわせて爆弾を当ててくるのでした。
ちなみに、そういった映像を当サイトに載せてもいいのですが、いかんせん貸してもらっているサーバーの容量があと5メガ位しかないので、これ以上、動画は載せることが出来ないのです・・・。

今日、パレスチナ自治区ウエストバンクのトルカレム近郊で、イスラエル人の乗った車に対して、銃撃があり乗っていた2人が負傷しました。

昨日、ウエストバンクの町ジェニンで、パレスチナ警察署に銃撃があり、1人の警官が射殺されました。この事件の背景ははっきりとしていません。

2005.06.22
昨日、イスラエルで列車とトラックが衝突する事故がありました。この事故で7人が死亡し、195人が重軽傷を負いました。列車は高速走行中であったため、全く止まることができなかったと言うことです。さらに悪いことに後ろの車両がエアコン故障のため、乗客は先頭車両に移動し、満員だったそうです。トラックが線路に侵入した理由は不明です。

昨日、イスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長はエルサレムで会談しました。シャロン首相はパレスチナのテロリストを取り締まるよう要請しましたが、アッバス議長は我々に力(自治権)があれば可能である。とチクリと返しました。
両者はイスラエルがガザから撤退するに当たって、自ら入植地を破壊し、その後片付けは自治政府が行うことで合意しました。ウエストバンクのベツレヘムとカルキリヤも二週間以内に自治政府に返還するということです。

昨日、レバノンでレバノン共産党のジョージ・ハウィ前書記長 George Hawiが爆殺されました。家から出てきて、車に乗ったところ、車が爆発したということです。ハウィ元書記長は反シリアを標榜していました。
シリアが撤退して、反シリアの党が選挙で勝利したため、やったのはシリアではないかと言われていますが、犯人は正確にはわかっていません。

2005.06.21
昨日、パレスチナ自治区ガザのエレツ国境検問所で10キロの爆弾を隠し持った女性が逮捕されました。この女性はガザからイスラエルの病院へ行くため、検問所に来ていたのですが、自爆目標は検問所ではなかったということです。
この女性特攻隊員はワファ・シャミール・イブラヒム(21) Wafa Samir Ibrahimで、ジャバリヤ難民キャンプから来ていました。最近、やけど治療のため、イスラエル国内の病院に通っていたということです。
検問所を通るときにボディーチェックがあり、下着の中に隠していた自爆装置が発見されました。イブラヒム隊員は発覚を知ると自爆しようとしましたが、これは成功しませんでした。
イブラヒム隊員はパレスチナ自治政府アッバス議長が率いるアル・ファタの下部組織アル・アクサ殉教者軍団にスカウトされたということです。

2005.06.20
今日の早朝、パレスチナ自治区ウエストバンクを車で走行中のユダヤ人が待ち伏せ攻撃を受け、運転していた1人が死亡し、同乗者1人も負傷しました。
イスラミック・ジハードが攻撃声明を出しました。いわく『イスラエルの刑務所で繰り返されたコーランに対する侮辱と、当グループに対する最近のイスラエルによる攻撃の復讐である。』との事です。
イスラミック・ジハードの報道官によると、この攻撃によって復讐がなされたからと言って、停戦をするつもりは無い。攻撃はまだ続ける。という事です。

昨日にも、パレスチナ自治区ガザとエジプトとの国境を走るイスラエル国防軍の偵察ルート、フィラデルフィ・ルートにある立哨基地に対して攻撃があり、工兵隊の下士官アヴィ・カルチ上級曹長(25) Avi Karuchidが戦死しました。カルチ上級曹長は銃撃を受けたときはまだ息がありましたが、病院で死亡が確認された模様です。
他にも2人の兵士が負傷したとの事です。パレスチナゲリラ側は3人で侵入して来た模様です。この内1人が銃撃戦で戦死しました。
攻撃を行ったのはイスラミック・ジハードとアル・ファタの共同決死隊でした。

2006.06.19
昨日、パレスチナ自治区ガザを睥睨しているイスラエル国防軍の監視塔に対し、銃撃がありました。国防軍側も応戦し、ゲリラ一人を射殺したとの事です。この戦死したゲリラはイスラミックジハードの隊員だと言うことです。
イスラミックジハードによると、この攻撃はアメリカのライス国務長官の中東訪問に対しての反応だと言うことです。

さらにガザでは極右ユダヤ人によるパレスチナ人襲撃がありました。パレスチナ人は殴られたばかりでなく、銃撃も受け負傷したと言うことです。この襲撃はすぐ前にあった、パレスチナゲリラによる迫撃砲の攻撃に憤慨してのことだったようです。この迫撃砲攻撃による被害はありませんでした。

中東を訪問中のアメリカのライス国務長官は土曜日にパレスチナ自治政府のアッバス議長と会談しました。

2005.06.08
昨日、パレスチナ自治区ガザにあるユダヤ人入植地に向けて、カッサムロケットが発射されました。このロケットは入植地の庭に着弾しました。ちょど庭で作業中の中国人労働者1人とパレスチナ人労働者2人が爆発で死亡し、他の5人のパレスチナ人労働者が負傷しました。
イスラエル国内に向けてもロケットが発射され、シデロットにある家に命中しました。命中した家はリビングの屋根に大穴が開きましたが、人的被害はありませんでした。その他にも別に4発のロケットが発射されましたが無人地帯に着弾した模様です。
イスラミックジハードが攻撃声明を出しました。と言うのも、昨日の早朝になりますが、イスラエル国防軍がパレスチナ自治区ウエストバンクのジェニンで作戦を行い、イスラミックジハードの幹部を射殺していたのです。これに対する報復であると言うことです

2005.06.07
昨日はイスラエルのエルサレム・デイと言う記念日でした。イスラエルの現在の首都エルサレムをイスラエルが第三次中東戦争でヨルダンから分捕った日です。停戦の日ではなく、イスラエル国防軍がヨルダンのエルサレム守備隊を降伏せしめた日です。
この記念日にはイスラエル各地からエルサレムへ人々が集まります。そして、ある右翼ユダヤ人のグループが警察のエスコートで嘆きの壁の裏手にある、アル・アクサモスクの建つ神殿の丘に入ろうとしたらしいのです。
それを見ていたイスラームの人々がこのユダヤ人たちに石やビンを投げつけたのでした。ユダヤ人たちは負傷し、イスラエルの警察も、援護を要請しました。
警察とパレスチナ人の間で乱闘が起こり、警察は催涙弾を発射してこれを鎮圧しました。
現在も続いている、アル・アクサ・インティファーダはシャロン首相が神殿の丘を強行訪問したことが原因で始まりました。この事が分かっていても一部の右翼ユダヤ人は同じ事をするみたいです。

2005.06.04
昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクにイスラエルが建設中の分離フェンスの建設中止デモが行われました。このデモはイスラエル人とパレスチナ人の合同デモでした。このデモには総勢で500人の参加者がいました。この内100人は左翼のイスラエル人だったという訳です。
イスラエル国防軍はガス弾をもってこれに応戦し、もみ合いで数人が負傷したと言うことです。

ウズベキスタンのイスラエル大使館は、イスラームゲリラによる攻撃の危険性があるため、ほとんどの大使館員を避難させました。順次イスラエルに帰還する予定です。現地に残るのは最低限の要員のみという事です。
先月、タシュケントのイスラエル大使館セキュリティガードは、大使館に接近してくる自爆ベルトを装着した特攻隊員を射殺し、自爆を未然に防ぎました。(犯人を射殺した後、この爆薬ベルトは偽物だったと判明しました。)

2005.06.02
今日、レバノンの首都ベイルートでジャーナリストが爆殺されました。暗殺されたのはシャミール・カシール氏(45)です。カシール氏はレバノンのアン・ナハル新聞の記者で、反シリアの記事で有名でした。自宅前で車に乗ったところ、爆発したようです。車に爆弾が仕掛けられていたのです。
カシール記者はパレスチナ人でレバノンとフランスの国籍を持っているキリスト教徒でした。カシール記者の奥さんはドゥバイの衛星テレビ局アル・アラビヤで番組を持っている、Giselle Khouryさんです。

2005.06.02
本日、イスラエルに収監されている400人のパレスチナ人が釈放される予定です。この釈放は2月にシャロン首相とアッバス議長が会談した折、決定されていたのですが、イスラエル側はゲリラの武装解除が進んでいないと、500人を釈放した後、残りを釈放しませんでした。
イスラエルはガザにあるすべてのユダヤ人入植地(21)とウエストバンクにある4つの入植地からの撤収を予定しています。この撤収はパレスチナ自治政府との協力で行われると言う事の証としてパレスチナ人合計900人の釈放を行うのでした。

ヨルダンを訪問しているアッバス議長は、昨日不調を訴えアンマン(ヨルダンの首都)の病院に担ぎ込まれました。アッバス首相は心臓病の問題があるということです。
もし動脈系だとしたら、バイパス手術かカテーテルによる風船挿入で血管を膨らませると良くなります。動脈硬化は日ごろの食生活で改善される生活習慣病ですから気をつけましょう。
とりあえず、アンマンで手当てを受けた議長は今日にも退院して、パレスチナに帰ると言うことです。帰ったらシャロン首相との会談があるのですが、どうなるでしょうね。

2005.05.30
昨日、レバノンで総選挙が開始されました。シリア軍も撤退したので、外圧のない状況での選挙は初めてではないでしょうか。この選挙は6月19日が最終決着です。
とりあえず、ベイルートでの結果は、暗殺されたラフィク・ハリリ元首相の次男、サイード・ハリリ氏が大勝しました。ハリリ氏はイスラーム、スンニー派で反シリア派です。
しかしながら、ミッシェル・アウン将軍の政党やアルメニア正教の政党(しかも最大の)はボイコットを表明しました。このためかどうかは分かりませんが、最悪で10%ほどの投票率の所もあったようです。

今日の早朝、イスラエルではパレスチナ自治区ガザのジャバリア難民キャンプで迫撃砲をセットアップ中のゲリラめがけてミサイルが飛来しました。このミサイルはイスラエル空軍の無人偵察機が放ったものでした。
昨日、ガザのパレスチナ人の家で爆発があり、2人が死亡し、もう2人が負傷しました。これは密造した爆弾が誤爆したわけです。さらに、パレスチナゲリラはガザのユダヤ人入植地にガッシュカティフに向けてカッサムロケットを発射しましたが、被害はありませんでした。
一方、ウエストバンクのヘブロンでは国防軍がパレスチナ人1人を射殺しました。ヘブロンで付近を監視中の国防軍兵士に向かって、パレスチナ人がナイフを振りかざし近づいてきたため、威嚇射撃を行いました。しかし、この男が止まらず近づいてきたため射殺したと言うことです。

2005.05.27
イラクのバクバで作戦行動中のアメリカ軍のヘリが撃墜されました。2機のOH−58カイオワ(ベル・ヘリコプター)が攻撃に合ったようです。1機は基地にたどり着きましたが、もう1機は墜落し、乗員2名が戦死しました。
イラク・ジハード・アル・カイダを率いるザルカウィ野戦司令官が負傷していることが噂されていましたが、昨日、イラク内務省はこれは事実であると発表しました。
と言うのもアル・カイダが声明を出したからです。これは、ザルカウィ野戦司令官が負傷のため戦線を離れなくてはならないので、臨時の司令官をアブ・ハフス・カルニ Abu Hafs al-Qarni(also al-Gerni)が執り行うとの発表をしたのです。
アル・カイダの人物はベールに覆われていてよく分かりませんが、SCIRIによると、この人物は外国人で、ザルカウィ野戦司令官の完全な代理人であるという事です。

シャロン首相に続いてアメリカを訪問しているパレスチナのアッバス首相は、昨日ブッシュ大統領とホワイトハウスで会談しました。故アラファト議長はホワイトハウスには招かれていなかったので、これはびっくりです。
とにもかくにも、ブッシュ大統領は日本同様、パレスチナに支援金を送り、ユダヤ人による入植地の拡大を防ぎ、ガザからの撤退に協力するという事です。

2005.05.26
今日は、イスラエル国防軍が占領していたレバノン南部から撤退した5年目の記念日です。レバノンの合法ゲリラを率いるハッサン・ナスラッラー師は演説を打ちました。
この演説の中で、ナスラッラー師は、ヒズボラは12,000発のカチューシャロケットを保有している。このロケットはイスラエル国内に向けて攻撃を行うことが出来る。と発表しました。
ヒズボラはパレスチナ人の解放のためにも戦うのですが、建前としてはレバノンがイスラエルからの攻撃にさらされた場合の反撃のためにこのロケットを保有しているとの事です。

2005.05.23
ブッシュ大統領のご夫人ローラ・ブッシュさんがイスラエルを訪問し、色んな聖地を見て回りました。岩のドームと嘆きの壁も、です。岩のドームではイスラーム教徒のデモ隊に、嘆きの壁ではユダヤ教徒のデモ隊にそれぞれ遭遇しましたが、ブッシュ大統領夫人はこれは予想していたことだし、彼らの心情は理解できます。と話しました。
ユダヤ人たちはアメリカにスパイ容疑で逮捕されているジョナサン・ポラード Jonathan Pollardの釈放を要求しました。イスラーム教徒たちはイラクでのアメリカ軍の行動を非難しました。
一方シャロン首相は、アメリカを訪問しています。そのシャロン首相はガザ撤退に反対するユダヤ人のデモ隊に遭遇したのでした。

2005.05.20
パレスチナ自治区ウエストバンクにあるユダヤ人入植地を守るイスラエル国防軍の野戦基地で、武器庫から弾薬類とナイトビジョンが無くなっていることが分かりました。国防軍はユダヤ人の過激派がアラブ人を攻撃するために武器を盗んだのではないかと、発表しました。
どうやら、この入植地”イェツァー”は国防軍と何度か衝突しているようです。

今日の夜明け前、パレスチナ自治区ガザの中央部にあるユダヤ人入植地に向けて激しい攻撃がありました。3人のパレスチナゲリラが入植地に向けて6発のロケット弾を発射、国防軍はこれに応戦し、銃撃戦となりました。この戦闘でゲリラ1人が戦死し、ほか2人は逃走しました。
昨日の夜から今日にかけて、4発のカッサムロケットがイスラエルに向けて発射され、60発の迫撃砲弾がガザ南部の入植地地区”ガッシュ・カティフ”に落下し、国防軍の野戦基地に対してロケット弾と銃撃による攻撃もありました。いずれの攻撃も被害はありませんでした。

2005.05.17
今月の初めに行われたパレスチナ自治区の市議会選挙ではハマスが大勝しました。ハマス支持者たちは銃を振り上げて喜んでいました。
ただ問題はイスラエル国防軍が駐留する町です。それらの町は行政権と治安権をイスラエルとパレスチナで分割して統治しているのです。イスラエル国防軍は市議会と定期的に会談をして、治安の維持を行っていました。
しかしこの度、話をする相手がハマスになったのです。でも、イスラエルはハマスをテロリストとしてしか認めていないし、ハマスもイスラエルの存在を認めていません。これでは話し合いになるはずもないのですが、ハマスはイスラエルとは調整して会談を行う、と前向きに発表しています。
ただ、イスラエル政府はハマスは敵であり、話し合いはしないと発表しました。しかし、カルキリヤでは全議席をハマスが取ったので、ハマス以外の議員と話をすることが出来なくなりました。カルキリヤに駐留するイスラエル国防軍の広報官アドマン・アビダン中尉も『我々はただ、治安維持の仕事を行うだけであり、話をする相手が誰であろうと問題はない。』と言っています。

2005.05.14
昨日、イスラエルの北部国境にある国防軍の野戦基地に対し、レバノンから迫撃砲とカチューシャロケットによる越境攻撃がありました。攻撃を行ったのはヒズボラです。国防軍に被害はありませんでした。
イスラエル国防軍は攻撃に対し砲撃で反撃を行いました。空軍の戦闘機も国境を越えて、ヒズボラの基地に爆撃を加えました。
ヒズボラは運営するテレビで、攻撃声明を発表しました。いわく、イスラエル国防軍はレバノンの市民を攻撃した。それに対する報復である。と言うことです。

2005.05.12
今日は57回目のイスラエル独立記念日でした。ちなみに昨日はイスラエルの戦死者記念日です。昨日の夜、独立記念日イブで賑わっているイスラエル国内に向けて、レバノンからロケット弾が飛んできました。
レバノンとの国境の町シュロミに国境越しに撃ってきたのでした。ヒズボラの攻撃かと思われましたが、ヒズボラは何も発表していません。攻撃による死傷者はありませんでしたが、建物に被害が出ました。

2005.05.10
先週、イスラエルがウエストバンクに建設しているゲリラ越境防護壁に対しての抗議デモ中、イスラエル国防軍の発砲により2人のパレスチナ人が死亡しました。発砲したのはゴム弾でしたが、国防軍は内部調査に乗り出し、銃撃に問題はなかったか調査すると言うことです。

昨日、サウジのリヤドにある検問所で、武器を積んだ車が摘発されました。運転していた男は発覚を知ると銃撃を行いました。サウジ警察も反撃しましたが、付近にいた市民1人が負傷したとのことです。犯人も負傷し逮捕されました。

2005.05.02
今日の夜明け前、パレスチナ自治区ウエストバンクにあるトルカレムの村に、イスラエル国防軍が侵入しました。トルカレムの治安権はパレスチナ自治政府に返還しましたが、この結果、ゲリラが集まっていると言うわけです。
国防軍が探していたのはテル・アビブのナイトクラブ前で攻撃にかかわったとされるイスラミック・ジハードの幹部シャフィク・アブドゥル・ラニ Shafiq Abdul Rani(37)の逮捕に向かったのでした。ラニ幹部は2週間前にパレスチナ自治政府の刑務所から脱走していたと言うことです。

しかし、前記のようにゲリラの巣窟となっているトルカレムでは国防軍の作戦にも危険が伴います。結局、銃撃戦となり国防軍の兵士1人が戦死、数人が負傷しました。ラニ幹部も戦死しました。

実は国防軍は昨日、日曜日にもトルカレムに侵入し逮捕作戦を実施していました。この作戦は成功していましたが、これがパレスチナ側へ治安権を返還してから初の侵入だったため、ゲリラ側も今度来たらやってやろうと思っていたのでしょうか。

2005.04.26
昨日、イスラエルの前大統領エザー・ワイツマン氏 Ezer Weizmanが亡くなりました。齢80歳でした。エザー・ワイツマン前大統領はイスラエル初代大統領のカイム・ワイツマン大統領の甥に当たる人です。
先の対戦中にイギリス王立空軍に入隊し、飛行機の操縦訓練を受けました。そして、イスラエルが建国され、国防軍が設立されると空軍設立の主要メンバーとなったのです。
国防軍では空軍の司令官を8年間勤め、その後は軍令部(作戦を考える軍の中枢)のトップとなりました。退役後は政界へと身を転じました。
大統領に就任後はアラファト議長を自宅に招くなど、和平路線を推し進めていました。2000年、収賄容疑で大統領を辞任しました。

昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクのヘブロンにあるイスラエル国防軍の検問に、パレスチナ人のタクシーが突っ込み、車に撥ねられて国防軍の兵士1人が死亡しました。
ガザではユダヤ人入植地に向けてカッサムロケットと迫撃砲による攻撃がありましたが、被害は無かったという事です。

2005.04.22
昨日、サウジアラビアのメッカで女性に変装したゲリラが車に乗って検問所に近づき、銃撃を浴びせました。この攻撃で警備員1人が負傷しました。自動車はそのまま検問所を突っ切って逃走を図りましたが、治安部隊に包囲されます。
治安部隊の援軍が到着すると銃撃戦となり、ゲリラ4人が戦死しました。ゲリラの車を運転したいた男は逮捕されたということです。
サウジでは昨日が市議会の議員選挙の投票日でしたが、ゲリラの攻撃はこれに関係あるのかどうかは分かっていません。
サウジアラビアは2003年から、アル・カイダを掃討する作戦を行っているため、ゲリラと戦闘状態にありますが、ゲリラは外国人や政府関係の場所、オイル関係の場所などの襲撃を繰り返しています。

今日、バグダッドでブルガリアのヘリ・エアーという会社が所有するヘリコプターが、対戦車ロケットで撃墜されました。このヘリはアメリカのスカイリンクという会社がチャーターしていたもので、乗っていたのは紛争コンサルティング会社ブラック・ウォーター社の社員6人、ブルガリア人ヘリクルー3人と2人のフィジー人でした。

2005.04.21
今日、ガザの境界線のイスラエル側をパトロールしていたイスラエル国防軍のジープに対して、フェンス越しにロケット弾が撃ち込まれました。この攻撃で国防軍の兵士が破片を食らって病院に搬送されました。

イスラミック・ジハードが攻撃声明を出しました。ジープには4人の国防軍兵士が乗っていましたが、他の3人には被害はありませんでした。

攻撃を受けると国防軍側もすぐさま反撃を行い、ヘリもバックアップに飛来しましたが、戦果はありませんでした。

月曜日にPRCのスナイパーが狙撃によって国防軍の兵士に重症を負わせたのを含めて、今週は事件が2件目です。PRCはガザのグループで一応アル・ファタ傘下です。

2005.04.15
 昨日、イスラエル国防軍の特殊捜索部隊がパレスチナ自治区ウエストバンクの町ナルブスにあるバラタ難民キャンプで作戦を行いました。狙ったのは、アル・アクサ殉教者軍団のメンバー、イブラヒム・ハシャシュ(23) Ibrahim Hashashです。
 国防軍は潜入先でハシャシュ隊員を発見しましたが、銃撃戦となりハシャシュ隊員は射殺されました。国防軍の被害は兵士の防弾チョッキに弾痕があったというのみでした。
 ちなみに、イスラエル国防軍の発表ではいつも撃ってきたから撃ち返した結果、射殺するにいたった。と発表されます。でも、パレスチナ側の目撃者はいつも、国防軍が威嚇射撃すらせずいきなり撃ったと言います。
 最初から暗殺する作戦だったのか、逮捕作戦だったのか、どうなんでしょう・・・。

 一方イラクでは昨日、”イラク・ジハード・アル・カイダ”(日本語化するとしたらアル・カイダ・イラク聖戦義勇軍?)が攻撃を行いました。
 通勤時間で込みあうバグダッドの内務大臣オフィス近くで2発の自動車爆弾が炸裂しました。アメリカ軍が現場に駆けつけ調査に当たると、3つ目の爆弾も発見されたということです。
 共に自爆攻撃ですが、これは警察官を狙ったものだということです。イラク・ジハード・アル・カイダによると攻撃は他の組織との共同作戦であったということでした。

2005.04.12
 イスラエル国防軍はパレスチナ自治区ウエストバンクにある入植地の撤去に当たり、入植地の住民を武装解除すると発表しました。入植地の住民はわざわざ敵性勢力の中にいるため、武装が許可されています。
 今回、入植地からの引き上げ計画が進み、過半数以上の入植者もそれに合意しています。予定では7月です。しかし、反対している人もいるわけです。その人々が武装しているため、移住当日に蜂起するかもしれません。
 そのため、警察と国防軍による厳戒態勢の下で移住が行われる予定です。移住予定日の二週間前に武装解除を行うと言うことです。 

2005.04.04
 昨日、サウジアラビアで武装ゲリラの捜索をしていた警察が反撃に合い、銃撃戦となりました。数人のゲリラが立てこもっているため、警察も攻めあぐねて12時間以上!!ゲリラ3人が射殺され、警察官も数人が負傷し、終結しました。

 シリアはレバノン東部に駐留するシリア軍を、結局今月末までに撤収すると発表しました。軍の情報部関係者も撤収させると言うことです。

2005.03.31
 昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクのラマッラにある、アッバス議長のいる議長府に向けて銃撃がありました。アッバス議長は中にいましたが、被害はありませんでした。
 その後、15人ほどの武装したグループが市内で無差別に銃を乱射し、商店などが被害にあったということです。
 暴れたグループのメンバーは『我々の中6人は、イスラエルが捜索に来ると分かるとラマッラの議長府から追い出された。』と言っています。
 ラマッラの当局は、彼らは議長府の中で匿われていたが、隠れているにも拘らずゲリラ行動を控えようとはせず、やむなく武装解除を迫ったが応じなかったため、放り出したという事です。
 彼らはアル・アクサ殉教者軍団だと名乗っていましたが、アル・アクサ殉教者軍団の広報担当者はこれを否定し、あのような行動をする者たちは刑務所に入るべきだと発表しました。 

2005.03.30
 昨日の夜、イスラエルのドロン・グロスマン大使Doron Grossman が赴任先のエチオピアのホテルで襲撃されました。銃で撃たれて部屋に倒れているところをボディーガードが発見し、病院に運びました。今後は、イスラエルへ空輸され治療を受けると思われます。
 グロスマン大使は南アフリカ大使への異動が決まっており、もうすぐエチオピアでの仕事を終える予定でした。
 襲撃者は判明していませんが、イスラエルはエチオピアへ調査団を派遣するということです。

 イスラエルでは今日、聖地エルサレムの西の壁に”アラー”(アラビア語)の落書きが発見されました。落書きといっても壁を削って書いたものです。
 神殿の丘周辺は現在、ヨルダンの発案によってユダヤ人とアラブ人労働者によって修復作業中ですが(イスラエル警察の監視が付いている)、彼らがやったのでしょうか・・・。

2005.03.28
 昨日の夜から今日にかけて、イスラエル国防軍がパレスチナ自治区ウエストバンクのジェニンで作戦を行いました。情報部が集めた情報により、自家製ロケットを製造している疑いで、イスラミック・ジハードの構成員を逮捕に向かったのでした。この作戦でイスラエル国防軍は8人のイスラミック・ジハード要員を逮捕しました。
 この作戦中に反撃に合い、国防軍の兵士1人が負傷しました。国防軍はこの秘密工場を爆破しました。

2005.03.27
 今日、イスラエル国防軍は兵器の横流しをしていたとされる、兵士2人を逮捕しました。横流しの相手はもちろんパレスチナゲリラです。
 ネゲブにあるイスラエル国防軍基地の武器庫からM16突撃銃が盗まれました。このM16は結局発見されませんでした。もちろんゲリラに流れたのです。

 レバノンでは昨日の夜、東ベイルートのキリスト教徒地区にある工場地帯で爆発がありました。今のところ死者は報告されていませんが、8人が負傷したということです。警察によると爆発は自動車爆弾によるものだということです。
 しかし、爆発の被害をこうむったのはプラスチック製品の製造工場のみで、しかも夜間のことです。なんの目的で攻撃したのでしょうか・・・。

2005.03.23
 レバノンのキリスト教徒地区にあるショッピングモールで、今日の早朝爆発がありました。この爆発で警備員3人が死亡しました。レバノンではラフィク・ハリリ元首相爆殺、19日のキリスト教地区での自動車爆弾爆発(死者なし)についで3度目となりました。
 ハリリ元首相の爆殺犯人も捕まっていませんが、今回の攻撃も声明は出なかったので犯人は不明です。

 イラクでは日曜日にキルクークをパトロール中のアメリカ兵が道路わきに仕掛けられたリモコン爆弾で攻撃され、1人が戦死しました。
 1,522 US G.I.s killed in action.

2005.03.22
 イスラエルは昨日の夜、パレスチナ自治区ウエストバンクの町、トルカレムの警察権をパレスチナ自治政府へ返還しました。これで、エリコに続いて2つ目です。
 パレスチナ自治区をパレスチナ自治政府へ返還するのはよいのですが、入植者達はこれに反発しています。先週には入植者達がパレスチナ人を襲撃しました。襲われたパレスチナ人は負傷し、入院したということです。

2005.03.18
 イスラエルは水曜日に、エリコの治安維持権をパレスチナ自治政府に返還しました。ただ、完全に撤退したわけではなく、重要拠点の警備はイスラエル国防軍が当たるそうです。
 それでも、エリコに設置されてた検問が撤収されると、パレスチナ人にとっても生活しやすくなることでしょう。

 昨日、エジプトのカイロでパレスチナの各グループが会談を行いました。この話し合いによって攻撃を一時停止することを確認しました。そして、何より新たなPLOの設立を決定しました。今までハマスやイスラミック・ジハードのようなイスラーム原理主義グループはPLOに加盟していませんでした。このグループが加盟して今年中にも新PLOとでも言うような組織を作ると言うわけです。 

2005.03.12
 10日にイラクでムクタダ・サドル師の関係者の葬儀がサドレーン・モスクであったのですが、そこにカミカゼが突入し、47人が死亡し100人以上が負傷しました。
 攻撃は選挙で大勝したシーア派を狙った攻撃であり、イラク・ジハード・アル・カイダの攻撃ではありません。攻撃があったのはイラク北部の町モスルで、スンニー派の住民が多いそうです。

 レバノンではシリア国防軍が北部から撤退しました。軍用空港も閉鎖です。もっとも大規模な基地からは移動しましたが、小さな警備隊は残しています。3000名のシリア国防軍部隊が東部のベカー高原に移動したのでした。 

2005.03.10
 今日、イスラエル国防軍の空挺師団特殊部隊はテル・アビブのクラブでカミカゼの関係者を捜索するため、ウエストバンクのトルカレム近郊の村へ潜入しました。
 捜していたのはイスラミック・ジハードの隊員ですが、容疑者を発見した国防軍と建物に立てこもったイスラミック・ジハードの隊員とにらみ合いとなりました。国防軍は敵が潜む場所を特定するため、軍用犬を放ちました。
 敵を発見した軍用犬はそれを知らせるために吠えました。イスラミック・ジハードの隊員はこの軍用犬を射殺し、国防軍にも銃撃を開始しました。
 国防軍も撃ち返し、銃撃戦となりました。国防軍の装甲ブルドーザーが建物に突撃すると、この建物は倒壊し、立てこもるイスラミック・ジハードの隊員は死亡しました。国防軍に被害はありませんでした。

 イラクで昨日、イラク警察が、ゲリラによって殺されたイラク人の41体の遺体を発見したと発表しました。一昨日は26人の遺体も発見されていました。
 さらに、イラクの外国人が利用しているホテル前で、ゴミ収集車に爆薬を積んだ特攻隊員が自爆しました。この爆発で警察官2人が死亡し、40人以上が負傷しました。この中の30人はアメリカに関係している人々だったと言うことです。
 この攻撃にはザルカウィ師率いる、イラク・ジハード・アル・カイダが攻撃声明を出しました。声明では死亡したイラク人警察官は、支援部隊の銃撃によるものだと言うことです。
 この攻撃のすく後に、イブラヒム・ジャファリ計画相を狙った銃撃がありました。この銃撃でボディーガード1人が死亡しましたが、ジャファリ計画相は無事でした。
 他にも、道路わきに仕掛けられたリモート爆弾でアメリカ軍の兵隊さん1人が戦死し、もう1人が負傷しました。 
 イラク自由作戦ステージ3に入ってから、ますます状況が悪くなっているアメリカ軍のような気がします。

2005.03.07
 シリアがレバノンから撤退すると言っています。でも、実際にはベカー高原にシリア軍を移動させるというだけなので、撤退とはいえないでしょう。シリアのバシャール・アサド大統領もレバノンから完全に撤退するとは明言していません。
 レバノンのハリリ元首相暗殺はシリアがやったのだと、レバノンの世論が高騰し、内閣が総辞職しました。そして、レバノンとシリアの関係が国際社会の注目を浴びることとなってしまい、シリアも何か手を打たないといけません。

 一方イスラエルでは、先日、エジプトを仲介したパレスチナとイスラエルの停戦合意会談が合ったのですが、また同じことの繰り返しだと思ったので当サイトでは無視していました。
 で、結局停戦などにはならなかったのですが、一応合意に基づいて、イスラエルが再占領していたウエストバンクの都市を5都市に限り治安維持権限をパレスチナ側に返す件について国防軍とパレスチナ軍で昨日会談が行われました。
 この会談の後、パレスチナ軍から”イスラエルは取り合えず明日!トルカレムを返す。”ことに合意したと発表しましたが、イスラエルはこれを完全に否定しました。
 否定したといっても、この件についてはイスラエルのモファズ国防相とパレスチナのアッバス議長が会談を予定しており、それまでは何も決まっていないという意味での否定です。

2005.03.05
 先月の2月4日にイラクで拉致されたイタリア人記者のジュリアーナ・スグレナさんGiuliana Sgrena(57)が、イタリア政府の交渉によって解放されました。
 しかし、解放された彼女を乗せて、バグダッド空港に向かっていたイタリア当局の車を検問所のアメリカ軍が銃撃しました。アメリカ軍に他意は無く、勘違いによる事故です。
 アメリカ軍によると検問所で停止を命じたが、無視したため威嚇射撃を行った。しかし、停車しなかったため攻撃を行ったと言うことです。この攻撃でイタリア当局者1人が死亡し、2人が負傷しました。

2005.03.01
 レバノンでは先日のハリリ元首相の爆殺事件は、黒幕がシリアだとする国民世論が高騰し、ついに親シリアの内閣の不信任案が提出されました。これを受けてカラミ内閣は総辞職する運びとなりました。
 アメリカはこれを受けて、続いてレバノンに駐留するシリア軍の撤収を求め、今後の総選挙をバックアップすると発表しました。

 イラクではバグダッドの市場で、警察官募集を行っているところへカミカゼが突入し、125人が死亡、130人以上が負傷しました。
 ヒッラの警察官を募集中で、この市場のスペースを借りて視力検査を行っている所へ自動車に爆弾を積載し突入してきたのです。
 攻撃はザルカウィ野戦司令官が率いる、イラク・ジハード・アル・カイダが声明を出しました。
 他にもバグダッドでゲリラの銃撃を受けて警察官1人が死亡、さらに仕掛け爆弾で警察官1人が死亡しました。アメリカ軍も兵隊さん1人が狙撃され戦死しました。

2005.02.26
 昨日の夜11時20分頃、イスラエルのテル・アビブでカミカゼ攻撃があり、4人が死亡、50人以上が負傷しました。
 金曜日なのでイスラエルの週末でごった返すテルアビブで、人々が集まっていたナイトクラブの外で自爆したそうです。
 この攻撃はイスラミック・ジハードが攻撃声明を出しました。攻撃は2人の特攻隊員によって行われる予定でしたが、1人は失敗したと言うことです。
 アル・アクサ殉教者軍団やパレスチナ自治政府当局によると、攻撃にはレバノンのヒズボラも関与していると言うことです。しかし、ヒズボラのスポークスマンは『関与を否定することさえバカらしいまったくの嘘だ。』と一蹴しました。

2005.02.21
 イスラエルはパレスチナ自治政府との合意に基づいて、収監している政治犯500人を釈放することに決めました。そして、今日から順次釈放すると言うことです。
 政治犯なので逮捕された理由は、国防軍に言いがかりをつけられただけと言う人もいるでしょう。ゲリラではないので釈放しても問題ないというわけです。逮捕に問題はあるのですが・・・。

 イラクでは19日、シーア派の行事である”アシュラ”の2日目ですが、これを狙った攻撃が相次ぎ、多数の死傷者が出ています。各地で合計9人の特攻隊員が自爆しました。
 そのうちの一つはイラク警察のパトカーを攻撃し、米軍が加勢に駆けつけたところを狙って伏兵していた特攻隊員が自爆し、アメリカ兵が戦死するという攻撃もありました。

2005.02.15
 昨日、レバノンのベイルートで移動中のリムジンの車列を狙って自動車爆弾が炸裂しました。これはリムジンに乗っていた、ラフィク・ハリリ元首相を狙った攻撃でした。この攻撃でハリリ元首相とボディーガード含む6人が死亡しました。爆発の衝撃で付近の車はひっくり返り、周辺の建物も倒壊しました。
 ハリリ首相はシリアの撤退を求め、シリアよりのラフード大統領と対立していました。シリアのアサド大統領は追悼の意を表明しました。
 攻撃声明は”シリアとレバノンのサポートとジハード”と名乗るグループがアル・ジャジーラにビデオを送りつけて来たと言うことです。アル・ジャジーラはこれを放送しました。声明によると攻撃は自爆攻撃であったと言うことです。
 レバノン当局は攻撃声明のビデオに映っていた人物が、レバノンにいるパレスチナ人のアハメド・アブ・アダスAhmed Abu Adasであると解析。すぐにアダスの家を捜索し、文書などを押収したと言うことです。

2005.02.11
 昨日、パレスチナ自治区ガザからユダヤ人入植地ガッシュ・カティフへ向けて発射された迫撃砲は、40発以上に上りました。さらにカッサムロケットも2発発射されました。
 攻撃を行ったのはハマスとアル・ファタ傘下のPRCです。攻撃による死傷者はありませんでしたが、入植地の高圧線に迫撃砲弾が当ったため、入植地がしばらくの間、停電してしまいました。他には数軒の家に被害が出たと言うことです。
 イスラエル国防軍としては現在のところ反撃は考えていないと言うことです。

2005.02.10
 昨日、パレスチナ自治区ガザの町ハーンユニスで、ハマスのメンバー1人が死亡し、2人が負傷しました。これは迫撃砲の発射準備中に誤って爆発した事故であると言うことです。攻撃目標はユダヤ人入植地のガッシュ・カティフだったとハマスが声明を出しました。
 それとは別にユダヤ人入植地のネベ・デカリムへ向けて迫撃砲17発が発射されました。ほとんどは入植地まで届かず、パレスチナ側へ着弾したと言うことです。入植地へ着弾したものは一軒の家にダメージを与えました。

2004.02.08
 本日、エジプトのリゾート地、シャルム・エル・シェイクでイスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長にエジプトのムバラク大統領とヨルダンのアブドゥラU世陛下を加えて4者会談が行われました。
 もちろん、イスラエルとパレスチナの問題についてです。アッバス議長はパレスチナ自治政府の最高責任者に就任してから初めてのシャロン首相との会談です。
 シャロン首相はパレスチナゲリラによる攻撃が無くなれば、イスラエル国防軍による侵攻作戦は中止することを約束しました。アッバス議長はゲリラによる攻撃を停止をさせるということです。
 しかし、なぜこうもすんなりと話がつくのか疑問ではあります。また、シャロン首相がよからぬ企みを・・・・!?

2005.02.04
 昨日の夜、パレスチナ自治区ウエストバンクにあるユダヤ人入植地付近を走行していたイスラエル国防軍のジープに向けて銃撃があり、4人の兵士が負傷しました。
 国防軍のジープを待ち伏せていたゲリラはすれ違いざまに銃撃を浴びせたのです。イスラエル国防軍の兵士は防弾チョッキを装着していましたが、ジープには装甲が無かったとのことです。
 攻撃を行った2人のゲリラはマガジン2つを空にすると戦闘領域を離脱し、隠してあった車に乗って逃げた模様です。この攻撃にはアル・アクサ殉教者軍団が攻撃声明を出しました。
 イスラエルは来週に予定されている、シャロン首相とムバラク・エジプト大統領、アッバス議長との3者会談に先駆けて、イスラエルに収監されている900人のパレスチナ人の釈放を決定したばかりでした。
 一方、ガザでも戦闘がありました。交差点に進入してきたタクシーがエンストを起こしそのままスタック。イスラエル国防軍の兵士がそれに気づき、交通の妨害になるから道路脇に移動させろと命令したところ、車のドアが開くと同時に銃撃が浴びせられました。車から飛び出したゲリラは国防軍に向けて手榴弾を投げました。
 国防軍はすぐさま反撃し、このゲリラを射殺したとのことです。最初に撃たれた兵士は、負傷し病院に運ばれたとのことです。

2005.02.01
 昨日、パレスチナ自治区ガザのラファにある国連が運営する学校でパレスチナ人の少女達が銃撃を受け1人が死亡し、もう1人が肩を撃ち抜かれる重傷を負いました。
 パレスチナ側は500メートル離れた場所にあるイスラエル国防軍の監視等から銃撃があったと主張していますが、イスラエル国防軍の調査によるとその時間帯には国防軍は発砲していないとの事です。
 ハマスは今日、ガザのユダヤ人入植地に向けて迫撃砲を撃ち込みました。これにより、入植地の住宅に命中し、屋根が落ちるという被害がありましたが、住人には被害はありませんでした。DFLPもロケット弾攻撃を行いましたが、これによる被害はありませんでした。

2005.01.30
 本日、イラクで選挙が行われましたが、ゲリラの攻撃がすさまじく行われました。厳戒態勢にあるバグダッドの投票所を狙ったカミカゼアタックは少なくとも8箇所でありました。
 他にも爆装の車がバスに突入し自爆。3人が死亡し、31人が負傷しました。ハマスよろしく自爆ベルトを使用したカミカゼや、迫撃砲による攻撃もありました。
 アル・カイダのザルカウィ隊はこの攻撃のうち、4件の攻撃声明を出しました。さらにマリク・ハッサン法治大臣の自宅にも爆装自動車が突入しましたが、これによる人的被害はありませんでした。

 イラクのゲリラ(ムジャヒディン)はここの所、選挙の妨害を狙って激しく攻勢をしていましたが、選挙が終わった後はどう出てくるでしょう。

2005.01.29
 ハマス勝った!ハマス勝った!と言うことで、パレスチナ自治区のガザで選挙が行われ、ハマスが大勝しました。各町村で選挙が行われたのでした。パレスチナ自治区を取り仕切っているのは、故アラファト議長が設立したアル・ファタですが、選挙では勝てませんでした。
 ちなみに、アル・ファタ(ムハンマド・アッバス議長)は穏健派で、ハマス(ムハンマド・ザハル氏が率いているらしい)は過激派と言われています。

2004.01.27
 昨日、イスラエル警察の特殊部隊が、パレスチナ自治区ウエストバンクのカルキリヤに侵入し、ハマスのメンバー、マハール・アブ・スネイン氏 Maher Abu-Sneinehを射殺しました。
 イスラエル警察は狙っていたスネイン氏が車で出かけると言う情報をキャッチすると直ちに出動し、追跡を開始しました。走行中の車を発見すると停車を命じましたが、車は逃走を逃走を図ろうとしたため、イスラエル警察側が発砲し、スネイン氏を射殺したと言うわけです。
 スネイン氏の車に同乗していた2人も負傷したとのことです。この内の1人はタンジームのメンバーのムハンマド・ハミス・ユセフ・アマル氏Mohammed Hamis Yusef Amarでは無いかという事です。負傷した2人はイスラエルの病院に搬送されました。

 現在、パレスチナのゲリラはアッバス議長の方針に従って、イスラエル国防軍との停戦(つまりゲリラ活動を控える)だ何だと言っているのですが、上記の事件によってアル・アクサ殉教者軍団は怒りを顕にしています。.

2005.01.19
 先日、パレスチナ自治政府のムハンマド・アッバス議長はゲリラ組織に対して、攻撃を止めるよう声明を出したのですが、昨日ガザでカミカゼ攻撃があり、シン・ベットの要員1人が死亡し、3人のシン・ベット要員と5人の国防軍兵士が負傷しました。
 攻撃があったのはガザ南部のメイン道路でイスラエル国防軍が張っている検問でした。検問で怪しいと感じたシン・ベットのオデッド・シャロン要員はその男のボディーチェックを行なおうと近づいた所、その男が自爆し果てたのです。爆発でシャロン要員が死亡しました。
 ハマスが攻撃声明を出し、自爆したのはハーン・ユニス出身のイマド・タバック(21) Imad Tabach隊員だったと発表しました。
 シンベット要員が犠牲になったのは、アル・アクサ・インティファーダが始まってから初めてのことでした。

2004.01.14
 昨日の夜、イスラエル国内とパレスチナ自治区ガザを結ぶ検問所でゲリラの攻撃がありました。こここはいわゆる国境なので検問が厳しく正面きっての攻撃は無理と判断したゲリラは、立ち入り禁止と書いてある仕切りドアをなんと120Kgの爆薬で爆破しました。
 そして、検問所に突入したゲリラはあたりかまわず、銃撃を行ないました。この攻撃でセキュリティーガード6人が殉職し、5人が負傷しました。
 イスラエル国防軍がすぐさま駆けつけ銃撃戦となり、戦闘によってゲリラ3人は戦死しました。この攻撃にはアル・アクサ殉教者軍団、PRC(いずれも、故アラファト議長のアル・ファタ傘下)及び、ハマスが共同で攻撃声明を出しました。
 ハマスは可能であればイスラエル人を誘拐し、イスラエルに収監されているパレスチナ人との交換を計画していた。(ゲリラ隊員の戦死により失敗)と発表しました。
 アル・アクサ殉教者軍団は”攻撃はイスラエルによる我々のメンバー暗殺に対する報復である”と発表しました。
 攻撃を行なったゲリラの1人で自爆を行なったのはジャバリヤ難民キャンプ出身のムハンマド・アル・マンシ隊員(18)だとの事です。
 イスラエル国防軍はこの攻撃の後すぐさま反応し、アタックヘリが飛来したかと思うと、ガザにあるハマス関係者が運営する病院に対して2発のミサイルを発射したとのことです。  

2005.01.12
 今日の朝、パレスチナ自治区ガザで、走行中のイスラエル国防軍のジープを狙って道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発しました。爆発をまともにくらったジープは、同乗してたイスラエル人1人が死亡し、国防軍兵士4人が負傷しました。
 一方、ウエストバンクのラマッラで作戦を行なったイスラエル国防軍はハマスのメンバー2人を射殺しました。家々を捜索中の国防軍に対して、5人のゲリラが銃撃をしてきたため、国防軍も反撃し銃撃戦となりました。死亡したのは捜索していたゲリラだったということです。

2005.01.11
 なぜか、一昨日と昨日と一定時間、このサイトが見れなくなっていました。ご迷惑をお掛け致しました。

 パレスチナ自治政府最高責任者のアッバス議長が当選した翌日の今日ですが、パレスチナ自治区ガザにあるユダヤ人入植地とこれを守るイスラエル国防軍の野戦基地に12発の迫撃砲が撃ち込まれ、イスラエル国内に向けてはカッサムロケットが発射されました。これによる被害はありませんでした。
 ハマスが攻撃声明を出しました。曰く”我々はイスラエルによるパレスチナの占領が完全に終わるまで(例え、アッバス議長によって和平の交渉があったとしても)、ユダヤ人に対する攻撃を続ける。”という事です。

2005.01.10
 昨日、行なわれたパレスチナ自治政府最高執政責任者(アラファト議長の後任)を選ぶ選挙は、アル・ファタ幹部でPLO議長のムハンマド・アッバス元首相(69)が大勝し当選しました。
 今日の朝、最終的に集計が終わったのですが、昨日からすでにアッバス氏の当選は確実な状況でした。

 昨日、イスラエルの北部国境でパトロール中のイスラエル国防軍のジープが、道路脇に仕掛けられた爆弾で爆破されました。
 この爆発でジープに乗っていたイスラエル国防軍のシャロン・エルマキアス大尉(23)が戦死しました。他に乗っていた3人は負傷しました。
 ヒズボラゲリラが攻撃声明を出し、”占領されているレバノンのシェバー・ファーム地区(イスラエル側呼称ではハア・ドブ山)から、イスラエル国防軍の撤退させるために攻撃した。”と発表しました。
 イスラエル国防軍は国境を越えて報復攻撃を行なうと、ヒズボラも応戦し3時間に及ぶ戦闘があ始まりました。この戦闘で国連軍フランス人仕官が死亡し、スウェーデン軍の兵士1人がが負傷しました。
 イスラエル国防軍は”我々はイスラエルの市民をテロの脅威から守る義務がある。”ともコメントしました。

2005.01.08
 昨日、パレスチナ自治区ウエストバンクの町ナルブス付近を走る高速道路で待ち伏せ攻撃があり、イスラエル国防軍の兵士1人が死亡し、3人が負傷しました。
 2人のゲリラが道の両脇に伏兵しており、車が来たところに銃撃を行なったのです。銃撃戦になりましたが、ゲリラ2人は現場からの離脱に成功したとの事です。攻撃はアル・アクサ殉教者軍団が攻撃声明を出しました。
 一方ガザで今日、イスラエル国防軍がパレスチナ警察の警察官を射殺しました。野戦基地に接近してきた武装したパレスチナ人がいたため射殺したとの事です。

 明日はアラファト議長の死去によって、空白になっているパレスチナ自治政府最高執政責任者を決定する選挙です。

2005.01.03 謹賀新年!
 今年もよろしくお願いいたします。さてイスラエルですが、パレスチナ自治区ガザからカッサムロケットが飛来し、イスラエル人数人が負傷しました。
 イスラエル国防軍はガザ北部で作戦を行なっていましたが、今日の午後には撤収しました。この作戦間で兵隊さん1人が負傷した他、パレスチナ人のテレビカメラマンも負傷しました。
 一方、南部のハーンユニスに3日前から侵攻しているイスラエル国防軍は、今日の午前中に撤収しました。撤収したすぐ後に15発の迫撃砲が発射されましたが、被害はありませんでした。
 なんかすごくロケットや迫撃砲が発射されていますが、9日に予定されているパレスチナ自治政府最高指導者の選挙はどうなるんでしょうか・・・。いつも通り延期でしょうか。

 

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