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理事長総括
6 パネルディスカッション 
   
司 会  まず、地元の加藤栄一さんにお伺いしたいんですけれども。非常に、先ほど言いましたように、声は大きいんですが、なかなか行政のほうに声が届かないというふうに新聞紙上で言われているような実態なので、それはおかしいじゃないかと我々も思うのですが、我々のいつも窓口になっていただいている加藤栄一さんのほうから、ちょっとそこら辺のお話があればなと思うのですが。よろしくお願いします。座ったままで、どうぞ。
写真左から:今野、阿部、佐藤郁子、相澤、槙、佐藤和歌子、かんま、
荒木、加藤、中村、庄司、古尾、天野 (敬省略) 
加 藤  おばんでございます。地元の加藤栄一でございます。
 21世紀の社会は、情報とサービスを豊かに、モノとエネルギーは慎ましく、という時代を目標に掲げております。そんな中で、先ほど、市長さんから言われたように、一番大事なのは、地域の人々がお互いに相互理解をしながら新たな地域をつくるというパートナーシップが一番大事だということを強調されております。そのためには、いわゆるネットワーク化なんですね。先ほど、市長さんもおっしゃったように、今まで、モノを作ったり、街をつくったりする場合に、一つには政治的な決定権。2つ目は、市場の原理。いわゆる経済的な要件で地域社会をつくっていた。3つ目は、社会的な要件。いわゆる、今までの地縁とか血縁とか、そして、今日いわれる、このような文化センターで進めようとしたり、歌を歌ったり、そういうグループの縁、あるいは、社会なり、いろいろな会社なりで働いている人の縁、あるいは、今はやりのボランティアの活動。そういう相対的な人たちの入った中でのまちづくりをしていかなくちゃいけないというのが、先ほどの市長さんの考えだというふうに思っておりますし、私もそうだと思うんです。
 ただ、一番必要なのは、先ほど、クリーンとか安らぎとか、そんなことも言われましたけれども、一番大事なのは人と人との理解なんですね。しかし、今までの宮城地区にあって、地縁、血縁だけは非常に強くて、それを今のような社会縁とか、あるいはグループの趣味の縁とか、あるいはボランティアの縁、そういうものを考えないで、地域の習慣がいろいろなまちづくりに影響をしてきたのではないかなと。そんなことを乗り越えて、この新しい、マキ会長さんが中心のまちづくりを、地域参加型、いわゆる地域からの提言を重視するという運動に非常に敬意を表しますし、私たちも皆さんと一緒になってこの地域をつくっていくことにやぶさかではありません。
 大事なのは、地域社会というのは競争社会で、それでやると言いますけれども、それを超越して、競争の中にお互いの信頼関係を置いて初めて社会が成り立つわけでありますから、先ほども市長さんが言われた、心の苦しみというのは一生涯つきまといます。しかし、それを乗り越えて、お互いにみんなで理解し合って初めてこの街がよくなるというふうに思います。
 私も、平成10年に新たな総合開発計画が作られましたが、その時にも、この地域の全体を、郷六から作並、大倉まで、私なりの考えで市長に1時間くらい提言して、皆さんにも配付したこともありますけれども、しかし、時代が変わっておりますから、今までの大量生産、大量消費、大量廃棄の社会から、地球を生存させる。あと80年くらいで地球が滅ぶというふうな、3%くらいガスが発生すると人間が死んでしまうという、東北大学の前の学長の西沢先生がそのようなことも言われております。そういうことを考えた場合に、この地域にとって、クリーンな地域を地球の生存のモデルになるようなまちづくり、荒井さんのホームページも見せていただきましたが、循環型の社会、環境の循環型の社会をこの地域に、ぜひつくって、私は、皆さんと一緒になりまして協力したいというふうに思います。
 あまり長くなるとあれでしょうから、この辺で終わります。
司 会  まだ時間がありますのと、グルグル回りますので。炉端会議ですから、どうか、座ったままで、禁酒禁煙ですけれども、ざっくばらんにやっていただきたいと思います。
 MARFの役員なんですけれども、大倉定義地区で特別な組織を作りまして、非常に連帯感のあるまちづくりをやっていらっしゃいます、大倉地区協議会の庄司透さん、ちょっとお話しいただければなと思います。まちづくりに関してでも。座ったままで結構ですから。
 本当に長い間、まちづくりをやっていらっしゃるということで。
庄 司  おばんでございます。  まちづくりをやっていらっしゃいますということは、MARFでしゃべったような内容と。
司 会  大倉地区の現況でもいいですし。要するに、地域のまちづくりというふうなものの今までの経過。要するに、大倉地区の場合はこうだった、というふうな話でも結構なんですけれども。
庄 司  なるほどね。分かりました。
 おばんでございます。私も、MARFの委員としていろいろ会議等に参画させていただいております。私は、大倉地区に関することをいろいろ勉強していますが、宮城地区全体に関しては、まだまだ勉強不足でございます。その点は、一つご了承を願いたいと思います。
 ただいま、大倉地区の問題等いろいろございますが、一番は、大倉地区で何が一番有名なんだろう。観光が一番、私としては重点だなと思っています。観光といっても、先ほど、市長さんもおっしゃいましたが、800 年の歴史を持つ定義如来を抱えております。その定義如来を中心に、大倉地区をどのように (録画中断) みんなで生きるために地区全体をどのように活用していったらいいのだろうかという問題でいろいろ取り組んでおります。それも、個人個人の行動としてではなかなかできかねますので、いろいろな観光協会の組織とか、個人ではできない問題をいろいろまとめて地区全体の要望として行政側に要望陳情と。この問題を毎年毎年、行政のほうもなかなか進めてもらえませんので、同じ問題を、とにかく10年でも15年でも同じ問題を、つくっていただくまで地域を挙げてお願いをしていくというようなシステムで今まで行動をしてまいりました。
 おかげさまで、いろいろ定義地区に対して、駐車場の問題と、お客さんに対するバス停の問題と、小さい問題でございますが、それを行政側に理解をいただきまして、現在はそれを整備していただいております。
 一番の問題は、これから取り組んでいきたい問題というのは、大倉地区でございますが、道路のアクセスですね。現在、大倉ダムを抱えまして、大型バスが入ってこられない状況にある。この問題は、確かに簡単に道路はできませんし、どのようにしたらいいのだろうかというような問題は多々ございます。我々は、一番の幹線道路を整備していただければ、ほかに自然をあまり手をつけて壊してもらいたくもないし、その辺が一番問題かなと思っています。
 とにかく、地域の人たちがいろいろな小さい問題を取り上げて、こういう炉端会議ではございませんが、みんなで地域の問題を話し合って、それを一つひとつ、今度のまちづくり、MARFに参画させていただきまして、私は自分のことだけしか言っていなかったんですね、たしか、佐々木さんには。そういう問題を地域、地域が取り上げてまとめて、小さい問題からだんだん大きくしていこうと。それが本当のまちづくりじゃないかなと私は感じます。
 今のところはこんなところでございます。
司 会  ありがとうございます。  お近くにいらっしゃいます、サンリッツの古谷さん。本当にご熱心で。松原工業団地にあるサンリッツの工場長さん。工場長さんでよろしかったでしょうか。
古 谷  松原工業団地の中で、松原工業団地と申しますと、8社ほどで、それぞれの企業が平成元年頃から操業させていただいております。私どもは、株式会社サンリッツと申しまして、情報通信機器の製品を作っておる会社でございますけれども。平成元年から、同じように操業させていただいております。
 基本的には、地域住民と一緒になった活動をしていかないと企業というものは成り立たないわけでございまして、地元の協力がなければ、本当に一日たりとも操業できないような状況であります。
 そういう中で、いろいろと地域と一緒になってやっていくというような姿勢は崩しておりませんけれども、今までの活動の中で、我々、こちらに関東のほうから来たわけですけれども、最初に気がついたのは、交通の便という面、あるいは、どうしても車通勤が多いんですけれども、関東と比べると道路の照明の少なさ、そういうところで運転に対する危険とか、直感的にそういうことを感じたわけでございます。そういう中で、地域としての交流の中で、商工会さんを通じたりしながら、もうちょっと基本的な交通の整備をしていただきたいとか、そんなことも要求したこともありました。
 あるいは、松原工業団地のところに、昔、松原駅を造るというような話があったということを聞きまして、私どものほうも、そういう面では、何らかの形でもって、資金といいますか、少しでも企業としてバックアップできればというようなところで、そういう運動も一緒になってやっていきたいというような活動もしてまいりました。やはり、基本的には、そういう地域と密着した活動というものを今後ともやっていく予定であります。
 と同時に、最近、私どもの会社の宣伝をするわけではございませんけれども、ISO14000、これは国際環境の規格に準ずるものですけれども、昨年、仙台工場として認証を取得させていただきました。これは、大気汚染とか土壌の汚染、騒音、振動、臭気、あるいは、地球にやさしいということでもって資源のリサイクル、あらゆるそういうところの活動をしていくということで、だいぶ厳しいんですけれども、仙台市さんも取ったようですけれども、その後、引き続いて、いろいろと勉強しながら取らせていただきました。基本的には、環境という面でも考えた活動を企業としてやっていくということでございます。今後とも、そういう面では、地域の整備あるいは環境というところにも、そういう面を視野に入れた活動を今後ともしていきたいと思います。ひとつよろしくお願いいたします。
司 会  古谷さんもそうですが、ここに来ていらっしゃるSIIマイクロパーツ、セイコーさんの加藤課長さんのほうからも話を伺ったのですが、例えば、松原駅ができるということになると、非常にマイクロパーツさんの場合は、地域住民と一緒になってお祭りをする機会が今まであったんだと。ところが、駅がないところにポツンと来ちゃいますと、みんな交通が車になってしまうので、どうしてもお祭り、焼き鳥を焼いたり、いろいろなコミュニケーションを図れる場がない。そのためにも、ぜひとも松原駅は欲しいんだと。ただ、仙台市のほうとすれば、乗降客の数字とか、通勤客の数字とか、数字でしか駅の判断をしない。ですから、駅ができたことにおける、逆に、波及効果というふうなものをなかなか数字として見てくれないということがあったので、そこら辺は、もっと声を大にして、皆様と一緒に、MARFのほうの理事長も発言をしていらっしゃいますが、今年度、次年度、頑張ってお願いしていきたいなというような感じではおります。
 ありがとうございました。
 それでは、まるっきり若手に移りますか。「大倉、命」という、大倉大好きの今野君。
今 野  大倉大好きの今野です。
 僕は、大倉に住んでいるわけじゃないんですけれど、例えば、数年前に自転車で定義とかへ行った時に、すごくきれいだなとか思ったので、僕は大倉のほうを、開発というか、もっと発展させていきたいなと思っています。
 あと、今年の正月なんですけれど、郵便局でアルバイトをして、郷六のほうが担当だったんですけれど、地域の人も、挨拶すると、みんな「頑張っているね」とか言ってくれて、すごくいいところだなとか思ったので、たかが17歳ですけれど、宮城地区のことについてもっと考えていきたいと思います。
今野君、阿部君、佐藤さん
写真左から:今野、阿部、佐藤郁子(敬省略)
司 会  ありがとうございます。  続いて、阿部君。
阿 部  ジュニアリーダーをやっています阿部です。
 今、うちのクラスとか、友だちとかでよく言われるんですけれど、こっちの宮城地区とかのほうは、よく田舎というふうに言われるんですけれど、俺は、田舎と言われるほうがすごい、いいと思うんです。その場では、「そんな、ひどい」とか、よく言うんですけれど、内心は、すごいうれしいんですよ。今、家は広瀬住宅、落合駅のすぐ近くのところに住んでいるんですけれど、そこから自転車でちょこっと行っただけでも、趣味で釣りをやるので、よく広瀬川とか行ったりするんですけれど、水辺とか、そういうところがとても近くにあって、しかも、魚とかもいっぱいいるので非常にうれしいんです。
 でも、今の状態を見ると、駅とかポーン、ポーンとはあるんですけれど、そこに行くまで遠い家の人たちが、バスを使うのにも時間とか結構、間があるので大変なんですよ。そういうところを直していただければ。俺的には、開発が進まないで、このまま緑とかが残って、水とか、広瀬川とか、サイカチ沼とか、そういうところが残っていただければ、わたし的にはとてもうれしいです。
司 会  ありがとうございます。  
では、お隣、今年、成人式を迎えました、名取高専の、もう5年生なのかな。佐藤郁子さん。
佐藤
郁子
 皆さん、おばんです。佐藤です。
 私も、この炉端会議と勉強会にほぼ参加させていただいて、いろいろなことを考えたり言ったりしてきたんですが、きょう、一番実感しているのが、この勉強会とか炉端会議の意味をすごく自分で実感しています。今回、いろいろ勉強会でまとめた意見とかをMARFのほうから仙台市のほうに提案していただくということで、正直、まだ若干二十歳だし、特に都市計画を勉強しているわけでもなく、何も専門的なことが分からない私も参加して、勉強会で自分の言ったこととか、そういうことが市のほうに実際に提案していただけるとなると、正直いってちょっと不思議で、本当にその意見を市長が聞いてくれるかとか不安なんですけれど、1回目も県知事が来てくれたということもあり、今回も市長さんが来てくれたり、あと、県議員の方や市の議員の方が、皆さんいらっしゃっているということで、正直いって、今までは、役人の方たちは聞く耳を持っていないんじゃないかなという気持ちがあったんですけれど、今、愛子の田んぼが開発されていますよね、栗生小学校から広瀬小学校のところの裏の田んぼ。私も、その前の元木裏に住んでいるんですけれど、あそこが急に砂の山になったときに、ものすごくびっくりしたんですね。きっと、この会場の方でもびっくりされた方はいると思うんですけれど。ちょっとびっくりした人、手を挙げてください。
 やはり、そうですよね。私も、急に砂の山になっていて、「何だ、これは」なんて、すごくびっくりして、「情報公開をもっとしろ」とかってちょっと思ったんですけれど。
 ただ、この勉強会とかに参加して、さっき市長も、分権社会という言葉をおっしゃっていたんですが、これからは相互作用が必要になってくるし、昔は国と民衆というのは支配と従属の関係にあったと思うんですが、今は、もちろん、保守と義務とか、そういう関係になっているんですが、分権社会を目指すことでもっともっとそれが強化されて、私たち民衆の意見とか力が、より大きくなることを実感して、きょうは本当に、この1年間、MARFの皆さんと一緒にまちづくりについて考えてこられたことを、すごく勉強になったし、幸せなことだったと思います。
 来年も、またもっと具体的に進めていくということで、途中から、今回、ジュニアリーダーの若い人たちも参加していたんですが、若い人たちの力というのはすばらしいものがあります。創造力から、実際の体力というか、実際に動かす力もなんですが、ただ、やはり、若いだけじゃできないことってあると思うんですね。お年寄りの方の知恵とか安らぎとか、実際、ここにいるMARFの皆さんの、中年の方というか、中年層の方の力、そういう力が合わさってきっとできることだと思うので、来年もまた、この会を皆さんに支持していただいて、頑張っていきたいと思います。
 すみません、長くなって。ありがとうございました。
司 会  ありがとうございます。  お隣の中年の相澤さん。
相 澤  皆さん、おばんでございます。
 私は、熊ヶ根町内会長の相澤でございます。こんな高い席からお話しするのも大変恐縮しておるんですけれども。
 熊ヶ根町内会にとって、本年、本当に喜ばしいことが一つあるんです。それは、熊ヶ根のまちづくりにとって、熊ヶ根中学校あるいは大倉中学校が高陵中学として新しく発足して、新しい校舎が建設されました。新しく建設されました校舎は、学校らしからざる学校といいますか、廊下は、今の学校のイメージからいくと倍以上あるんですね。それから、天井も高いんですね。天井も模様がありまして。それから、ホールもありますけれども、ホールなんかは、生徒さんたちが、食堂といいますか、給食を食べる場所らしいんですけれども、それなんかも広いし、2階に上がる階段は円形です。回り階段と申しますか。さらに、エレベーターもございます。図書室にしても、あるいはコンピューター室にしましても、本当に広くて、仙台市のモデル校として自慢のできる中学校だろうと、こういうふうに私は思っております。そんなことで、熊ヶ根の駅前で、電車の便、バスの便、こういう利便性もございますし、環境も抜群でございますので、あの学校で学ぶ生徒さんは本当に幸せだなというふうに私は思っておる次第でございます。
 ただ、今年は、そういうことで喜ばしいことがあるんですけれども、反面、今の熊ヶ根中学校の跡地をどうするかということで、今、西部地区全体の、町内会長さんにお願いして、西部地区にどういうふうな施設を造ったらいいのか皆さんで検討し、かつ、仙台市の指導を受けながら、私たちの意向を実現していきたいと、このように思っております。
 本当に、21世紀の幕開け、熊ヶ根地区にとっては、高陵中学校はまちづくりにとっては本当に最大の私たちの喜びであったろうと、このように感じます。
 大変くだらないというか、お話がちょっとずれましたけれども、本当にご清聴ありがとうございました。
司 会  宮城地区というのは本当に広うございまして、旧青葉区よりもかなり、仙台よりも広いわけです。ですから、こういうふうな機会がなければなかなか、大倉地区の話とか、熊ヶ根の話等々、本当は吉成の話も聞きたいのですが、なかなかお見えになってくれない方もいらっしゃいます。ですから、こういうふうな機会がないとなかなか、同じ宮城地区といっても意思の疎通というのは図れないんじゃないかなと思って、これは非常にいい機会だなと思っております。
 あっちこっち、宮城地区を歩いていらっしゃる、若き佐藤和歌子さん。
佐藤
和歌子
 何分なのかしら。私、話が長いので。すみません、手短にと思っているんですけれども。
 私、大倉大好きといわれて、今野さんに、すごい涙が出るくらいうれしい、大倉の出身でございます。知っている人は知っていると思いますけれども。私は、この地区が、もちろん生まれ育った地区ですから大好きで、今、私は、この地区で一所懸命、作並、熊ヶ根、大倉、あちこちにいろいろ関わってやっています。
 さっきの大倉地区のアクセスの問題。ダムの上をいつまでも大型バスを通していいのか、大型ダンプを通していいのかという問題があって、あそこを新しいアクセス道路、トンネルを掘るんですよ。そのまま、山を崩さないでトンネルを掘って、ダムの上を通さないようなアクセス道路、それを、今、一所懸命、行政を後ろから突っついています。
 作並地区では、新川分校。雪が、今年、ひどかったんですね。雪、何とかしてくれと電話が来るんです。除雪してくれ。「あそこのエバーグリーンのところの橋の上の雪、何とかしてもらいたい。子ども、落ちたらどうするんだ」と、こういうふうに言われて、それも総合支所のほうにギャンギャンと騒いでいます。
 一番びっくりしたのが、夜中におじいちゃんから電話が来ました。愛子の駅前のバス停の雪があまりにも多くて、俺、滑って転んだ。何とかしろ。それもすぐに電話しましたら、すぐ除雪してくれることになりました。
 私としては、そういう小さなことでも大きいことでも、とにかく、この地区のために一所懸命働かせていただきたいなと思っておりまして、いつでも声をかけていただければなと思っています。
 大きいほうでは、落合駅の歩道橋の問題。これは、加藤栄一さんとか庄司進議員さんがずっとやっていらしたことなんですけれども、私もその後を引き継ぎまして、しつこいワカちゃんということで、建設局に1カ月置きくらいに行って、「どうなったの」「どうなったの」「進行はどうなっているの」「JRはどうなの」ということでやっていまして、落合駅の歩道橋のほうに、今、一所懸命に取り組んでいるところです。さっき、仙山線の複線化と市長が話しましたけれども、これも、みんなに、「なに、夢みたいな話。できっこない」とかと言われていますけれども、夢はなくしちゃったら終わりだと私は思っていますので、とにかく、実現するまで言い続けていくことが絶対に大事なんじゃないかと思って、しつこく複線化も言っています。またバカみたいなことをとみんなに思われているんですけれども、複線化によって松原駅なんかのほうもできていくんじゃないかなと思うんですが、今のところは、乗客数とかそういうようなことで、ちょっと難しいというふうには言われているんですが、松原駅の問題も加藤栄一さんなんかが一所懸命やってくれていますので、また引き継いで一所懸命やらせていただきたいと思います。
 本当にマイクを持たせると止まらないものですから、一つだけ。私は、大倉出身で、議会で笑われています。クマやサルの人数のほうが人口より多いとかって。大倉の話が出ると必ず、「ほら、ワカちゃん、ワカちゃん、大倉のことを言っているよ」というふうにして笑われていますが、私は大倉を誇りにしています。さっきの今野さんと同じように。大倉のことを笑う人は笑え。でも、私は大倉を誇りにしています。佐藤和歌子でした。どうもありがとうございます。
司 会  ありがとうございます。
 かんま進さんは、今、住んでいらっしゃるのは旧宮城町ですか。旧宮城町出身ですね、かんま進さんは。今、住んでいらっしゃるところは旧宮城町の中にあるところですよね。
かんま  そうですよ。
司 会  そうですよね、造詣が深いですよね。本当に吉成と、この地域というふうなものは、同じ宮城地区でも非常に関わっている部分がある。意識の中でも、分区する時には、絶対こっちのほうには混ざらないよというふうな意識が 100%あるというふうな話も出ているわけですが。それだけの話にこだわらず、あちこちのまちづくりを見てきた中での、きょうのGISによるまちづくり並びに宮城地区の将来像なんていうふうなものをどのように考えているか。宮城地区住民としてお話をいただければと思いますが。
かんま  県会議員のかんま進です。
 本当に、きょうは、雪の中、ご苦労さまです。
 いつも刺激を受ける会だなと思っています。また、きょうの佐々木事務局長は意地悪な質問をしたなというふうに思うわけですけれども、当然、来るんじゃないかと思って答えは準備しておりました。
 私自身は、現在、吉成地域に住んでいます。私、実は、浅野知事とちょうど丸3年違う年齢でありまして、浅野知事が23年の2月8日生まれで、きのう、53歳になりました。誕生パーティーをやったそうです。私自身は、26年の2月8日で、きのう、50になりました。家族で、3人で、ささやかにお祝いをしました。余計な話です。
 ただ、何を言いたいかというのは、私自身、50歳になったのですが、そのうち22年間、吉成、旧宮城地域に住んでいるということです。育ったのは子平町というところですけれど、現在、和歌子さんが住んでいる国見地域ですけれど。小学校2年から高校3年まで、おやじ、おふくろは今でも住んでいますが、私自身は、そこへ住んだのは11年ということで、もう2倍住んでしまったということを、まず、前提にお話ししたいと思います。
 大変申し訳ないんですけれども、ちょっと長くなるかもしれませんが、真剣にお話ししますので聞いていただきたいのは、私自身は、そういった意味で、旧宮城地域というか、佐々木事務局長から言わせれば広瀬というふうに言ったほうがいいかもしれませんけれど、大沢もありますし、そういった意味では、旧宮城地区といったほうが私はいいのかなと思います。ここの地域をどういうふうにしていくかということを、今、MARFで考えているということはすごく大事で、20年後どうするんだというスタンスで考えていることはものすごくすばらしい。目標を持っていかなければ達成はないということであります。私個人としては、端的に言えば、宮城地域というのは生活・文化拠点地域にしなくちゃいけないし、エコロジー都市のモデル地域にしなくちゃいけないというふうに個人的には思っています。
 そして、私自身が住んでいる吉成地域が、私も好きなところですけれど、団地というのは残念ながら、都会の一つの典型であって、無機質な街になりがちであるということです。さっき、ジュニアリーダーの方々が言っていたけれど、田舎ということはすごく大事なことなんですね。私自身は、また素性をいいますけれど、登米郡の米山というところで生まれて、飯が食えなくて1歳くらいの時に出稼ぎに来たんですね。ずいぶん早稲でした、1歳の時に出稼ぎに来たんですから。そういったことで、米山というふるさとを持っていますので、田舎というのはすごくいいことだと思う。人間関係が濃すぎて、きつい場合があるけれど、これからは、21世紀のまちづくりは、無機質なまちづくりじゃなくて、血の通ったまちづくりにしていかなくちゃいけないといった場合には、本当に、きょう、皆さん集まった各地域の考えている方というのは、すごくありがたいな。そういう意味では、宮城地域というのは、そういったベースがあるんだなというふうに思うんです。そういったものをベースに、そういったことを目標にまちづくりを提言して、実際やっていくということによって中身が充実して、私は、将来的な分区というものも当然視野に入ってくるんだろうなというふうに思います。
 これは、決して、私が吉成地域にいるから、ごまかす云々じゃなくて、21世紀は、また、私自身も半世紀生きさせていただいたわけですから、これからはビシッと本音で生きていかなくちゃいけないと思っていますので、本音を語ります。政治家というのは、票を分けられた場合、大変厳しい思いをすることがあります。私もそうだろうし、和歌子さんだって分かれるんですね。しかし、やはり、10年先、20年先を見たときに、どういうふうなまちづくりをみんなと一緒にしていくかということをやっていけば、きっとご理解いただけるんだと思います。
 そういった意味で、これは例えばの話ですけれど、吉成地域の方々が、旧宮城地区が本当に魅力ある街になっていけば、俺も入れてくださいと。昔から宮城地域じゃないですか、というようなことができるようなまちづくりをしていくということが、共に、きょう、吉成地区の方は、私が知っている範囲では来ておりませんが、来ていたら大変申し訳ないですが。共に話をしていかなくちゃいけないし、MARFが中心にやっていく分であっては、より魅力あるところをアピールしていかなくちゃいけないというふうに思うわけです。私も、ぜひそれは、3年先にそうなるということは、私は自信ないけれど、5年先、10年先というスタンス、ましてや、20年先というスタンスで考えたときには、ぜひ、そうあるべきだなというふうに私は思います。
 そういった中で、私は、仙台の全体像をどういうふうに考えていくのか。人口をどのように踏まえていくのか。120 万が限度と思いますけれど、その中でこの宮城地区が、人口の受け皿という表現はよくないけれど、人口目標をどういうふうに持っていくのかということも考えていかなくちゃいけないし、また、南3県サンライズプランだったと思いますが、山形市と福島市と仙台市との連携というものは大変重要になってくるわけです、南3県で。岩手県の知事が、道州制を含めて、北3県の連携をぶち上げておりますが、南3県のほうは、浅野知事が、税制改革にならないと、税制の問題を解決しないと、なかなか道州制というのは進まないというふうな話をして消極的に見えますけれど、少なくとも私は、山形県との連携というのは必然的にせざるを得ないし、実際問題、縮まっているわけですね。そのときに、笹谷だけが入り口じゃなくて、昔から関山が入り口であって、宮城地区のポジションというのは非常に重要になってくるので、そういった意味でバイパスはどうあるべきなのかというふうなことも考えていかなくちゃいけないと思います。
 昭和22年から33年だったと思いますが、仙台の基礎をつくった元岡崎市長の先見性というものを、もう一度この機会に振り返るべきであろう。ご案内のように、二番町通りが、今では結構狭くなりましたけれど、その当時、造った時には、仙台砂漠と言われるくらいに砂塵が舞って、車もほとんどなかった時代です。その時に、また戦争のために飛行機の滑走路でも造るんじゃないかと。すぐに代替ができるんじゃないかというふうなことを、足を引っ張られて言われていたんだけれど、それは、30年先、50年先を見て自分は造るんだという都市計画を思い切ってやったわけですね。
 また、今、仙台のシンボルといわれる定善寺通り、また、青葉通りのケヤキ並木を造ったのも、岡崎元市長なんですね。定善寺通りのグリーンベルト、あのところを造ったのは岡崎市長です。なぜ、50数年後にこんなすばらしいものができるということを予測できたのだろうか。そういう反対があった中でやっていったわけです。
 一つ警鐘として言わなくちゃいけないのは、大変、ご年輩というか、先輩たちには申し訳ないんだけれど、その当時、大倉ダムを造ったわけです。岡崎元市長が辞めてから大倉ダムは完成したんだけれど、定義ダム構想というのがあったんですよ。定義のほうに、手前のほうにダムを造ろうという構想があって、それを岡崎元市長はずいぶん進めていて、県と建設省のほうは大倉を進めていって、最終的には大倉で決定して大倉ダムを造ったんですが、たぶん、その時は、旧宮城町というのじゃなくて、広瀬村と大沢村だったんじゃないかというふうに私は思います。ちょっとそれは確認していませんけれど、たぶんそうだと思います。その時の、これは話として聞いてください。本当かどうかは分からないけれど、「おらっちは井戸があるからいいさ」と言って水利権を取らなかったというふうに伝わっています。これは、十分もう一回調べなくちゃいけないことですが、そういった先見性のないことをこれからやってはいけないということで、私は、MARFが20年先を見越して力をつけていくということは、すごく大賛同であります。
 どちらにしても、先ほど、藤井市長が大変漠然とした話をいたしましたが、秋保と作並を比べて、きょう、作並の方もいらっしゃっていますが、アクセスの問題で、愛子駅から秋保愛子線ができて、より秋保が近くなったと。もちろん仙台市内ですから、仙台市の繁栄というのはすごく大事なことですけれど、じゃあ、宮城地区を考えたときに、作並を考えたときに、それで喜んでいいのか。やはり、先ほどの山形との連結のバイパスを含めて、また、仙山線の複線も含めて、そういった視点でも、官民挙げてというか、議員たちと市民たちと力を合わせて、大変失礼な言い方だけれど、これも、仙台市と合併した岩切とか中田のような形にならないように、お互いに頑張りたいと思っています。よろしくどうぞ。
司 会  ありがとうございました。
 今度は、本当に市民の生の声をいつも聞いておりまして、大変ご足労をなさっていまして、当MARFの副理事長でもあります天野さんのほうから一言お願いしたいのですが。我々、市民の一番の接点におりまして、行政と市民の間に入ってご苦労なさっていると思うんですけれども。
天 野  私、町内会に関係しているものですから、きょう、熊ヶ根の相澤会長さんもおいでになっていますけれども、日頃、各町内会長さんがおっしゃっていることを、きょうはお話ししてみたいと思います。2つほどお話ししたいと思うんですけれども。
 まず、1番目は、宮城地区の特性なんですね。先ほど、市長さんもアイデンティティということをおっしゃいましたけれども、宮城地区というのは、吉成の方面は商業地でありますし、作並は温泉地域。そして、定義山は、いわゆる定義如来を中心とした観光都市。また、錦ヶ丘には大きな団地もありますし、また、青野木、芋沢方面には農村というふうに、いろいろなアイデンティティを持った地域なんですね。これをどういうふうにこれからまちづくりをしていくかということは非常に難しい問題もあるでしょうし、それからまた、それぞれの地域の町内会の関係なんですけれども、みんなで一つの問題に取り組むということが非常に難しい地域だと思うんです。例えば、塩竃でいえば漁業の街ということであれば、市民みんなが漁業についての話をすることができるでありましょうし。宮城地区、自然、緑豊かな街と、よく皆さんがおっしゃいますけれど、果たして、ここが今、緑豊かな自然の街と言えるだろうかと思うんですね。これからMARFが、先ほど映像でいろいろ出しましたけれども、そういったことを考えますと、このまちづくりというのは非常に難しいと思うんです。
 町内会長さんとお話ししますと、温泉にいる方、温泉の現在の衰退ということを大変に憂いておられますし、また、国見、吉成のほうの方は道路問題あるいは地域の環境問題ということでお話しになる。非常に地域のアイデンティティの多様化というものが、この宮城地区というのは、他の地域にはない特性だと思うんです。それは、地域的なこともありますけれども、また、人間的なモノの考え方、それについても非常にバラエティに富んでいると思うんです。それを今後、どういうふうにしてまちづくりをつくっていくかということも大きな問題だと思います。
 2つ目ですけれども、まちづくりというのは、ひとり宮城地区だけの問題ではないんですね。どこの都市でも、国でも同じなんですけれども、近隣の市町村ですとか、そういったところへの影響ということを常に考えながらまちづくりをしていかなきゃならないと思うんです。例えて言えば、道路問題で考えた場合、東のほうへ行った場合、郷六から折立に入った場合、どこから太白区に入るのだろうか。折立に入るようなところといいますと、宮城地区とは違うところなんですけれども、整備ができますよね。つながっています。また、秋保につきましても、今度、道路ができまして、たった5分か10分でもってあちらへ行ってしまう。皆さんもご存じの方が多いと思いますけれども、秋保から非常に多くなっていますし、通勤も、今、こちらのバイパスを使って通勤するのが非常に多くなっている。そういったことは、秋保の方々にとっても宮城地区というのは、決して生活の中で離れることのできない地域になっていると思うんですね。また、みやぎ台のほうも、住吉台とも、もう間もなくつながることもあるだろうと思いますから、そういったアクセスの問題なども含めましても、ひとり宮城地区だけでもってまちづくりをする時代ではないと思うんです。そういった、あたりの環境というものを包括的に考えて、広域的な考え方でこれからまちづくりをしていくことが大事だと思います。
 その2点について、これからのまちづくりで考えていかなければならないことだなと私は思っています。以上です。
司 会  ありがとうございました。
 本当に、役所の、しかも道路部長という要職におられて、本当はこのシンポジウムには入りづらいとは思うのですが。きょう、本当は総合支所長もいらっしゃるんですが、総合支所長の立場だと質問攻めにあうというふうなことがありましてあれですから、穏やかな中村部長さんに登壇していただいたわけですが、きょうの皆さんの会議、そして、GISによるまちづくりというふうなものに対する感想なりご意見なりを頂戴したいなと思うのですが。
中 村  どうも、おばんでございます。市役所の道路部長をしております中村でございます。いつもどうもお世話さまでございます。
 先ほど、私の紹介の中で、佐々木さんが、去年の3月まで都市整備局、まちづくりのほうを直接担当しておる都市整備局のほうにいた中村ということで紹介があったわけですけれども、その時のことを含めてちょっとお話ししてみたいと思うんですけれども。
 先ほど、かんま先生が一番最後の締め括りのところで、中田地区のようにならないようにというようなことをちょっとおっしゃったと思うんですけれども、 中田地区と愛子地区という
嘉藤さん、中村さん、庄司さん
写真左から:加藤、中村、庄司進(敬省略)
のは、まちづくりをする上では難しい地区というふうにされているんですね。何が難しいかというと、皆さん一般に、市街化区域と市街化調整区域という区分についてはご存じの方が多いと思うんですけれども、それでは、市街化区域というのはどういう地区ですかというと、開発可能なところ、家を建ててもいいところ。調整区域って何ですかというと、開発を抑制する区域、家を建てられないところというのですね。これは間違いなんです。両方とも間違いです、この答えというのは。市街化区域というのは家を建ててもいいところじゃないんです。
 市街化区域と市街化調整区域というのは、昭和43年の都市計画法の改正の時に初めて導入された概念なんですけれども、その時に、実は、地区区分については、市街化区域と市街化調整区域という分け方ではなくて、4つに分けようとしたんですね。どういうふうに分けようとしたかというと、今でいう市街化区域については、一つは既成の市街地、つまり、既に家が建っていてできあがっているところ。既成市街地というのと、計画的にまちづくりをするところ、これを市街化区域という区分で。ですから、既成市街地と市街化区域。今でいう調整区域というのは、いわば将来のために、将来まちづくりをするために、あるいは市街化するために取っておく地区と、保存する地域といいますか、保全する地域といいますか、そういった区分。つまり、4つの区分にしようということにしたわけです。結果的には、農政のほうとの調整とか、いろいろなことがありまして、市街化区域と市街化調整区域という2つの概念で分けられてしまったがために訳が分からなくなってしまって、市街化区域というのは家を建ててもいいところだというようなことで捉えるようになってしまったわけですけれども。
 この愛子地区と中田地区が、なぜ難しい地区かというと、市街化区域との線引きをする時に、宮城地区というのは、当時、10万人構想というのを持っていたものですから、10万人の人口を受け入れるだけの土地を確保しなきゃならないということで、10万人まではきっちりいかなかったかもしれないですけれども、宮城の市街化区域を設定してしまったわけです。
 こうしますと、今、皆さん方も、たぶん、市街化区域の中に土地をお持ちの方がおられると思うんですけれども、市街化区域になると、今の都市計画といいますか、建築基準法といいますか、都市計画法の用途地域というのは非常に不十分なもので、こういったものを建ててはいけないという規則はあるんですけれども、こういったものを建てなきゃならないという規則にはなっていないんですね。決まりにはなっていないんです。だから、「こういったものは建てちゃいけない」ということに触れさえしなければ、何を建ててもいいわけです。だから、勝手に例えば自分の土地だけで家を建ててもいいし、代表的なのはミニ開発というやつだと思うんですけれども、小さな開発が、ステンドグラスを作っていくように、ゴチャゴチャとつなぎ合わせるように街を造っていくことが可能なんです。実際に、例えば、先ほどかんま先生が言ったように、中田地区等においては、一度、車なんかで入り込んでしまうと、どっちが東西南北か分からなくなってしまうようなまちづくりといいますか、そういったのが進んでいる地区というのが、まさにあるわけなんですね。
 この愛子地区も、その意味では、市街化区域というのが、現在の人口をはるかに上回る形で市街化区域があるわけです。だから、開発しようと思えば幾らでもできるわけです。ですけれども、それを許した場合には、それこそ、例えは悪いですけれども、ゴチャゴチャした雑居ビルのような街になってしまう。これは非常に都市計画を進める側で一番心配しているというか、憂いている部分なわけなんです。
 話がここでガラッと変わるんですけれども、私、商売柄、いろいろなところのまちづくりを考えている方々のところに顔を出すことがあるんですけれども、一昨日は、仙台市東部の卸町団地とか、工業団地ですね。倉庫団地とか工場団地とかありますけれども、そういった方々のお集まりのところに行ってまいりまして、いろいろな話を聞いてきたわけですけれども。今、卸売業というのが、卸しと小売りの境目というのがなくなってきているものですから、スーパーなんかは中間的なそういった流通を通さないでダイレクトにモノを仕入れるというふうなこともあって、どんどん卸しの分野というのが狭められてきていると。また、価格破壊とかというようなことで、かなり価格競争の激しい時代ですから、中間部分というのはどうしても絞られるというふうなこともありまして、かなり危機感を持っていろいろな経営をされているわけなんですね。
 特に東部地区の場合は、もともとは流通業に特化させるということで、土地利用を定める時に、かなり厳しくやってきたということもあって、今の東部の卸売団地とか工場団地のほうには、夜になると一人も人が住んでいないところというのはたくさんあるんですね。夜は、暗くなくても怖くて歩けない。だから、人が住めるような街には、今、なっていないんですけれども。これだけ流通の業態が変わらなきゃならない状況にあっては、この土地利用から、つまり、まちづくりそのものを根本から見直さなきゃいけないというようなことで、今、真剣に考えています。それは、1社や2社が考えているんじゃなくて、団地全体で、そういったまちづくりに、真剣にというより、ほとんど目の色が変わるような形でやっているわけです。地区ぐるみでそういったまちづくりに取り組んでいる地区と、例えば、単なる資産運用で家をバラバラと建てているところのまちづくりを比較した場合に、どっちがどういうふうになるかというのは、火を見るより明らかなところがあると思うんです。
 難しいところだという言い方をしてきたんですけれども、我々は、同時に心配もしてきた地区でもあるわけですけれども、行政の怠慢ももちろんあるんですけれども。そうした中で、私、先日、MARFのワークショップなんかに出させていただきましたけれども、MARFの活動というのが、若い方も含めて、かなり幅広い年代層で、次第に大きな広がりを持ってきているということにつきまして非常に私も注目していまして、まちづくりをするというのであれば、地域全体といいますか、大きな広がりの中でまちづくりというのが考えられていかないと、その行く先というのは、たかが知れているというようなことになると私は思うわけです。その意味で、このMARFの活動というものを非常にうれしく思っていますし、今後とも私は期待しているということでございます。雑ぱくな話ですけれども。
司 会  ありがとうございます。
 本当に、行政サイドというふうに言っちゃうとちょっと語弊があるかもしれませんが、中村さんのような方がいらっしゃれば、同じテーブルでもってまちづくりを考えていく機会が非常にとれると。僕は、中村部長さんには期待しておりますので、今後とも、GISのデータ提供、並びに、いろいろなご指導と、協働の世界をつくっていきたいなと思っております。
 たまたま、きょう、いろいろなお話があったんですけれども、実は、きょう、二岩の庄司弘さんがお持ちしたやつなんですが、ナライバシの現況調査のお知らせって、今やっているわけです。これ、なくなったと思った愛子バイパスって、僕、言いましたよね、前に。あれ、ないよって。愛子バイパス。つまり、今の二岩、真っ直ぐミヤジガーデンのところを突き抜けちゃって白沢まで行く、農道から真っ直ぐ行っちゃう道路。あれは結局、今の都市計画図に載っていませんよね。昔の根拠もなかったですよね。ところが、今、仙台市で発行している書類の中に、その線が入っちゃっているんですよ。これは非常な語弊を持つような形になると思うので、ちょっと後から見てもらいたいのですが。こうなっちゃうと、「いや、まだ残っているんじゃないかな」という話も出てきちゃいますのでね。これを後からお渡ししますので、後でご意見を伺いたいなと思っております。すみません、ちょっと込み入った話なんですけれども。
 それでは、我々MARFの事務局で下働きしてくれています、青野木のほうなんですが、アトリエで彫刻をやっておりまして、仕事は彫刻家なんですが、東北工業大学のイシオのほうの助教授をしていらっしゃいます荒井先生、一言お願いします。
荒 井  こんばんは、荒井です。
 GISによるまちづくりということで、ワークショップから、シンポジウムから、この1年ずっと見ていまして、素朴な感想というか、それをちょっと述べさせていただきたいなと思います。
 まず、コンピューターとかホームページとかインターネットとか分からない人が、このGISを見ていて、いったい分かるのだろうかというのを素朴に思っています。これを何にたとえて話せばいいのかなということをボーッと考えていまして、便利な電気掃除機を考えました。ホウキとかチリ取りとかでも掃除はできるのですが、電気掃除機があると便利でしょ、速いでしょ、というようなことだと思えばいいのかなと。そういった道具と思ったらいいのかなという気がしました。電気掃除機があっても、部屋が片づいていない家もありますよね。それは掃除機の使い方がまずい。掃除機では吸い取れないようなところは、いまだにホウキとかチリはたきとか、いろいろ使わないと部屋はきれいにならない。そう考えたときに、このGISという掃除機は、どのように使えば便利なのか。そういうことをこれから皆さんと考えていかなきゃいけないのかなと。
 掃除機を使うときに、邪魔な椅子とか、邪魔な本とか、それを片づける、そういった仕事も必要だろう。だから、このGISが、例えば掃除機で、情報をいろいろ処理してくれる、時間を短縮してくれる分、住民の皆さんは椅子とか本を片づけたり、ほかの仕事に手が回せる。そういうような使い方として、このGISを考えていけば便利な道具として使っていけるのかなと考えました。基本的には、きれいにしようという気持ちがなければ掃除は成立しなくて、住んでいる人が、住みよい、部屋をきれいにしたい、それがなければ始まらないなと。これから、たぶん、情報をどんどん詰め込んでいくとGISというのがもっともっと分かりやすい答えを弾き出していってくれるのかもしれない。これをうまく利用して、この宮城地区のまちづくりを効率よく進めたらいいのかなと、ボーッと先ほど、あのスライドを見ながら考えました。
 こんなような感覚で、後藤さん、いいのでしょうかね。たとえが果たしていいのかどうかは分からないんだけれども、あくまでも道具というのは、人が使う側に立って使っていかなければ意味のないことなのかなということで、そういうような感想を持ったことを一言。
司 会  そうですね。そういう部分での啓蒙活動、啓発関係も必要であるということですね。
荒 井  そうですね。
司 会  分かりました。  やはり同じく下働きをして、本当に目に見えないことでご努力なされていまして、やはりMARFの事務局なんですが、デザイン工学研究所の所長であります荒木さん。赤坂に住んでいます荒木先生。
荒 木  忘れ去られたかと思って、帰ろうかと思ったんですけれども、出番が回ってきてよかったです。荒木と申します。
 先ほどの後藤さんに報告していただいたこともあるのですが、その前に、藤井市長の話で出てきましたネットワーク型、これは加藤さんもおっしゃっていました。私、たまたま、きのう、サインデザイン協会というのの集まりがありまして、そこでセミナーがあったのですが、そちらでも、芸工大の小林先生という方が、これからはネットワーク型社会になると。ネットワークというと、すぐ、私なんかはインターネットとか電話回線とか思っちゃうんですけれど、ネットワーク型のまちづくり、電話回線で結ぶまちづくりかなと思ったんですけれども、どうやら、これは人と人とのつながりという意味でのネットワークなんじゃなかろうかというふうに思ったわけです。
 これは後藤さんが、1回目の時かな、炉端会議で来てくださった時に、異端な者、あるいは、バカ者、よそ者、なんだっけ、あと、後藤さん。若者、バカ者、よそ者、という話をしてくれましたけれども。きのうも出たのは、異端な者ですね。異物的な者、それらも受け入れていきましょう。それから、外部の者も受け入れていきましょう。そして、若い人も税負担という形で反映されてくるということでよろしいわけですね。
 そうすると、今野君、君たちが払っていかなきゃならないんだよね。あと、私の年金も君たちが払ってくれるんだけれど。
 ということは、我々大人たちが「やっぱり欲しい、やっぱり欲しい」と言っていても、実際その負担は、あなた方がしていかなきゃいけない。そうすると、大人たちだけで「いやー、つくろう、つくろう」といくら盛り上がっても、その次の世代、受け継ぐ世代が、「いや、そんな借金を背負うなら嫌だよ」という話になったらば、もう根底から覆されるわけですよ。そのときに、やはり、GISを使ったほうがいいのではないかなと思ったのは、どのくらいの負担が何年続くのか、1人当たり幾らくらいになっていくのか。それをつくることによって、さっきバーッと絵で表現されましたけれど、どのくらいの波及が具体的に見込まれてくるのかということを、どんどんああいったところに載せていって見せられたら、そこで初めて判断できるよね。本当に、これくらいだったら負担できるかもしれないなとか、あるいは、こんなに負担させられるんだったら嫌だよとか、拒否することだってできるわけですよ。そういうことをやっていかないと、請願駅を造る運動をするのはいいんだけれど、次の世代のことをどうも考えない、すっ飛ばしたような形で行くのかな。そのためにも、たぶん、今回の勉強会で使ったGISというシステムは、情報量、データ量が足りなくて、非常に後藤さんのほうでも苦労されたと思うんですけれども、もっともっときめ細かな情報というものがあって、思いとか考えとかという、なかなか難しい部分を数値に置き換えていく作業というものをしていかないと難しいのだろうなというふうに思いました。
 あと、もう一つだけ言いたいのは、佐々木さん、地域の名称のことを言っていいですよね。
佐々木  ええ。宮城地区の。
荒 木  仙台市長、藤井市長もお話がありました。先ほど、皆さんからもお話が出ていました、宮城地区のアイデンティティとは何ぞやという話ですね。これ、私は思うのですが、宮城地区と我々は呼んでいますけれども、実際、宮城地区といって、「あっ、あそこら辺だ」と分かる人は少ないんですね。「どこよ、そこ」という話。括弧書きで「旧宮城町地区」とか。あと、例えば、仙台市さんですと、構想を作ったり調査したりとかというと、西部地域という言い方もしますですね。そうすると、我々、生まれた子どもに、片や太郎と呼び、片や二郎と呼び、片や三郎と呼びと、そうしたら、呼ばれているほうは自分が誰が誰だか分からなくなってくる。それが自己の崩壊であって、アイデンティティがないという話になります。そうすると、我々は、宮城地区という名称をあくまで押し通したらいいのか、それとも、もっと別の名称を、皆さんに広く知っていただけるような名称を考え出したほうがいいのか。あるいはまた、旧宮城町地区という括弧書きをずっと今後とも、例えば、愛子が拠点地区として整備されるまではせめて使っていくとか、あるいは、仙山線が複線化されるまでは括弧書きで全部入れていくとか、そういったことをしていくのかというのは、我々は、もっと住民の皆さんも含めて、あるいは、行政の当事者である仙台市さんも含めて話し合っていかないと、どうも何と呼んでいいか分からない。宮城地区以外の人たちも分からないし、ましてや、仙台市以外の人たちだと、宮城地区というと宮城県のどの辺だ、みたいな話になってくるわけですね。それでは我々のアイデンティティというのは、たくさんいい資源を持っていても、これは生かせるわけないなというふうに思うわけです。
 そんなことで、そういったことも一つひとつ含めて、さっき僕が今野君に投げかけたような話、お互いの理解ということも、こうやって言葉として具体的に発言して聞いてもらって、あるいは人の話を聞いていかないと、理解ということはいつまでたっても図れないだろうと。目と目を見つめ合って、目だけでお互いに理解できるのは、わが夫婦だけの話であって。黙っていられると、ちょっと恥ずかしいんですけれども。
 お互い、生きてきた時間も違うし、価値観も違う、教育の環境も違った、生活環境も違ったというと、まずしゃべるということが必要であって、しゃべって、ただ流されるんじゃなくて、さっきみたいに、具体的に言葉だけで流すんじゃない、文言だけで流すんじゃない、絵として見せていこうというのはすごく大事なことだろうなと思いました。
 ずいぶん長くしゃべっちゃったんですけれども、そんな感じがしております。
司 会  ありがとうございます。
 今、おっしゃったように、アイデンティティとかパーソナリティというときに、そのエリアはどこだ、どこから始まるのかという問題というのは、これは炉端会議で話し合っていけば非常におもしろいんじゃないかなと思います。
 本当は、これからまたずっと一巡回ったり、本当はこれから炉端会議に入るんですけれども、ちょっと時間が相変わらず少なくなってまいりまして、限られた時間なので、1人1分ということで、もし、会場からでもお話がございますれば承りますし、もし、ご登壇なさった方で、しゃべりきれなかったところ、補足したいところがあったら、1人1分でお話しいただきたいなと思うんですけれども。
川 村  赤坂の川村と申します。
 ちょっと一つだけ、非常に今、困っていることがありまして、それだけ、何とか皆さんの力でお願いしたいのですが。
 今、赤坂に住んで6年になるんですけれども、家族から、子どもたちからも、「何でこんなところに住んでいるんだ」と非常に責められている点がありまして、それは、インターネットの常時接続のサービスが、芋沢地区ですか、そこだけ範囲外なんですね。調べたら、仙台はほとんどもう、全部そのサービスがあるんですけれども。もちろんケーブルテレビもない。常時接続サービス、何種類かあるんですけれども、それが全くないと。今、子どもたちもパソコン3台で、今頃に寝て、11時に起きて、夜中に通信料が安い時にみんなやっているんですけれども。非常に切実な問題です。引っ越そうかと思うくらい。
 先ほどから、情報化だとか、加藤先生からも情報は豊かにと、そんなお話もあるし、これは、全く仙台市内で忘れられているんじゃないかと思ったり、もちろんNTTに抗議したりはしているんですけれども。何とか皆さん、声を上げていただいて、早急にサービスが受けられるように。先ほどのGISでも、これだけ進んだことをこの地区はやっているわけですから、ぜひ、その辺を皆さんのお力でお願いしたいなと思います。
司 会  荒木さん、どうなんですか。やはり、そうなんですか。そういう状態になっているんですか。
荒 木  そうです。これは、うちの近所にNTTの方がお二人ほどいまして、「何でフレッツアイ、来ないの」と言ったらば、交換機の都合だそうです。愛子の (録音中断) 入れるよりは、ADSLを待っていたほうが最先端の通信環境が得られるということは言えます。年内中になるかどうか、もうちょっとの我慢だと思いますね。
司 会  分かりました。ほかにどなたか。
加 藤  私は、旧宮城町で生まれて、宮城町で生活して、宮城町で死ぬ人間です。ですから、大倉から郷六、吉成まで、だいたいの方の顔なり性格、分かっております。そんな中で、いろいろ地域のリーダーが葛藤しておられますけれども、これからの時代は、お互いに信頼し合う、その姿勢がまちづくりに大事だと思うんです。この宮城のフォーラム、相互のフォーラムがそれを乗り越えて、本当に信頼し合って、それが力を発揮することをお願いしたいというふうに思っております。
司 会  ありがとうございます。  和歌子さん、何かございますか。
佐藤
和歌子
 私も、二岩地区のミニ開発をすごく憂いている一人なんですけれども。愛子バイパスを下りたところが、小さい団地がたくさんあって道路がつながっていないんですよ。だから、一つの団地に入ってしまうと、もう迷路のようになってしまうというところがあるんですね。
 中村部長にお聞きしたいのですが、このミニ開発を規制するとか、中止するとか、ちゃんと道路を造るように指導をするとかということは、市として、行政としてできるものなんでしょうか。
中 村  先ほど言ったんですけれども、現行の法律の枠内では、それをとどめるということはできません。やる方法としては、区画整理という形で、関係者の方々がまとまれば、そういったミニ開発ではなくて、まとまった地区で道路なんかの基盤施設も一緒に造りながら街並みを整備していくというようなやり方ができるわけですから、それは区画整理という手法を用いれば可能かと思います。
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