歴史 History

Last update 2001/2/4
Release 1998/12/12

  海外の性転換の歴史  日本の性転換の歴史  その他

| 1900 | 1910 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 |

1907
ハリー・ベンジャミンがドイツの性科学者マグナス・ヒルシュフェルドと出会う。
ベルリンの精神科医イワン・ブロッコ(Iwan Bloch)が性科学の概念をうち立てる。
1908
イワン・ブロッコは“性科学”に関しての論文を発表
1910
マグナス・ヒルシュフェルド(Magunus Hirschfeld)は初めて「トランスベスタイト Transvestite (女装者)」という言葉を作る
1913
イワン・ブロッコは性科学研究のための組織を作る
1919
マグナス・ヒルシュフェルドはドイツ・ベルリンに世界で始めてのTGのための診療設備ヘルンファルト性科学研究所を創設
はじめての“性科学”学会がベルリンでつくられる
1921
ベルリンにてはじめての国際性科学学会会合が開催される
1923
マグナス・ヒルシュフェルドは初めて「トランスセクシャル Transsexual(性転換者)」という言葉を作る。
1931
4月1日、朝日新聞の招きにより来日したマグナス・ヒルシュフェルドは朝日新聞本社にて「変愛の自然法則」と題する講演を行った。
1932
デンマークの画家アイナ・ヴェゲネル(リリー・エルベ)は、ドイツにてペニスを除去し、健康な26歳の若い女性の卵巣組織を移植、陰部には人工の挿管をつけ性転換を試みたが、その後、肺の病気で死亡した。もともと、彼は体内に卵巣を持ち完全な男性ではなく、いわゆる半陰陽であった。この事例は、ノーマン・ヘアー著「変えられた性」で報告された。
1933
ヒットラーとナチスの制裁により“性科学”が弾圧を受ける。マグナス・ヒルシュフェルドが設立した診療所は廃止され、彼はその後、1935年フランスで死去。
1936
ハブロック・エリス(Havelock Ellis)は、女装で有名なルイ15世時代の騎士エオンから、“女装”心理をエオニズム(Eonism)と名付けた。
1942
11月 26日 カルーセル麻紀が北海道釧路で産まれる
1946
昭21 島田正雄(通称お島)が東京新橋に「やなぎ」をオープン。ゲイバーのはしりとなる。
1948
イギリスのフランシス・メッドウェーがホルモン注射と外科手術でドロシー・メッドウェーに転向。女性として暮らし運転免許証などは女性として認められたが出生証明書は更新できなかった
1949
イギリスの空軍中尉ロバート・コウエル(当時35歳)は、数回の手術により性転換を行った。1951年、数人の医者による検査の結果、医者たち全員が、本物の女性になっていることを承認した。
1950
 昭25 8月 日本の永井明雄(32歳)が男性性器の切除手術を受け、1951年には人工膣挿入手術や豊胸手術を行った。彼の場合、元は完全な男性であった。
1952
昭27 美輪明宏が「銀巴里」でデビュー。その時のフレーズは『神武以来の美少年』
1953
アメリカの元G・Iクリスティン・ジョーゲンセンがデンマークで性転換手術を受け、1953年2月13日帰国した。それがニュースとして世界中に広まり、彼女は一躍、性転換の先駆者として名を知られるようになる。彼女の性転換を手助けしたのはハリー・ベンジャミン(Harry Benjamin)、彼は性転換手術を転換手術(conversion operarion)と表現した。
 昭28 元海軍中尉、松平任弘(31歳)が睾丸と陰茎の切除手術を受ける。彼は完全な男性であったが戦争で男性機能を失っていた。
1954
アメリカの元軍人、チャールズ・マクロード(28歳)が、コペンハーゲンで去勢手術を受け女性へと転性。
 昭29 元教師の吉川弘一が5月と12月、1955年の12月の計3回の手術を受けた。彼の場合、医者の報告によると半陰陽だったらしい。
陸上女子スポーツのホープだった堤妙子が「尿道下裂症」であることが判明し男性への性転換を受け堤清貴となる
1955
 昭30 女給として女の生活をしていた古川敏郎(22歳)は睾丸と陰茎の切除手術や女性ホルモン注射を受け女性に転性した。彼の場合は完全な男性で、女性の生理的痕跡はまったくなかった。
1956
昭31 太田典礼が日本で最初の男の同性愛の実態調査を発表
10月 青江忠一が銀座にゲイバー「青江」をオープン
1957
昭32 美輪明宏(当時は丸山明宏)の「メケメケ」が大ヒット。彼を指して「シスターボーイ」という言葉が生まれる
1962
昭37 ゲイバーが急増。都内で100軒、ゲイボーイ約400名。東郷健がデビューした。
1963
フランス・パリのショークラブ『カルーゼル』の女装ダンサー、キャプシーヌ一行が来日、彼らは「ブルーボーイ」と呼ばれ脚光をあびる。66年の悲惨な事故まで3回の日本公演を行う。
1964
イギリス、マンチェスターの病院にて同性愛者の治療に電気療法を始める。これは同性の裸の写真を見せながら電気ショックを与えるもので、当時、同性愛の治療方法として広く試みられた。
1965
昭40 東郷健が日本で初めてのホモ自伝小説『隠花植物群』を発表。以来ホモを隠花になぞることが流行
1966
ハリー・ベンジャミンは51人のMTF性転換者の事例をもとに著書「The Transsexual Phenomenon(性転換現象)」を発表
男芸者だった小宮よし雄(小宮よし幸)が日本で初めて裁判所(大津市)に性転換が公認され、三男・西村好男から長女・好未に。
3月 5日 日本での公演を終えたフランス『カルーゼル』ダンサー一行を乗せた英国BOAC機が富士山麓に墜落全員死亡
1967
 昭42 日本人男性がモロッコのブロー博士の性転換手術を受ける。モロッコでの性転換はカルーセル麻紀が有名だが、彼が日本人では第1号である。カルーセル麻紀の手術まで彼を含め3人の日本人がすでに手術を受けていたといわれる。
1968
スウェーデンが世界で初めて性転換手術の立法化
1969
 昭44 2月15日、東京地裁にて性転換手術を行った医師に対して有罪の判決が出された。判決をいいわたされたのは築地A病院、慈恵医大産婦人科講師A医師(45)、懲役2年、執行猶予3年、罰金40万円。A医師は昭和39年、3人の男娼から性転換をたのまれ、一人約6万円の料金で去勢手術を行った他、幼馴染の暴力団幹部にせがまれ治療用麻薬を渡していた。
ゲイバーの老舗「プティシャトー」の前身「シャトー」が東京赤坂一ツ木通りにオープン。翌年西麻布に移転し「プティシャトー」としてリニューアル
ピーター主演映画『薔薇の葬列』が公開される
性転換に関する第1回の国際シンポジウムがロンドンで開催された。
1970
エイブリル・アシュレーが結婚を実現するために英国裁判所に戸籍の変更を申請したが却下された。
6月 27、28日 第1回ゲイ・プライド・パレードがニューヨークで開催される。
女に化けて“売春”、4年間に約1億円をかせいでいた4人組グループが詐欺の容疑で逮捕され6月12日送検された。
1971
昭46 東郷健が参議院選挙に立候補
7月 ゲイ・マガジンとして日本初の商業誌『薔薇族』創刊(第二書房)。ちなみに誌名はピーター主演映画『薔薇の葬列』に由来する
1972
ゲイの新聞「アドニスボーイ」創刊
1973
10月 カルーセル麻紀モロッコのブロー博士の執刀で性転換手術を受ける。それ以後、多くのゲイボーイがモロッコへ。“モロッコ”は性転換の代名詞となる。
ゲイ雑誌「アドン」創刊
1974
昭49 ゲイ雑誌「さぶ」創刊
1975
東京地裁が男性ヌードを掲載した「女性自身」と「薔薇族」を猥褻本として摘発した
1978
11月 『JUNE』創刊(サン出版)
1979
5月 アメリカの雑誌「PLAYBOY」誌に音楽家、ウェンディー(ウォルター)・カルロスの性転換のインタビュー記事が掲載された。彼はシンセサイザーの開発者の一人としても知られ映画「時計じかけオレンジ」の音楽をも担当していた。
8月 アマチュア女装クラブ「エリザベス会館」東京・神田にオープン
映画評論家の増田貴光が詐欺事件で逮捕され、ホモであることが暴露され話題に
1980
6月 アマチュア女装誌『くいーん』創刊(アント商事)
1981
大阪のベティがレコードを発売(「I LOVE YOUはひとりごと」)作詞作曲は桑田佳祐。この時、桑田が彼女を「ニューハーフ」と呼んだのが言葉の由来
松原留美子がメディアに登場「ニューハーフ」ブームを起こす。
1982
4月 4日 カルーセル麻紀が「第1回かま節句」を開催(京都祇園ゲイバー「奈奈」にて)
1983
6月 映画『トッツイー』が大ヒット
1984
8月 アマチュア女装誌『くいーん』にて「第1回女装写真コンテスト」発表
1985
ゲイボーイのメッカだったシンガポールの「ブギスストリート」が都市化計画のため消えた
1986
性転換研究の権威ハリー・ベンジャミン死去。享年101歳!!
3月 「動くゲイとレズビアンの会」発足
12月 アマチュア女装雑誌『ひまわり』創刊
1988
吉本ばなな著『キッチン』がベストセラーに
10月 テレビ番組『笑っていいとも』の『Mr・レディーの輪』コーナーが放送開始
1989
『笑っていいとも』の『Mr・レディーの輪』コーナーの影響で「Mr.レディ」ブームに。
5月 4日 クリスティン・ジョーゲンセン死去。享年63歳。
1990
4月 日本初の女装系パソコンネット「EON」運用開始
6月  韓国の裁判で、始めて男性から女性への性転換者の戸籍変更が許可される。
1991
大阪に「ニューハーフクラブ」誕生
1992
3月 第1回東京国際レズビアン・ゲイ・フィルム・ビデオ・フェスティバル開催される。
7月 日本初の性転換を行った患者が、埼玉医科大学総合医療センターで性同一性障害の治療を始める
10月 シーメール専門誌『シーメール白書』創刊(光彩書房)
1994
3月 新宿「ジュネ」がゴールデン街から歌舞伎町1丁目に移転
1995
3月 ニューハーフ倶楽部』三和出版より創刊
6月 埼玉医科大学原科教授が同大学倫理委員会に性転換手術の承認を申請
10月 第14回「海燕」新人文学賞に「性転換準備中」という藤野千夜の「午後の時間割」が選ばれる
1996
7月 2日、埼玉医科大学論理委員会より性転換手術を容認する答申が出され、マスコミにも正式発表。
9月 日本精神神経学会が「性同一性障害に関する特別委員会」を設置
大阪出張を理由に女装店「パレットハウス」や「バラトーク」にかよう「新幹線女装族」なる言葉ができる
1997
5月 日本精神神経学会が性転換治療のガイドライン「性同一性障害に関する答申と提案」をだす
7月 19日 初の公開シンポジウム「性同一性障害の過去・現在・未来」が東京都内で開かれる
1998
5月 9日 英国バーミンガムで行われた第43回ユーロビジョン・ソング・コンテストでイスラエルの歌手ダナ・インターナショナルが優勝。彼女は性転換した元男性ということで世界中の話題となる。
9月 埼玉医大の医療チームが93年にも性転換希望女性に対し子宮と卵巣の摘出手術を実施していたことが判明、11日に予定されていた性転換手術が、翌月に延期されることになった
10月 16日 埼玉医科大学にて、日本初の公式な性転換手術が実施される
20日 日本初の性転換手術に関連し、中村正三法務大臣が戸籍法の変更を見直す考えが無いことを明言した
11月 29日 ドイツのザクセン・アンハルト州のクウェレンドルフ村で、女性への性転換を希望するリントナー村長(40)に対する解職請求(リコール)の投票が行われ、同村長のリコールが成立した
1999
トランスジェンダーの人たちへの理解を深めようと、桃の節句の3月3日と端午の節句の5月5日の間にある4月4日が、日本記念日協会から「トランスジェンダーの日」として認められた。 
4月 埼玉医科大学専門医チームは性転換手術としては二例目、男性から女性への始めて、中部地方に住む三十代男性の手術の承認を同医大倫理委員会に申請した
6月 25日 国内二例目の性転換手術が埼玉医大総合医療センターで実施された
9月 8日 岡山大医学部の黒田重利精神神経科教授らのチームは正当な医療行為としての性転換手術を学内の倫理委員会に申請した
10月 12日  埼玉医大倫理委員会が、専門医チームから申請されていた3患者の正当な医療としては国内3―5例目となる性転換手術を承認した
2000
2月 24日〜3月3日 1998年第43回ユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝したイスラエルの歌手ダナ・インターナショナルがCD「ディーヴァ」(1月7日発売)の宣伝のため初来日。
2001
1月 30日、国内で2施設目となる岡山大病院でMTFの性転換手術が実施された。埼玉医大に続き8例目。MTFでは2例目にあたる。

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