第1回(全10回)
「サモ!」「サモ!」
インテルミランの練習場から去ろうとするサモラノの車を見つけるやものすごい声援が飛ぶ。その「サモ」は窓を降ろし、挨拶をし、何十人にもサインをし、10回、11回、いや15回、いやさらにもう一回と一緒に写真に収まる。磨き上げられた黒のBMWを素早く発進させる。ステレオは「突風」を奏でている。携帯が鳴る。「プロント。」それから15分、完璧なイタリア語で話は続く。一方の手には携帯、もう一方の手にはハンドル。一路ミラノを目指す。これがLa Laguaに生まれ、Villa Mexico地区で育った男、しかしミラノではその顔は今や間違いなく国際的スターのそれである。
目にかかるように垂れた、「注意深く」無造作にスタイリングされたその髪、エンポリオ・アルマーニのスーツ、BMW、携帯電話・・・。それらが何にせよ、サモラノのものだ。そして他にもあるものは、有名人のみが抱える様々な悩み。時速120kmで車を飛ばし、ジグザグに車の間を縫うように走りながら、彼はひとつ文句を言った。彼にしろマルセロ・リオスにしろ、お忍びでディスコに行くのもとうてい不可能だと。
「女の子たちが近づいてきて、写真を一枚撮ったとして、それでその後これをどうやって説明するって言うんだい?」
彼の場合はもう説明はいらないだろう。元恋人のDaniella Camposとのいさかいや、Titi Ahubettとのサンチアゴのディスコの一件などさんざん記事にされてからは、サモラノはもう私生活については一切話すまいと心に決めたからだ。
「ボクはひとりだし、元気だよ」 彼が言うのはただそれだけ。
ミラノっ子の最大の関心事はただ2つ。ファッションとサッカー。サモラノはそのふたつで人気を博し、今やヒーローだ。ゆえに、レストランに行けば必ず他のテーブル全部からの視線が。道でも同じ。赤信号で停まると隣の車は必ず彼に気がつく。彼はハリウッドの俳優が毎度やっているように、完璧なまでの親密さと距離をうまく織り交ぜてそれらの注目の目に応対する。
「ウチの娘が彼に詩を書いてねぇ、送ったら?っていったら恥ずかしがって。」
ある女性はそう言って手には紙を持っている。「娘に」「おじさんへ」「おばあさんへって書いて。あんたに会ってサインのひとつももらってこなかったら殺されちゃうよ」と。列ができてしまう。 "Bam Bam"、その名にふさわしく、あまりにも強く、そしてあまりにも優しい。笑ってサインをする。「Guivanniへ。Ivan Zamorano 1+8」 名前のところが違うだけで、同じサインに同じ番号が添えられ、もはや彼特有の占いの文言のようだ。
円熟のゴール屋、国民のアイドル、そして絶えずうわさの中心となるこの32才の男の驚くべきところは、その忍耐力ではなく、人生の激しい変化にも耐えるその能力である。
サモラノは金の事は口にしない。サモラノは手に入れたもの事は口にしない。サモラノは自分の栄光の事も口にはしない。それは彼を不機嫌にするテーマであるからではなく、単にそれらをあまり重要視していないからに他ならない。
ミラノのホテルで、あるチリのスポーツ企業の二人の男と食事の際、契約・サイン・交渉の話になったのだが、彼の態度は役者というか、むしろ傍観者のそれのようだった。疑いもなく彼は今までのサッカー選手としての経歴からいってもそういうビジネスはよくわかっていてうまくやれるのに、である。
来月(管理人注:99年11月)のはじめにサモラノの、自分の人生についての本が出る。それには彼の家族や友人達からの証言も含まれている。Aguilar社が出版、Pedro Carcuroが編集した。13才になるかならないかの時に亡くなった父についても、母との関係、最初の頃の恋人、サッカーを始めた頃のこと、それてヨーロッパでの生活についても書かれている。
「ねぇ、本の題名なんて言うか知っている?」 笑いながら訊いてくる。
「Cai'do del Cielo」(天より落ちし者)って聞きましたけど・・・
そう。良い題名でしょ、"Cai'do del Cielo"。
(写真 : Cosas表紙、大きい画像は59KB)
第2回
〜 父と母 〜
なぜこの本を書こうと決めたのですか?
ボクに近い人たちが集まって、ボクに書くように強くすすめたんだ。ここ何年かの外国での暮らしから経験したこと、Cultural Villa Me'xico地区で育った時代から今のインテルまで。今まで生きてきた中でのこと全部伝えたいよ。いくつかは誰も知らないようなパーソナルなこともね・・・。
どういったことを公にするのに苦労しましたか?
やっぱりパーソナルなことかな。自分のことを全部公にしていたわけではないから。内面的ななテーマもある。例えば父の死で苦しんだこととか。それらは用意はしてあったけどやっぱり苦労した。
本の中で、お父さんがコカコーラの配達人として働いていたときにどういう風に一緒にいたか、について書いていますが。
うん、あれはみんなが知らないことだよね・・・。
どんなことを話したか覚えていますか?
ボクたちの関係は、単に父と息子ではなく、友達と助言者でもあったんだ。彼はボクがいい子でいるように言うばかりではなく、もっとその先を心配するような人だった。12,3才という年齢で色々な状況にどう対処して良いかわからなかったとき、父は「これはこう、あれはこう」と実にてきぱきとボクに言ってくれたなぁ。
どういう教えが一番大事でしたか?
まずは尊敬すること。父は絶対ボクに手をあげなかったし、母や子供達を尊重することを決して忘れない人だった。そういう父から、家族を後押しするために強いられた強さとか、戦いとか。、犠牲とかを受け継いだんだ。父が死ぬまでなにひとつ不自由がなかった。朝は6時半に出ていって、夜は8時まで帰ってこなかったよ。
両親の関係はどうでしたか?
ふたりの関係は本当に愛の歴史だったよ。すごく若くに知り合った。9才でつきあい始めて13才で結婚したんだ。人生それがすべてだった。母(Alicia Zamora)は本の中で父が彼女の人生の中で唯一の男性だったと言っている。42才で未亡人なら他の男性とも知り合いになれそうなものだけど、それくらい父という人の存在がいつもあったんだと思う。
お父さんか亡くなった日のことを覚えていますか?
あまりにも突然だったよ。父は健康な人だった。父が働きに出かけたときはボクたちは家にいて、叔父達が来て遅くまでオンセ(管理人注:夕方に食べる軽食)と取っていた。その同じ夜に父が急に胃が痛いと言い始めた。階下からうめき声が聞こえてきたので妹とどうしたのか見に行ったら、病院に連れていかなければいけないと言う。翌日腹膜炎の手術をしなければいけないことがわかったんだ。でもその時はもう手遅れだった。
あなたの本には、お父さんが亡くなった後、あなたのお母さんのAliciaさんが何日もの間薬漬けだったとありますが、その時の様子を覚えていますか?
何度も母に話しかけたけど、13才のボクが言えたのはせいぜい「ママ、そんなことやめて」ってことぐらい。母がそのことを隠したがっているので今はそのことを話すのは難しいけど、その時は自分に子供が二人いることも忘れてしまうほどだったと考えざるを得ない。
(写真 : 自伝「Cai'do del Cielo」、大きい画像は51KB)
第3回
彼女はどうやってその落ち込みから立ち直ったのですか?
おじさんたち−彼女の兄弟−が集まって彼女に言ったんだ。「もし自分を傷つけたいなら、そうすればいい、自殺でも何でも。私たちが子供達の面倒を見る。」 その言葉に彼女は反応した。子供達を自分のもとに置いておかねばならないことに気がついた。「夫は失ったが、子供達は失いたくない。」彼女は考えた。そしてようやく彼女が内にある力を振りしぼるときが来た、そうしてボクたちはその状態から抜け出した。それでも6ヶ月もかかったけど。
その6ヶ月を恨んだことはありませんでしたか?
彼女はいつも人生は時々不平等だと言っていた。ボクも父のようなあんなに健康でいい人がある日突然逝ってしまうことを恨んだよ。それは誰もうまく説明ができない。ボクはそのことがショックだったし、彼がいないことをいやというほど感じた。夢遊病者のように夜中起きて、胃が痛くなりそれで病院に行かなければならなくなった。今は違う、そのことを今も思い出すけれど、理由づけするだけの力があるから。
父親代わりになってくれたおじさんや友達はいましたか?
父親の代わりになることはとても難しい。父は父だから。でもボクに近いおじさんの何人かは本当によくボクを助けてくれた。
あなたのお母さんは母であり、父でありましたか?
母であり、父であり、兄弟、友達でもあった。
お父さんの死がお母さんとの関係をより緊密にしましたか?
父が生きていても母との関係は同じだろうと思うよ。でも父がいなくなってからは、母はなんでもやらなければいけない。そういうことからボクたちの関係は信頼の関係であり、ま尊重の関係でもあった。まだ13才だったから、若いときは色々あるし、それに普通男は父親と話すでしょう、だから困難な時期だった。
(写真 : 姉のErikaと弟のIvanのZamorano Zamora兄弟、1968年撮影。大きい画像は125KB)
第4回
〜 教会の祭壇への道...焦らずに 〜
はたから見て、あなたとお母さんの関係はますます濃く、強固に、そして一体であるようですが・・・。
ボクが母に抱いている感情をすべて人に説明するのは難しい。でもみんな母親がいるんだからそれは簡単なはずなんだ。ボクのように(母子の関係が)濃い人もいるだろうしね。父が死んでからボクの母との関係はそりゃとても良いんだ。プレーをする所には一緒に連れていったし、ボクがひとりだったらきっと身につけられなかったような規律を教えてもくれた。それは絶対的な助けだったし、単に個人的なことにだけではなくボクの選手としてへの助けでもあった。サッカーでは本当にややこしい環境の中を生きていかなければいけないので、彼女からの助けがあることはいいことだ。
お互い持ちつ持たれつなのですか?
ボクはいつも好きな人をかまう方だな。ボクはチリ人で、すこし亭主関白なところがあるから、何かしら理由づけがあるのがいいんだ。でもなんでも話をした上でのことだけどね。
それは彼女が他の男性と一緒にならなかったことが影響していますか?
それは全然ないね。それは全く彼女の個人的な選択だったから。ボクは母親へよりもむしろ姉へやきもちをやいたと思うよ。
でも義理のお兄さん(ができること)を問題なく了承しましたよね・・・。
問題はなかったよ、だって彼のことを知っていたし、彼はボクの家族の友達だったし、通っていた教会の宗派も同じだったし、それに彼の家族も知っていたから。
本では友人のHugo Rubioさんが言っていますが、あなたのお母さんはスイスでは2人の男性と特に仲が良くて、あなたはそれにあまりいい顔をしていなかったと・・・。
いやいや、そういうのはないよ。ほとんど冗談か逸話のようなものだよ。母は気さくだったから彼らは彼女に花を贈ったり気にかけてくれていたよ。でもそれ以上のことはなにもなかったと思うよ。スイスのその二人の男性は彼女のことが好きだったのだろうけど、ただそれだけ。ボクもべつに首を突っ込んではいなかったし。
では彼女があなたの恋愛のことに関わってくることはあるのですか?
それもないよ。彼女は自分の世界を、ボクはボクの世界を作るんだ。彼女はボクのことを知っているし、ボクが、自分が誰といるかぐらいわかっているいい大人であることはもう承知しているから。
あなたのお母さんはあなたの人生で一番大切な人ですか?
そう思うよ。でもって、姉と二人のめいと合わせて彼女らがボクの人生のとっておきだよ。
(写真 : 1992年7月4日、姉であるErikaとWilson Floresの結婚式の付き添い人となるIvan。大きい画像は150KB)
第5回
母との絆がこれほど強いと自分のパートナーとの関係を築くのが難しいですか?
全然。それぞれが相手の空間を尊重するし、母はボクが誰と一緒か一緒じゃないか、誰と寝起きしているかなんて一度も訊いてきたことなんてないよ。彼女はボクガどういう人間であるか完璧に知っているし、尊重してくれているよ。32年結婚していないことには彼女は影響していない、だってボクが誰と一緒になるかはボクの判断だよ。
でもお母さんが気に入った恋人もいたでしょう?
そうだね、母親からみてあの人は他の女性より好き、っていうのはいつもある。その一方で男っていうのは、好む好まないに関わらずどこか母親に似た女性を捜すものさ。
お母さんのどういう部分を他の女性に求めているのですか?
一本気なところ。ボク達をぐいぐい引っ張って行くその気力。母は100%たたかう女性だった。その内にも強さを秘めていた。母は誠実な女性だ。誠実さを持てる人はもっともすばらしいことだ。
そんな人に出会えるのは難しい?
もう西暦2000年だけど、簡単じゃないね。
あなたの家族が何度も言っていたことですが、唯一大事なのはあなたが、あなたの名声や富ではなくあなた自身を好きになってくれる人に巡り会えることだと。それは難しいことですか?
難しいことではないと思う。この世界は、何を持っているかではなくその人が誰か、で愛する良心を持った人でいっぱいだし。明日にだってボクにふさわしい人にあって結婚するかも知れない。とりわけ子供が欲しくてね。
32才になって結婚を焦っていますか?
全然。急いで結婚はしない。本当に恋をして、子供のために良き母になるだろう人が見つかったときだけ、一緒に教会の祭壇に立つことになるよ。
今までにそういう人には巡り会っていないのですか?
つきあいを始めるときに、人はその人と結婚すると考えるからではなく、一緒にいることが心地よいから、自分が彼女を、彼女が自分を必要としているからだよ。そう言う意味ではまだ家族を形成しようと思う女性には巡り会っていないな。
確信したことはなかったですか?
ボクと一緒にいた女性達のことは本当に好きだったし、一緒にいる必要性も感じたけれど、結婚を決断するまでには至らなかったな。まだだよ。
女性があなたに興味を持って近づいてくる時ってわかりますか?
それはあまり心配していない。ひとが近づいてくる理由に無頓着にはなれないから。人はそれに気がつくに十分賢いよ。ただ時には心ではなく顔を見て近づいてくるけど。うまくいく時もあればそうでないときも。そういうこと。
名声や富を誘いには決して利用しないのですね。
ボクは誘惑者じゃないから。ボクはこの世でありきたりのタイプだよ。あなたにも、道で会ったどんな人にもいつも同じこの姿だ。で、もしそれが誰かを魅了することがあるのならそりゃいいことだ。でも自分を飾り立てて人を誘惑するようなことはしないよ。
(写真 : 父の早すぎる死がIvanと母Alicia Zamoraの強い絆を作った。大きい画像は108KB)
第6回
ほとんど毎日のように記事にされている中で、交際を続けるのはどれほど難しいのですか?
それは複雑だ。でもそれはどんな一般の人との関係も複雑なのと同じ事。チリではここんところ人のプライベートには注意を払うと思うけれど・・・。
それはどういった?
さあ、そういったものが売られているでしょ。チリの人はいつも同じようなそんな記事を読んでいて、そろそろ他のことを聞きたいみたいだよ。誰と誰が別れて、結婚して、誰と誰がどこそこのディスコで一緒だったとか。世間はもうそんなのに飽きているんじゃないかな。
あなたの場合において、時には取材が一線を越えていると感じていましたか?
いつもメディアや新聞記者の仕事には敬意を払って来たつもりだけど、事実を曲げられたらそこで終わりだよ。最近、特にここ3ヶ月は事実とは違う記事があまりにも飛び交っていたね。最初にボクを気遣ってくれるのは家族で、それらにみんな目を通している。でも結局は1300万人のチリ人がボクのことをわかってくれて、ボクのやり方やどうしたいのかを知っていると思うから、そう言う意味ではボクは全然大丈夫だよ。頭も心も平静さ。
今はおひとりですか、それとも誰か?
ボクは一人だし、ボクはオーケーだ。それだけ言っておくよ。
少し前に、報道人にDaniella Camposさんをそっとしていて欲しいとお願いしましたね。あなたが有名なことであなたといる人に影響を与えていることはつらいですか?
苦しんでいるの人がいるのは好きじゃない。XXXXX
彼女はあなたの人生で一番大切な人でしたか?
いや、いや、それは話したくない。個人的なプライベートなテーマだ。
あなたな、パートナーとの関係にとって、セックスは重要なことですか?
チリの分かれた夫婦にアンケートをとったら、セックスやセックスレスは重要なテーマのはずだ。不誠実なこととセックスレスは夫婦の破綻において重要な意味を持つよ。
〜 La Leguaからミラノ、ノンストップ 〜
ミラノから見て、あなたの育った町、La Villa Me'xicoはどうですか?
ミラノにいる今は遠くに感じるけど、いつも身近に感じていたよ。そこはボクが育ち、サッカーをし、初めて友人ができたところだから、心の奥に抱いているよ。実際チリに行くときは、今もそこに住んでいるおじさんに会いに行くこともある。
犯罪やドラッグも周りにあったと思いますが、どうやってそれらと距離を置いてきたのですか?
簡単だよ。ノーと言い続けただけだ。
ノーと言うのは大変ではなかったですか?
全然。もし友達がマリファナを吸っていたと仮定して、ボクにも吸えとすすめたらその時点でもうボクは彼の友達ではなくなることを知っていたと思うよ。ボクとしてはそれ(マリファナを吸うことは)良くないんじゃない、って意見を言っただろうけど、後は彼の人生って事で放って置いたと思う。もし人が自分の家族の中ではっきりとして価値を見いだしているのならノーと言うのは簡単だ。これは、スポーツとか、他にもすすむべき道があるんだよと示しながら、ボクの国の若い人たちへ贈りたいメッセージだ。
(写真 : 「急いで結婚はしない。本当に恋をして、子供のために良き母になるだろう人が見つかったときだけ、一緒に教会の祭壇に立つことになるよ。」 大きい画像は63KB)
第7回
あなたはカトリックですか?
うん。
実践者ですか?
ボクはカトリックで、それはボクにとって最も重要なことだと思う。今、インテルではミサをやっているけど、司祭に来てもらって毎週土曜日にミサをあげてもらうように要求したのはボクたちラテンアメリカ人だったんだよ。教会に行って神の言葉を聞くのは好きだし、時々行けないときは家に帰ると神に感謝の言葉を述べるよ。
毎晩お祈りしますか?
毎晩するよ。ボクが自分で作った自分だけのやり方があって、ボクの好きな人たちのために祈るんだ。
どのようなお祈りなのですか?
それは個人的なことだよ。長い時間かけて少しずつ形が変わってきたんだ。
教会が性教育やエイズキャンペーン、離婚の問題について強情な姿勢であることが非難されていることについてはどう感じますか?
ある面では教会の行いに敬意を払うよ。彼らの存在意義に関する行いであることだから。でもある面では賛成できない。教会はもっと人々と一体になってエイズ撲滅キャンペーンや、離婚、中絶のテーマについて教育の手助けをすべきと思う。
学校で性教育は受けましたか?
うん、最低限だけど。解剖学的なやつ。ボクが思うに性教育は家族の場で、両親や叔父・叔母から学ぶことと思うよ。そこで開眼すると思うけどなぁ。
いつ、初めて女性に心を奪われましたか?
確か母のお腹から出てきて女医さんを見たとき(笑)、いや本当のことを言うと、15才が初恋だったんだ。
初恋?
そう、初恋。その年になってある女の子に熱をあげて、今まで誰ともつき合ったことがなかったのにその子とつきあえたんだ。純愛だったよ。良い想い出として決して忘れることはないだろう。15の時は、朝7時に家を出て、la Villa Me'xicoで近くに住んでいた彼女の家の前を通るんだ。すると彼女が洗濯場から顔をのぞかせて、見つめ合って。ボクの心は落ち着くんだ。
ロマンチックな、純愛を続けるのは大変じゃなかったですか?
そんなことないよ。でも周りの環境からもっと小さくても純愛じゃなくなることもあるし。でも今でも結婚するまで処女・童貞な人がいるのも事実だよ。
あなたは結婚するとき彼女が処女であって欲しいですか、それとももっと現代風に婚前交渉があってもいいと思いますか?
世の男性はみんな結婚の時彼女が処女であればと願っているかも知れない。でもボクは結婚前に関係があることに抵抗はない。だって結婚して、別れてそれから別の人と本当の愛を見つける人だってたくさんいるから。本当の愛は誰にでも見つけることができて、ボクにとって大事なことは相思相愛の感情なんだ。彼女が昔他の誰かと関係があったとしてもそれは重要ではない。
同じ文化を持つチリ人の女性のほうが、例えばヨーロッパの女性よりつき合うのは簡単でしょうか?
文化と生活様式は異なることだ。でも愛はどこでも同じ。結婚するのに相手にパスポートを見せてなんて言わないし、アルゼンチン人でもスペイン人でも結婚するかも知れない。でもチリの女性と結婚できたらいいだろうね。
あなたは花を贈ったり、ラブレターを書くような男性ですか?
どんな男もどこかしらロマンチックだよ。花を贈るのは好きだけど誕生日から何から忘れちゃうからなぁ・・・。
今までに女性に贈り物をした中で何が一番とっぴなものでしたか?
手紙。ボクの人生で一回だけラブレターを書いたんだ。
それは歴史的な文書になりますね・・・
そうだね。送ったのもその一回キリだったから。書き物はさっぱりなんだけど、その時はどうしても、って思って書いたんだ。
〜 ゴールはオーガズム〜
サッカーであった数々の困難をどうやって乗り越えてきたのですか?例えばスペインで「ゴール日照り」だった時とか。
サッカーでは常に困難な場面がある。サッカーは、いつもハードルを越えて困難と対峙するような、ボクの人生と一体になっている。チリ代表の時の監督だったJavier Azcargortaが人は人の生き様のごとくプレーするって言ったけど、まさにそんな風にやってきたよ。困難の後にまた困難。常に後ろにはプレーをしたいヤツが待ちかまえている。あなたが言ったように、レアル・マドリでそれが起きたとき、監督のValdanoはボクに「お前をあてにはしない。他でやれるんだったらそっちに行け」って言ったんだ
腹を立てましたか?
いいや、「少しでもプレーする可能性があるのなら出る」って言ったんだ。冷静に、口論もしなかった。あとは自分を奮い立たせいつものように練習した。そうしてその局面を打開したんだ。でも彼はそうやってボクに言ってくれる勇気と率直さがあったし、後になって「サモラノはプロの中のプロで、私が間違っていたことに気がついた」とも言った。
(写真 : チリFWが愛するふたり;めいのガブリエラとロシオ。 大きい画像は79KB)
第8回
いつだったかゴールはオーガズムのようだ、とおっしゃったことがありましたが、今でもそうお考えですか?
それはスペインでのあるインタビューででていたやつだね。あの時ゴールってどういう感じか説明して欲しいと言われて、ボクはゴールは体中をかけめぐり、その後爆発するような、そして叫んで走り回ってしまうような感じだって答えた。それをオーガズムと比較しただけだ。それは至福とも言える。
ゴールのチャンスが回ってきた時どういう感じですか?
その瞬間というのは自分がどこに位置取りしなければいけないか、相手ディフェンスはそこにいるのか、どの向きにディフェンスをかわすのか、等を考えなくてはいけない。緊張と知力の数秒だよ。FWがどこにいるべきかを知っていなければいけない。本能に従い最初に考えたことをしなければならない。
あなたにとって忘れられない最高の選手は誰ですか?
FWならVan BastenとMaradonaが最高だと思う。でもボクの小さいときからのあこがれはCaszelyさ。Colo-Coloの試合はは忘れられない。彼がどうプレーしてどう動くかに見入っていたよ。
自分のこれまでの経歴から今がピークと感じますか?
今本当にいい状態だ。フィジカルにも、やる気も、そしてサッカー選手としてもとてもいい感じだ。インテルという組織、人々、監督に助けてもらい、放蕩息子を養子に迎えてくれたみたいなものだよ。もちろん期待に応えるべくいい仕事をしなければいけないけど。
短期間での目標はありますか?
今シーズン優勝すること。これまでやってきたことのあかしになるから。イタリアでチャンピオンになるということはサッカー選手として最大のあこがれだよ。ここは世界でもっとも競い合いが厳しい試合がある。今インテルにいて最高なのが、ぼくのそばで世界で一番高い男Cristia'n Vieriと、世界最高の男Ronaldoといっしょにタイトルに向けプレーすることさ。
これから10年のあなたはどうでしょうか?
42才か・・・ 結婚して子供がいたらいいね。仕事は、さあわからないなぁ。ボクはその日その日を生きていくタイプだから。色々な可能性を考えたことがある。メディアや、教育の場で子供と接するのも好きだし、でも何をやるかわからない。
例えば、スポーツ番組を担当するのなどはいかがですか?
スポーツ番組には限らないよ。色々話すのは好きだし。ほとんどの全部の局から申し出があったけれど、今はサッカーに集中していたい時だし、いい仕事ができるのもわかっているし。
最後に、"Cosas"の表紙になるのがボクの夢だった、というのは本当ですか?
それはね、El Salvadorでプレーを始めた頃、Rube'n Marti'nezとか他の人の家でよく集まったりしていて、ボクはいくつかの目標にこだわっていた。いつも、いつかイタリアでプレーして、"Cosas"の表紙に出てみせるって言っていたんだよ。今それがかなったっていうわけさ。 (インタビュー終わり、ミラノより Manuel Santelices)
(写真 : マドリッドにて、Pepe Mecana'sの友人達(Ivanが名付け親となったAlmudenaを腕に)、Amavisca、それにMacana's家の面々と。 大きい画像は71KB)
第9回
自伝 "Cai'do del Cielo(天より落ちし者)" では今まで語られず知られていたかった初恋や、彼のハートを盗んだ女性達の秘密などのエピソードも明らかにされている。
初恋
Cecilia Jorqueraは休まない。Cerrillos地区の小学校につとめ、上司があれ、先生がこれと頼みに来て何かとやることがある。でも「Iva'nのお話でしたら」となると決まって手を止め、時間を作ってくれる。
綺麗な茶色の髪の毛の、その40才の女性は小さいときから、サンチアゴ市から15キロほどのところにある工業地帯、Maipu'のVila Me'xico地区に住んでいた。Zamorano Zamora家がここに移ってきたとき彼女は10才だった。最初はIva'nの姉であるErikaの友達になり、誕生日や新年を一緒に祝うようになった。
Ceciliaは今もあの時と同じ建物に住んでいる。Iva'n Zamoranoの家があったところからほんの一ブロック先だ。あのころ彼はまだ小さくて土のグラウンドでボールを蹴っていた。
サモラノより7才上にあたる彼女がある日ミニスカートでグラウンドのそばを通ったとき、「Iva'nは私を見つけ、ボールをつかんで小脇に抱え、横柄な口調で言ったんです。"きれいだね。ボクが大きくなるまで待つかい?" そんなにきれじゃないでしょ、って言ったら "いや、ほんとにきれいだよ、でも答えてよ、ボクが大きくなるまで待つかい?"って返すんです。"キミが大物なのなら待ってもいいわよ"と答えると笑ってグラウンドに戻っていきました。ほんの子供なのに私はどきどきしました。Iva'nはいつでもおませなで一丁前の男きどりでした。7才も年上のわたしがどきどきしてしまいました。」
Marina、Eugenia、Daniella
マドリッドにいながらチリ料理が食べられるレストラン "Ronco'n Chileno(チリの街角)" のオーナー、Alfredはサモラノと大の仲良しだ。しかしサモラノはこの地では目立たなくしていたかったようだ、金髪のMarina Lozanoの場合をのぞいては。「一度フォーマルな装いでAliciaとIva'nとMarina Lozanoが来たことがありました。ここで3人で夕食を取りましたが、その時Iva'nは酔っているいるようでした。いつものおしゃべりでにぎやかな彼とは違いその日はなにも話しませんでした。一番しゃべったのは彼の母親で、Marinaにチリの音楽とはどういう物だとか、チリ料理の作り方とかを説明していました。そのチリなまりゆえ皆が振り向き、Aliciaさんがしゃべりづめで、Iva'nはだんまりを決め込み、Marinaは少し退屈そうでした。その日はそれほどロマンチックな夜会ではありませんでしたね。」
(写真 : スペイン国王、Juan Carlosに謁見。それを見守るフレイ・チリ大統領とMartina Larraechea。 大きい画像は88KB)
第10回(最終回)
Jose' Macana'sはIva'nのスペインでの一番の友人だがこんなことを言っている。「知っての通り、Iva'nのそばにいるならその女性は彼の母をうんと好きにならなければいけない。彼にとってAliciaはすべてであり、今のIva'nがあるのは彼女に寄るところが大きいからだ。」このPepe Mecana'sは実に率直で直接的だ。彼にサモラノの恋人のことを振るとやはり黙ってはいられなかった。「モデルのEugenia Santanaに愛着を感じだね。彼女は本当に美人でとても気さくだったよ。」
Marina Lozanoについては話さない方が良いのだろうが、でもはやり口をついてくる。「Marina LozanoはIva'n向きの女性じゃなかったね。一度彼女のせいでサッカーの試合の時彼女と口論になったのだが、そのときの彼女は心底腹立たしかった。あの子はバカだね。でもIva'nは彼女にお熱で、別れたときには傷ついたみたいだ。何度かIva'nがうちに電話してきて彼女ともめていることを相談してきたけど、残念ながら彼向きの女性じゃなかったって事だ。Iva'nには気の合う人を見つけて幸せになって欲しい。彼は今は落ち着いているし、チリに戻ってくるときには結婚しているだろうと思う。彼は口癖のように、結婚は一生のことだと言っているので、誰が彼の相手になるかを見極めるのに充分な時間があるだろう。」
「彼とDaniella Camposはお似合いに見えるし、彼女の母は二人をイタリアの家に呼んだみたいだし。彼女の女性関係はいつもいい感じだ。そう言えばこんな事があった。一緒にアルマーニの店に入ったら中にいたモデルの全員が全員ともあっと言う間にIva'nの方へ言っちゃったよ。ああいうのを「根こそぎ」って言うんだろ?」「私にはIva'nがDaniellaに相当惚れているようにみえる。正式な交際だし、まだ確信はできないけど彼が探していた女性だったらいいね。」
(以上終わり)
(写真 : 左上・ミラノの家を共にしたDaniella。 右上・スペイン人Marina Lozano。 右下・モデルのEugenia Santana。 大きい画像は179KB)
おまけ:サモラノ近影。大きい画像は221KB、巨大です。

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