「多くの親たちは、将来についての不安を抱え込んでいました」――ウォマック陸軍医療センター、シャロン・クーパー博士


 ノースカロライナ州のフォート・ブラッグにあるウォマック陸軍医学センターの相談室で、メラニー・アヤースは湾岸戦争ベビーの親たちの支援グループに話しかけている。

「時々、部屋の隅に行って無邪気なままでいたらよかったと思うこともあります」

 妖精のような顔で、超自然的なまでにエネルギッシュな30歳のアヤースは、無邪気さを失ったのは1993年11月だという。このとき、生後5か月の息子が鬱血性心不全で亡くなったのである。マイケルの父親は、湾岸戦争の動力指揮官としての行動から戻ると、いつも汗ばんでいた――夜中まで起きていて叫び、腕と脚は氷のように冷たかった。そして、以前は検出されていなかった僧帽弁の欠陥のために寿命を縮めたのだった。

 マイケルの死後、メラニーはその寝室を封印した。そして、自分も薬を飲んでしまおうと思ったこともある。しかし、まもなく、湾岸戦争後に異常を持って生まれた子供たちの「衝撃的な数」の親に出会うことになる。親たちはみな、何が悪かったのか、再び元気な子供の声を聞くことができるかどうかを必死で知りたがっていた。砲兵大尉の妻で、幼い息子マシューを珍しい肝臓ガンで失ったキム・サリヴァンと一緒に、メラニーは同じような被害者の非公式のネットワークを創った。

 飾り立てた医者と看護婦の写真に囲まれて、十人余りのママやパパたちは、心配事、怒り、悲しみを共有するためにやってきた。キムはここにいた。陸軍軍曹の妻、コニー・ハンソンもそうである。その息子ジェイスはいくつもの奇形が複合して生まれた。陸軍軍曹ジョン・メイブスは、赤ん坊のザカリーとアンドリューを連れてきていた。その子たちは頭蓋骨の縫合が不完全である。この部屋の人たちは、もはや軍を信頼できなくなったためにお互いにつながり合ったのである。

「多くの親たちは、このつながりを持つ前には、将来についての不安を抱え込んでいました」と、ウォマック・センターの小児科管理者であるシャロン・クーパー博士は言う。クーパーは、敵対的な態度をとるのではなく、むしろ湾岸の復員兵とその家族を助けることに打ち込んでいる軍人である。多くの復員兵は、「軍の医師は肉体の病気もストレスの徴候だとか作り話だとすら言って、追い払うのだ」と語る。

 また、昨年、報道機関にリークされた州兵レポートで、数百人の湾岸の復員兵が、たしかに治療を受け続けなければならない医学的問題があったとしても、経費節減のために不当解雇された――おそらくは健康証明書とともに追いやられた――ことを暴露していると強調する。GAOが今年発行した第2のレポートでは、病気で苦しむ復員兵に対する支払いがいつも遅いことについて、復員兵行政を非難している。

 ウェストヴァージニア州上院議員ジェイ・ロックフェラーは、「君たちが復員兵のだれかを危険な仕事に送り出すとき、彼が不満を持ったとしてもそれは顧慮するに値すると考える。私は『無関心な無視』という言葉を使ってきた。国防省のお決まりのパターンは、無視である」と述べている。

 病気の子どもを持つ復員兵にとって、軍医たちが先天性障害の徴候を時々無視すると同じくらい、たらい回しは困る、と湾岸戦争に参加した親たちは言う。さもなくばあからさまな議論を避ける。そして、先天的な障害について語るとき、医者たち――と国防総省の役人たち――はすぐに親たちを怒らせるような統計を持ち出すのである。アメリカの子供の3パーセント以上が、異常を持って生まれてくる、と。メラニー・アヤースはこれに答えて言う。

「私の子供の写真を正面に掲げて、『あなた方が私に真実を告げているかはっきりさせる間、これを見ていなさい』と言ってやりたかったわ」

ケイシー
異常な内臓配置で生まれ、
しかも手術で
さらにダメージを受けたのだ、
と父親のブラドは語る。
現在、ケイシーの胸は
成長を止めてしまっており、
肺機能保全のための手術が
必要になるかもしれない
というおそれもある。

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