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皆で広げよう本の虫の輪。
最近はオンラインで本屋さんが増えてきましたが、まさしくそれはここ最近、
感覚的には数ヵ月の感じです。
それ以前の前哨戦として、ここ2、3年、インターネットは本好きの人間の
小さなコミュニティとして働いて来ていた気がします。
そんな中で、ふと、「あれが欲しいなあ」とかいうと、
即、「ああ、持ってるよ。分けてあげよう」と声がかかる。
そんな滅茶苦茶に嬉しい親切を私は何度も何度も受けてきました。
その節は本当に皆様有難う御座います。
人が勧めてくれたおかげで出会えた本というのは、
自分だけで完結せずにどんどん流していきたいですね。ほんと。
そういう訳で、今回のテーマはそのあたりで。
人から譲って貰ったものや、勧めて貰ったものに焦点を当てたいと思います。
まあ、それ以外にも、そこからの派生など。
さて。問題は。
夕べ改めて枕元の本の山を崩してたんですが、
未読の積ん読山が、文庫ばっかり、
段ボール換算して、1箱、2箱、3箱、おっとこっちの棚もか、4箱……
(冷汗)
さて、どれが貰った本でどれが買った本だったかなぁ
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さて、まずは、
熊倉@リスの檻さん
感謝特集。
あれこれと頂いているのですよ。
一千億の針 | ハル・クレメント |
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THROUGH THE EYE OF A NEEDLE |
Hal Clement 1979年初版 1978 創元推理文庫SF ISBN4-488-61504-X |
島の自然を楽しむSF。 「20億の針」 の続編。 うん、なかなか。前の「20億の針」でも思ったのだけど、私はこれを、 SFとしてより、むしろ海外児童文学冒険系の楽しみ方をしている。 児童文学で言うと、 アーサー・ランサムを読んでいる時の楽しみに近いのではないだろうか。 だって、舞台が島ですよ。 事あるごとに、自転車に乗って出かけたり、 ボート(それも手製の)で海に出たり、 珊瑚礁の中を探し物したりするんですよ。 飛行機燃料の消費量にこだわるパイロットが出てきて、 親しそうに会話をしたりもするんですよ、ねえ、燃えますよね?(笑) エイリアンなんて、ほんのそえもの、そえもの(笑) 冒険に駆り出す為の一動機として存在するに過ぎないって(大笑) いやまあ、それは言い過ぎですか、きちんと最後はSFオチでオチますから。 まあですが、なんというか、設定や帯が大仰に煽る割りに、 常に舞台は小さな島の中で回るあたりが、スケールが小さくて(逆に)いい。 親しみが入る、というか。 そう、だからですね、世間から秘密にしているが、 実はエイリアンは既に地球に居た、しかも人体内に寄生して! という、 展開次第ではものすごく全世界的なパニックになる話なのに、 個人の手がギリギリ届くか届かないかの所できちんと起承転結をする、 国際的な秘密組織がどうとかそういう話にはなったりしない、という、 そこがいいと主張したいのですつまり。 謎とかもそれほど「すっげえ」わけではないのですが、というか、 むしろ小さいのですが、 作者の真面目な/真摯な姿勢が透けて見えて、非常に好感が持てるのです。 =決して大物作家、とは言えないのだけど。 「20億の針」の時から通底して感じる、真面目な感覚。 ハル・クレメントはいい人です。面白い人です。 あらすじ。 主人公は青年になり、そして再びこの島へ戻ってきた……! 今回賭けられているのは、彼の命。 そう、「捕り手」との共存関係が崩れはじめていたのだ。 アメーバ風のエイリアン「捕り手」は、大きな動物、例えば人間の体、 の中へと潜り込んで暮らし、変わりに宿主の健康維持を行う。 その共生のバランスが、知らぬ間に、しかし致命的に狂い続けていた。 彼の免疫系は徐々に弱りつつあり、今や「捕り手」の持続的な介入がなければ、 あっという間にアレルギー症状その他を併発していき死に至る。 「捕り手」も必死だが、彼にしてみても人間の体は初めての宿主であり、 どの部分が原因でこんな事になってしまったのか検討がつかない。 助かるためには、あの時に落下した宇宙船を回収し、 銀河の「捕り手」の故郷の人々へと連絡をつけるしかない。 医者を、専門の医者を呼び出すのだ。 だが、果たして宇宙船は残っているのか。 宇宙船が残っていると言うなら、ひょっとして、あの対決の相手、 「ホシ」すらもどこかに分裂して生き残っているのではないか。 それとも、行方不明の「捕り手」を探しに、 既に救いの手は地球のすぐ側まで来ているのだろうか。 美しい島の、美しい海辺で、彼らの「宇宙船の残骸探し」 が始まった。時に秘密に。時に遊びに誤魔化しながら。 そして、見えない敵と味方と対決しながら。 彼の身の回りで、親しい人間が常に不可解な事故にあって怪我をするのだ。 やはり相手は「ホシ」なのか、奴が生き残っていたのか!? |
人狼原理 | クリフォード・D・シマック |
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THE WEREWOLF PRINCIPLE |
Clifford D. Simak 昭和五六年発行 1967 |
寂しい風が吹く。一昔前のSFの味がする。 これを読んだ時の感想は、やはりというかなんというか、 「中継ステーション」 を思い出してしまいました。 どちらがより名作かと言われれば、 私は「中継ステーション」の方をあげますが。 ええと、まとまりの点、とでも言うべき点でですね。 ある意味、こちらの話は「3人の話」でもあり、謎仕掛けで攻めるだけに、 その謎解きにこそページが裂かれて、 テーマに迫りきれていない感があるのでしょうか。 あるいは、 最後に出会う彼女の正体みたいな所が唐突で御都合な点かもしれません。 いや、あれこそ救いで、それがなかったら悲しいのですが。 でも、こう、それを匂わす伏線というか、がもう少しクリアに欲しかったですね。 なんで狼(とそっくり)やねんというとか、 違いすぎで同じ知覚同じ思考をほんまに共有しきれるんかとか、 そんな科学があるんならもっとなんとかなるやろとか、 3人どころでなくもっとやろがとか、 まあ、突っ込み所は沢山あるんですけど、それはそれとしておいて。 その詩感はなかなかいい味を出しています。 古き良き、ですね。 あらすじ。(うろおぼえ+ネタばれ) 彼は記憶を失くして荒野に立ち尽くしていた。 いや、より正確には、彼は人ではなかった。 稲妻が輝いた時、そこには二本足で立つ生き物の姿はなく、 変わりに四本足の獣が居た。 あるいはまた光が世界を覆った時、そこに居たのは巨大な結晶状の何かだった。 ソレが彼の在り方だった。 やがて彼は思い出す。 自分が何者なのかを。 彼は「探索者」だった。 数世紀前に旅立ち、銀河を放浪し、多くの情報を蓄積し、 そしてそれを抱えて地球へと帰還した…… 多くの星星の巡り歩きに耐えるため、彼の体には特別な力が加えられていた。 どんな状況下でも死なない様に。必ず帰還するように…… そして、彼は帰ってきたのだ。 だが。 今や、地球は変わってしまっていた。 集めた情報には価値が与えられなかった。 いや、そして例え変わっていなかったとしても、彼の地ではなかった。 なぜなら彼は「探索者」なのだから。 自分を思い出した彼は、再び自分を全うする。 |
以下の本は貰った訳ではありませんが。
早川文庫の復刊フェアで出た本です。
そもそもこの復刊にしてが、アンケートを元に、という事だったのですが、
それに対して組織票というか、取りまとめをしていただいた
安田ママさん
の尽力のおかげでというかなんというか。
んで、あの噂に名高く入手が困難なこの本を、という流れがあったのですな。
更にその復刊されたはずの本が私の近所には何故かなくて、
ダサコン4
での上京時、会終了後、人に御世話をおかけして本家をめぐって購入という。
御世話になりっぱなしでようやく手に入れた本な訳です。
果しなき旅路 《ピープル・シリーズ》 |
ゼナ・ヘンダースン |
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PILGRIMAGE |
Zenna Henderson 一九七八年発行 1959 ISBN4-15-010300-3 |
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ようやく手をつけたピープル・シリーズ。噂と期待にたがわず名作。 思っていたよりはドギつくない、かな? ある種、オースン・スコット・カードなえぐさとか、 JoJo系列の超能力の鮮やかさとか、 短編としての激短い濃縮率とか、 そういうのがあるかなと思っていたのだが、 そういう方向からいうと結構薄味だった。 古き良きSFというか、ジュヴナイルというか、すれてない直球な展開で、 うん、そう、「中継ステーション」にも通じる、正義の明るさがあります。 それも押し付けでない、当然のものとしての、悪人の居ない世界。 例えば、ハインラインやマキャフリィの話も、正義のSFなんだけど、 そこにあるのは力の正義というか、強い正義というか、俺の正義というか、 非常にアクが強く主張がキツい。 ヒーロー者系の正義ですね。 それとは違う、もっとこう、空気みたいな位置に立脚した正義。 気持ちがいいですな。 科学的に気になると言えば、 どうも全然別惑星由来らしいエイリアンが、 地球人と交配可能なまでにクリソツなこと。そりゃあんた所詮お話ですけどね。 なんですか、平行進化の奇跡ですか。 それとも、やっぱり遠い過去にリプミラがあちこち飛んで種植えたですか。 それともスターゲイトがあったのか。 あ、そうそう、このお話に親しみを覚え新しみを感じないのは、 おそらく、これを原点として沢山の孫作品が生まれたからでしょう。 中でも私がよく覚えているのが、 「いるかちゃんよろしく!」というりぼんマスコットコミックスの漫画を 描いてた作者による、なんとかっつうやつだったんですが。 あれ、やっぱ、これ読んでそこから来てたのかなあ。 あらすじ。 アメリカの片田舎、外部との間にはまともな道とてないような小さな村。 そのさびれた小学校に夜集う人々。 もの静かでありながら、静かに豊かな笑顔をたたえた彼らが、 一人、また一人、毎晩自分の記憶を語り続ける。 それは「支族(ピープル)」の歴史だった。 崩壊した母星。長い宇宙の旅を経た宇宙船。 母星と全く同じと言っていい気候を持つ地球の発見。 最後の大気圏突入での事故。 バラバラに飛び散った脱出挺。 自分がたった一人の生き残りかも、自分が最後の支族かも、 と思いながらさまよう地表の旅。 そして、合流。 ひっそりとしたアメリカの片田舎に、彼らの村が産まれた。 しかし、今、一族には転機が訪れていた。 その転機をどう扱うか。故に、彼らは集い、 自分達の歴史を再び紐解き始めたのだ。 超能力を持つ異邦人達の静かな冒険を描く、 そしてそんな彼らを見つめ、彼らと関わる人達の視点から描く、 柔らかく美しい物語。 |
血は異ならず 《ピープル・シリーズ》 |
ゼナ・ヘンダースン |
![]() |
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THE PEOPLE: NO DIFFERENT FLESH |
Zenna Henderson 一九八二年発行 1967 ISBN4-15-010500-6 |
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ようやく手をつけたピープル・シリーズその2。 その3っていうのはないよね? ここまでだよね? 前巻からの補完という感覚の強い一冊。 1を読んだなら続けて読むべし。 前作では、迫害される人種、というか、追われる人種、としての 「ピープル」がより色濃く描かれていたが、 こちらの方では、むしろ「共存」の方をこそ色強く描き出している。 その点でも、続編と言うか、補完と言うか、という品として適切な気がする。 結局、独立しては人は生きていけない。 異種族でも、一緒に生きていくのだ。 いやいや、そういうテーマではないかもしれない。 彼らは「異」などではない、同じ人類(ピープル)なのだ。 と、そういうテーマなのかもしれない。 あらすじ。 あれからまた時間が経った。 「支族」はあの重大な決断の後も、そう、二つに分かれた後も、 変わらずに暮していた。もちろん、時の流れの中に不変なものはないが、 それでも。 そしてまた、ぽつり、ぽつりと語り始める。あれからどうしてたのか。 どうなったのか。そもそも、以前は割愛していたが、あの事故の直後、 皆はどう暮らしどんな出会いを持っていたのか。 緩やかに暮す<ピープル>達の物語、上下巻とでもいうべき本の下巻。 |
そして、これを読破したことによって、
ようやくこちらにも手をつけれるように。
作者が、これを描くときに、上述「ピープル・シリーズ」を意識したという……
光の帝国 常野物語(とこのものがたり) | 恩田 陸 |
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集英社文庫 2000年 第1刷 ISBN4-08-747242-6 |
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ということで、ようやくこちらに手をかけれる。 さて、これには二巻があったようななかったような。 あるなら買いにいかねば。 読んで見て納得、和製ピープルシリーズ。 味は、私は「鳩笛草」と「マイナス・ゼロ」を思い出したり。 現代を描いている部分で、鳩笛を。 あるいは戦中戦後を描いてる部分で、マイナス・ゼロを。 (ここで日本人作家しか例えに出てこないあたり、 どうしようもなく日本人な味のする作品でもあった、ということだろうな) ただ、こちらではよく考えてみると、 エイリアンという言葉は厳密には出てこなくて、 超能力一族ということになっている。それもまたよし。 重ねてみて思ったのだが、 結局、人のアイデンティティの物語なんですな、どれも。(和も洋も。) 何故、自分は自分なのか。 つきつめればそこ。 もう少し表層的に言うなら、 自分には人とは違う特質がある。何故、自分は人ととは違うのか、その理由。 そんなどうして、に対して、まあ、答えは普通ありません。 でも、人は理由が、因果関係がなければ、納得できなくて不安に陥ります。 昔の人は「理由」を神様に求め、 今の人は「理由」を科学に求めます。 結局一番根元の部分で、何故砂糖は甘いのか、という問いに対して、甘いから甘い、 としか答えられない訳ですけどね。中間子を持ち出しても、ひも理論を持ち出しても、 量子を持ち出しても。 どちらにしろ、その作業というのは、 「ラベルを貼る」「レッテルを付ける」作業なのですな。 「俺にあるこの力はなんだ? これってなんだ? そして何故なんだ?」 という不安に対して、 「俺には超能力がある、何故なら”エイリアン”だからだ」 「私には普通じゃない力がある、何故なら”常野”だからだ」 その”ラベル”があるとないでは、思いっきり不安感の量が違います。 で、ここから話は逸れるのですが。 でも、実は、その”ラベル”には、意味がありません。只の単語であり、 結局のところ何を説明してくれている訳でもないのです。 そこまで踏み込んだ時、人の心の不安は何処に行くのでしょうか。 そこんところ、 ピープルでは、種族的記憶というもので、 常野では、直感による肯定で、 力技に閉じていますが。 ラベルによる安定の向こうにある、ラベルを信用できないが故の不安定。 そのへんまで突っ込んで、次に話があると面白い気がします。 (そのへん描いてくれてるのが鳩笛草なのかなあ) 以上、閑話休題。 |
他にも、各種各方面からのお勧めによって読んだあれこれとか。
山の上の交響楽 | 中井 紀夫 |
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一九八九年発行 ISBN4-15-030284-7 |
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星雲賞受賞。 目次。 忘れえぬ人 見果てぬ風 山の上の交響楽 昼寝をしているよ 駅は遠い 電線世界 あとがき ダサコン で合流した方々と話をしていて、これは読もう、と思った作品です。 ネット内を見てもわかりますが、この本をベストに任じている人も多い。 章も得ているようです。 さてまあしかし。人か勧められた本はけなすのが気がひけるなあ(笑) 一言で表すなら。 変。 やはり 「能なしワニ」 のシリーズを書いた人の話だと思うことしきり。 日本SF特有の味も持っているとも言えます。 例えば、悪く言うと、場末的な味。 西洋で言うなら酔っぱらいのいる西部の酒屋の埃散るカウンター。 東洋で言うなら食い詰めものの集まりくだを巻く男のいる賭場の隅。 インナースペースへと向かい、 それが無秩序にアウタースペースへとハミ出ているあたりの味。 不可思議な現実から仮想への飛躍、意味や筋の余り必要も利用もない飛躍。 インナースペースにおいての、結論が導けない、 ”現状”の迷いの描写と羅列が開陳される味。暴露的自白的共感。 その上を突き抜けていく為の建設的意見の呈示は無い。 時にこの感触は好ましくなり、時にこの感触はいらだち以外の何者でもなくなり。 あんまり偉そうに評せる程の量は読んでいないのですが、 神林長平にも、新井素子にも、そういう味があると私は思っています。 それが、日本人が書き、日本人の喜ぶ話なのだと。 少々ノスタルジィを強くすれば、これはカジシンに対しても言え、 ついでに言うと、私の弱いスタイルでもあります。 これは思春期に読むべき本だったかも知れません。 「究極超人あ〜る」を大学卒業してから読んで、 「この漫画からっぽ」と評した友人の気持ちは、 あるいはこれに近かったのかもしれません。 そんな思い出を新たにしてくれるお話。 対峙して海外SFの構造、というか、私なりに思ってる、 好きでかつさっぱりした話、というのは、 まずアウタースペースな仕掛けからどかんと入り、 ドタバタを繰り返すうちにそれは実はインナースペースにも通じていたのだ、 と判り、 アウターにもインナーにも それなりにこざっぱりとした解決を見せて物語を締める。 そんな話です。 だから、そのベクトルで判じると、この本の評価は低いですね。 ですが、感性に鮮やかな色を斬り付けていった部分も当然あります。 一番気に入ったのが「見果てぬ風」<その登場人物らの心のベクトルに 一番嫌いなのが「駅は遠い」<これ、 実験小説だよ楽しくないよ、こんなの金出して読ませるなよ 一番感心したのは「電線世界」<他の話は理不尽系というか、 それを通り越して無茶系とでも評する世界構築だが、 これは地に足がついてながら見事に浮いた話を示している と、そういった所でしょうか。 |
日本人繋がりでもう二冊。
どちらもハードカバーです。
空色勾玉 | 荻原 規子 |
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徳間書店 ハードカバー 1996年発行 ISBN4-19-860539-4 |
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一言で言うならば、みーはー日本古代神話。 このミーハー加減が日本神話という題材で児童文学な所でにゅー。 ふう、ようやく読めた。長らく積読していたハードカバー。 人に熱く勧められて読んだ本は評価が辛い。 いいのはいいがなんでそこまでと思った。 この人の話は私は 「西の善き魔女」 から入った。いやそもそもそれを読んだのも、 児童文学系の人の中で評価の高いこの本「空色勾玉」の作者だったからなのだが。 この程度の味ならば、確かに「これは王国のかぎ」とか、 「西の善き魔女」とか思うに、 つまり年降るごとに腕をあげてきている気がする。 ミーハー味を信条としてそれを育て上げてきている所が感心な気がするのだ。 ううむ、続く「薄紅天女」とか読むと評価が変わるのか。 とりあえずお日様の神様(女性)が全裸で出てきてくれるので許可。 <それでいいのか?>俺 <それはミーハーじゃなくてスケベだろう>俺 あらすじ。 日本の太古、神が人と血と地を共にしていた頃。 天ツ神(不死人)と国ツ神(転生人)の争いは ジリ貧で天ツ神有利となっていた。 そもそも天ツ神は父神が祖、国ツ神は母神が祖。 黄泉へ迎えに言ったはいいけど鶴の恩返ししてしまって逃げた 甲斐性なし親父によるヨモツヒラサカのお話は皆さんご存知? その時以来二神はいがみあってるわけで。 国ツ神の切札は、その時の落し子であるオロチの剣を封じる巫女。 でもこの娘がまた惚れっぽい奴で、 育ちとかの事情と絡んで自分から天ツ神の所へ行ってしまったり。 天ツ神の秘事は、そのオロチを使いこなす力を持つという末子。 これが能味噌からっぽのあぱらぱーだったり。 そんな二人が山越え谷越えするお話。 そして、神々の争いは決着を迎えるのだった。 |
〈骨牌使い〉(フォーチュン・テラー)の鏡 | 五代 ゆう |
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富士見書房 ファンタジーエッセンシャル(四六判上製) イラスト 弘司 2000.2.10 初版発行 ISBN4-8921-7412-9 |
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タロット占い師な話。 なんだかうとうととしながらどうにか読了。 実は某bk1売り切り企画。 タロットカードの1枚1枚になぞらえた、 短編集のごときものを想像してたのですが、全然違いました。 魔法ある中世風の世界での、 王の下に集う伝説の十二人の魔法使い。 王も魔法使いも運命に選ばれた人揃い。 自分達とは異なる魔法、”異言”によって王国は侵食されようとしていた・・・・・・ という話でした。 なんか、こう書くと 「ネバーエンディングストーリー」 みたいですな。 大きなうねりを伴うどっさりの本です。 んーむ、でもこれ、おいらならやっぱ買わずに図書館で借りて読むな。 あんまりファンタジーな人じゃないからして。 んで、日本人ファンタジー(というか日本人女性SF系作家)として見ると、 その王道というか、臨界というか、テーマというか、をやはり示してくれます。 ジャパ二メーションはこうじゃなきゃ、というのの、ファンタジー版。 ところでタイトルの鏡はどっからきてたものなんでしょう。 あらすじ。 ”詞(言葉)”が世界を形づくる。 語る事で、あるいは歌う事で、事象を操る力(魔法)を使える世界。 だが、実利を伴うほど、そして天地を揺るがす程の力が存在したのは、 歴史の書物の中、あるいは廃墟となった寺院の中。 その力を操る血統は絶え、あるいは薄まり、今は幻影を操れる程度となり、 占い師=骨牌使い(フォーチューン・テラー)と呼ばれる人々に継がれるのみ。 骨牌とは、12枚の、世界の根幹を抽象するタロット・カード。 だが、ヒロインは知る、巻き込まれる。 存在の秘されていた”13枚目”のタロットの運命に・・・・・・ タロットに、歴史に、埋め込まれていた、真実は。 |
ああ、この話は、私は昔読んだけどそんなに面白く思わなかった本ですね。
でも、ある方面の人とかに聞くと、もう絶大に面白いそうなんですよ。
はて?
カエアンの聖衣 | バリントン・J・ベイリー |
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THE GARMENTS OF CAEAN |
Barrington J. Bayley 昭和五十八年発行 1978 ISBN4-15-010512-X |
あったまの悪いSF(笑) アイデア一発(二発?)だけでここまで広げてしまいましたが、という、 馬鹿SF(誉め言葉)の一作。 ええっと、なんだっけ、「しましま曜日」だったっけ? 服に着られる女の子の漫画がありましたね? (いいの、わかる人にだけ判れば。) あれの男の子盤と思って間違いなし!(断言)<おい! 更に同じ人(竹本 泉)の漫画で、毎回テレポートしちゃう女の子が ロボットだけの国に行った事がありましたね? 結局ロボットは中身に人間が入ってだけという。 あれの男の子盤と思って間違いなし!(断言)<てだからこら! まあしかし空いた口が塞がらないアイデアでよくもまあ一冊「真面目に」 書いたなあと感心したりした本。 あらすじ、というか、解説。 超能力な電波を発する植物君、こいつはつまり洗脳寄生生物な訳ですな (……あ。そういう話もあの人の漫画にはあったな、そういえば(笑))。 この植物で網みあげた服は、着る人をそれにふさわしい人に仕立て上げてしまう。 乞食の服なら乞食に。美人の服なら美人に。それなりの服はそれなりに。 という訳で大統領にすらこれを着てたらなれてしまうという 超一級品のスーツを巡って、銀河半分を突き抜けるおっかけっこ。 銀河のこっちのはしっこがそのスタート地点とすると、その逆のはしっこでは、 これまた特異な文化が発展してまして。すなわち、自分をロボットと勘違いしてる、 缶詰人間らのお国 (だから。そういう話もあの人の漫画にはありましたな、そういえば(大笑))。 UHFで愛を語ります。うひー。 という話。<どんな話だ。 いや、もう少しまじめに書けば書けるのですが、それってネタバレっぽいよなあ。 これ以上ばらすのもなんなので、停めときます。 |
ハイ−ライズ | J・G・バラード |
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HIGH-RISE |
J. G. Ballard 一九八〇年発行 1975 ISBN4-15-010337-1 |
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一言で言ってガイキチSF。 いや、これはSFというよりもサイコ/ホラー系。 そういう意味では面白怖かったです。すげえ。 これを読んだきっかけは、 冬樹さんの所 でお勧めがあったからじゃあなかったかなあ。 普通の私であれば手に取らない品種ではありました。 これが、 最初に周囲のお勧めで持った感触と、 自分が表紙やあらすじを見て得た感触と、 読んでる最中の感触と、 読後の感触とが、 まったく一緒。あるべくしてそうであったお話というか。 ただ、真性によくできている話なのは本当です。 わかっていながら読まされたのだし、 読後背筋に冷たい氷が確かに一枚増えました。 ただ、SFじゃあないよね。早川文庫SFから出てるけど。 ファンタジーでもないし。 高層ビルサイコホラー。 「タワーリング・インフェルノ」とか 「ガラスの塔」(SFじゃなくて、なんか映画でやってた方) とかとはまたベクトル違う。 あらすじ。(ネタばれ気味) そこは新進気鋭の設計者が手がけた高級マンションだった。 周囲を圧倒してそびえる姿。階上には高給所得者が住み、ペットが入り、 階の中程にはスーパーや酒屋、ジムにプールまで完備されている。 ここに住む人は誰もが幸せだった。 わずかなほころびを除いて。 例えば、 階上と階下では、所得の差からくるちょっとした階層意識がある。 新築の建物の、それも長大なエレベーターは、今はまだ不調で時々止まる。 どこでも騒がしい子供らは、 余生を静かに暮したい老人らには歓迎されていない。 管理人は、ゴミの分別をしない住人に憤る。 そう、何処にでもあるようなほころび。 それが、次第に増幅されていく。この閉鎖空間の中で。 ビルという名の魔物の中で。 水の出が悪くなる。プールが濁る。動かないエレベーター。 誰もレジに立たないスーパー。ペットの行方不明。詰まるダストシュート。 生活機能は麻痺していく。 しかし誰もビルから出ない。 やがて勤め人は会社へ出るのをやめ、 ビルの中へ。ビルの中へ。 その中でのみ成り立つ特殊な社会の中へ。 誰もビルから出ない。 なんというか、閉鎖環境というものにおける社会の特異性とか。 なんというか、簡単にそれがリアルになり得る可能性とか。 なんというか、現実にそれがすぐ可能になる空間=マンションとか、 他類似品多数、がありとあらゆる所に存在している生活の現状とか。 なんというか、そういう狂喜を常にすぐ内側に内包している人間の性とか。 こわいですねえ。 幸せに暮したいなら読まない方がいい一冊。 私もできるだけ思い出さないようにしている。 |
ええと、他にはなにがあったかな?
なにがあったか思い出す参考にでも、と読書共同体のリストを眺めていて、
あ、あったあった。という事でもう二冊程。
宇宙消失 | グレッグ・イーガン |
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QUARANTINE |
Greg Egan 創元SF文庫 1999年初版 1992 ISBN4-488-71101-4 |
年末進行も押し迫った頃、「読書共同体 星の会話」 のデータとか眺めていて。それで気が付いたのですが、 今年は(というか最近は?)イーガンがフィーバーしていたなあ、と。 あんまり分厚くて難しい系のSFというのは、 私は今は避けていて、風評を見るにイーガンってのはそのタイプなんだろうなあ と思いつつ、いやでも食わず嫌いだし、 目の醒める様な鮮やかさで描くタイプなのかもしれないし、 とかなんとか思って読んでみた本。 結果、まあ予想通りと言うか。 私が喜ぶ系ではあるのだけど、ツボ押しまではいかない。 悪い言い方をすると亜流。二流品。 これで厚みが半分だったらまた評価が変わったかも、というか。 なんか、グレッグ・ベア(除く「ブラッド・ミュージック」)とか思い出したぞ、 どういう脈絡か。 同時期に買った「順列都市」の方は積読のままが現状。 いや、悪い本じゃないんだけどねえ。 ナノテクとかパラレルとかもう飽きたというか。 (というか読む前から沢山ありすぎてうんざりしたというか。 結局その全能性がすべてを肯定して、そのあとその限界が理屈づけられて、 ていう過程を踏むだけじゃないかと思うと>っとと、それを言い出すと全ての SF、いやお話が否定されてしまうんだけど>違う違うよ、そこにおいて、 そのパターンにおいてどれだけ楽しませてくれるかというのが大事なのであって) 出だしが強烈だっただけに惜しい本。 あらすじ。 ある日突然、世界が閉じた。 地球をまったき中心にして、半径数光年の部分に、 球形の”何か”が生じたのだ。一瞬にして。 偶然にして地球の夜側に居た人々は、空の星が暗黒に消えていく、 という景色によってそれを知った。 それは結界。それはバリア。あらゆる探知が今の所無効。 ただただ、世界は閉じたのだ。 経済は一瞬恐慌に飲まれ、立ち直った。 例えどうであれ、生活は続かなければならないのだ。そして、十数年。 科学の世界ではナノテクが発達していた。 自分の脳の一部を”メモリ”とし、そこに”プログラム”を自由に 読み書きすることで、 究極のウェアラブル・コンピュータが実現していたりもした。 これを利用して自身の体と精神をコントロールでき、体調や体技に及ばず、 精神状態まで設定可能。 だけどバリアの謎は謎のままだった。 そんな街で私立探偵をする主人公の所に、奇妙な依頼がやってくる。 ある精神病の女性を調べて欲しいというのだ。 彼女は絶対脱出不可能なはずの施設に収容されていながら、 何度も脱走を繰り返している。 自意識がある、思考ができるというようなレベルではない脳損傷のはずなのに、 まともに歩くことさえかなわないような人間の、 どう考えても不可能な脱出劇の繰り返し。 それを追いかけるうちに、非常に強力な力を持つらしい、 という、某企業の開発した新プログラムのネタが絡んでいき、 それをガードするだの産業スパイするだのという話になっていき、 やがて全ての伏線が一つに。 |
タイム・シップ(上・下) | スティーヴン・バクスター |
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THE TIME SHIPS |
STEPHEN BAXTER 一九九八年発行 1995 ISBN4-15-011221-5 ISBN4-15-011222-3 |
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英国SF協会賞/ジョン・W・キャンベル記念賞受賞。 あの! もう何を言うまでもなく! 名作これぞSFという、 っていうかSFを「作った」作品である所の、 「タイム・マシン」の続編である。 もちろん作者は死んでいるからして、 今回続編を書くのはバクスター。でもこの人、遺族に了解をとって 見事「正伝・続編」の名を勝ち取ったというのだから。 でもなあ、バクスターだしなあ。読まず嫌いだけど、 また訳のわからん技術がでてきてぐちゃぐちゃのどろどろで しかも分厚いページ数なんだろ? えんがちょー。 と思っていたのに、「いや面白いって」という周囲の声に押されてしまった本。 分厚いのそうだけど、まあ他の部分もそうだけど、 結構楽しめました。 ただ、やっぱこの作者は、こう、 ドキドキワクワクする登場人物をリアルに楽しく描く、 というタイプじゃないんだよなあ。 肝っ玉は十分に飛び上がるんだけどね、とにかく展開が、世界が、でかい。 そのデカさを、もっともっと楽しませてくれる方法があると思うんだよね、 登場人物の加工とか、出す手順とか形とかで。 やたらに壮大なのにやたらに軽過ぎる風になってしまっているというか。 ある種軽薄になってしまってる、そこはマイナス。 そこを詰めてくれればベスト入りする話。 あらすじ。(ネタバレ気味) 物語は「タイム・マシン」の翌日から始まる。 未来へ跳び、醜く野蛮な地底人と美しくも無垢な地上人の世界を、 更にその果てにある全てが死滅した地球を見て帰還した主人公。 だが彼は再びの旅を決意するのだ。それは、 あの時あの世界で見捨ててきた無垢種族の美少女を救う為の旅だった。 だが、目標時点についた時に、いや、そこへ至るまでの過程で彼は驚く。 未来が変わってしまっている! 彼が旅をした、その事実による外乱が生じ、「未来」が変化したのだ。 時間は決して、「決定された一本の線」ではなかったのだ。 そして変わるのは未来だけではない、同時に、 等しく過去も影響を受けるのである。 今や彼に帰る「時」は存在しなかった。 変わってしまった未来には既に美少女はおらず、 出会う地底人は、姿はそのままに醜いものの、 科学力、知性、そして精神の落ち着きでは遥かに彼を上回った。 この”科学者”を連れとした、彼の時間の果てを望む旅が再び始まる。 この二度目の新しい旅は、科学が産んだ様々な構築物を巡る旅でもあった。 そして旅は「宇宙の究極」へと、「時間の限界」へと続く。 |
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