地図模様

思いで

シアトル
7/4
成田ではローバースの小椋、田原、中根の3人が見送りに来てくれる。初成田初海外で正直びびってた。飛行場にチャリンコを持っていく人もあんまりいないから注目の的。
固い握手で3人と分かれた後、「これから先3ヶ月ぐらい一人旅だなぁ」としみじみとした寂しさを感じる。
飛行機に乗る前にもアナウンスが英語で流れる度に不安に襲われる。
「初海外にしてはでかいことすぎたかも・・・」弱気になる。

日本時間午後5時10分成田を発つ
飛行機の中では隣の日本人ツアーコンダクターのお姉さんと仲良くなる。ツアー客を引き連れてバンクーバーへ行くそうだ。
スチュワーデス(外人)の生の英語に打ちのめされる。スッチーよもっと笑ってくれ、怖いじゃないか。俺はオレンジジュースが飲みたかっただけなのに。
飛行機の中で入国に必要なカードの記入。滞在地・・・・・・未定。これはいかんだろうと適当にユースの住所を書いておく。
おれの個人用モニターが故障しており映画も見られず。B777に乗ったことある人なら分かると思うのだけれども、スーパーファミコンのコントローラーみたいなリモコンが取り外しボタンを押しても取れず、やな感じ。スッチーを呼んでも直らず。踏んだり蹴ったり。
モニターの表示のアンカレッジが「アンカレッヅ」になってた。アメリカーン。ちなみにシアトルはツアトルではなかった。
結局飛行機の中では大して寝られず。9時間は思いの外早く過ぎていった。

シアトル到着は現地時間で午前10時。時差の関係で少しのタイムトリップ。7月4日を7時間ぐらい2度生きたことになる。もちろん日本に帰ってくるときはその分取られるわけだけど。
シアトル空港では入国審査がどうなることやらと心配していたが、係りの人に「ユーアーベリーグットマン」とかべた褒めされて難なくクリア。
空港でチャリを組み立て日本語観光案内所で無料地図をゲットしてシアトル市内向けてへチャリをこぎ出す。当然チャリも右側通行。
ちなみにこのときの俺の精神状態は「いっぱいいっぱい」心に余裕無し。
セブンイレブンを発見するも「アメリカのコンビニ=コンビニ強盗」のイメージを衝撃の瞬間100連発とかで植え付けられてたから当然無視。
市内へ行く途中ボーイング社の半端なく巨大な工場地帯を通る。ジャンボジェットの生まれ故郷だね。町並みは清潔だが人が少なくって無味乾燥。飛行機博物館などという物があったが無視。かまっていられない。一刻も早くシアトルで宿をとり、一息つきたかった。日本からユースの予約ができず、その日の宿も決まってなかったのだ。いっちまえばなんとかなるだろうぐらいの勢いで来てしまったからね。きっと間違った楽観主義だろうとおもう。

シアトル市内に入る。コンパスと地球の歩き方をみながらシアトルマリナーズのメイン球場なんかの脇を通ってユースホステルに到着。早速フロントに泊まれるかどうか聞いてみる。「・・・(ナントカナントカ)・・・フル」あーん?なんだか泊まれなさそうな返事。残念だね、と彼が帳簿をぱらぱらとめくった。二三回見直した後、俺に向かって「ユーアーラッキー・・・・(どうやら同じやつが2部屋予約していたらしい、おまえ泊まれるぞ)・・・」
何という幸運。奇跡的にアメリカの祝日である7月4日(それも噂ではこの日から夏休みが始まるんだってさ)に、人気の高いユースホステルに泊まることができた。ちなみにこの日の昼食はユースホステルの前で配っていたホットドックとか豆と挽肉のスープとかレモネードとか。独立記念日なのだ。配ってる兄ちゃんにつたない英語で俺も食えるのか聞いてみたら、「アブソルートリー!」とな、生きた英語だなと妙に感心した。ちなみにこの旅で得た私の思う生きた英語は、この「アブソルートリ」と「プリティーグット」と満腹の時の「イナフ」、である。

6人ぐらいの部屋だったが俺のほかにはまだだれも来てなかった。バリバリの昼間だったが、部屋に入ったらすぐ寝てしまった。シーツからは異国のにおいがした。

起きたのは午後5時頃。俺が寝てる間にきてたルームメイトに花火を見に行かないかと誘われる。シアトルの花火大会は結構な大イベントらしい。港に行って花火を見物。人があふれてるのは日本の花火大会と同じ。花火の規模は、、、、隅田川花火大会にも負けないくらいかな。行ったこと無いけどね。(゜゜;)\(--;)ォィォィ
渡米初日でなかなかの大イベントに出くわすことができた。夜景が印象的だった。アメリカは夜間外出禁止なくらい治安悪いのかと思っていたが、実際はそんなことは無い。普通に人が歩いています。怖いと思っていた夜のニューヨークでも治安の良いところだったのだろうけど、普通でした。

花火の後そのルームメイトとカジュアルなレストランに入る。初タコス。タコスって実は複数形のsがついてる形なんだね。だから一つ頼むときは「ワンターコー」です。それも初めて知った。
彼はドイツ人で今はイギリスのケンブリッジ大学に留学中。アメリカへは卒業旅行とか。アメリカの鉄道の旅、アムトラックに乗ってアメリカを回っているのだそうな。ドイツについて日本について片言の英語で話す。彼の故郷はポルシェの本拠地シュツッツガルト。イギリスではそばとか日本食屋によく行くとのこと。箸も使えるそうな。ドイツはドイツ語だとか、リュックサックはドイツ語だとか、日本は四国がいいぜとか草の根文化交流をする。

7/5
旅の備品を揃えるためにアメリカでも屈指の品揃えを誇るというアウトドア用品店「REI」に行く。交通手段はもちろんチャリンコで。シアトルの町並みを眺めながらサイクリング気分でREIを目指す。気付いたことが一つ。シアトルなんて大都市だからビジネスマンとかラッシュアワーとかあってしかるべきなのにそういったものが見あたらない。いるのは観光客らしき人ばっか。果たしてアメリカ人みんながみんな夏休みをこの時期に取るのか、それともほんとにのんびりした町なのか。
REIは確かにでかい。ピナクルというフリークライミング練習用の高さ5メートルくらいの物体があるし(そういや日本のREIにもあるらしいね)、マウンテンバイクの試乗ができるテストコースもある。天井がアメリカンとつぶやいてしまいそうに高い。店員は常にスマイル。きっとよく教育されているのだろう。
買いたかったものは、MSRストーブ(火器)、チャリに付けるフロントバック、ヘルメット、チェーンオイル、ハイパークラッカーというチャリンコの後ろギアをはずすイカした工具、である。
MSRストーブ(ウィスパーライト・インターナショナル)は日本で買うと12000円ぐらいするのだが、REIでは69ドルだった。ずいぶん日本語マニュアルが高いですなあ(皮肉です)。ついでに言うと、サークルでよく使っていたコールマンのガソリンストーブ「ピークワン」もアメリカでは50ドルくらいだった。日本では10000円ぐらいだよね。
ハイパークラッカーがREIには見あたらなかった。インターネット通販では存在していたのだが。プリントアウトした紙を見せて店員に聞く。英語が通じないと分かると、別の店員が出てきて、英和辞典を片手に片言の日本語で説明してくれる。彼は母親が日本人とのこと。結局シアトルのREIには無いらしい。彼はとても親切な方で、シアトル中の自転車屋さんに電話をかけて、ハイパークラッカーを売っている所を調べてくれた。シアトルから北に20キロぐらい離れた所の自転車屋にあることが分かった。彼は親切にも英語のしゃべれない日本人の為に、詳細な地図と、「俺はハイパークラッカーがほしい」と書かれたメモをくれた。そこに行ってこの紙を見せれば大丈夫だという。旅行2日目にしてものありがたい親切を受ける。サンキューベリィーベリィーマッチ。
その後無事ハイパークラッカーは買うことができた。ただ一つ残念なことは親切をしてもらったREIの彼の住所を聞くことができなかったことだ。頼んだのだが「いいよいいよ、旅が終わってまたシアトルに来たらそのときREIで握手しよう」と断られてしまったのだ。いつかシアトルに行ったら是非会いたい。


7/6
旅立ちの日。
前日スーパーマーケットで買った食材をもとに朝食を自炊。ユースは自炊できるから良いね。内容はどうってことはない、ケチャップのみで味付けのスパゲッティーとウインナー。貧しい。日本人旅行者と食堂で仲良くなる。食パンをいただく。
ユースホステル前で写真を撮って、チャリ旅行開始。

ユースの前で
ユースホステルの前。出発のとき、日本人とともに。


アメリカ旅行中のドイツ人バックパッカー。ユースで友達に。一緒に花火を見て(当日は独立記念日)、タコスを食った。アメリカでの初の友達。イギリス、ケンブリッジ大学に在学中。おそばとかラーメンが好きだそうな。リュックサックはドイツ語だ!

シアトル エベレット グレイシャー1 グレイシャー2 クライドパーク イエローストーン グランドティートン
オニール エイムス エイムス2 クリーブランド ナイアガラの滝 ニューヨーク市 MID IOWA紙

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