悔恨録 : 風はいつだってアゲインストだった

無知だった、愚かだった、頼りなくていい加減だった

でも誰でもない、私が一番私らしかった頃の話を少しだけ

主な登場人物

:主人公、情けない怠け者 :三馬鹿トリオの一人、広島は因島の生まれ。YはやくざのYではない。 :三馬鹿トリオの一人、野生児。怪しげな友達が多い九州男児。 Yさん:色白、凸凹のはっきりした美人。 Cさん:Yさんの友達。勝ち気な女の子。 Yちゃん:行き付けのスナックの姉御。Yさんの友達。 M先輩:私の良き飲み仲間。単なるお人好し

◆◆この物語は最初から読むと真の面白さが分かります。または真のつまらなさが分かります。
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第一(笑)寿荘の頃 : 第七部

目次

第六十一話 「南武線(なんぶせん)」

第六十二話 「汗だくのかごの鳥」

第六十三話 「汗だくのかごの鳥2」

第六十四話 「汗だくのかごの鳥3」

第六十五話 「汗だくのかごの鳥4」

第六十六話 「汗だくのかごの鳥5」

第六十七話 「第一印象」

第六十八話 「飛ばなあかん」

第六十九話 「手から砂がこぼれるように」

第七十話 「第二印象」


第六十一話 「南武線(なんぶせん)」

武蔵小杉駅から四十分ぐらいだっただろうか。

南武線は他所の線をお払い箱になった車両を使っているらしく、通勤を始めた頃は板張りだったりした。聞けばこの頃では数少ない黒字線の一つであったのだがその割には肩身の狭い線であった。ゴトゴトと石炭なんかを運ぶ列車なんかも走ったりしていた。ローカルな感じの線だった。
通勤時間帯は結構混んだ。それでも通勤地獄と呼ぶ程のことはなかった。読もうと思えば新聞だって十分に読める。運が良ければ途中から座れることだってある。今思えば恵まれた通勤環境である。ただ、電車の中では努めて寝不足解消に励んでいたからか、特に記憶に残る通勤風景はない。心ときめかせるような美人にも合わなかった。

思い出すのは南武線の色合いである。特に休日には、これぞ南武線という感じを受けることが多かった。沿線に競馬場があるためだった。競馬が開けれる時は、はっきりその方面の方々と分かる大軍と出くわした。色の白い新聞にちびた赤鉛筆の風景である。車両は黄色だ。おじさん達の憩いの電車という雰囲気が漂う。但し和やかな感じはしない。どちらかと言うと殺伐といった言葉の方が似合ったかもしれない。少なくとも必死という言葉は浮かんでくる。形相と組み合わせて「必死の形相」なんて言葉も続けて浮かぶかもしれない。ちょっと怖かった。必然的に女高生とかOLとかはご遠慮申し上げます、といった雰囲気が漂う。OLが遠慮するのではない、OLをご遠慮するのだ。まあ頼まれても来てくれないだろうけど。
「こらこら、君たちここはおとなの世界だけんね」的雰囲気がぷんぷんしている。そう、どうもこの雰囲気、風景がこの線の色を決めていた。もちろん競馬はそんなにしょっちゅう行われているわけではないから、いつも白い新聞にちびた赤鉛筆というわけではない。わけではないが、この風景を一度見ると「ああ、これが南武線なんだ」と納得するのである。

奇麗なお姉さんやお嬢さんが少ないことと関係があるのか、と言われれば「ある」と明言しておこう。どこの線にもその線独特の風景や色合いといったものがある。国鉄だから(今のJRです、念のため)意識的にカラー付けしたわけではないだろうが、やはりこの沿線に若い女の子は住みたくないだろうな、と思わせる色合いがあった。
沿線に墓地があるのも印象を悪くしているようだったが、お陰でこの沿線は家賃が安かった。
その家賃にひかれてアパートを借りる女性もいたが、決して南武線沿線に住んでいるとは言わない「かくれ南武線沿線の住人」達であった。

最近は乗ることもなくなった、女性の競馬ファンも増えた。だからちょっと心配なんだけど、まさかトレンディーな線に生まれ変わったりしていないよね。頼むからいつまでも「労働者達の線」でいておくれ、南武線。

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第六十二話 「汗だくのかごの鳥」

三年目ともなれば一人前である。

少なくとも本人はその気になってしまう。そんな生意気盛りの私も夏を迎える頃には大手の電気会社の府中工場にまた行きっぱなしになっていた。今度は海上自衛隊に納める電波逆探装置である。船に積んでよその国の軍艦の電波を探知するという装置なのである。話しだけ聞くと胡散臭い感じがするかもしれないが、中味は単なるエレクトロニクスの塊である。今と違って部品一つ一つが目ではっきり認識できる大きさ、形であり、手作りの味がある塊なのである。物騒なものを作っておきながら手作りの温もりとはなんだ、なんて無粋なことを言う輩はいなかった。実際トラブルだらけで納期遅れを招いたこの装置はみんなの汗の結晶であった。冷や汗に脂汗なんて汗もたっぷりだったし一部血の小便を流した人のその分ぐらいの血も一緒の結晶だった。

この装置は機密性が高いために厳正な審査を通った決められた人しか入れない部屋で調整・検査の作業を行った。入り口出口兼用のドアが一つ有るだけの四角の枠があっという間に工場内の一角に組み立てられた。天上はない。大した機密性ではない、という感想だった。この中に一日中閉じ込められた。情けないけどカゴの鳥状態である。
季節は夏である。工場内は空調が効いていたが、このカゴは只の四角い板である。空いているのは天上部だけの構造で窓とか通気口とかいった余分なものは一切なく空気がちっとも流れない。中で働く人間のことなんか「知ったこっちゃない」状態なのである。機密保持のためのカゴで快適作業のためのカゴではないのである。そうなのである、あくまでも装置のためのカゴなので人間のためのカゴではないのである。機密性はともかく気密性は高かった。

朝から気温はぐんぐん上昇する。部屋の温度もどんどん上昇する。「ぐんぐん、どんどん」状態なのである。カゴを出るとほっとする、カゴにはいるとむっとする。「外ほっと、中むっと」状態なのである。しかしめったやたらに外には出れないのである。良く分からないが機密が漏れることを心配しての措置らしい。
人が熱源になるということがこのカゴの中にいると良く分かる。機械が熱源になるということも良く分かる。調整する装置もそのための機械も測定器もなにもかもが熱源なのである。熱源だらけなのである。当たり前だがこのカゴの中には負の熱源は存在しないのである。エネルギーなんて言葉が浮かんでは消える。熱射病なんてことも頭に浮かぶ。その分心は沈む、体も沈む。汗が出る、絡み付く、ねっとりする。そのうち性格が地味でしつこいタイプといった感じの人になってくる。
カゴの中ではシャツ一枚で作業をしていた。だらしない格好でだらだらと流れる汗のようにだらだらと仕事をした、いや仕事はテキパキとした、と思う。しかし体力がなくなれば気力が失せるのはこの世の常なのである。多少のけだるさや疲労感を感じたとして誰が私を責められようか。

そう思いながら日々を過ごした。こういう状態は一刻も早くご辞退申し上げたいとの願いは空しく砕け散り、後に二交代制をひいて昼夜別なくカゴの鳥状態に突入することになる。なんと言うかお約束とでも言おうか、神様って意地悪なのである。

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第六十三話 「汗だくのかごの鳥2」

うだっていた。

暑い、のである。だるい、のである。二十代の無限の体力にも限りがある、のである。私の仕事は調整・検査であると以前に書いた。つまり基本的には設計が終了した時点からが出番である。そこからが腕の見せ所である。扱っていた高周波(TVの電波みたいに商用に使われる電磁波を総称してこんな呼び方をした)のアナログ回路では所望の特性を確保するにはどうしても一品一品特性の合わせ込みをしなければいけないことがあり職人芸的な技量が必要になる。逆に言えば最後の追い込みは検査で、設計時点ではラフにしかしない個所もあったのだ。これは部品ごとのばらつきや色々な部品の組み合わせを十分に制御出来ないことが理由の一つであり、技術の発展とともに職人的技量の発揮場所が狭まってきているのだが、それはこの物語とは関係のないことである。

ところが、設計に十分な時間を割けなかったことと、担当者の能力不足(通常こういう物言いはしない。要求されたものと提供できるものの間にある種の隔たり、一種の断絶がある、などとわけの分からない風に言う。すまん、嘘である)とのダブルパンチで板張りのカゴに搬入された装置はウンとかスンとしか言わなかった。ウンともスンとも言わなければ設計部隊に引き取ってもらうことも出来たのかの知れないがウンとかスンとか、時々プンとかは言った。ちなみにこの能力不足は二十年前から言われていることで教育する十分な時間がない、する人も確保できない。メンバーが足りないために経験値が下がってしまう、ということの繰り返しであり今も基本的には変わらない。
そう20年前から言われている。昔の人はどんなだったのだろう?会ってみたいものである。でも大丈夫、少なくとも機械が進歩しているお陰で技術の世界はまだ破綻するまでには至っていない。これもこの物語とは関係のないことではある。

それでも最初はみんなの顔にも微笑みがあった。例えそれが苦笑いであっても、笑いと表現できるものであった。私は末席にただ座っている体力勝負の酒飲みであったので、申し訳ないがそれほどの危機感をもってはいなかった。それでもだんだん「これ?まずいんじゃない」なんて思うようになった。担当部長が「ちょっと悪い、電話来たら居ないって言ってくれ」と居留守を使いに板張りのカゴを隠れ家に使うようになった。
「ほんとに大丈夫?」 納期遅れが心配されていたことから各部署からヤイヤの催促を受けており逃げ回っていたのだ。もっとも隠れて煙草を吸ったりしていたわけではなく、連日の強行軍に根を上げて「頼む寝かせてくれ」との避難であった。「こりゃ、あかん」
上も下も辛いのが職業人なのである。これでもエンジニアの端くれ、と意気に感じ頑張ってみるのだが、いかんせん力不足、遅々として進まない、一歩進んで二歩下がる状態がただ続いた。昨日解決したはずの問題が今日また再発する。後日違う問題が見つかり最初の状態に戻すなんてこともあった。我が社の部長も徹夜覚悟で機械の下に潜り込んで設計図通りに配線がされているか、なんてことをやっている。いやはや、もう大変なのである。ハチャメチャなのである。

いつだって修羅場を通して技術は鍛えられていく、泣いてなんかいられない。願わくばこの難局を乗り切るだけの体力が残っています様に、と願うだけの無力な私であった。

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第六十四話 「汗だくのかごの鳥3」

毎日汗だくである。

鳥かごに閉じ込められた哀れな私は、単なる愚か者から汗かきの愚か者へと変身していた。まるで蝶がさなぎに戻るようなものである。そう、あってはならないことなのである。
実は私「働くのが嫌いなんだから」。環境完備、高給優遇、福利厚生などという言葉に愛着を感じているのに現実はしがない労働者である。さえない、ねえ。でも、まあそんなもんだ。
そう悪くもない。酒と友と仕事に恵まれていればそれ以上何を望むことがある。いや、ひとつあった。
空調をつけてくれー!

今日は装置に組み込まれている回路のチェックである。基板といってA4程度の大きさの板に色々な部品が組み込まれ部品間は基板にあらかじめプリントされている電気が通る薄い膜でつながっているものだ。一つの基板が一つまたは複数の機能を有していて、それらの回路基板がいくつも相互につながることで大きな一つの機能ブロックとして動作する。これが電気の素人にも分かるように様に説明した装置とか機械とかいったものの概要である。どうです、分かりにくいでしょう。心配はいりません、あなたが悪いのではありせん。もちろん私が悪いわけでもありませんが、、、技術って分かりにくいんです。

設計図を開く、基板を見る。うーむ、よく分からん。設計図をめくる、基板を裏返す。ううーむ、どうも釈然としない。これは、、きっとこれのことだ。だからこいつが、これってことだ。でもこれは何だ?
どうです、分かりにくいでしょう。心配はいりません、あなたが悪いのではありせん。もちろん私が悪いわけでもありません、、、技術って分かりにくいんです。
出来ることを一生懸命やる。出来ることは何か?図面通りに回路が出来ているか、である。ついている部品は正しいか?つけ方は問題ないか?部品同士はつながっているか?見る、見比べる。じっと見る、食い入るように見る。穴があくほど見る。間違いを見つける。小躍りする、汗をかくからしなければいいのに勝利の舞を舞う。間違いを直し、基板を元の位置に戻す。装置を動かして動作を確認する。動作不良は直らない。うな垂れる。汗をかくからしなくてもいいのに敗北の舞を舞う。そしてたそがれる。一体あのミスは何だったんだ。そうゴキブリを一匹見たら三十匹は隠れていると思わなければならない、のである。

一つの基板が終了したら、次の基板である。回路図を開く、基板を見る。時々蛍光燈に透かす。意味はない、飽きてきたからだ。背伸びをする、欠伸をする。肩を動かす、腕を回す。嫌になってきたからだ。汗をかくからしないほうがいいのに小休止の舞を舞う。徒労だ。
それでも作業は続く。何故って、一つの部品の間違い、接続ミス。一個所の切断、配線違い。それでシステムはパーである。そして意外なことにこういったミスが問題の大半を占めている。あの時も、そして今でも。だから技術って、好き。

人間のやることである。間違いだらけである。そうやって私も間違いだらけの人生を送っている。ただ残念ながら部品を交換するように人生をやり直せるわけではない、リセットスイッチを押せるわけでもない。空調が効いた部屋にいても人生が豊かになるわけでもない。だから人間って、好き。

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第六十五話 「汗だくのかごの鳥4」

ついに二交代である。

昼夜別なく働く、である。結局能力の低さを労働意欲の高さで補うのね、私達って。そうなのね…ちょっと涙ぐんだりしちゃうのである。致し方ない、エンジニア稼業はそういうものなのである。諦めるしかないのである。

まあ、土日も働く程度ではスケジュールを守れなくなっているのは担当者誰もが分かっていたことだから、遅かれ早かれこうなるのである。決まってしまえば気持ちは楽だ、体がきつい分ぐらい心は軽くなる。
明けない夜はない、抜けないトンネルはない。最悪な事態が生じても命までは取られない、給料も下がらない。友達もなくさない。どうだ、どうってことないじゃやないか。それなのに私も含めてみんなどうしてそんな憂鬱そうな顔をするんだろう。致し方ない、面子は男の背骨なのである。かっちょ悪くは生きられない、のである。

そうなのだ、思い出してみればかっちょ悪いことのオンパレードの私でも無理にかっちょ悪くしているわけではない。かっちょ良くしようとして、無理をするからかっちょ悪くなるのである。でもあくまで、背筋はまっすぐにしていたいのである。与えられた仕事は全うしたいのである。責任を与えられたらそれなりに果たしたいのである。設計したものはちゃんと動いて欲しいのである。調整したらご機嫌な性能が出て欲しいのである。「私がやった」のである。「私が作った」と言いたいのである。ものを作ることに真剣でいたいのである。

そんなことを思うこともなく、怠惰な日々を送っていた私に神様がちょっと試練を与えてくれたんだね、きっと。それとも意地悪かな、でも結構いい経験だったよね。今にして思えば

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第六十六話 「汗だくのかごの鳥5」

なるようになる。

そんなものなのである、いつだって。この時も「なんも分からん」うちに「なんとかなってしまった」。もちろん、納期遅れに痺れを切らした上層部からの命令で他の部門のスペシャリストという二名がアドバイスをしにやって来たり、事業部長などという雲の上のお人が自衛隊へ納期遅れをお詫びに行ったりと色々あったわけである。わけではあるが、担当者はやることはやっていたのである。
遅々として進まないように思われたデバッグ(問題点をつぶしていくこと)も少しずつではあるけれど、実はちゃんと進展していた。私が気づかなかっただけだった。ぼんくらな私には日々の移り変わりが分からない、としても季節は着実に秋に向かっているように、有る日「正しく動作」する装置がそこにあった。汗だくの鳥かご、そこにあった。私たちが精魂を傾けた、その場所に「ちゃんとした装置」はそっと存在していた。体中傷だらけで包帯がぐるぐる巻かれたような状態ではあったが、なんとか一人で歩けるようになりました。そんな感じで「そいつ」はそこに居た。

外に出れば空はすっかり秋の気配、雲の厚さがもう夏でないことを語っていた。背伸びをする。深呼吸をする。なんだか「俺なんか何の役にも立たなかった」申し訳ないような気がして控えめに、小さなガッツポーズをする。「ヨシッ」と声を出す。「とにかく終わった」そう、終わり良ければ全て良しなのである。これでおいしいお酒をもっとおいしく飲める。

気力は体力から出てくる。力が無ければ邪魔になるだけである。そして今の私には大した力がない、ということを教えて三年目の夏が終わろうとしていた。遠くの方から吹いてくる風は秋の気配と意地悪なアゲインスト。未だYさんのことを引きずりながら私はみんなと違った道を曲がり始めていた。振り返ればそんな時期であった。三馬鹿トリオが我が物顔に街を闊歩する最後の季節、だった。

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第六十七話 「第一印象」

第一印象は悪かった。

Yのことである。自分でも言っていたが色黒の強面なこともあって、ちょっと怖い、という印象を持たれることが多いらしい。そのうえにどうも態度が偉そうなので、みんなの反感を買うのであろう。かく言う私は、どうも緊張すると顔つきが険しくなる傾向があり、これも女性陣には甚だ評判が芳しくない。
そういった第一印象の悪いもの同士の出会いはこんなだった。記憶が一部壊れているのと写真とか、日記とかの記録が苦手なこともあって、細かいいきさつは覚えていないが、正式な入社の前に簡単な顔合わせがあった。正式なものではなく、ほんとにちょっと顔を合わせただけでなんてこともなかった。何の意味があったのか今でも分からない。多分その時集まれる人だけが会社に集められたんだと思う。全員は顔を出せなかったと思うが半分以上の7,8人の同期が集まったと思う。その時私は会社の陰謀によりアルバイトという形で既に毎日10時過ぎまでこき使われる半社員状態に陥っていた。「他の人はもう来てますよ」てなことを言われてしぶしぶ出社したら私が最初の犠牲者だった。「やられた」のである。そんな会社の陰謀にまんまと嵌められたお人よしは私ともう一人Iだけだった。他のやつらは、卒論が、準備が、なんていい訳でアルバイトは断っていた。断るということすら考えつかなかったアンポンタンな私たちだった。

初めてYに合ったのは板張りの、そうちょっと中学校の音楽室みたいな部屋だった。実際一回も使われたことがないピアノが置いてあった。ここに新人たちが集められた。不思議に偉いさんたちが居た記憶はない。みんなの服装もちょっとばらばらで特にYは開襟シャツだった。実はまだ自分の荷物が何かの手違いでアパートに届いておらず、背広がなかったから仕様がなく、が真相だった。でもそんなことは知りようがなく、なんと態度の大きいやつだと思った。この時も私たちは一般社員と同様に出勤し作業着に着替え働いていた。私とIは作業中に呼び出しを受け作業着を着たまま部屋にいった。総務の先輩が連れていってくれた。少し遅れて部屋に入っていった私たちは他の同期から見ればどう見ても同じ新人には見えなかっただろうと思う。実際Yには同じ新人の癖に作業着姿で現れ先輩面をしている生意気なやつと映ったようで「なんだ、こいつ」てなもんだったらしい。

「どこのやつだ」と私、「なんだ、こいつは」とY。すぐには友達になれない人見知りの二人なのである。

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第六十八話 「飛ばなあかん」

「飛ばなあかん」

お人よしのM先輩は自分のことを棚に置いてよく私にこう言った。三馬鹿トリオ以外の飲み会のグループで集まるごとに繰り返した。「そうですよ、飛ばなきゃ駄目ですよね」と飛ばない先輩と飛べない後輩は杯を酌み交わした。今ほどではないが、それでも待ち合わせに利用した自由が丘はおしゃれな街だった。駅前のロータリー、六時半とかに待ち合わせした、ガード下。今も変わらぬ細身の体にこじんまりとした頭を乗せ、人の良さそうな笑顔を浮かべて私に向かって手をあげた。

あの時と同じ風景、同じ駅前のロータリーなのにもう同じ風は吹いてはいない。出来そこないの詩人になって考える。もっとも今二人が会うのは、先輩の住んでいる都心から大分離れた田舎の町の駅前、それでなければ新宿駅の東口。
景色も違えば風も違う。それでも変わらぬものを探して杯を重ねる。愚かさに愚かさを重ねても愚かさから抜け出せないことに気がついてはいるのだけれど。「飛ばなあかんぞ、xxx」「じゃあ、今日は久しぶりに飛びますか」ネオン輝く道、久しぶりの笑顔。疲れる笑顔に囲まれる生活から抜け出して肩の力を抜いて振りかえる。

「今日はどこにします」「ああ、どこでもかまわんぞ」「じゃあ、面倒くさいんでこの前の店でいいですか?」「ああ、そうしよ」これではどう考えても飛べるわけがない。進歩しない先輩と進歩したくない後輩なのである。一瞬、あの頃と同じ風が吹いた、ような気がした。

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第六十九話 「手から砂がこぼれるように」

季節は既に秋になっていた。

目に見えて技能があがっていく、技術を覚えていく。そんな時期は季節と共に過ぎさっていた。日々の積み重ねはもう表に現れることなく体の芯に深く刻み込まれ、簡単には見える形にならなくなっていた。技術とはそういうものなのだ。そのことにあせりを感じていた。同時にある種の疲労も蓄積されていた。「何かが違う」学生の頃からの悪い癖がまた頭をもたげ始めていた。

まるで手の平いっぱいにすくいあげた黄金の砂が指の間からどんどんこぼれていくような感じだった。「時間がない」そう思った。目先に構いすぎるために逆に可能性があることに気がつかない、そういうものなのかもしれない。遅々として進まない自分の歩みにいらだっていた。何かのせいにしたかった。

「ここじゃない」そんなことを考えるようになっていた。末期症状である。この後幾度と無く同じことを繰り返す。でもくやしいから過ちを繰り返すとは決して言わない。

手から砂がこぼれるように、私の明日が消えていくように思えた。何かが私を急き立てていた。このままではいけない、逃げていたのかもしれないが。
そうして80年の冬が始まろうとしていた。

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第七十話 「第二印象」

飲んでつぶれた。

それがOとの最初の思い出だ。多分素面で紹介しあったはずなのだがどうもその時の印象は残っていない。話をすれば「いかにも」といった感のある九州男児なのだが見た目はそうおかしくはない。初対面の人にいきなりアクセル全開で飛ばすほど無謀でもない。猫をかぶる程度の知恵はある。そのせいで印象が薄かったのかもしれない。あるいは単に私が緊張し過ぎで回りのことが目に入らなかっただけのことかもしれないが。

配属された検査部隊の人たちに歓迎会をやってもらった時からが私達の馬鹿話のスタ−トである。碌でもないスタートになるのは致し方ない。愚か者の人生では良くあること、お約束である。学生時代殆ど飲むことがなく自分の適量を知らないこともあり、この歓迎会では結構飲んだ。結果つぶれた。もっとも適量を知った後も無理して飲んだ、結果つぶれたを繰り返した。馬鹿は死ななきゃ直らない、である。店のトイレでつぶれているのをOが見つけてくれた、らしい。もう夜も遅いこともあり、会社のそばの飲み屋から歩いて帰れるOのアパート「寿荘」に泊まった。まあ、連れていったもらったというところだ。古くて狭くて「いかにも」という感のある木造2階建てのアパートだった。これが寿荘との出会いである、物語の始まりである。

アパートに帰る途中吐いた。うーん、もったいない。苦しくてちょっと涙が出た。酒もいいことばかりではないと知った。二人で並んで立ちションした。ふー、生き返る。これは別にもったいなくない。出せるものは早めに出したほうがよいと知った。
朝が来た。ここはどこ? 見なれぬ天井。私は誰? 頭が重い。あなた何!? どうしてオレの布団に。なんて安物ドラマ状態がしばらく続く。ああ、そうか、、、。飲んでオレ、、、。恥ずかしい、失敗した。すぐ反省するのが私の欠点である。その反省をすぐ忘れるところが弱点である。穴があったら入りたい。でもそれらのことに目をつぶれるという美点も持ち合わせている、お陰で助かっている。

飲んで意気投合しあった仲とはいえ、酔いつぶれた経験が無かった私には次の朝どういう態度でOと接すればいいのか分からなかった。しかしそんな心配は杞憂だった。なにしろ朝もまだ酔っている状態なのである。そんな細かいことまで気は回らない。「どーでもいいや」である。Oは素面でも細かいことに気が回らない男なので、飲んだ翌日は大まかなことも回らないことがある。「べつにいいや」である。
だから何でもいいのである。気にしないのである。
そうなると意外と何とかなるのである。どうにでも出来るのである。アッハッハ、エッヘッヘなのである。もう二人は親友なのである。少なくともこいつは「アホだ」とお互いに認め合ったら怖いものはないのである。オッホッホ、イッヒッヒなのである。

さて、帰るかと身支度をした時に定期入れがなくなっていることに気がついた。アルバイト料の大枚10万円も入っていた。一気に酔いが覚めた。たちまち青ざめた。激しくうな垂れた。結局定期入れは出てこなかった。友情を手に入れる代わりに現金を失った第一ページだった。まあ、まだ友情は残っているから「べつにいいや」と考えるようにはしているのだが、、、やはりあれは痛かった。

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