悔恨録 : 風はいつだってアゲインストだった(更新)

無知だった、愚かだった、頼りなくていい加減だった

でも誰でもない、私が一番私らしかった頃の話を少しだけ

主な登場人物

:主人公、情けない怠け者 :三馬鹿トリオの一人、広島は因島の生まれ。YはやくざのYではない。 :三馬鹿トリオの一人、野生児。怪しげな友達が多い九州男児。 Yさん:色白、凸凹のはっきりした美人。 Cさん:Yさんの友達。勝ち気な女の子。 Yちゃん:行き付けのスナックの姉御。Yさんの友達。 M先輩:私の良き飲み仲間。単なるお人好し

◆◆この物語は最初から読むと真の面白さが分かります。または真のつまらなさが分かります。
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目次

第八十一話 「おごる平家は」

第八十二話 「それじゃ、また」

第八十三話 「ひとりで帰ります」

最終話 「あの頃」


第八十一話 「おごる平家は」

最後はオレのおごりだ。

三年勤めればそれなりに退職金が出るだろう。少なくとも給料1ヶ月分ぐらいは出るだろう。と勝手に皮算用していた。まっ、典型的な一人よがりだね。その金で店を借り切って同期とドンチャン騒ぎだ。一人5000円として20人は呼べる。小さな店なら2時間は借り切れる。と話はどんどん大きくなっていく。まっ、大きくなっても小さな店を2時間止まりだけどね。小市民な私。

退職の手続きで総務に出向きあれやこれやと色々やった。離職証明書?とかなんとか幾つかの面倒くさい手続きをした。こんな面倒くさいことはもうやらんぞと思った。そう言えば入社の時もそんなことを思ったような気がする。面倒くさがり屋な私。
その時初めて退職金が出ないことを知った。「あれっ」おかしい、「あれれっ」予定と違う。しかし、それはお約束。YやOの予想通りだった。「三年勤めなければ駄目」そんな杓子定規な、少しぐらいまけてくれたっていいじゃない。「なんで三月一杯勤めないの?バカねー」と語尾を延ばされる情けなさ。次ぎに行くことを決めた者が何時までも残っているもんじゃない、それが男の生きる道。「何、それ?」

うーむ、総務恐るべし。まっ、男の美学なんてこんなもの。有休もたっぷりあったし、次ぎの会社も4月16日入社だし、三月の途中で辞める理由はない。そりゃそうだ、確かにない。でも辞めちゃったものは仕様がない。そう仕様がない。
ほぼ三年じゃないですか。大体三年じゃないですか。殆ど三年じゃないですか。怒涛の三連攻撃も総務には通じない。ううーむ、再び総務恐るべし。

致し方ない、ここは心を鬼にして「すまぬ、お別れ会には金はだせん」とみなに詫びる。もちろん同期の方もそんなことははなから期待していない。ちゃんと自分たちで会の準備をしていた。Yと私の合同の送別会である。持つべきものは友である。Oが特に働いたという記憶はない。役立たずの友も友には違いない。

会は寿荘の近くの店でやった。同期の女の子が選んだトレーナーが私とYへのプレゼントである。お揃いの色違いである。サイズも同じである。うーん、おざなりである。しかしもらえるものは拒まないのである。まずYに選ばせ、残りをありがたく頂戴した。「ふっふっふっ、残り物には福なのだ」結構古風な私。

少し春めいてきたとはいえ、まだ冬の気配があちこちに点在する三月、月の綺麗な夜のことである。

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第八十二話 「それじゃ、また」

それじゃ、また。東横線の駅のホームから手を振った。

帰り支度もなんとか済み、Yがついに因島に戻ることになった。思えば三年に満たない短い月日だった、大学の4年にも満たない月日だった。最後の夜もいつもと同じようにいつもの店でいつものように飲んだ。湿っぽい話は苦手な三馬鹿トリオだから、なるべく賑やかに飲んで騒いだ。もっとも酔えば騒がずにはいられない、愚かな私。それでも時折ふっと風が流れた。

Yの横顔を見つめため息をつく、そんな乙女の一人や二人いてもいいのに。艶っぽい話と無縁だったY。やはり男は見た目である、ということだ。別にいいさ、酒と友があればそれで十分だと思い込んでいた三馬鹿トリオは特に気にする風でもない。
「飲め!」の声に我に返る。「飲むぞー」と叫ぶO。「飲め、飲め」と私。「お前も飲め」とY。「お前こそ飲め」とO。「飲め」という単語の密度がことさらに高い夜だった。「アハハ」「ワハハ」「ギャハハ」とこちらの密度も異様に高い。「あれ、覚えてるか」「覚えてる、覚えてる」と私。「忘れた」と腰を折るのはO。こんなグーとチョキとパー、みたいな関係が楽しくて嬉しくて。

飲み疲れて寿荘に深夜の帰宅。薄明かりに浮かぶ見なれた汚い小さな部屋。否応無く朝がやってくる。時間が行くのが許せなくてのろのろと起きる、うだうだとする。時計を見る。

「やっぱり見送りにいくか?」とO。「来んでええ」とY。夕べから何回か交わされた会話。「ワシはそういうのは好かん、いうちょるじゃろ」「でも、なあ」夕べと同じ終わり方。学習能力のないO。時計を見る三人。だるそうに荷物を持つY。「もう行くか?」とO。「ああっ」とY。「それじゃ、オレも帰るわ」と私。

新幹線の時間に合わせる形でYと私は寿荘を後にした。三人で駅に向かい、Yと私は東横線に乗り込む、Oが一人残された。
南武線への乗換駅までの短い間、特に話すこともなかった。それでもなんやかんだと喋った記憶がある。話すことなんてもう無いはずなのに。

乗換駅につきドアが開いた。ホームに降りYを振りかえる。「…やっぱり見送るか?」「ええって言うとるやろが。そういうのはええんや、ほんとに」「ああっ、そうか」ドアが閉まった。東横線がのろのろと動き出した。Yはこちらを見なかった。「それじゃ」と手を振った。悲しみがドッとやってきた。「ほんとは帰りたくないんじゃ」と言ったYの言葉を思い出していた。

春の気配濃厚な遠い日のことである。

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第八十三話 「ひとりで帰ります」

別れがまたやってきた。

これをやるよ、助かります。こんなのもあるけど、いる? あっ、それはいいです。なんてことをK先輩とやっているうちに、、、別れがやってきた。羽田まで見送りに行く。「なんだ、別に来なくてもいいのに」と仏頂面の先輩。負けてはならじと「でもー」とエヘヘ笑いで返す私。来なくていいよと言われてはいた。何故だか見送りを断り続けられる私、どこかいけない所があるのだろうか。

まだ出発には少し間があるので、どこかで時間を潰そうということになり飛行場内のレストランに入った。窓際の席に座り、二人生ビールを注文した。何か話した。特にかわりばえのしないどうでもいいような話しだった。ドラマのようにはいかない。
窓から飛行機が飛び立つのが見える。あんな風に先輩も行ってしまうんだな、そう思ったらなんかちょっと情けなくなった。

出発の時刻も近づき、のそのそと二人並んで出発ロビーに向かった。そこに先輩を見送りに女性が一人で来ていた。ちょっと驚いた。会社の後輩なんだよ、と紹介され「はじめまして」と簡単な挨拶をした。行き付けの飲み屋のママさんらしかった。ちょっとがっかりした。ドラマのようには、やはりいかない。
搭乗案内が始まりゲートに入るK先輩。一時姿が人ごみに紛れる。エスカレーターに乗って私たちに手を振る。ゲートのこちら側でおばさんと二人、エスカレーターの後姿が見えなくなるまで手を振る、ドラマみたいに。

先輩の姿が消えたロビーで所在なげな私に彼女は「帰りましょうか?」と言った。「あっ、あの、、、結構です。ひとりで帰ります」とすげない返事の私。反則技である。どうせモノレールの間だけの短い時間なんだから、一緒に帰ればいいじゃないか。それでも、なんだかとても嫌だった。その人が特にどうというわけでも、人見知りするからでもなく、なぜだが一人になりたかった。それだけのことなのだ。
「それじゃ、私はこれで」といって彼女は先に一人で帰っていった。

私は何をするのでもなく、ただ飛行場に残っていた。先輩の飛行機が空に飛び立ったのを見送りたかったわけではない。それほどのロマンチストではない。それでも結局その飛行機が飛び立つまで残った、安物のドラマみたいに。

「オレ、ひとりで帰ります」そして私はひとり寂しくアパートに帰った。ドラマの幕切れなんてこんなものなのかもしれないと思う。
それでも別れって、結構、つらい。

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最終話 「あの頃」

あの頃、私は大学を卒業し総勢二百人ほどの小さな電気会社に勤めはじめたばかりであった。何も知らない、何も考えない無知な学生のまま社会へと飛び出していた。その電気会社で二人の友と知り合う。YとOという変わること無い友情を誓う二人の友と出会う。三人で集まっては一緒に酒を飲んだ。平日も週末も、飽きることなく。

仕事は忙しく、失敗だらけの毎日であった。大変なことだらけだったのにやたら楽しかったのは、あいつらがいてくれたからだと思っている。
父親がバイク事故を起こしたときに連絡がつかなかったことに懲りて入れた電話のベルが鳴った。リーン、リーン、リーン。めったに鳴らない電話が鳴った。どうもこの音が苦手だ。それでも無視するわけにはいかないとの脅迫観念がある。もしかしたら重要な連絡かもしれない、などと思う。急かされている。早く取れ、取れ、取れ、と言われている。
「はい、xxxですが」「おい、何やってるんだ。みんな待ってるんだから早くこい」夜の11時になってこれから来いもないもんだ。学生じゃないんだから。そう思いながら「ああ、分かった。うーん12時には行けると思う。じゃ、その時」

何しろ明日は土曜日だ。休みなのだ。大手をふって飲めるのだ。そんな言い訳を誰に聞かせるわけでもなく、自分に言い聞かせ駅に急ぐ。夜になるとさすがに少し冷える。人のまばらな駅のホームで財布の中身を確認する。結構厳しい。まあ、三人で割り勘ならなんとかなるだろう。川崎行きの電車がやってきた。乗客は少なくガランとしている。肩をすくめて席に座る。後は飲み屋につくまでただひたすら我慢すればいいだけだ。

こんな風にお決まりの週末がやってきた。行き付けのスナックにいけばそこにはいつのも友がいつものようににぎやかに、楽しそうに酒を飲んでいる。遅れて来た私に比べ、大分前から飲んでいたんだろう、二人とも結構気合が入った顔をしている。ありゃ、ボトルも殆ど空になっている。やられた。しようがない。
「すいません、新しいの入れてくれる」こうなったら、払った分は元を取るぞ、とばかりにグイグイいく。ジャンジャンやる。何しろ二人とも四国と九州の生まれで酒が強い。そいつらに割り勘負けしないためには多少の無茶はしかたないのだ。ある程度の無理はしようがないのだ。

そんな飲みかたしたらやばいんじゃない。ほーら、やっぱりやばくなった。素面だと小心者なのに飲むとやたら威勢が良くなってしまう私。とにかく気分は異様にハイ、友の背中をバンバン叩く。だれ彼かまわずやたら抱き着く。記憶のなくなったもん勝ちだ。その意味では殆ど私のひとり勝ちである。
結局最後は酔いつぶれた私を二人が木造二階建てのボロアパート「寿荘」に連れ帰り四畳半一間の狭い部屋に泊めてくれる。もちろん、奴等も負けてはいない。酔いつぶれたことをいいことに私のことをばんばんぶつ。ぼこぼこ殴る。後で聴くと酔った勢いもあり相当強い仕返しをしたらしい。「すげーいてえ」と頭や背中を押さえて転げまわる私を見て二人して笑っていたらしい。

なんともひどいやつらである。それでも次の朝、そんな事は見事なほどにに忘れていて「どこか痛くないか?」「飲み過ぎで胸が苦しい」「頭、痛くないか?」「頭に来るほど飲んでない」とトンチンカンな返事をする。薄い壁越しに聞こえる音。おっ、隣も起きだしたぞ。それじゃ何か食いにいくかと駅前に出る。判で押したような一日の始まりである。

あの頃、私たちは一体何を夢見ていたのだろう。未来に何を感じていたのだろう。そんな話をする機会もなく、なんとなく黄金の日々が過ぎていった。終わりは意外と早く来た。入社三年めの終わり。父親の具合が悪いこともあり、Yが因島に戻ることになったのだ。正月の内輪の新年会で会社を辞めると聞かされる。不思議なことに私も退職を決意していた。春、Yは三年の日々と「本当はまだ帰りたくない」の言葉を残して帰郷した。
残された私とOは3バカトリオを解散し新たに大馬鹿コンビを結成したが、在りし日の栄光は戻りようがなかった。三人でやる失敗や悪戯は何倍にも拡大されていたことに遅ればせながら気付いた。何か心の一部がかけてしまったようだった。 Yの帰郷と前後して私が会社を替わったこともあり、平日にOと飲むことはめっきり少なくなった。もっともそれまでが異常だったのかもしれないが。

それでも週末は良く飲んだ。新しい会社で苦労は増えたが、Oと飲むのは楽しかった。こいつがまだ居てくれることが嬉しかった。当たり前のようにそこに居てくれるのが嬉しかった。それでも只、馬鹿をやってばかばかしく騒いでいただけだった。一年後、Oも熊本の会社に就職が決まり帰郷する。コンビは解消。馬鹿はひとりじゃ単なる馬鹿でしかない。

春、東京駅。新幹線のホームで、二人は無言のまましばらく立っている。Oはホームからの景色をじっと眺めている。「新幹線の中で食べろ」と買ってきた酒のつまみを渡す。
「おおっ」、、「じゃっ」と短い挨拶。発車のベルが鳴る。早くしろ、しろ、しろ、とベルが鳴り響いていた。「うるせえぞ、ベル」
軽く手を上げた。窓越しに見るOはなんだかやけに疲れていた。私も随分年を取ってしまったような気分だった。ゆっくり、新幹線が動き出す。それはなんだか私一人がこの大都会に残されていくようで、結構辛い。少しだけ涙が出た。気がつけば春の淡雪が舞っている。なんだかそれも私だけに降っているようで結構気が滅入った。心のかなりの部分が欠けてしまった。新幹線が見えなくなるとすぐ、春の淡雪は止み無音のホームに私だけが佇んでいた。一人ぼっちの私だった。

千九百八十二年の春のことである。

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