無知だった、愚かだった、頼りなくていい加減だった
でも誰でもない、私が一番私らしかった頃の話を少しだけ
主な登場人物
私:主人公、情けない怠け者 Y:三馬鹿トリオの一人、広島は因島の生まれ。YはやくざのYではない。 O:三馬鹿トリオの一人、野生児。怪しげな友達が多い九州男児。 Yさん:色白、凸凹のはっきりした美人。 Cさん:Yさんの友達。勝ち気な女の子。 Yちゃん:行き付けのスナックの姉御。Yさんの友達。 M先輩:私の良き飲み仲間。単なるお人好し
◆◆この物語は最初から読むと真の面白さが分かります。または真のつまらなさが分かります。
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第七十一話 「ごめんなさい」
第七十二話 「もうひとつごめんなさい」
第七十三話 「さらにもうひとつごめんなさい」
第七十四話 「電話で誘われて」
第七十五話 「えっ、聞いてないよ」
第七十六話 「年が明けても明けなくても」
第七十七話 「砂時計」
第七十八話 「あららの採用試験」
第七十九話 「順番が違わない?」
第八十話 「どうして?」
もういいだろう、告白しよう。 2年目に担当した航空機管制システムの測定装置に組み込まれていたXYプロッターの件だ。XYプロッターとは測定機の測定結果を紙に書き写す機械のことで、サインペンを機械が持ち上げ縦横、つまりX方向Y方向に進みながら紙に記録していくものだ。一筆書きの要領で書いていくのである。場所の移動時にはペンを上に持ち上げ記録する場所に移動したらペンを下ろし一筆書きをする。ペンを持ち上げ移動、一筆書きとこれを繰り返すことで各種の図形、文字、絵を書くことが出きる。但し給紙は手動で人間が位置決めをして上げなければならない。カタカタと動いているさまは「働いている」という感じがして中々に味わい深いものがある。 この装置の検証を行っている時のことだ。測定結果をプロットアウト(たんに紙に書くことですが大げさに言うのがエンジニアは好きなのです)している時、そのあまりの美しさに陶然としたのです。普通は紙質が良くなかったりして、ペンのすべりが悪く擦れてしまうのですが、さすが最新鋭の装置、ペンのインクも問題なし。スラスラスーラ、スラスーラてなもんです。なめるように流れるようにペンが走っていきます。発色も見事です。赤は赤らしく、青は青らしく、黒は黒々てなもんです。 「いやあ、それにしても綺麗に書けるなあこのプロッター」と近寄っていくと、、、「あれっ」紙がない。顔色がいきなり青に発色した。青々と、見せたいぐらいに、てなもんである。トイレで紙がないのも困りモノですが、プロッターに紙が無いのも困ったものなのです。「なんてこったい」なのである。 紙を載せる台に直にペン書きしていたのだ! あまりの美しさに唖然としたのです、私。そりゃ、綺麗に書けるはずだよね、何しろすべすべお肌だもの。そんな冗談も出ないほどあせりまくってみたものの既に図は半分がたは完成といったところ。あまりの美しさに呆然としたのです、私。 ああ、人生はいつだって後の祭りなのだ。プラスチックの台には見事なまでの一筆書き。みんなに見せたいくらいにそりゃ、見事。でも見せるわけにはいかないの、どうすりゃいいのよこの人生てなものである。泣きながらこっそりアルコールで拭いたのです。書くには都合のよいプラスチックの台は消すにはいささか問題児だった。一生懸命拭いたのですが、やっぱり新品には戻らない。どうみても書いたことがはっきりと分かる、くっきりと筋が残っている。どうすればいいか分からなくなって、、、そっと台の上に新しい紙を載せた。そんなことしたってプロッターを動かせば紙は交換されるのですぐにばれるのに、、、魔が差したのです。そんなことをする気は無かったのです、信じてください。 その後誰も何も騒がないことをいいことに今日まで来てしまいました。本当にごめんなさい、あれは私がやったことなのです。 |
もういいだろう、もう一つ告白しよう。 YとK先輩の車で河口湖だか山中湖だかにドライブに行った時のことだ。先輩のKさんはドライブ中に余所見をすることで有名で話し掛けたりすると必ず律儀に振り向いてくれた。時速150キロ前後で飛ばしながら助手席の私に顔を向けて受け答えをしてくれるのははっきり言って「迷惑」だった。「お願いだから前を向いていてください」などと言おうものなら「心配性だなあ」と首を90度しっかりと回し邪気のない笑顔を見せてくれる。一緒に乗っている私達は冷や汗ものだ。本人は我関せずとばかり鼻歌まじりでいい調子である。 では話しかけもせずおとなしく黙っていればいいのかというと、それがそうでもなく。わざわざ気を遣ってくれるのか何かと話題を振って来たりするのである。もちろん、しっかりとこちらを向いて。寿命が縮まる、てなもんである。どうか無事に帰れますようにと神に祈った。 夏のドライブは冷や汗混じりに突き進み、大した渋滞にも合わず目的地についた。ぐるっと湖を一回り、ドライブインというか食堂で食事をした。その後ちょっとこの辺の別荘でも覗いてみようというような話しになった。まあ、夢物語だけれどみんなで金を出し合えば夏の避暑用に家の一軒も持てるのではないか、といった期待があった。もちろん購入は難しかったが借家、賃貸ならどうだ、みたいな話しをした。一年のうち3ヶ月だけ借り切って、それを同期で分担する。平日は使えないから親や家族に開放し使用料を取る。ふんふん、なるほど、これがこうして、あれがああなるわけね。およよよよ、意外と意外、何とかなるかもしれない。でも月に二度は来ないと元が取れないなあ、と勝手に勝手な計算をする。これを無駄な先読み、無意味な早読みという。役に立った試しはないので真似をしないように。 しばらくすると一軒の小さな家、別荘とは呼べないというか呼びたくないような家の前に車は止まった。人の気配はなくひっそりとしていた。ちょっと手入れを怠っているといった感じの家、他の家からはちょっと離れていた。窓がありそこから部屋の中が見とおせるようだった。雨戸は閉まっていなかった。ふーん、このくらいならみんなで泊まりに来ても雑魚寝でなんとかなるぞ。食事は自分たちで作ればいい。昼間はこの辺りのテニスコートを予約しといて、とまた無駄な先走りが始まる。部屋の広さはどんなものだろう、もっとちゃんとリサーチしておく必要がある。窓にはちょっと届かない自分の背の低さを補うために、雨どいではないと思うのだが地面から30センチぐらいの高さにある直径10センチくらいの「とい」が目についた。ニヤリ。これは手ごろな足場だわい、とばかりに足をかけよじ登り部屋の中を覗き込んだ。身長が30センチ分高くなったと思った瞬間負けていられるかとばかりに家の高さも30センチ高くなった。早い話しが「とい」が折れた。あらー、てなもんである。アチャー、てなもんである。 どないしょ、とおろおろするばかりの私を横目に二人はすばやく車に飛び乗りすぐさまエンジンをかけた。「誰も居ないうちだよxxx君」謝まらなければとの思いを残しYの「こっちこい、はやくこい」の手招きに引きつけられる様にフラフラと。気が付いたら車に乗って家路を急ぐ愚か者3人衆の一員になっていた。 ごめんなさい、あれ、私がやったんです。 |
もういいだろう、もう一つだけ告白しよう。 季節は晩秋、結構飲んで終電を逃した。タクシーでアパートまで帰った。アパートについて、ドアを開けようとして困った。「カギがない」のである。うーん、どうしよう。多分、時間は夜の3時ごろ、時計を持たない主義なので正確な時間は分からない。しかし、深夜であることは酔った頭でも理解できた。 大家さんはもう寝てるよなあ、って当たり前ジャン。一人突っ込みをしてみても、深夜に観客の姿はない。朝まで何処かで時間を潰すか、ってどこにそんな場所があるんだ。とにかく田園だらけの町で24時間のファミリーレストランとか朝までやっている居酒屋とかがある都会ではないのだ。答えは既に出ていた。でも、いきなりでは「まずい」少なくても逡巡した形跡だけでも残しておかなければならない、と思ったかどうかは定かではない。 このアパートは木造2階建、ドアを開けてすぐの台所の窓には木の格子、窓にはカギをかけていない。試しに木枠の隙間から手を入れて見れば、、、「あく!」。木枠の間隔は20cm程度。結構太い釘で打ち付けてある。しかし、アパートは古い。釘は太い、しかし外は寒い、しかもアパートは古い。釘は太い、しかし布団で寝たい、しかもアパートは古い。「一本だけ外せば、大丈夫だ」いける、てなもんだ。 左手を木枠の下側に、右手は上側に。酔いに任せて「せーの」で引っ張る。「ギッ」音がするのも構わずに引っ張る、引っ張る、引っ張る、さらに引っ張る。「ギッ」「ギギッ」「ギ・ギ・ギギッ」てなもんである。上側だけが外れた。確かに釘は太い。でも残りは下側だけ。木を持ってぐりぐり回す、回す、回す、ぐりぐり回す。「キュ、キュ、キュー」てなもんである。ポンと音はしなかったが見事に木枠が外れた。ついに観念したか、ざまあみろ、てなもんである。いやあ酔っ払いは怖い。 窓からそーと身体を入れる。結構狭い。身体を横に、縦に、半分からだが入った。アクロバットな姿勢に身体が悲鳴を上げる、背中がつった。でもいまさら後戻りは出来ない、前進あるのみである。そしてやっと靴を履いたまま流しに立つ。「よかった」もう安心である。凍える心配はない、タクシー代を払ってまで戻ってきた甲斐がある。「おっといけない」急いでドアを開け外した木枠を元に戻す。上下二つの太い釘を元通りの釘穴に差し込む。まず下側を、それから上側を慎重にすばやく。後は押し込む、押し込む、押し込む「グ、グ、グギュー」てなもんである。夜目にはまったく問題がない、元通りである。証拠隠滅は完璧だ、と思ったかどうかは定かではない。ただ安心してぐっすり眠ったことだけは確かだ。 その後何も無かったかのようにこのアパートで暮らした。実際何も起こらなかったのだが。でも人様のもちものを傷つけてしまいました。立て付けが悪かったのではありません、あれは私がやったのです。 本当にごめんなさい |
金曜の夜だっただろうか。 夜の10時を過ぎた頃電話のベルがなった。。その日は風邪ぎみでで早めに布団に入っていた。炬燵以外の暖房設備がない部屋は冬の寒さが我が物顔に暴れまわっており頼みの綱は若さゆえの「体力」だけという状態であった。誰だろう、と鼻をすすりながら出てみると聞いたこともないような会社からだった。どうも転職のお誘いらしかった。「あなたは素晴らしい」「あなたは優秀だ」と当たり前のことをクダクダ言っていた。そんなことは分かっている。それよりも今自分に大切なものは「休養だ」と電話を切るだけの度胸はなく聞き役にまわっていた。誰かが私をその会社に紹介したらしい。「私の知り合いにとても優秀な人がいます」ってなところだろう。 とにかく詳しい話しは一度会ってからということになり、待ち合わせの日時と場所を指定された。転職の強い希望が合ったわけでもなく、なんとなくといった感じで話しを聞きにいった。強い希望は無かったが漠然とした不安はあった。言葉に出来ない不満もあった。いつかは会社を変わる予感もあった。3年目なんてそんなもんだ。 何をするのも面倒くさい私が話しを聞きにいったのだから何か縁があったのだろうと思う。 駅前の喫茶店で待ち合わせし簡単な人材会社の紹介を受け、それから自分の仕事の内容を説明したりした。どんな仕事に興味があるか、将来はどんなことをしたいのかといったことを話した後「それならこんな所がいいと思いますよ」と2、3の会社を挙げて簡単な説明をしてくれた。 他の会社はないんですか、などと怖いもの知らずの質問をしたりもした。でもほとんどは向こうのペースで話しは進み、ある会社の特定の部署の試験を受けることが決まった。おい、おいそんな大事なことをそんなに簡単に決めていいのか、と飽きれるくらいの気軽さだった。何か知らない間に話しが進められていた、そんな感じだった。世の中は怖い、無知な自分も怖い。 「あなたなら問題無いでしょう、きっと受かりますよ」と何の根拠があるのか分からないが初対面の私を激励し人材会社のおじさんは去っていった。最後に「そうそう、それでも面接するときはちゃんとした服装で行ったほうがいいですよ。今日みたいな服装だと印象悪いですから」と丁寧な助言までしてくれた。 他所様の知らない人に合うのだから「何時もみたいな汚いカッコじゃまずい、ワイシャツじゃなきゃ駄目だ」と箪笥の奥から引っ張り出したワイシャツを着てきた私にとって貴重な助言だった。 「そうか世間ではこの程度のカッコでは人前に出るものではないのか」とのりの利いていないよれよれのシャツで冬の駅前に佇んだ。 戻りようのない冬の日の一日である。その後の人生を決めた冬の日の思い出である。 |
年が明け、新年会を兼ねてYとK先輩とで居酒屋にくりだす。 いつものように、いつものごとく飲んで、食って、騒いでである。ほろ酔いかげんになってきた時、突然先輩が「僕、会社辞めるから」と言った。えっ!聞いてないよ、である。「あっ、俺も辞めるぞ」とY。ええっ!聞いてないよ・再び、である。こうなったら致し方ない。話しの進展状負けるわけにはいかない。何もこんなところでライバル意識を持つこともないのだが、いかんせん性分なのである。「実は俺も辞めようかと思ってたんだ」。ええー、こんなこと言っていいの? どこに行くかも決まっていないのに、てなもんである。 K先輩は故郷の九州に帰り新しい仕事につく、ついでに嫁さんをもらうと言った。至れり尽せりの第2の人生である。あんな顔して人生を真面目に考えてたのである。Yは瀬戸内海因島で親の後を継ぐという。親父さんの体調がすぐれず「帰って来い」と言われていたらしい。本人はもっとこっちで勉強したい、と考えていたのだがもう決めたことだと言った。うーん、なんだかちょっと大変そうだ。あんな顔して人生にちゃんと向き合っていたのである。 私といえば、仕事に対する意欲をなくしはじめていたこともあり、なんとなく転職を考えはじめていた。そんなところである。ただ、いつかはこの会社を辞めるんだろうなという漠然としたものを感じていた。 仕事がつまらないわけではなかった。人間関係がうまく行ってないというわけでもなかった。ただ、辞めるのが当然のような気がしていた。 二人ともこの春には、故郷に帰ってしまうという。そんなわけで、結構飲んだ。 そしていつものように記憶がなくなった。後で「おまえが泣き上戸だとは知らなかったぞ」とYに笑われた。駅のホームでわれわれを見かけた同僚に後で聞いた話しだが「なんで帰るんだ」とYに泣いてすがっていたらしい。「帰っちゃやだー」みたいなものである。 やれやれ、である。これでは、ゲイ友達に捨てられた、情けない男と誤解されても致し方ない。いや、多分誤解されただろう。相当の醜態だったはずだ。そんな、みっともない私をYはどう思ったのだろう。いつものように、「わけのわからんやっちゃなあ」とあの浅黒い顔でただ笑っていたのだろうか?「ほんま、お前はわからんやっちゃ」と。 もう、戻っては来ない 忘れ得ぬ冬の思い出、ではある。 |
年始ってなに? 会社によっては年明けは振袖来て乾杯。今年もひとつよろしく、てな挨拶を行いそれで終わり。そんな風情のある職場もあった。もちろんテレビのニュースででしか見たことはないが、マスメディアが流している情報なのだから嘘ではないのだろう。どこの世界の話し? 貧乏暇無しの電機会社は年中無休なのである。ただ、そうするといくら人のいい「エンジニア」でもブー垂れるので仕様がなく休んでいるだけなのである。休めばその分仕事は溜まるのでちっとも楽にはならない。しかし、休まなければ身体ももたない、家族も怒る、てなもんである。だから年末といえど結構遅くまで仕事をしている。年始であろうと結構遅くまで仕事をしている。それでも年末・年始の疲れが溜まっていることもあり「xxx君今日は早めにあがろうよ」と9時も過ぎれば片付けを始めたりするのである。そんな仕事バカが多いのである。 なんだか、カレンダーがなければ一年中同じだなあって思います。そうなのだ、年が明けても明けなくても、暮れても暮れなくてもなーんにも変わらないのである。仕事が溢れていた頃のありがたくない記憶の一コマである。 あれから随分時間がたち、職場も職種も変わった。 それでもエンジニアってやつは「年が明けても明けなくても」なのである。 |
何時も何かが手のひらから零れ落ちていた それを私は可能性だと思っていた節がある。自分の可能性が砂時計の砂のように上から下へ零れ続けていく。そんな感触があった。決して戻せない一方通行の砂時計だ。会社を辞めようと思ったときからわけも分からないうちに事がどんどん決まっていった。「あららっ」ってなもんである。Yに辞めようと思うと言った日から、すぐに中途採用の試験の通知が、そして試験が、それから上司に退社の意思を伝えた。もちろん順序立てて事は進んでいく。それなりの時間をかけて。でもなんか知らないうちに事が決まっていく、そんな気がした。 自分の意思を外に表した瞬間からなんかいきなり責任を負わされたような、自分の言葉に責任をもった初めての経験だったかもしれない。いい加減に生きてきたものである。そう言えばこの会社に入社したのも、結構いい加減だった。それでも自分のごく周りの人たちとの関係だけで済ませられた。それが、今回はどんどん周りの人を撒きこんで話しが膨れ上がっていく。「なんかやばいぞ」てなもんである。 上司は引きとめた。職種も検査から設計に移そうと思っていたこと、多少なら給料も考えられること、人間関係で何かあれば力になれること。そんなことを言われた。直接の上司にあたる係長との関係がうまくいっていないのではないかと聞かれたことで、初めてそういう見方をされていることを知った。「そんなことはありません」と答えたが、もっと強く主張しておけば良かったかもしれないと後になって思った。こんなことで世話になった係長に迷惑が掛かってしまったら申し訳が立たない。でもそれも後の祭りだ。 退社を申し出た時はまだ、中途採用の試験結果は出ていなかった。落ちたらどうするつもりだったって? そううしたら、失業保険をもらって一年間勉強するつもりだった。 何を?何でも良かった。とにかく学生になりたかったんだと思う。一年で何を? いやだなあ、そんなこと聞かないでよ。考えてなかったんだから |
採用試験が始まった。 とにかく「ここがいい」と薦められた電気会社だった。「他には?」「ここしかありません」と薦められては断るわけにもいかない。どうせこんなものは縁だ、駄目ならプー太郎になる。そんな不届き者ではあるがそれなりには緊張した。というと嘘になる、実際はすげー緊張した。本番のプレッシャーに弱いと言われ続けて二十年、今もこういった席は苦手だ。手も足も出ない。 試験は面接のみ。後で知ったのだが通常の中途採用の場合は筆記試験もあるのである。一般常識と英語。「英語!」うーむ、人材会社からの推薦で良かった、助かった、ありがたかった。私の場合は筆記は免除なのだそうだ、もう一度念を押しておこう、本当に運が良かった。それでも面接は計三回はあっただろうか、なんとも面倒くさい。 これからの人生を託そうというのに面倒臭がっては申し訳がたたないが、本当に面倒なので致し方ない。一回で済ませてくれればいいのに、こっちだって暇じゃないんだから。などどふざけたことを考えていた。実際、働きながらの中途採用試験は意外と大変なのだ。会社を休めるほど暇ならいいが、定時で退社するのさえままならない私である。まあ、やりくりなんてその気になればなんとかなるもんですな。過ぎてしまえばそんな風に思えないこともない。 重要なのは一回目の専門面接、これで事実上採否が決まる。後はお間抜けなことをしなければ切りぬけられる人事面接が続くだけだ。緊張して席で待つ。私の他にも何人かが試験を受けに来ているらしい。「何!ライバル」それだけでまた緊張してきた。深呼吸、深呼吸。し過ぎで頭がクラクラした。トホホである。 順番が来た、当たり前である。待ってれば来るに決まっている。それでもやはり、あせる。来るなら来るって一言言ってよともう泣きが入っている、情けない。緊張でぎこちなく歩き、ぎこちなくドアをノックする。心なしかノックの音もぎこちない。 ドアを開けると椅子がある。お辞儀をして座る。前にはおじさんが二人、どうやら技術部隊の課長さんらしい。人事の若い人が一人の計三人が前に座っている。人事の方から簡単な話しがあり、おじさん二人が交互に質問をする。主に技術的な質問だ。 FMチューナーの設計部門での採用試験のはずが、どうも勝手が違う。FMのえの字も出てこない。テレビ信号、ビデオ??? なんじゃ、そりゃ。話しが違うぞ。人材会社の担当からは、「あなたの希望と職歴からFMチューナーの商品設計がいいでしょう。それで良ければ手はずを整えます」と聞いていたのだが、、、 まあ特に試験勉強もしていなかったので、ヤマがはずれたと騒ぐこともない。それでも質問に満足に答えられないのは恥ずかしいし歯がゆい。答え方がぎこちないのは仕様がないとして、答えそのものがぎこちないのはお間抜けだ。うーむ、専門面接恐るべし。 「俺の実力はこんなもんじゃない、本当はかなりやるんだから。本番に弱いだけでプレッシャーがいけないんだ。今度は頑張るからお願いもう一度チャンスを。ONE MORE CHANCE!」と叫ぶ間もなく試験は終わった。何を勘違いしたか人事面接のお知らせが来た。坂道を石が転がりだしたらちょっとやそっとじゃ止まらない、てな感じで採用が決まった。 不思議なものだ。 |
採用試験を受けるので辞表を出した。 まあ、早い話が次ぎの就職先が決まる前の退職願いってことだ。これが「男らしさ」だと勘違いしていた愚か者の私。退職願いって普通は、転職が決まってから出すものだと知るには幼すぎた、この頃の私。まっ、早い話が物知らずの無鉄砲ってことね。 「それで次ぎはどうするの?」「いえ、まだ決まってません。今試験受けてるところです」との返事に周囲は唖然、騒然となっても仕方のないところだが、それはそれ、うまく出来ているもので、多少呆れられる程度で済んだ。普段から「愚か者」であるという証明をし続けてきた甲斐があった。やはり努力は人を裏切らない、てなもんだ。 「ああ、君ならね…」 「その程度はね…」 「まあ、出しちゃったものはね…」となぜか一様に語尾がモゴモゴとなる紳士的な対応を受けただけだ。 技術部長と面談したときは「仕事も給料もある程度なら」と言ってもらった。ありがたい、と感謝した。失敗だらけの男の価値を認めていてくれたことを単純に喜んだ。それでも「もう決めたこと」だった。石は坂道を転がり出していた。もう底につくまで自分でも止めようがない。3月で辞めることが決まった。近しい人から少しづつ話をして言った。 勿論親には内緒である。近しい人ではないという意味ではなく、次ぎも決めないで退職するなんて言ったら大変だ。そんな無謀なことは怖くて出来ない。試験に受かる前に辞表を出す程度の無謀なら平気なのだが、その無謀を親に喋るほどの無謀は出来ない。意外と小心者の私。 「もし試験に落っこちたらどうすんだ」「そんときゃ、一年浪人する」なんて話は親には言えない。親に言えないようなことをしたいもんなんだ、男って。ちょっと話の持っていきかたが強引な気もするが、まあいい、済んだことだ。 順番は違ったが、それでも退職するまでには次ぎの会社の採用が決まっていた。結論が同じならそれでいいじゃないか、てなことを考えていたわけじゃない。なるようになる、それが世の中だと思っていたわけでもない。受かると決めつけていたわけでもない。ただ吹いてくる風に従って歩いただけだ。その風がアゲインストかなんて心配もその時の私には必要無かった。ただ、そういうことだ。 なんだよ、それって結局「世の中なるようになる」ってことじゃん?と聞かれても困る。まあ、結果オーライってことで、、、勘弁して、お願い。 あの時みんなに「どうして辞めるの?」って聞かれて困った。自分でもよく分かっていなかったから。そして今でもその問いに答えることが出来ないでいる。 「どうして辞めたの?」何がしたかったんだろう、本当は。 |
終わりが近づいていた。 残りはそうない。やるべきことも、やりたいことも。何時もと変わらぬ時間を何時もと変わらず仲間と過ごした。なるべく何時もと変わらぬように、無為に無駄に愚か者として。それでも少しずつ何かがずれていく。スタート時には気づかなかった小さなずれは、今はっきりと分かるほどに大きくなっていた。誰も変わっていないのに。 なんかそんなことを考えるとちょっと憂鬱だった。前のように明日の話をしていてもみんなの歩いている道が違う、違和感があった。何時までも一緒にバカをやっている、はずだったのに。 それでも時はどんどん流れていく。流されたくないと意地を張っても張らなくても。「くそー」と酒を飲み干しても飲み干さなくても。バカをやってもやらなくても。酔ってYにはたかれる背中の痛さが少し増したような気がしてもしなくても。 三年間の大半を過ごした府中にあるN社に挨拶に行った。お世話になった何人かに頭を下げた。「なんだ、お前もか」この頃、退社する人が続いていた。でもそれは他人のことで、自分とは関係ないことのような気がした。もちろん、無関係で済ませられない話ではあったのだが、どうしようもないことでもあった。 仕事を教えてもらった技術部の上司は入院していた。友人と見舞いに行った。病室で管につながれたままの姿に「実は、今度、、、」「聞いてるよ、辞めるんだって」「、、、すみません」何がすみませんなのか分からないけれど、鼻の奥がツーンとなった。年を取ってもずっとエンジニアでいたいと思った、その先達の病室で退社を告げている自分はなんなんだろう。 「どうして辞めるの?」ああ、一体私はどこに行きたかったんだろう |
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