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メランジュ 第2号 2001.7

編集者より
Following the great success of the first issue(創刊号の成功に続いて)


The world(世界)
Drunk(酩酊)
MINED HATRED(埋めこまれた憎しみ)
A Night in Spring(春の夜)
Granny Smith(グラニースミス)
Thank you(ありがとう)

短編作品
UNIMAGINABLE FEAR(想像し難い恐怖)

連載小説
Adonis Blue(アドニス・ブルー)(2)/日

リレー連作
Cafe Evergreen(カフェ・エバーグリーン)

ゲストコーナー
No Title(無題)
Poems by Aki(アキのポエム)

 

アドニス・ブルー(2)
マーガレット・グレース

第1章(1)

「結婚しよう」
女はそう言って彼に指輪を見せた。

 彼は表情一つ変えなかった。
彼女はその様子に落胆を隠しきれなかった。

「ほ,ほらあたしたち,もうこうやってこのアパートで結構長い間すんでるじゃない,一緒に,だ,だから,これからも,ずっとこのまま,こうして暮らしていけたらいいな,なんて」

 彼は微かに頷いた。

「それじゃ,いいのね,このあたしと結婚してくれるのね?」
 彼女は喜び勇んで,狭い部屋の中を飛び回った。

 

 翌朝彼女が目を覚ますと,彼の姿は何処にもなかった。
「Jeanne?」

 彼女は自分の住処を回ったが,昨日まであった彼のものは全て消えていた。

「Jeanne,何処にいるの? 悪い悪戯はやめてでてきて,ねえJeanneったら」

 かつて感じたことのない恐ろしい胸騒ぎが次第に高まり,それが核心に少しずつ近づいていく,そんな心当たりを覚えながら,彼女は声を荒げて部屋をひとつひとつ歩いて回った。

「ねぇ,あたしの何が悪かったの? 結婚なんて足かせが嫌だったの?
 それじゃそんなことしなくたって全然構わないわ,ねぇ結婚なんて言葉,なかったことにしましょ,だから,ねぇお願い,嘘でしょ,Jeanne,何処にも行かないで」

 彼女は同じ言葉も幾度も繰り返し,彼の帰りを待った。

 数日,数週間,どれだけ待っても彼が彼女の部屋に戻ることはなかった。

 彼女はその後精神を病み,二度と健常者と同じ生活を送ることはできなかった。

 

 ある日真上から照りつける太陽の光に彼が目を醒ますと,上から彼を覗き込んでいる顔があった。
眠りから覚めたあとのぼやけた焦点が次第に正常に戻っていき,ピントが合うとその顔は彼に視線を合わせてにやりと微笑んだ。

 びっくりして彼は飛び上がり,その場から逃げようとした。

「あ,ごめんごめん。びっくりさせちゃった?」
その少年は悪びれる様子もなく言った。
「あまりにも僕の学校の運動場で気持ちよさそうに眠ってたから」
そう言いながら少年はにやにやしながら彼に近づき手を差し出した。

「僕,徹(とおる)っていうんだ,16歳高校1年生。君は何ていう名前?」

 何やこいつやけに馴れ馴れしいな,そう思いながら彼は手を出した。
その少年はその手を取って必要以上に強く握りしめ,目配せをした。

「Jeanneや」
彼はぽつりと答えた。

「Jeanne! いやぁ可愛い名前だなぁ,君みたいな子がこんなところにいるなんて奇跡みたいだ。
お近づきになれて光栄だよ」
 少年は両手で彼の手を上下に振るかの如く握っている。
こいつ何か怪しいな,近づくのやめとこ,そう思って彼はそこを立ち去ろうとした。

「ねぇ,君,彼氏いるの?」少年は言った。
「何,彼氏やと? 何言うてんねんあんた,わしは男や,そんなもんおるわけないやないか」
 その言葉に少年はひどく驚いて手を離した。
「な,なぁんだ,男か,そうか,ごめん」
「なんだって何や,わしは何処からどう見たって男やないか,え?」
「あ,あぁ,言われてみれば,確かに…」

 これでこの少年の不審な行動の謎が解けた。
怒る気にも慣れず,彼は笑い出した。
おどおどしていた少年もつられて笑顔になった。
 
「ジャ,ジャンヌだったっけ,悪かったよ,変なことして。ところで歳は幾つ?」
「16」
「16?! それじゃ俺と同じだ。何処の高校?」
「学校には行ってない」
「へぇそうなんだ。じゃ何してるの?」
「絵描いてる」
「かっこいい! ねぇ何か描いてよ」

 言われて彼は寝ていた間ずっと枕になっていた鞄を開けて,マジックペンと厚紙を取り出し,手早く目の前の少年の似顔絵を描き始めた。
わざと,実物よりも数段かっこよく。

「はい,できあがり」
 そう言って少年の眼前に突き出すと,少年はびっくりしてその紙を両手でつかんだ。

「うわーっ,すげぇ,俺そっくりだ」
 こいつアホや,彼はそう思いながら道具を片づけ出した。

「凄いよこの絵,今まで見た何物よりも鏡の前の俺そのものだよ。
なぁお前天才じゃないか?」
「まぁね」

「ね,ね,俺の友達に紹介してやるよ,な? いいから来いよ」
 ぼんやりしている彼をそのまま少年は校舎へ引っ張っていった。

 

 教室には体育の授業を終えて着替えを済ませた生徒たちがいて,入り口の徹と彼に一斉に視線が集まった。

「徹,お前体育の授業さぼって何処行ってたんだよ」
「悪い悪い,ちょっと頭が割れるように痛くてな」
そう答えた徹は彼に,本当は俺運動苦手なんだよ,と耳打ちした。

「おっ,いつも脳天気のお前が珍しいな,悩みでもあんのか?」
「俺にだって悩むことぐらいあるさ」
そう言った徹の視線が教室の隅で無関心そうに窓の外を眺めている少女に向けられていたのを,彼は見逃さなかった。

「それはいいとして」
徹は声の調子を変えた。
「面白い奴連れてきたんだよ,俺の友達。
こいつすっげえ上手な絵描くんだ。ほら見ろよ,この俺の似顔絵,こいつが描いたんだぜ,凄いだろ」

 徹は例の紙切れを高く掲げて見せた。
みんなはそれを見て,思い思いに声を上げた。

「うわー何か徹かっこよくなってるよ」
「徹じゃないみたい」
「かなり美化されてるな」

「おいそれどういうことだよ,どう見たって俺そっくりじゃないか」
 みんなは大笑いした。
「何言ってるんだよ,また例の自惚れが始まった」

 そしてそのざわめいた嘲笑は,彼にも向けられた。

「何かそいつ変な服着てるな」
一人が彼のだぶだぶのコートを指差した。

「この辺りじゃ見かけない,よそ者だ」
「ちょっとダサい格好」
「それに全身薄汚い」

 教室は笑い声に包まれた。
その卑しい笑いと異質なものを見る目にいたたまれなくなって,彼は教室を飛び出した。

「お,おい待てよ」
徹は慌ててそのあとを追った。

続く

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小説「アドニス・ブルー」
序章
第1章(上・
第2章
第3章
第4章
終章

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