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メランジュ第5号2002年6月

編集室より
May the reader use discernment


The Giants and the Dwarfs

ハート・オブ・ダークネス(日)

 /heart of darkness(英)
The Wanderer
チョコレートルーム(日)
 /A chocolate room(英)

リレー小説
カフェ・エバーグリーン(日)
 /Cafe Evergreen (3) (英)

マルチリンガル・ペ−ジ
German: the origin of English

小説
アドニス・ブルー(4)(日)
・下]
 /Adonis Blue (4) (英)

ゲストコーナー
Wondering

小説

 

アドニス・ブルー(4)

第2章(下)

 熱い眼差しが注がれる,動かす手に,それよりも,殆ど表情を変えないその顔に。
 柔らかに零れる明るい午後の陽射し。
 白い,吹き抜けの部屋。
 白いカンバス。
 乱雑に広がった描画道具と額縁。

 時折熱い溜息が漏れる。
 すっかり溺れ恍惚とした2つの瞳。
 その熱を全く受けない2つの冷たい瞳。
 2人の存在以外に物音1つしない。
 死んだ屋敷。
 この世界は既に終わってしまったのではとすら思わせる。

「嗚呼,先生」
「何でしょう,─」
「鞠映と呼んで」
「えぇ」
「如何かしら?」
「いいですよ」
「先生,これは」
 白いふくよかな手が服のボタンに触れた。
「動かないで」
「いやだわ,遠慮なさらないで」
「もう絵出来上がりますよ,今更構図変えて貰ったら困りますから」


 ある夜のこと,由尋がJeanneに言った。
「面白いもの見せてあげるよ」
 由尋が取り出したのは,単3乾電池のような黒い物体だった。
「何やこれ」
「僕がずっと前に作ったの」
「何に使うんや」
「──この文明社会を滅ぼす為」
 Jeanneは由尋の顔を見た。

「これは電気で繋がったものを皆破壊するようにできてるんだ。ほら,こうやって──」
 由尋は部屋の隅にあったカンバスの裏にその平たい装置を付けた。
「この絵が,何処かに飾られて,その絵の額縁に,防犯装置が付けられたら,それから49日後に自動的に,そこに流れている電流を伝って──」
「そこから繋がってる電気使うてるものは全て滅ぶようになってる爆弾ちゅうことか」

「電波で繋がれてるワイヤレスもね,半径9kmに存在する人間も,全て──高度文明を享受しているものだけが,この地上から姿を消す,ただし──」
「ただし?」
「ただし,このパッチを付けている者以外は。
この世に1つしかないけど,君にあげるよ」
 そういって由尋はJeanneの上着の裏に小さなシール状のものを付けた。

「この時限装置の名前はderacine
 1度セットされたらもう止まることはない。
 でもただ1つだけそれが爆発するのを止める方法があるんだ。
 それはね,1人の人間が作動中のこの装置を素手でつかむこと」

「何でこんなん作ったん?」
「この世界が,人類が愚かすぎるから──健全な細胞に巣くう癌みたいに。
 ──でも,もうやめた。
 今はね,もうそんなこと馬鹿らしくなってきた。
 そんなこと考えてる自分が一番愚かだって。
 無闇に壊しても,生命を奪っても,何にもならない。

「さ,もう遅いし,そろそろ寝よう。
明日も学校から帰ってきたらまた写生に連れてってね」

 

 数日経ったある日のこと,夕食を終えた由尋が母親に訊いた。
「ねぇ母さん,あの絵知らない? 
ほらあそこに置いてあった,虹の絵」
「あら由ちゃん,その絵なら私がコンクールに送ったわよ。
全国芸術コンクール。
過去に沢山の著名な芸術家たちがデビューするきっかけになったっていう」

「え?」
「だって由ちゃん,これがきっかけで先生の作品が,先生の名が世間に知れ渡ったら素晴らしいと思わない,ねぇ? 
 入賞作品は協賛企業本店のギャラリーに飾られるのですって」

 彼と由尋は,顔を見合わせた。
「…外すの忘れてた…」
「心配せんでええって。そんな受かる訳あらへん」
「あら,何の話?」


 それから3か月が流れた。

 彼は居候を続けていた。
 日中にこの屋敷の女主人に絵を教え,そのあとは時折由尋と外へ出かけては写生をする日が続いていた。
 
住まいと食べ物を保証され,適当に息抜きをする,何の不足もない日々だった。

 

「貴方また年増の女をたぶらかしてるのね」
「違う,勘弁してくれ」
「ずっと前から言ってるでしょ,この私だけが貴方に相応しい女だって」

 真夜中に彼は全身びっしょり汗をかいて目を醒ました。
 熱でもあるかのように体は熱くそれでいて強い寒気が彼を襲うのだった。

 彼は荷物をまとめ始めた。
 といってもこの家から与えられたものを除いた,彼の以前からの所持品は僅かなものだった。

 

 廊下に出ると,トイレから自分の部屋に戻ろうとする由尋がいた。
「Jeanne」
 由尋はいつもと変わらぬ穏やかな声をしていた。
「何や」
「何だか,君がもうすぐ僕のところからいなくなってしまう気がして」
「そんなことある訳ないやろ」

「そうか,そうだよね。
 Jeanne,僕たち,友達だよね?」
「…あぁ」
「それじゃお休み。またね」
 由尋は自分の寝室に入ってドアを閉めた。

 

 由尋が眠りに戻ったのを確かめて,Jeanneはぼろぼろのコートを身に纏うと足音を眩ませて屋敷を後にした。

 その十数分後,Jeanneの寝室に鞠映が忍び込んだ。
「先生,お願い,聞いて。わたくし,もう我慢できないわ。わたくし…」
 彼の部屋の窓は大きく開き,満月の光が風にはためくカーテンを白く照らしていた。

 

「ただいま,母さん,Jeanne,ねぇポストに郵便が届いてたよ。
 あれ,これ,ジャンヌ=ダルク様 全国芸術コンクール グランプリ受賞の通知,だって,凄いよ,ねぇ,ほら」
 学校帰りの姿で由尋は鞄と封書を手にしたまま,広い屋敷の中を歩いた。

 由尋の声が響き渡る中,鞠映はアトリエでカップにコーヒーを注ぎ続けていた。
 
なみなみと注がれる熱い液体は既に溢れ,テーブルを覆い尽くし,床をどんどん浸潤させている。

「─母さん? ─Jeanne?」
 彼はぐるぐる歩き回った。──この廃れた屋敷を。 

続く

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小説「アドニス・ブルー」
序章
第1章
第2章
第3章
第4章
終章

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