文学雑誌「メランジュ」web版

メランジュ第7号 2003年4月

編集室より
芸術家になるには」[日]/「To be an artist」[英]


あなたのやうな/Just Like You」[英]

夜に咲く花[日]」/flower of the night[英]」

最終号特別座談会 (1) (2) (3) (4) [英]

小説
「アドニス・ブルー」
第4章 ()()
終章 ()()

リレー小説
カフェ・エバーグリーン」[

作家陣について

編集室より

 

芸術家になるには

 私は芸術家や無から何かを創り出すクリエーターには生まれついていないと何かにつけて思う。
 芸術家といえば突飛な発想で一般人を感動させたりあるいは困惑させたりするものだが,私の作品は大抵道理が通って理路整然としている。

 人間には,感覚的機能を司る右脳が,言語機能と理性を司る左脳より発達している人と,その逆で左脳が右脳より発達している人とに分かれる。
 私といえばどう考えても左脳に支配されている。
 実のところ,「メランジュ」に携わっている間,私は作家としてよりも編集者としての役割を楽しんでいた。
 私は芸術家ではなく,ただ言葉の雰囲気を堪能する者でしかない。

 異国の地で母国語ではない言葉で勉学に励みながら,言葉というのは多くを意味するんだと思うようになった。
言葉遣いというのはその人の知性を測る要素にもなり得る。ただ単に英語のような共通語に長けていないだけで,自分の知性や実力を正当に認められない人もいるかもしれない。

 また,言葉というのはその語の正確な定義よりも言外の意味を多く含む可能性もある。
 人というのはジェスチャーで伝えたいことを大方理解する一方,言葉の辞書通りの意味だけでなく言外の意味するものや微妙なニュアンスをも捉える。

 言葉の言外に含まれる部分を習得するのが私のような語学学習者には一番大変だ。
 そういったものは古典文学や歌謡曲やテレビや映画や広告など,同じ文化圏に住む人の間で共有される日常のものに由来したりする。

 ある言語をマスターするとは暗記するだけではなく,それ以上のことだ――その奥にある何かを「感じる」ために。
 それは捉えどころがなくてうまく言い表せないが,言葉というのは何と奥深い世界だろう。

 自分の日本語の小説を英語に訳すのは至難の業だった。それは単に日本語で書かれているというだけではなく,それぞれの言葉が組み合わさって独特の雰囲気を形成している。
 自分の日本語の単語はその字面通りの意味以上のことを語っているが,英語の言外のニュアンスを掴めるほどの英語力がない為,どう英語に訳したらいいか途方に暮れていた。

 それでも,完璧は不可能だとしても,よりよい英語の知識を身に着けよう,原文の複製を作り出そうとする適切な翻訳を心がけようとする努力により,壁はある程度乗り越えられると信じている。

 詰まるところ,私は生まれ持っての芸術家ではないが,この「メランジュ」の中では「書き手」になることはできた。
 ある人は「よい書き手がよい書き手である所以はよい書き手になろうとする願望――よい書き手になることを目指しひたすら励むこと,である。文章を書くことを学ぶ唯一の方法は書くことによるものである」と言っている。

 雑誌「メランジュ」はここで終わりを迎えるが,私は何らかの形で書き手であり続けるだろう。
 芸術家になるためには,自分自身を創作活動の中に関わらせ,参加していこう。

 

全ての皆様に感謝して
メグ・グレース/蟹江 恵貢観

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