Kangeki Kansou Link : IPPO's part 2001.7-9
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観劇感想りんく
一歩支部
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SF副題は
「銀河おさわがせ中隊???」
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一人で観にいく芝居が好きだ。
いや、皆で観にいくのも好きだけど。
ふらっと一人で入って、あの空気にどっぷりと漬かる。
周囲は皆他人で、隣に座るお姉ちゃんも、背後に座るおじいちゃんも、他人で、
でも、この瞬間、確かに仲間意識がある。
あの瞬間。
あの、小演劇の空気はなんなんだろう。
舞台の近さが、小屋の小ささが醸すあの雰囲気。
そう、あれだ。
文化祭だ。
観る側と演る側の距離の近さ、距離の無さ。
観客も、また、”観客”という役を演り、小屋と言う舞台に登る、そんな一体感。
なかなか取れない時間を取って、
また、
芝居を”演りに”行く。
例えばAIホールに。
例えば森之宮プラネットステーションに。
そんな土曜日、日曜日。
これは、贅沢だ。
注意)
感想書式については、以下に準拠します。
より詳細は
和田本部
における
KKL規約
などを参照して下さい。
用語などについても本部へ行けばほぼ判る手はずになっております。
演劇用語集
などを参照して下さい。
勧誘)
同じく芝居の感想文を寄せてくれる人を
いつでもどこでもいつまでも募集しています。
これまた
和田本部
ぐらいに連絡を入れて下さい。いや、連絡とれれば、
どこでも誰でもどうやってでも構わないのですが。
↓感想書式のサンプルです。
劇団名 #ナンバー
『タイトル』
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期間 |
2000年忘月忘日(忘)〜忘月忘日(忘) |
会場 |
忘会場 |
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観劇日 |
忘/忘(忘)忘 |
座席 |
前後列目上下手中央端 |
客席 |
忘満席 |
チケット |
忘券忘円 |
フリースペース。
各自自由に記述。
一応言っておきますが、これは書式のサンプルです。
バージョン1.02I(一歩仕様が一部に入ってます(笑))
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Kansai Breaker #2
『地球が静止する日』
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期間 |
2001年7月28日(土)〜7月29日(日) |
会場 |
よしもとrise-1シアター |
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観劇日 |
7/28(土)M |
座席 |
二列目中央 |
客席 |
満席 |
チケット |
当日券2300円 |
幾つもの挫折。繰り返し。
タイム・スリップもの。
この味、この作風は、「銀の三角」に近い、と私は思った。
何度も何度も繰り返しリトライされる時間改変。そしてそのたびに現れる新たなる人物・あるいは・変わってしまった人物。
そして、様々な歴史から、様々な過去を背負いながら、様々な時間軸人の、誰もが思う。
「自分の世界を」と。
「自分の救われる世界を」と。
そしてそれぞれの願いを抱いて、また、跳ぶ。
その度に世界は混沌の度を増し、修正はより困難になっていく。
その理不尽。
そのやるせなさ。
その、刹那さ。
あるいは、せつなさ。
time after time, time after time...
しかしこれは、SF好きだから言える事、観て暫くしてから何回か反芻したから言える事。
観た瞬間、観ながらでは、そういう、なんていうか、深い感覚? はなかった。
単なるドタバタものっぽい味で終わってしまったのではないだろうか。
後から美味しいと誉める事もできるが、ここは、
まだこなれてない惜しい題材だったのに、と責めておこう。
このお話自身は、前回「ロケットの夏」との続きもの。
というか、同じ登場人物らを使った新たなドラマ。
二つの話「Time After Time」をまとめてしまうと、
ヒロインである画家ハナコのお話。
ハナコは、今は無名だけど、将来、「世界大戦を止めた」と称される絵を描く。
で、前作は、ハナコがそもそも絵筆をとるきっかけとなった一枚の絵、「ロケットの夏」が描かれる過程の物語。
そして、今作は、ハナコがその世界大戦を止めるという絵、「地球が静止する日」を描こうとするまでの物語。
あらすじ。
遠未来、地球と人類は死滅しかけていた。幾度となく繰り返された世界大戦の為に。
タイムマシンを開発した未来人は、様々なシミュレーションを繰り返し、世界大戦をくい止める手段を探し出した。「大戦の起こらなかった」歴史を作る=時間改変の為、僅か三人のエージェントが過去へ飛ぶ。
そこは現代。ハナコという名の少女を、画家へと育て、彼女に一枚の絵を描かせる事ができれば、任務は成功、人類は救われる。その絵は、ある首脳会談の席でふと皆の目を集め、なごませ、大戦の最初の火花を未発に終わらせる。
そして、それ以外の歴史では、すべて戦争が起こってしまうのだった。
だが、彼女が描くその絵は、彼女が事故に襲われ、半身不随となって初めて描かれる。
苦悩したエージェントの一人は、未来を裏切る覚悟を決める。
「なんの罪もない彼女を、画家の才能溢れる彼女を、半身不随などにさせはしない。」
そしてまた未来は、そして現在は変わる。
ハナコが画家として育たなかった世界から、
ハナコが画家として育った世界へ、そして、事故に会わなかった世界へ。
事故を避け、半身不随にならなかったハナコには、また別の未来が、そしてその未来からまた別の人間がタイムマシンに乗って現れ、
そしてそして、各自の都合で現代人が、未来人が、ハナコを中心に渦を巻く。
やがて現れる未来は?
芝居の出来としては、人物の整理が未消化な感覚。
未来から現代をかき回しにくるチンピラ二人組、現代でハナコを誘拐して金儲けしようとするチンピラ二人組、彼らはあまりしっかりした役を振られず、ひたすら狂言回し的に動く。あるいは時間改変のおかしみを示すのかもしれないが、あるいは単に話を複雑にしてるのか、あるいは作者の都合よく世界を回しているのか。
下手をすると、未来からエージェント三人組も、その存在の確固たる裏づけ、物語内部での登場の価値を判断するのが難しい。(例えば、二人でよかったのでは? とか。)
また、ほとほとSFとはやりにくいものだなとも思った。
心に響いたといえば、光太郎の最後の「俺、駄目だったよ!」かな。
あっと、そこ、SFについてもう少し。
芝居でSFがしにくいという点について。
SFの楽しみは、小道具とか世界とか、そしてそのリアリティとかにある。文字で読み、あるいは絵でみ、それを自分の頭の中で再構成・再構築して、あるいは鑑賞し、あるいはレゴブロックの様に組み立て崩し、味わう。
対して、
芝居の楽しみは、ひたすらに人物の深みにある。人間の裏表を深く知る、いや、感じる事に楽しみがある。直接的、直感的、直接続的に思うところと感じるところを、コピーする。直接に、脳を通さずに心臓に叩き込む。
そりゃあ、相性が悪いだろうなあと思う。
小道具や世界観は、芝居では、例えば、玩具の光線銃を「これは銃です」という”記号”として役者に持たせ、バンバン、と言わせて終わりである。描くのは、それによって人物Aと人物Bがどう動くか、みたいな点である。
SFとして楽しみたいなら、その時、「この光線銃はかくかくしかじか」とか、あるいはその重さ質感を描いて「ああこの銃は、そしてこの銃を握る人物は実在する」みたいなリアリティ、あるいは錯覚なようなものを持たせて楽しむ。
そりゃあ味わいが重なるはずがないなあ。
もちろんSFな味は織り込めるが、芝居を見てる間は、そっちの味は後ろにかすんでしまっててなかなか味わえない。「ニンゲンのアク」が「役者の気配」が強すぎて、SFなロジックの部分は影になってしまう。
「彼はアンドロイドです」とか役者にSF味を持たせても、それは「アンドロイド」が主体ではなく、「彼」の形容詞の一つであり、要するに飾りである。どうしてもそうなってしまう。また、観るほうもそっちを観る。
難しいもんですなあ。
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time after time... time after time...
いつもの味。
話自身は、作・演出のオカモトさんの味がいつも通り。
役者さんを選んで集めたというだけに、各人物の幅と深さはいつもより深いか。
そして上演後、心に残るのは、ただ、音楽。
time after time... time after time...
一人で観にいく芝居はこれだからいいですな。好きです。
もちろん皆で観に行くのもいいです。
今回の上演は関西一円からメンバーが集まったユニットKansai Breakerによる公演。
この夏特集で前後編「Time after Time」の上演。
時間改変モノ芝居で、基本的には独立しているものの、舞台設定や登場人物らを共有しての二つのお話。
で、
本日上演最終日。昼に「ロケットの夏」観てきました。
もう上演が終わった事だし、別に話しても構わないのだろうと思うので話すが、
高見さんからは
「今回のコンセプトは
「夏への扉」と「高い城の男」
です。
名前「ロケットの夏」はブラッドベリなんですけどね」
という風な言葉を聞きました。
まさしく、なるほど、な感じな話です。
いつも思うのですけどね、オカモトさんの頭の中って、実は、私の頭の中と一緒じゃなかろうかと。
いや、その時代性というか、呼吸してきたメディアがというか、トリガーが、というか。
アトム世代といい、ガンダム世代といいますね。もっと言うと、アニメ世代、少年ジャンプ世代。小学校から中学校にかけてインプリンティングされたそれら「ガキ」な部分、「男の子」な部分を、くすぐってくれるというか。
その感覚から行くと、宮崎さんのアニメの感覚に近い。
オカモトさんは、もっともっとガチャポンとか、MSXとか、そういう駄菓子的現代っ子玩具的感覚に寄っているけれど。
登場人物らの主張や、底の浅さ深さ、というか、何処に深み/重点をおくかみたいな所が、妙にそう近しく思えます。
さて、この芝居は来週上演「地球が静止する日」に繋がる話なので、今回はちょっと多めにあらすじ。
無限に広がる大宇宙。時は2015年(だったかな)。初の恒星間ワープシップは、テスト飛行を終えて地球に帰還した。軌道上から見つめる青い水の星。
あれ、なんか変だ? 何が変なんだ? とりあえずチェック。
……いきなり、「地球が静止」していた。公転なし自転なし。時間軸的な「フリーズ」状態。エネルギー分布チェック、地表に幾つかのワームホール発見。
どうも、タイムマシンを作成・作動させた人間が何人か居たらしい。タイムパラドックスの蓄積が限界を越え、システムダウンを起こしたっぽい。
キーとなる時間は、2001年8月1日。
その日、物語のヒロイン花子は、花の都パリに来ていた。今まで無名だった自分の絵が、一枚の風景画が、画壇に認められたのだ。うかれる花子を隣で見つめる同級生。彼は彼女の才能にほれ込み、彼女を助けながらも、内心、激しい嫉妬を、そして自分の才能の無さに絶望を秘めて苦悩する。
と、その時、ひょんな事から手に入れていた彼女の鞄の中のオーパーツが緑色光を放つ。
気が付いた時、二人は第二次世界大戦のまっただ中に居た。
男は言う。
「これはチャンスだ。俺は歴史を、そして原子爆弾を知っている。
現実というキャンパスに俺の絵を描いてやる」
また突然輝いた緑色光と共に、一人現代に帰還した花子は、その「現代」が変わってしまっている事に気付く。世界はナチスが征服していた。パリに原爆を落して。
変わってしまった歴史を修正すべく、花子は再び時を越える。
時を越えた先では、様々な人物が彼女を待っていた。
未来を予見する少女。
花子との一瞬のすれ違いを元に画家を目指していた少年。
少年と行動を共にする、ウェルズ好きの中年。
花子に巻き込まれる形でついて来たツアコンの青年。
V2ロケットを兵器としてでなく宇宙への掛け橋として開発し続けるフォン・ブラウン。
そして、”彼女が未来で産んだ”という、自称息子の青少年。
……時の流れは、どう変わるのか。
で、それなりにオチをつけ、まあ時間は本流へと戻って、今回の「ロケットの夏」は終了。
以下は推論。
次回は、更にこれを包含した形で更にオチをつけるのか。
舞台途中で姿を消した”自称息子”あたりが主人公で、宇宙船のクルーあたりと絡みながら。
今回端々で見えたのは、小技の冴え。
各役者らによるギャグ。
「…………パパって、呼んでもいいぜ」
とか、
「もういっぱいいっぱい」
とか。
あと、役者としてのお気に入りは、
やっぱり、
菊地さん。
この人、こういう役をやらせるとうまいねえ。ファン。
名脇役というか。斜に構えた位置で光る。
ルパン三世で言うなら次元。
好き。
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その観劇姿勢など。
芝居を観だしたのは、ひとえに
和田さん
(又の名は制御盤さん)に誘われたから。
必ず5割、いや、無理でも3割は、冷静に、シニカルに、理性的に舞台を観よう、
っていうか、誰が笑ってやるものかという姿勢を保とうというのが一応方針。
感想はけなし専門。
プラス評価は
1)ギャグ
2)オチ(結末がきちんとついてる)
3)エンターテイメント(シリアス含む)
マイナス評価は
1)ピンボケ(判りやすく)
2)眠気(静か過ぎず)
笑わしてくれて、かつ、後味がすっきりしてれば最高ってわけ。
強度の眼鏡着用による眼労と、
不節制な生活によるバイオリズム崩壊の為、始終アクビをしています。
が、これは劇がつまらないとかとは全くの無関係ですので、
大口開けている馬鹿を見ても皆様怒らないで下さい。
観たの一覧は
こちら
になりますね。
☆の数についてなど。
一応、五段階評価。
☆☆☆☆☆ |
理想!(絶対出ない(笑)) |
☆☆☆☆ |
完璧おもろい! 〜 並よりマシ |
☆☆☆ |
並 〜 一点買い |
☆☆ |
意欲は買う |
☆ |
謎 |
☆三つなら見て間違いなし、☆二つなら要検討、でしょう。
そのうち「☆」マーク以外を導入しようか、とも考えている。
例えば「☆+」「☆−」(0.25点加減点)とか。
例えば「☆★」(0.5点加点)とか。
どうしようかなあ。
芝居の法則
「10観て1アタリなら満足しろ」
「舞台装置がすごいと話は駄目」
「最前列は舞台全体を把握できない」
「ナマモノだから痛みや外れが激しい、そして当たりも」
「開幕にはこなれてない舞台が透ける」
「千秋楽は役者さんが声を潰している」
おまけ。
芝居小屋マップ。
でも実は
本部
にも
こういうの
がある。
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