親分の毎日

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12/28/04

クリスマス明けの休日、ちょっと車で出かけて帰って来るとうちのキャビンへのドライブウェイが除雪されていた。大家さんだ。うちの大家さんはおそらく30台も半ばという兄貴で、私達が今借りているキャビンを自分で建てたカーペンターでもある。とってもとってもいい人で、イニューがいたずらをしても多めに見てくれるし、私が流産した時にはお花を買って届けてくれたりもした。自分と奥さん(若くてカワイイ。)もキャビン暮らしから初めて、土地を買い、マイホームを建て、という経験があるからか、キヨシ君と私が土地探しをしている間なにかとアドバイスをしてくれたりもした。彼はなぜかキヨシ君をえらく気に入っていて、バッタリ会ったりするとこの2人はいつまでも世間話をしている。「まったく相変わらずいい人だなぁ」と思いつつキャビンのドアの鍵を開けようとすると、ドアの隙間に封筒が。案の定大家さんの字だ。家賃の領収書はもうもらっているのにいったいなんだろうと思い、封筒を開けてみるとなんとギフトカードが入っていて、「キヨシ&親分、僕の建てたキャビンに長いこと住んでくれてありがとう、というちょっとした感謝の気持ちです。良い新年を迎えられますように。」とメモが添えられていた。大家さんからギフトカードなんてもらって良いものなのか!いい人過ぎる。

今日は105歳のおじいさんを受け持った。皮膚癌に侵され、鼻の頭がすっかり崩れ落ちている。最初見た時はちょっと驚いたが、小さくて痩せた体にしわしわの顔で、常にジョークを飛ばす彼を一日受け持ち、すっかり彼のファンになってしまった。今朝一番に彼の部屋に血圧を測りに行った時、「お歳、105歳なんですってね。」と言うと、「まだまだ子供だよ。これからだよ。」といたずらっぽい顔をして言った。以下、彼と私の会話。
親分:アラスカにはどれくらい住んでらっしゃるんですか?
105歳患者:長いねぇ〜。16(才)の時にアラスカに出てきて・・・今30だから。
親分:。。。(笑いをこらえる。ここで負けてはいけない。)
105歳患者:あんた、結構かわいいねぇ〜。うん、カワイイッ!
親分:どうもありがとう。ところで長生きの秘訣ってなんですかね。私も105歳まで生きたいんですけど。
105歳患者:「いじわる」でいることだね。(キッパリ)
親分:(笑)じゃ、私も長生きできそうじゃないですか!さて、そろそろ他の部屋も回らないと。あ、なにか今必要なものあります?
105歳患者:う〜ん・・・。オンリー・ユー!(ニコニコ顔で)

負けた・・・。105歳だよ!105歳!この会話の後も、私が彼の部屋を訪れるたびに「Hi pumpkin!」だの「Hi, honey!」だのと呼ばれ、おじいちゃんこそカワイイではないか、と彼のキュートさにグラッと来てしまったのだった。


12/25/04

結局、クリスマスイブの夜は、仕事からあがって帰宅してみると気温がマイナス35℃まで下がっていた。車のエンジンがなかなかかからなかったわけだ。

今日、クリスマスも準夜勤務。今日はナーシングアシスタントではなくワード・クラークとしてデスクにつく。クラークさん達が皆クリスマス休暇で不在だったからだ。嫌いなデスクワークを黙々とこなす。

クリスマスディナーは病院職員にもただで振舞われ、プライム・リブ、ベイクド・ポテト、スープ、サラダもろもろ、ラズベリーチーズケーキなどを呼吸が出来なくなるほど食べた。それでも食べきれないので、残りをイニュー用のクリスマスディナーとしてお持ち帰りすることに。帰宅後「メリークリスマス!」とイニューにその残り物を出すと、狂ったように喜んで食べていた。当たり前だ!プライム・リブなのだ!なんて贅沢な犬。

私はクリスマスに働くのが実は嫌いではない。いつもはしかめっ面をしているドクターでも「メリークリスマス」と言ってくるし、患者さん達の家族がホームメードのご馳走やクリスマスプレゼントを患者さんの所にいそいそと運んでくるところも見れる。長期で入院しているKさんが、病室中におもちゃの箱やラッピングペーパーを散らかして悪戦苦闘しているので声をかけてみると、孫達を今晩全員病室に呼んで、プレゼントを開けさせるのだという。いつもはおとなしく、元気のないKさんも、その後孫達が全員集まり、プレゼントを前にキャーキャー言っているのを前にして本当にうれしそうだった。

しかしその一方で、亡くなる前のひとときを静かに家族と過ごす患者さんも数人。長いこと病気と闘ってきたMさんもそのひとりだ。気管切開を受けているので声が出ないMさんは、昔看護師として長いこと働いていたこともあり、私達看護従事者のことをいつもよく気遣ってくれる。昨日、Mさんの旦那さんがナースステーションに「メリークリスマス」お菓子とカードを持ってきてくれた。そのカードにはMさんの自筆で「いつも本当にどうもありがとう。あなた達がしてくれたことのすべてに感謝します。」と書かれていた。その後にも何か書かれていたのだが彼女の手が震えていたためか、なかなか読み取れない。でもそのMさんのやさしさに、私達は皆胸がいっぱいなる思いだった。自分が死の淵にありながら、私達看護従事者を思い、カードを書いてくれたというMさん。苦しまずに、安らかな最期のひとときを過ごせますように・・・。


12/24/04

クリスマスイブ。気温マイナス32℃。寒い。そして暗い。今日はこれから仕事だ。数週間前に日勤専門に勤務を変えてもらった私なのだが、クリスマスイブとクリスマスの夜に仕事をしたい人などそうそういるはずもなく、準夜勤が人手不足だということで2日間だけ準夜助っ人として駆り出されるというわけ。どうせキヨシ君もいないし、せっかくだからクリスマスイブもクリスマスも病院で同僚や患者さん達と過ごした方が楽しいと思ったのだ。ごめんよ、イニュー。

ところで、数日前に日本の両親から「年末年始セット」が送られてきた。巨大なダンボールに餅、きな粉、のり、漬物、そば、つまみ、せんべい、お菓子(キヨシ君が大好きなトーハト・オールレーズンやジャンボコーン、私の好きなひねり揚などなど。)、その他もろもろがぎゅうぎゅうに詰まっていた。そして「忠臣蔵」を録画したビデオまで。年末気分がこれで盛り上がること間違いなし!(笑)ありがたいことで・・・。

さて、キヨシ君がいないとうちはやっぱり静かだ。キヨシ君はお喋りではないし、かえっておとなしい方だとは思うのだが、あのひょろ長い図体がうろうろしていないだけでだいぶこのキャビンが広く感じる。彼は実家でも相変わらず毎日座禅を組んでいることだろう。毎日電話かメールをくれることになっていて、昨日はメールが届いた。地元の海岸を歩いて流木や貝殻や石ころを大量に拾ってきたらしい。悪い予感・・・。それらを全部持ち帰って来るつもりなのでは・・・。


12/22/04

今日の午後、キヨシ君が実家に向かって飛行機でフェアバンクスを発ってしまった。帰ってくるのは1週間後。昨年に引き続き、今年も私がクリスマス休暇を取れなかったためにキヨシ君だけが帰省することになったのだ。(キヨシ君は職場の子供達が卒業してしまっていないこのシーズン、簡単に長期の休みが取れる。いいなぁ〜。看護従事者はそういうわけにはいかない!病人はクリスマスも正月も関係なしなのだ。)私が今年も一緒に行けそうもないとわかったとき、キヨシ君は自分ひとりでの実家行きをちょっと渋ったのだったが、愛猫が死にそうだったこともあり、もう1匹の猫も相当な歳なので元気なうちに猫たちに会っておいでよ、と航空券を買わせたのだった。

しかしいつものようにギリギリになって負い込まれないと、なかなか仕事が出来ないタチのキヨシ君は、なんと昨晩、今朝までかかって職場で書類処理をしていた。キヨシ君帰省前の最後の一緒の夜だったのに!いっしょに夕飯食べて、テレビでも見て、クリスマスプレゼントを渡す予定だったのに!と私はふてくされ、イニューを布団に入れて抱っこして寝る。しかし朝型疲れきった顔で帰ってきたキヨシ君を見たら怒る気にもなれず。早めのクリスマスプレゼント(ダウンジャケットと手袋。キヨシ君は着る物を自分で選んで買うのが「死ぬほど嫌い」で、いまだに高校入学時に親?に買ってもらったというダサダサのジャンパーを平気で着ていた。)を渡すと、えー、ありがとうー!と驚き、そして「僕、親分に何も用意してない」と目をうるうるさせて本当に泣きそうになったので慌てて「いいよ、いいよ、キヨシ君、ここ最近めちゃくちゃ忙しかったしね。ほら、それにこの間バザーでクリスマスプレゼントね、って言ってレシピブック買ってもらったじゃん!」とフォローした。(笑)

キヨシ君に仮眠を取らせている間に私は郵便局や大学で用事を済ませ、帰って来てからは起きてきたキヨシ君のひげをカットし、そして荷造りを手伝い、朝食兼昼食を一緒に取って、慌てて空港へ。時間ギリギリになんとかチェックイン。去年は私が空港で大泣きして、その後「あれではキヨシ君が実家でのんびりクリスマスを楽しむことが出来ないではないか!」と反省したので今年は泣かずに笑顔で見送った。しかし今回はなぜかキヨシ君の方が涙目に。私をゲートの所で抱きかかえたままなかなか離さないので、「ちょっとこれは愛情表現豊かでオープンなアメリカ人の前でもさすがに恥ずかしいのではないか・・・。それに皆の通行の邪魔になってるではないか。」と私の方が焦り、「まぁまぁ、1週間したら会えるんだからさ。」となんとか彼をなだめすかせて送り出した。「僕が不在の間にこれ以上イニューと仲良くしないように。あんまり甘やかしちゃダメだよ。」と言って彼は去って行った。「他の男」の心配は一切無しなのに、私がこれ以上「イニュー」と親しくするのは心配なのか。

その後、コインランドリーへ直行し、いつもの様に洗濯が済むまでの間となりのカフェで勉強していたのだが、カフェのお姉さんが「あなた、私がこの間観た映画の女優さんにうりふたつだわ!ほんと、見た目そのまま!」と言うので、私が女優さんにそっくり?とちょっといい気になり(笑)、「なんていう女優さんですか?」と聞いたら彼女はその女優さんの名前も映画のタイトルさえも覚えていないという。韓国映画だったかも・・・、でもハッキリしない・・・とか言っている。そして"Anyways, it was very very scary!She was creepy! She was a ghost."と言ったのだった。なんだよ、私はその「creepy」な「ghost」にクリソツなのかよ。女優さんに似ているとは言われながら、喜んで良いものやら悲しんで良いものやら、はたまた怒って良いものやら、私はすっかり途方に暮れてしまい、「なんていう女優さんか思い出したらぜひ教えて下さい」と寂しい笑顔で言って、興奮気味にまだ私の顔を見つめているその店員さんからアールグレイティーを受け取ったのだった。


12/18/04

久々のキヨシ君と一緒のお休み週末2日間初日。キヨシ君がクロスカントリースキーに連れていってくれるという。クロカンはなんと2年ぶり。去年の冬はなかなか忙しくスキーに行く機会を逃してしまっていたのだった。キヨシ君が職場の子供たちを同僚と連れて行ってなかなか良かったというスキーコースへ。大学のスキートレイルしか行った事のない私はちょっと興奮気味。周りがまるでスケートのようにすいすい滑って行く中を、私だけが平行にそろえたスキーでよいしょ、よいしょ、とのろのろ進んでいたが、そんなことは気にしない。坂では案の定転びまくり、顔面から雪の中に突っ込んでいたりしていたが、キヨシ君から「親分、がんばって!もうちょっと!」と励まされつつなんとかゴールまで辿り着くことが出来、なかなか楽しい久々のクロカンだった。

スキー後、汗だくになっているのにキヨシ君が「映画にでも行く?」というのでめずらしいな、と思いつつこの機会を逃してはいけない!と賛成することに。映画館に直行し、スキー帰りです、といういでたちのまま「Closer」を観る。これが全然期待していなかったわりに(だってなんにも他に面白そうなのがない、という理由だけで選んだんだもん。笑。)かなり面白かった。ナタリー・ポートマン、ストリッパー役だったんだけど、彼女は相変わらずかわいいなぁ〜・・・。ジュード・ロウがなぜにナタリー・ポートマンを捨ててジュリア・ロバーツに走るのかが全然わからないよ!そしてジュード・ロウが2人に好かれるわけも、もっとわからない!と言うと、キヨシ君も「僕もわからない!」と私に同調していた。

スキー、そして映画となかなか盛り沢山だった良い休日。


12/17/04

ジーナの留守電にメッセージを残した際、私はちょっとしたいたずらをした。最初に、「えー、親分です。テストの結果が返って来たんだけど・・・。実は不合格でした。」と暗ーい声で言い、ここでポーズを置いてから「というのは冗談で、合格だったよー!ジーナに勉強みてもらったおかげ!本当にありがとうー!」と言っておいたのだった。案の定しばらくしてからジーナから電話があり、「あんた、最初ダメだった、って聞いた時、Oh, no------! What should I say to her! って血の気が引いたよ!あんなに一生懸命勉強してたのに、って!とにかくおめでとうー!ヨクデキマシタ!(ここだけ日本語で)」と興奮気味に祝ってくれた。「じゃ、これでNCLEX受けられるんだね?あんた、こんなにのんびりしてる場合じゃないよ。また一緒に勉強しないと!休みの日は、うちに電話しなさいよ。」と葉っぱもかけられた。ありがたいことです、本当に。

そして職場に行き、ロッカールームで皆に合格したことを伝えると、同僚達に興奮気味に「キャー、おめでとうー!」と次々に抱きつかれ、もみくちゃにされた。皆、私がこのCGFNS試験の応募過程でどれだけ長い間(1年半も!)つまらないことでイライラ待たされていたかも知っていたし、私がどれだけ頑張って勉強したかも知っていたのだ。そして「親分、Almost an American RN!」と1日中呼ばれた。(笑)婦長さんに報告した時には彼女は目をまん丸にし、一瞬固まった後、私をナースステーションでぎゅうぎゅうと抱きしめ、”親分だったら絶対やるとは思っていたけど・・・。こんなに書類審査がバカなことで難航していたのに、あきらめないで頑張ったんだもんねぇ〜”と目にうっすらと涙まで浮かべていて、患者さん達がいったい何事かという目で遠巻きに見ていた。

私の顔を見るたびに、「親分、テスト受かった?」と聞いてくるドクターがいて、「だから1月にならないと結果が返ってこないんですってば。プレッシャーだなぁ。」と言いつづけて来たのだが、今朝は違う。案の定同じ事を聞いてきたので「はい、受かりました。」とようやく言えた。彼は、私が以前膀胱炎に苦しんだ際に診てくれたドクターでもあり、私が看取った患者さんの旦那さんでもあり(彼の奥さんは難病で若くして子供を2人残して数ヶ月前にうちの病棟で亡くなった。ものすごくやさしくて素敵な人だった。)、うちの病棟の患者さんを良く診るドクターでもあり、日本や星野道夫について一緒に語れる仲でもあるのだ。(彼は星野道夫の友人で、彼から中古のカヌーを買ったりしていたらしい。そして彼は山男で、日本に富士山に登りに行ったり北海道や宮城を旅した思い出もあり、「金華山に行ってねぇ〜」なんて良く思い出話をする。)

今回テストに受かって、なにがうれしいって、こんないい同僚達に良い報告が出来て喜んでもらえたことが一番うれしい。本当に同僚には恵まれて、私は幸せだなぁと思う。


12/16/04

NYにCGFNS試験を受けに行った際、会場で「イニューと親分の部屋」の愛読者だというカワイくて賢そうな日本人、Mさんに出会った事はここにも書いた。昨日、その彼女からメールが届き、「結果が届きました。パスしてました!」と言う。ええー!早いじゃん!(結果が出るまでには8〜10週間かかるという話だったのに!まだ5週間も経ってないじゃないか。)とにかくおめでとう!本当に良かったねぇ〜、とメールの返事を書いた後、自分の結果はいったいどうなっているんだろう、となんだかやたらとそわそわし始めてしまう自分。

今日、仕事からあがった後、急いで郵便局の私書箱をチェックしにいくと、なんと私の所にも結果が届いていた。合格!キャー!!!

うれしいです・・・。勉強、頑張った甲斐がありました。大金はたいてアラスカからNYまで飛んだ甲斐がありました。さっそく勉強を助けてくれていた同僚のジーナとシルビアに電話をしたのだけれど、二人とも不在だったので留守電にメッセージを残した。ここの掲示板やメールで応援して下さったみなさんにもここでひとことお礼を。みなさん、本当にありがとう。おかげさまで無事、合格いたしました!

さあ、これでNCLEX(日本の国家試験に当たるようなものかな?)にApplyすることができる。NCLEXに合格すれば、晴れてアメリカのRN(正看護師)として働くことができるのだ。目標にだいぶ近づいて来たぞ・・・。


12/13/04

うちの職場に、来年4月に出産予定だという妊婦ナースがいる。彼女のお腹がどんどん大きくなってくるのを見ていると、私のお腹も、今ごろこれ以上に大きくなってるはずだったのになぁ〜(私の出産予定は来年3月のはずだった。)とつい思ってしまう。仕方がないことではあるけれど、流れてしまった双子ちゃんがもし元気にお腹の中で育っていてくれたら、今ごろどうなっていたかなぁ〜、私のお腹もかなり大きくなってたんだろうなぁ〜、などとどうしても考えてしまう。大切な友達から安産のお守りが届いてしまった今日なんかは特に。いや、ちゃんと「実はダメだったんだ〜」と報告しなかった私が悪いんだけど。

だけどこんな風になんだかシュンとしてしまった時は、すたすたとキヨシ君の方に歩み寄り、無言で彼のひざの上にどしんと腰を下ろせば(彼がテレビを見ていようがパソコンに向かっていようがお構いなし。)ギューッと抱きしめてもらえる。その度に、これ(「これ」って言うな。笑。)をひとり占めしておきながら、さらに何か他のものをねだるなんてそりゃー欲張りってものだよ、と思う。いい旦那を持ったなぁ〜。


12/11/04

仕事帰りにコインランドリ−に寄り、洗濯をして洗濯物をドライヤーに放り込んでいる間、となりのコーヒーショップでお茶をしながらひとり勉強していると、ちょっと前に仕事場で「じゃぁね〜。」と別れたはずのブレンダが入ってくるのが見えた。「ブレンダ!」と声をかけると、彼女はちょっとびっくりした後にニコニコしながら私のテーブルにやってきて「ここでボーイフレンドと待ち合わせしてるの。となりのコインランドリ−にシャワー浴びに来るって言うから。」と言う。(こちらのコインランドリ−にはたいてい有料のシャワー室がついている。ブレンダとその彼も水道なしの小さなキャビンで生活をしているのだ。)やった、うわさの犬ぞり使いに会える絶好のチャンス。(笑)

しかしそのボーイフレンド(ブレンダいわく、『変な頭のドイツ人』)がなかなか訪れないため、ブレンダと私は久々に職場の外でのんびりお喋りしながら待つことに。ブレンダは今でこそ数十匹の犬やニワトリ達とヒッピーな暮らしをしているが、実は生まれも育ちもマンハッタン、NYという都会ッ子なのだそうだ。そんなブレンダの彼はドイツからやってきてアラスカに住みついてしまったという犬ぞり使い。すごいカップルだ。

『変な頭のドイツ人』が一向に現れないので、私は仕方なくブレンダに別れを告げ、コインランドリ−に戻って洗濯物をチェックすることに。しかしちょうど私がパンツをたたんでいる最中にブレンダが彼氏を連れてやってきた。彼は本当に『変な頭のドイツ人』だった。ドレッドのような、ただ薄汚れて「うどん状態」になっているようななんとも言えない長髪に、毛皮ボーボーの帽子を被っていて、英語がめちゃくちゃドイツ訛りだった。見た目だけで言えば彼はブレンダよりもさらにヒッピー度が高い。しかし良くみると男前。

ブレンダの元彼に殴りつけられながらも、ブレンダを獲得したというその犬ぞり使いは、実はかなりの恥ずかしがり屋さんで「えっと、僕すごく汚いのでシャワーを浴びてきます」とそそくさとシャワー室へ消えて行った。カワイイ・・・。いいのに、髪の毛がうどんでも。


12/9/04

「SWAN」という番組をご存知だろうか?不細工な女性の全身を、3ヶ月かけて美容整形手術で何から何までいじり、セクシーなお姉ちゃんにしてしまうという「こんなのありか」という激しい内容の番組なのだ。この間他にあまりにもなにも面白い番組がないために、とうとう「SWAN」を見てしまった私達。変身後の女性2人は、3ヵ月間見ることを許されなかった鏡の前で新しい自分と初対面ということになるのだが、この瞬間がすごい。たいてい皆、「オーマイガーッッ!これが自分なの?」と自分のあまりの美しさにびびり、うれしさに泣き出してしまったり、自分の顔やでかくなったおっぱいにうっとり見とれたりする。

番組終了後。鏡の前で自分を見つめ、「オーマイガーッ!うつくしいっ!」と叫ぶ私に、キヨシ君も負けじと鏡の前でポーズを取りながら「う〜ん。カッコイイッ!信じられないっ!特にこの辺!」と自分の美しさに見とれていた。私達の新しい遊び、SWANごっこ。


12/7/04

昨日はかなり冷え込み、気温がマイナス30℃近くまで下がっていた。仕事帰り、ブレンダと駐車場まで歩きながらおしゃべりしていたら、2人とも吸い込む空気のあまりの冷たさに咳き込んでしまったほど。しかし今日はだいぶ気温も上がり、現在マイナス22℃。

さて、皆さんもご存知の様に冬のアラスカではスノーマシーン(スノーモービル)はかなりポピュラーだ。交通手段というよりはおもにウィンタースポーツとして楽しまれているのが現状だが、たまに道路わきの自転車用通路をすごい速度で走っているスノーマシーナー達がいる。はっきり言わせてもらうが私達はスノーマシーンが嫌いだ。キヨシ君は”大っ”嫌いだと言っている。なにしろうるさい。危険。そしてあんな小さな乗り物なのに、なんと排気ガスの量は車の数倍にものぼる。

それでなくても冬の間は空気が悪いフェアバンクスなのに(あまりにも気温が低いため、車のガソリンが燃えきらず、その結果排出される一酸化炭素に汚染されるため。)、スノーマシーンがブイブイ走っていたらさらに空気が悪くなるではないか。

というわけで。同僚から「え!?親分アラスカに4年も住んでいながら、いまだにスノーマシーンに乗ったことないの?!今度絶対連れて行く!」と言われても「うん、そのうちね。」とかなんとか言いながらなんとか言い逃れている私なのだ。いや、好意で誘ってくれていることはわかってるんだけど。なにを好き好んで排気ガスを吸いに行かねばならないのかと思うとどうしても「うん、連れてって!」とは言えないのだ。犬ぞり体験だったらしてもいいんだけどな。


12/5/04

キヨシ君は相変わらず座禅に凝っている。彼もとうとうブロガーになり、”An Experiment in Meditation”というめちゃくちゃシリアスなページまで作ってしまう始末。暇な方はどうぞ。→ http://www.livejournal.com/users/erimo/
ちなみにキヨシ君のユーザー名、erimoは彼が大好きな「襟裳岬」からきているそうです。どこまでもエキセントリックな夫・・・。

今週末はキヨシ君と一緒の2連休だったが、私は料理に燃えていた。前々から作ってみたかった、妹尾河童がエッセーで書いていた中国の素朴な白菜鍋、ピェンローに初挑戦。これが激ウマ!だった。鍋をした後のスープを使ってピェンロー粥を作るとこれまたうまい、と書いてあったので、その通りに米を入れてお粥を作ってみたが、これも絶品。このお粥の為に鍋をしてもいい、と思うほどうまかった。そのほかにも大根と鶏の煮物、春雨と野菜の炒め物、グリーク・サラダ(なんだかすごい取り合わせだけど)、その他もろもろとにかく作り、2人で食べまくった週末だった。

そして今夜はとどめにスイートポテトタルトを焼く。食べ過ぎです。


12/4/04

キヨシ君に突然「親分、一緒に座禅を組まない?」と言われる。全くわけがわからない。しかしあまりの彼の真剣さに、思わず「うん、いいよ。」と答えてしまい、暗い部屋で彼とふたり並んであぐらを組み、瞑想しながら「どうかしている」と我ながら思う今夜。エキセントリックな夫を持つと、日々何かしらの発見、驚きがあるのでなかなか面白い。

座禅を組む前に「いったいどうすればいいの?座禅なんか組んだことないんだけど。」と聞く私に、彼は一通り本で学んだらしい「禅の心、座禅のくみ方」を私に受け売りした後、なんと「じゃ、はじめるよ。10時からスター・トレックが始まるから10時までね。」と言ったのだった。そんな座禅って。座禅は「無の心」が大切なんじゃないのか。10時から始まるスター・トレックを気にしながらの座禅って間違ってないのか。


12/2/04

風邪気味だ。私がこんなに頻回に風邪を引いているのに、キヨシ君は風邪知らず。なぜだ。一緒の布団で寝てるのに!小さなキャビンで風邪菌をバンバン共有してるのに!

キヨシ君はめったに具合が悪くなることがないが、悪くなっても絶対に薬を飲まない。どうするかというと、「寝る」とか「水を飲む」とか「リラックスする」とかそんな原始的な方法で自然に治るのを待つ。具合が悪くなったらすぐに薬で治そうとする私とは正反対だ。日本じゃすぐに抗生物質をくれるしな。自然治癒力が落ちるのも無理はないのかも。


12/1/04

史上最強の88歳患者を受け持った。この男性はボケがかなりひどく、オムツを取り替えようとする度に殴りかかってきたりキックを入れてきたりするので油断がならない。オムツ交換は看護師4人がかり。「離せー!」と顔を真っ赤にして入れてくる彼のパンチをかわしながらのオムツ交換。かなりの技がいる。私は手の甲をがりりと引っ掻かれ、同僚看護婦はあごにアッパーを食らっていた。オムツ交換も命がけだ。恐るべし88歳。


11/29/04

日勤初日。日照時間が短いフェアバンクスなので朝家を出る時は外はまだ真っ暗だし、仕事からあがって帰宅する頃(夕方4時頃)にはすでに暗くなっている。しかしキヨシ君と生活時間帯が一緒になったのはやはりうれしい。


11/25/04

今日は Thanksgiving Day(感謝祭)ということで、例年の様にバーブ宅で七面鳥その他もろもろのご馳走をたらふくいただいてくる。バーブとは私がアラスカに越して来た翌日からの付き合いで、今では家族同然のように付き合ってもらっている。私達の結婚式には日本から出席できなかった両親の代わりとしてバーブ夫妻に出席してもらい、バーブの旦那さんのルーイには一緒にバージンロードを歩いてもらった。私達がムースとの正面衝突事故を起こした時、真夜中に病院まで駆けつけてくれたのもバーブだったし、キヨシ君を今の職場に紹介してくれたのもバーブだ。(もともとバーブがそこで働いていた。)この人はワーカホリックのような所があって、今日も「今日が3週間ぶりのお休みなの!」となんだかすごいことを言っていた。バーブは今、家庭内暴力から女性を守るためのシェルター、ドラッグ・アルコール中毒の青少年の更正施設、そしてネイティブアラスカンの為のアル中離脱プログラム、計3ヶ所で働いているのだ。ちなみに次のお休みは12月19日らしい。体を壊さないでいてくれるといいのだけれど・・・。

話は変わるが、昨晩日本版の「リング」のビデオを見た。元々原作は読んでいたし、アメリカでリメイクされた「リング」は映画館でキヨシ君と観ていたのだが、この間NYのブック・オフに行った際にこの日本版の「リング」の中古ビデオをみつけ、安かったので思わず買ってしまったのだった。数年前、日本で公開になった時にうちの親もこれを観たらしく、父親が「貞子、ほんっとーにこえーよ!テレビからズルズルって、出てくんだよ!」と興奮気味に電話で語っていたのを思い出したのだ。(笑)で、見た感想ですが。全体的にはハッキリ言ってアメリカ版の方が良く出来てましたね、ストーリー的に。なんか、色々とつじつまが合う、という点で。日本版の方は、「そりゃー、無理があるだろう!」という強引な進め方が目立ち、「えぇー?そんなんでいいの?」と何度キヨシ君と突っ込んだことか。(日本語も良くわからないくせに、一応あらすじを知っているせいか彼も一緒に見ていた。)だいたいにして、なんで題名が「リング」なのかさえさっぱり説明されてないんだもん。原作はものすごーく良く出来ていて、映画の数倍も怖いのになぁ〜・・・。しかしやっぱり貞子がテレビから這い出してくるラスト・シーンは日本版の方がアメリカ版よりも怖かったことだけは認めよう。

ビデオ鑑賞後。髪の毛をだらりと顔の前にたらし、ゆらゆらとキヨシ君に近づいていって白目をむく私に「オー、サダコー!ノー!」と怯えるキヨシ君。この「貞子ごっこ」はしばらく楽しめそうな予感。私が「髪、切ろうかなぁ〜。」と言うたびに「えー?長い方がいいよ〜。僕長い方が好き〜。」と常日頃言っていたキヨシ君なのに、「親分、やっぱり髪切ってもいいよ。なんか、怖くって。」と言っていた。よっぽど怖かったのだね、キヨシ君。

しかし今朝、「サダコサン、サダコサン。ウェイク・アップ!」とキヨシ君に起こされた時はなんだかなぁ〜と思いましたよ、貞子「さん」って・・・。なんで敬称付けてるんでしょう。わけわかりません。


11/24/04

今日の夕飯は中華。海老豆腐とかに玉を作る。(なんだかたんぱく質ばっかりだけど・・・。レシピ本に載っていて、前から作ってみたかった2品だったのだ。)海老豆腐の方にかなり手がかかったのに、キヨシ君に好評だったのは簡単なかに玉の方だった。「チャイニーズ・オムレット、美味しいねぇ〜!」と。

満腹になったキヨシ君は、ただいまカウチで大好きな「ネイチャー」を見ながら、「親分!見て、見て!今から〜〜(アフリカの野生のネコだかなんだか)がジャンプして鳥をキャッチするよ!」などとうるさい。私はそんなものに全く興味はないのだが。


11/23/04

突然思い立って、前々からやってみたかったピクルス作りに挑戦。ジーナ宅をこの夏訪問した際に彼女が漬けたピクルスをご馳走になって以来、手作りピクルスの美味しさに目覚めた私は、これまでにたくさんの友人からピクルスの作り方を聞いてきた。人によって作り方はまちまちなのだが、今回はジーナの作り方とブレンダの作り方を参考に、自分流で漬けてみることに。酢は、普通のホワイトビネガー、アップルサイダービネガー、ワインビネガーと3種類用意し、大きな瓶3つにそれぞれ違う酢で野菜(セロリ、にんじん、たまねぎ、いんげん)を漬けてみた。酢には砂糖、塩少々の他に、スパイスも色々(ローリエ、粒コショウ、唐辛子、マスタード・シード、クローブ、その他もろもろ)入れた。良い感じに漬かってくれるといいな〜。

ピクルス作りが終わってからは、ズッキーニ・ブレッドを焼く。下ろしズッキーニを分量分ずつジップロックバッグに入れて冷凍してあるので、それほど億劫がらずに作れるのだ。こっちはもう慣れたもので、手際も良くさっさと2つ焼き、1つは冷凍保存、残りをキヨシ君と一緒に食べる。私は最低1晩冷蔵庫で保存し、しっとりした頃のズッキーニブレッドを食べるのが好きなのだが、キヨシ君は焼き立てのほんわり暖かい所を食べるのが好きなのだ。

”Supersize Me”のおかげで最近まめに料理をするようになった私。


11/22/04

今日(日本時間では昨日だったのだが)は妹の誕生日だ。28歳ですと。そりゃー私も歳とるわけですわ。おかしいもので、妹というのは私にとってはいつまでも私の後をちょこちょこくっついて来ていたちっこい妹なわけで、その妹が二児の母になり、仕事と家事を両立しながらしっかりお母さんをしているということがいまだに不思議であったりする。

さて、ここ数日キヨシ君がおかしい。いつもおかしいじゃないか、と思われるかもしれないが、普段のキヨシ君に輪をかけておかしいのだ。大好きなキルビルのサウンドトラックに合わせて激しく踊りだし(しかもこの踊りがかなり怪しくて私はいつも爆笑してしまう。)、はぁはぁ言っていたかと思うと、急におとなしくなって私の肩に頭を預けて何時間でもぼーっとしていたりする。原因は多分明るくてにぎやかなNYから、日照時間が極端に短くて暗いアラスカに帰ってきたせいもあるかもしれないが、「ねこ」と「仕事」が大きな理由だろう。

昨日の朝、キヨシ君の実家で飼っている18歳の猫が死んでしまった。この猫はキヨシ君が小さい頃に拾ってきて以来「キヨシの猫」としてずーっと家族同然にかわいがられていた黒猫だ。キヨシ君ががっくりくるのもわかる。

そして仕事。ご存知の通りキヨシ君はネイティブアラスカンのティーンエイジャー達をアルコールやドラッグ中毒から立ち直させる施設でカウンセラーをしているのだが、ここ最近キヨシ君担当の子供が少年院のような所に連れ戻されたらしいのだ。施設で「みんなを殺してやる」だの「ナイフで刺してやる」だのと大暴れしたらしい。「僕がもう少しいい仕事をしていれば、あの子も少年院に戻らなくてすんだかもしれないのに。」とキヨシ君は言う。しかしこの子供。15だか14だかという若さで、幼児虐待、両親のアル中、両親の離婚、兄弟2人の自殺、というものすごい修羅場をくぐってきているのだ。まともに生きろというほうが難しい。

「施設では、そういう子供達が大半なんだよ。うちでの3ヵ月間のトリートメントの間に自分の今までの人生を見つめなおすチャンスを与えて、子供達が少しでもこれからの人生を修正できるようなきっかけになればと思って僕達は働いているんだけどね。でも本人が”変えたい””変わりたい”と思わないことには、助けようがない。うちの施設にいる子供達は、すでに人生をあきらめていて”もうどうなってもいい。死んでしまいたい。”っていう子ばかりなんだ。」とキヨシ君は言う。実際、施設にいる間に手首を切ってしまう子供なんかもおり、付き添いで来たキヨシ君と私が病院でばったり会ってしまったこともある。

アラスカネイティブの社会問題の根は深い。3ヶ月やそこらのトリートメントで、子供達の人生をすべて修正することなんか出来るわけがないのだ。「それはキヨシ君達スタッフがやれるだけのことをしてそれでも起こってしまった結果なのだから、その子供にはもう少し時間がいる、ってことだよ。」と私はキヨシ君に言った。

すでにかなり薄くなっているキヨシ君のおでこと頭をなでながら、「こりゃー、ますます禿げるスピードが増すな。かわいそうに。」と心の中でつぶやきつつ、「うちのキヨシ君をそんなに悩まさないでくれよ。」と子供達に願う私なのであった。


11/19/04

"Supersize Me"のクリエイターである Morgan Spurlock がUAFに来るというので、前々からチケットを買い、楽しみにしていた私達。今晩、とうとう彼と初対面。1時間ほどの彼の話の後に引き続き、質疑応答にたっぷり1時間。いや〜、面白かったです!主に撮影中の裏話とか映画公開後のマクドナルドの動き(店頭で客に「スーパーサイズになさいますか?」と聞くのを一切中止したこと、アダルト・ハッピー・ミール:サラダ、ミネラルウォーターに加え、万歩計などが入っている、を売り出したこと、マクドナルドのキャラクターであるピエロのロナルドが、子供達のためのエクササイズビデオを出したこと、などなど。マクドナルド側は「これらの決定について、映画との関連は一切ありません。」と主張しているらしいが。)について語っていたのだが、もうその可笑しさに会場は爆笑の渦に。マクドナルドもイメージを回復するのに一生懸命なのだろうなぁ。イギリスではこの映画公開後、マクドナルドの売上が17%も落ちたらしいし。

なかでも一番印象に残ったのがマクドナルドのフライドポテトについての話。ある男性がクリスマスにフライドポテトをテイクアウトし、食べ残しをコートのポケットに入れ、なんとそのことをすっかり忘れたままそのコートをクローゼットのハンガーにかけ、1年が経った。再び寒い冬になり、コートを出してポッケに手を入れた男性はそこから1年前のマクドナルドのフライドポテトを発見することになるのだが、なんとそのポテトにはカビも生えておらず、見た目は1年前のそれとなんら変わりはなかったという。どれだけ防腐剤使ってるんだ、と恐怖におののいた彼は、それ以来13年間、マクドナルドからハンバーガー、チーズバーガー、フィッシュバーガー、その他もろもろを買って来ては棚の上に放置し、どれだけもつかについて観察を続けているらしい。いや、うそのような本当の話。どれも信じられない期間腐らずにいるらしいが、一番持つのはやはりフライドポテトらしい。数年間なら確実に大丈夫。

そしてハンバーガーに入っているパティー(肉)。あれはものすごい加工の過程を経て作られているらしい。1枚のパティーに、1000頭以上の牛の肉が混ざっているのを皆さんご存知でした?まったく恐ろしいことだ。

彼の話を聞いていると、安価と便利さと引き換えにしているのはまぎれもなく自分達の体と将来なのだという事実を思い知らされる。マクドナルドだけではなく、自分達が口に入れるものについて、私達はもう少しよく考えなくてはならない。

しかしMorganという人は頭の回転も速く、面白く、そして本当に”いいヤツ”であった。質疑応答の後も会場に残り、1人1人の質問に答えたりサインをしたり写真を撮ったりしてあげながら「来てくれてありがとう」とお礼を言っていた。キヨシ君もちゃっかりサインをもらっていたのだが、そのサインには”Thank you for coming. Say NO to Ronald. Morgan Spurlock”と書かれていた。Say NO to Ronald. ちなみに彼は、映画撮影後はただの一度もマクドナルドに入ったことはないらしい。「どんなにおしっこがしたくてもマクドナルドにだけは入らない。」と。


11/18/04

旅行後の出来事を少し。ケネルにイニューをお迎えに行くと、私の顔を見るなりケネルのおばさんが「イニューは賢い子だよ!」という。ワケを聞くと、そのケネルでは犬が室内と室外を行き来できる開閉自由の犬用ドアを夜になると開かないようにするらしいのだが(室内をなるだけ暖かく保つため)イニューがどうにかしてそのドアを鼻先でこじ開けて外へ出る術を編み出したらしいのだ。たぶん夜に用を足したくなり、どうしても外に出なくては!とでも思ったのだろう。「うちじゃ何年もたくさんの犬を預かってきたけど、あの閉められたドアの開け方を編み出したのはイニューが初めてだよ。」とおばさんは言う。イニューがそのトリックを覚え、夜中でも好き勝手に外に出たり中に入ったりしているのを見たほかの犬達が、なんと数日後には見様見真似でイニューのやり方を徐々に覚え、私がイニューのお迎えに行く頃にはケネル中の犬達がそのトリックをマスターしていたというわけだ。おばさんには一応「どうもすみません。」と謝っておいたが、おばさんは「いやいや、私達も感心したよ!犬って私達が思っている以上に賢いものなんだねぇ〜。」となにやら興奮気味でうれしそうでもあったので悪い気をせずにすんだ。

イニューの鼻先にはそのためかちょっとした擦り傷がついていたが、「おまえは他の犬達の救世主だったのだな!仲間にどうやって外に出られるかを教えてやったのだな!偉いぞ、さすが私の娘!」とぎゅうぎゅうと抱きしめてやると、イニューはなんだか誇らしげにぶんぶん尻尾を振っていた。相変わらず親バカな私。

ケネルから帰り、イニューとベッドでごろごろしながら遊んでいると婦長さんから電話が。なんと日勤のポジションに空きが出たからどうか、という。日勤のポジションは長いことずーっと待ちつづけていたのだ。日勤に移ることができれば、お互いの仕事の時間帯がキヨシ君とほぼ一緒になり、彼と一緒に過ごせる時間が増えるのだ。もうすれ違いの生活をしなくても済む!もちろん、と婦長さんのオファーを受け入れることにし、今月末から日勤に移ることになった。

そして車。昨日修理工場で見積もりを出してもらうと、なんと修理に2000ドル近くかかることが判明。しかし今回の事故は私達の過失ではないため相手側の保険がすべてを支払ってくれることになっている。自腹だったら絶対に泣いていた。みなさん、車の運転には気をつけましょうね。


11/17/04

ただいま〜!というわけで、無事に大都会マンハッタン、NYからフェアバンクスに帰ってまいりました。やっと落ち着いたところなのでこの辺で忘れないうちに旅の様子を綴っておきたいと思います。長編ですので覚悟して読んでね。

11月8日、月曜日。
夜JFK国際空港着。ホテルに着いたらシャワーでも浴びて長旅の疲れを癒そう、という私達の楽しみを粉々に打ち砕くホテル・カーター。(実名出しちゃうもんね。)タイムズ・スクウェアの真向かいというロケーションにもかかわらず、1泊89ドルとNYのホテルにしては格安という理由でウェブ予約していたこのホテル。ウェブ上の小奇麗な部屋の写真と「全室改装したばかり!」といううたい文句にすっかりだまされた模様。まずはロビーがすでに怪しい。そして部屋に入るとすぐに目に入るのは裸電球とはがれかかったカーペット。キヨシ君と共に愕然とする。しかしくたくたに疲れている私達は、「とりあえずシャワー浴びて寝よ。」と決め、シャワーを浴びたのだったが、またこのシャワーがお湯用の蛇口しか回らず、(水用の蛇口は気はやさしくて力持ちなキヨシ君の両手の力でもびくとも動かなかった)はじめはちょうど良かったお湯の温度がどんどん熱くなり、仕舞には熱湯地獄に陥りかねないという始末。すばらしいNY旅行の幕開けです。

11月9日、火曜日。
明日はテストだというのに、「直前の積め込み勉強などするものではない!」というみんなのアドバイスにしたがってNY観光を楽しむことにする。キヨシ君と共にホテル・カーターを抜け出してチャイナタウンへ。NYで一番美味しいと有名な、鹿鳴春(ジョーズ・シャンハイ)の小龍包を食べ、舌をヤケドしながらもキヨシ君とあまりの美味しさに「う〜ん」とうなる。その後キヨシ君がガイドブックを頼りにチェックしていた「ちょっと変わったギフト・ショップ」めぐりへ。チャイナタウンを横切り、ソーホーでショッピング。その後再びチャイナタウンへ戻り、これまた美味しいベトナム料理を食べてホテルカーターに戻ると、なんと部屋が全く掃除されていなかった。「タオルぐらい替えてくれよ!」と怒り狂った私がロビーへ降りて行き、フロントの中国人のおばちゃん(ホテルカーターは従業員がみな中国人だった。たぶんオーナーが中国人なのだろう)に「すみません、新しいタオルを何枚かいただけませんか」と下手にでると、このおばちゃんはなんと「ノー。ノー、エクストラ・タオル。」といいやがったのだった。これでは私も下手に出ているわけにはいかない。「だけど私達は1週間もここに滞在する予定なんですよ。部屋も掃除してくれず、タオルさえ替えてくれないんだったら、私達は2枚のタオルで1週間過ごさなければならない、ってことですか?!」と強気で迫ってみた。そうするとその野村沙知代夫人似のおばちゃんは「ノット・ナウ。レイター、レイター。」と言って後は完全無視を決め込んだのだった。「沙知代に負けた。」という敗北感を胸に「レイターっていつだよ。」という言葉を飲み込みながら部屋に戻る私。明日はいよいよCGFNS試験だ。さらっと復習し、就寝。

11月10日、水曜日。
受験の日の朝。寝起きに熱湯シャワーを超スピードで浴び、体を赤鬼のように真っ赤にしながら荒い呼吸でシャワーを出るとキヨシ君に「親分、気合入ってるね!」と言われる。っていうか、熱湯しか出ないんです。本当はゆっくりちょうど良いお湯加減でシャワー浴びたいんです。沙知代のバカー!(いや、これは沙知代のせいではないかもしれないけど。)キヨシ君と共に外で朝ご飯を食べ、試験会場へ。会場にはなんと150人以上の受験者が。手続きを済ませた後に「親分、がんばってね!」とキヨシ君から応援ハグ&キスを受け、1人で試験会場入り。キヨシ君は私が1日試験を受けている間、アメリカ自然史博物館を見てくることになっている。となりに座った女性はスコットランド人だったが、私が「私、この試験に応募してから受験許可が降りるまでなんと1年半もかかってるんですよ。」と言うと、「え!あなたも!?私なんか2年もかかったのよ!」と言った。そんな馬鹿な。いったいどんな組織なんだよ。二人でいかにCGFNSオフィスがどうしようもないか、について小声で不満をぶちまける。午前中の試験はかなり集中できたと思うのだが、午後は睡眠不足がたたり(アラスカとNYでは4時間の時差があるため、時差ぼけでNYについて以来ほとんど眠れていなかったのだった。)午後の試験はかなりぼーっとしながら受けていた。目はしょぼしょぼしてくるし。いかん、いかんと思い、試験途中で席を立ち、2度ほどトイレへ。

全体的な感想を言えば、試験問題がCGFNSオフィスが出版している問題集の問題とかなり感じが違っていたと思う。しかしこれは受験生皆が言っていたことで、皆戸惑っていたようなのであまり気にしないことにする。結果がでるのは2ヶ月半後。時間かかり過ぎだよ、ただのマークシート方式テストなのに!はやく結果を知りたいものだ。ところで。その試験会場にいた日本人は私を含めて3人。その中にかわいらしい若い女性がおり、「どちらからいらしたんですか。」と聞かれたので「アラスカです。」というと、「イニューと親分の部屋の親分さんですよね。」と素性を見破られたので驚いた。「NYで受験って日記に書いていらしたから会えるかな〜と思ってたんですよ。いつも日記読んでます。」と。世間は狭い。しかし彼女は本当にかしこそうな素敵なお嬢さんだった。お互い、受かるといいですね、といいあって試験会場を後にする。

その後博物館から戻ってきたキヨシ君と合流し、インド料理を食べに行くが疲れのためにイライラモードの私の怒りがささいなことで爆発し、険悪なムードでカレーを食べ、おとなしくホテルに戻るとなんと部屋が掃除されており、タオルも替えられていた。やればできるじゃないか、ホテル・カーター。

11月11日、木曜日。
メトロポリタン・ミュージアムへ。すごい、すごすぎるぞ、メトロポリタン・ミュージアム。キヨシ君と早足で館内をまわるものの、なんとすべてを見きれないという。午後4時までにホテルに戻り、ボストンから会いに来るキヨシ妹、ケイティと合流しなければならない私達は後ろ髪を引かれながらも途中で美術館を出なければならない羽目に。「アジアン・アート」を見逃したキヨシ君はものすごく悔しがっていたが、大好きなゴッホ17作を含めた現代アートセクションをすべて見られた私は大満足。時間がギリギリになっていたのでNYでの初タクシーをつかまえると、ドライバーのおじさんはオサマ・ビン・ラディンのようにヒゲを伸ばし、ターバンを巻いていて、英語が良くしゃべれないようであった。ちょっと不安な私達をよそに、ものすごい荒い運転ながらもしっかりホテル・カーターへ送り届けてくれたビン・ラディン。記念すべきNYでのイエローキャブ初体験にはふさわしい運転手であった。

ホテルのロビーに戻るとケイティはすでに私達を待っていた。私とは2年ぶりの再会。キヨシくんとはほぼ1年ぶりの再会。ケイティもホテル・カーターに一部屋借りたのだが、なんと鍵を開けることができず、フロントのおじさんに「鍵が開かないんですけど」と申し出ると、そのおじさんは「その部屋の鍵を開けるトリック」を親切にも教えてくれたらしい。「トリック」なしで開けられる部屋はないのか、ホテル・カーター。しかしその「トリック」をマスターしたらしいケイティはちょっと得意気。さすがキヨシ妹だ。その後3人で街へ繰り出し、キヨシ君がもっとも嫌う「洋服の買い物」をする。2対1(私&ケイティ対キヨシ)で決定ではキヨシ君も逆らえない。

買い物の後はリトル・イタリーで「本場の味なのではあろうがあまり美味しくはない」パスタを食べながらケイティの恋の話についてキヨシ君と私のするどい突っ込みが入り、なかなか盛り上がる。くたくたになってホテルへ戻ると、やはり部屋は掃除されていないのだった。なんだよ、やっぱりダメじゃん、ホテル・カーター。

11月12日、金曜日。
NYといえば!そうです、自由の女神です!というわけで3人、雨の中を自由の女神像を見るために出発。テロリストアタック以来、厳しくなったというセキュリティーチェックに驚く私達。一時は中に入ることさえできなかった像の中には入れたものの、手荷物は一切許されず、ロッカーに入れなければならないのだが、なんとこのロッカーが「指紋のスキャン」により開閉されるという代物。そして入場の際には空港でのようなセキュリティーチェックが行われ、理由はわからないがゲートをくぐる時にものすごいエア・プレッシャーを体中に吹きつけられるのだ。えぇーっと〜、こんなことしてまで中に入りたいわけじゃないんですけど〜と思いつつも逆戻りは出来ないのでしぶしぶ指示に従う。しかし自由の女神像との写真も撮れたのでそれなりに満足して再びマンハッタンへ。

本の虫、キヨシ君がNY滞在中にどうしても訪れたい「変わった本屋さん」4件をはしご。そしてその後はなんとケイティがサプライズで用意していてくれたブロードウェイミュージカル、”RENT”のチケットを手に劇場へ。ゲイの「エンジェル」役の彼の激しいダンスと愛らしさにめろめろになる。

11月13日、土曜日。
NY滞在最後の日。ケイティと3人で朝ご飯を食べた後、彼女を地下鉄の駅で見送り再びホテルへ戻る。ここのHPを通じて出会って以来本の貸し借りやメールの交換で仲良くさせてもらっているfumiさんがやってきて今日1日一緒に過ごす予定になっているのだった。部屋で待っているとドアをノックする音が。ドアを開けると小柄で素敵な彼女が立っていた。初対面だ。3人でどうもはじめまして、親分です、キヨシです、fumiです、と挨拶を交わした後、グランド・ゼロ(ワールド・トレードセンター跡地)を見に行く。しかし4年前にここであんなことが起こったとは・・・。とても信じられない。

チャイナタウンに再び小龍包を食べに行き、どうしてもメトロポリタン・ミュージアムで見逃してしまったアジアンアートを見に戻りたいというキヨシ君と一旦別れ、私はfumiさんとグッゲンハイム・ミュージアムへ。ここでも大好きなゴッホ、モディリアーニを見れて大満足。しかしここにあるはずのクレーはなぜか見ることができなかった。その後とうとうアジアンアートを見ることが出来て満足気なキヨシ君と合流し、ミッドタウンのジャパニーズ・スーパーマーケット、そしてブック・オフでお買い物。ブック・オフがアメリカにもあるとは!NY在住の日本人は幸せ者だ。fumiさんと私が日本の本を買い漁っている間、日本語もよくわからないはずのキヨシ君がなぜかきちんと演歌CDコーナーを見つけていた。また「氷川きよし」を買うのだろうと思っていたら、今回は「北島三郎」を買っていた。今年の1月に日本を旅行した際、演歌のヒット曲のベスト版のようなものを買っていた彼なのだが、その中の「風雲ながれ旅」の三味線とサブちゃんのこぶしに心を打たれたらしいのだった。サブちゃんのCDを手にしたキヨシ君を前に、思わず吹きだすfumiさん。

そうこうしているうちに夜になってしまったので、3人で夕飯を食べに Zen Palate へ。ここはブレンダ(例の犬ぞり使いを彼に持つヒッピーな彼女)がお勧めしてくれたベジタリアン・レストランだ。なかなかおしゃれな内装と、ユニークなメニューに3人そろってちょっと興奮する。この頃になってようやく3人ともかなり打ち解け、美味しく健康的なご飯とデザートを食べながら色々語り合うことができた。私個人的にはキヨシ君とfumiさんの「哲学論」をかなり面白がって聞いていた。キヨシ君は大学で哲学を専攻にしており、fumiさんはなんと大学で哲学の修士を取りながら授業も教えている。2人がいかに哲学を愛しているか、が良くわかる会話で、なんだかちょっと幸せな気分になりながら聞く。2人とも、うまく世の中を渡り歩いて行けそうもないタイプであろうことは確かだが(ごめん、fumiさん、悪い意味で取らないでくれ。笑。)こういう、どこまでも自分の人生や思いやその他もろもろに対してまじめで正直な人達がいるからこそ、この世に生きている価値があるというものだ、と思わせる2人の話だった。NYでの最後の夜にふさわしい晩餐であった。

ホテルに戻り、fumiさんに別れを告げた後、最後の熱湯シャワーを浴びて荷造りをし、1時間弱の仮眠を取ってホテルをチェックアウト。(帰りの便が朝早かったため。)1週間の滞在の間、ホテル・カーターの清掃員がシーツを替えてくれたのはたったの1度、タオルを替えてくれたのが2度であった。すばらしいぞ、ホテル・カーター!

空港までのシャトルバスがこれまたクレイジーで、途中で事故を起こしそうになったり1時間以内に空港に着くはずがなんと2時間もかかったり、JFK国際空港でチェックインしたスーツケースがフェアバンクスまで辿り着かなかったりと色々なトラブルはあったものの、キヨシ君と2人無事にフェアバンクス到着。盛り沢山のNYの旅は終わった。


11/6/04

最高についてない日。明日とうとうNYに向けてフェアバンクスを発つ予定なので、大学でシャワーを浴びた後、洗濯物を済ませるためにキヨシ君と一緒にコインランドリ−に行った。なんとそこの駐車場で、急にバックしてきたタクシーに私の大切な中古のトヨタカローラ君の後部ドア部分を凹まされたのだ。塗装も剥げるし!バカー!運転していたのは私だったけれど、さっそくキヨシ君にGEICOに携帯で電話してもらい、手続きをしてもらった。キヨシ君が一緒で良かったよ。それから、GEICOの対応がさすがにすばやくて本当に助かった。今回の事故では向こうのタクシーが一方的に悪いということで、私達は一切修理費用を出さなくてもすみそうだけれど・・・。しかし修理に出している間、私はどうやって仕事に行けば良いのだ?!明日、飛行場に行く前になんとか修理工場に預けることができて、私達がNYに滞在している間に修理が済んでくれればそれが一番なのだけれど、明日は日曜日なんだよねぇ〜・・・。

で、その事故の直後、車から出てタクシーの運ちゃん(若者で態度も悪かった)とお互いの連絡先や保険の情報をやり取りしながら携帯でGEICOの人と話している間、もちろん私達3人は車の外でマイナス20℃以下の寒さに震えていたわけで。メモを取る手も凍えて字はぶるぶる震えてるし。なんだか体の節々が痛むなぁ〜、まさか風邪では?と朝から思ってはいたのだけれど、やはりその後から熱が出てきた模様・・・。あぁもう最悪の展開。試験直前なのに!

しかしそれでも気がなが〜いキヨシ君は、「僕なんだかあのタクシーの運ちゃんにちょっと同情しちゃうよ。僕たちの車は白いから、雪とカモフラージュしてよく見えなかったんだと思うよ。仕事中だったのに、可哀想だったね。」などと言っていた。まったく気がいい旦那だよ。


11/5/04

ブッシュ派が断然多いアラスカ。当然「ブッシュが当選して良かったねぇ〜。ケリーじゃ頼りなくて!」という同僚ばかりで、なんだか気が晴れない。ブレンダ(犬ぞり使いを彼に持つ、ヒッピーな彼女)と二人、ナースステーションの影で「私達少数派はおとなしくこの無念さを分かち合うしかないね。」と頭を寄せ合い、肩を落としていると、そばに座っていたX線技師さんがふと顔をあげ、私達に向かって「僕も気持ちはお二人と一緒です。」とぼそっと言った。そしてその場を通りかかった薬剤師さんも「私も。」と小声で言い、去って行った。二人とも普段あまり話したことなどない人達なのに、「あ、やっと仲間がいた。」という感じでちょっとうれしそうに私達に声をかけていたのがなんだか可笑しかった。

下手にブッシュをこき下ろすと「非国民」とでも言われかねない感じなので、私は職場ではわりとおとなしくしているつもりなのだけれど、勇気のある婦長さんはなんとスタッフの連絡ノートに「私、この度の選挙の結果により、カナダに引っ越すことになるかもしれません。」とでかでかと書いていた。「ブッシュが再選したらもうアメリカを見限ってカナダに移住する・・・。」とひそかに宣言していた人を、私は他にも数人知っている。(笑)

さて、イヤな過去は葬り。話はがらっと変わって「耳たぶフェチ」について。私が「耳たぶフェチ」であることは以前ここでカミング・アウトした。(笑)幼少時代の母親の耳たぶを触らないと眠れない、という症状に始まり、その後長らく緩快状態にあったその症状が、キヨシ君との結婚を機に復活したのだった。(笑)キヨシ君が、昨日突然「あ、親分、親分がやたらと僕の耳たぶを触りたがるのはすっごく変だと思ってたけど、変わってるのは親分だけじゃないんだねぇ〜。(←失礼な。)今日、(職場でキヨシ君がカウンセリングをしている)子供達の1人が、”俺の弟がやたらと人の耳たぶを触りたがって困る”って言っててさ、しかもその”弟”の言う事が親分と全く一緒なのー!小さくて薄っぺらい耳たぶはダメだけど、だからといって大きければいいというわけじゃなく、適度な弾力がないとダメ、とか!僕ね、親分とその子が耳たぶフェチのサポート・グループとかを作ってみんなで助け合うといいと思うよ。」

それって、私達がアルコールやドラッグ中毒なんかに悩む人々のサポート・グループの「耳たぶ版」を作り、「耳たぶを触らなくても大丈夫」な生活をゴールに、仲間と一緒にミーティングやカウンセリングを通じて耳たぶからの離脱を図れ、ってことですか?いや、それは出来ないし。

最近、キヨシ君の耳たぶだけでなく、ふとした調子に患者さん(男女、年齢問わず)の耳たぶを目にし、「あ、これは触ったらかなり気持ち良さそうだ。あぁ触りたい!」と心の中で葛藤することがまれにある。キヨシ君はこれを聞いて「親分はかなりヤバイ。」と思っているのだろう。私はやっぱり病気なのだろうか。


11/3/04

やっぱりブッシュが勝ってしまったのですね。これでいいのか、アメリカ。いらいらするのはブッシュサポーターのほとんどが、彼がこの4年間に何をしてきたのか、ではなく、リパブリカンのモラル(妊娠中絶禁止、ゲイ・レズビアン結婚禁止、などなど)を信じ、それをデモクラットに壊されたくないがためにブッシュに投票しているということ。クリスチャンのほとんどはブッシュサポーターだし。(キリスト教では妊娠中絶やゲイ・レズビアンの結婚はしてはいけないこととして教えられているからだろう。)実際、キヨシ君のお母さんも、「まさかブッシュに投票するつもりじゃないよね?」とキヨシ君に聞かれた際、「でもデモクラット(ケリー)が勝つと妊娠中絶がなくならないって聞いたけど・・・。」とか、そういう感じで。ブッシュをいつも「どうしようもないアホ」呼ばわりし、いかにブッシュが世界の流れに逆らって暴走しているかを嘆く夫(キヨシ父)の声も、敬虔なクリスチャンのキヨシ母には全く届かない様子。私の大好きな看護士さん、メアリーアンも実はハードコアなブッシュサポーターだったりし、「どうしてそんなにブッシュが好きなの?」と聞いた私に彼女はこう言ったのだった。「ブッシュは毎週日曜日には教会に行ってお祈りするからよ!いい奴に決まってるじゃないの!」・・・。

あと、アラスカはなぜかリパブリカンが常に勝つのだけれど、私の周りに聞いてみると、「私の夫はハンティング好きだからもちろんブッシュ。」とかね。(リパブリカンは銃規制法に反対している)あとは北極圏自然動物保護区の油田開発を押しているブッシュが勝てば、アラスカはそれで儲かるだろうし。

わかんないよ〜。妊娠中絶は絶対にダメだけど、お金が欲しいが為に間違った戦争を引き起こし、大勢の人を殺しつづけるのはいいの?ハンティングのための銃を持ちつづけたい、ってことがこの戦争を修正させることよりも大切なこと?ゲイ・レズビアンの結婚を禁止することが北極圏自然動物保護区を守ることよりも大事?ケリーが押していた、医療保険制度は誰も欲しくないの?貧しい人々が病気になっても保険がないが為に病院にもかかれず、苦しんでいるのはそのままでもいいけど、税金を増やされるのだけはそんなにイヤなんだ?(ブッシュは税金カットを約束していた。)

キヨシ君も、かなりがっくり来てますが、私もショックです。アメリカ人を見損なった。あと4年もあんなアホにこの国を動かされなくてはならないとは・・・。試験直前、かなりの打撃です。これから4年間、この国がさらに暴走しないことを願うしかないのだろうなぁ。


11/2/04

大統領選中継を見てるんですが。接戦ながらブッシュが勝ちそうな勢いですね。彼が再選されたら、私はものすごいショックです。今日はもう寝ます。


11/1/04

UAF(アラスカ大学フェアバンクス校)で共に3年間学んだ友人、RがUAFでのプレゼンの為に昨日から2週間フェアバンクスに滞在している。RはT大学の院生で、人類学を専攻しているのでUAFに在籍していた頃は私と同じ授業を何度か取ったりしていたし、大学のカフェでキヨシ君相手に同じ日本人留学生としての悩みをぶちまけながら、ご飯を一緒に食べたりしていた仲だ。そういうワケでキヨシ君も彼のことは良く知っているし気が知れている。(Rの奥さんは私達の結婚式でブライズ・メイドまでやってくれたのだ。)

久々の再会に、「3人でまた一緒にご飯を食べに行こう」ということに。彼はエスキモーの村でエスキモーダンスについての研究をしてきたらしい。発表を見に行きたいけれど私はその日ちょうど仕事なのだ。残念。「私はいよいよCGFNS試験の為にNYに行くんだよね〜。」と言うと、Rが「ふーん、気をつけてね。親分、見た目が思いっきり日本人だから。」と言うので、「キヨシ君もついてきてくれるから大丈夫。」と言うと、彼は「うん、でもキヨシもめちゃくちゃ”おのぼりさん”っぽいじゃん。やっぱり気をつけてね。」と言った。そうか、そうだな、気をつけなければ。


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