親分の毎日

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6/26/05

今日で妊娠4ヶ月。とうとう明日から妊娠5ヵ月目に入る。体重がなかなか増えないのがちょっと心配なのだけれど、もりもり食べてはいるので赤ちゃんにはちゃんと栄養が届いているはず。ちゃんと育ってくれよ、赤ん坊。フライドポテト食べたい病がようやくおさまったと思ったら、今度はグレープフルーツ病にかかり、でっかいグレープフルーツを2〜3個はひとりで食べている毎日なのだ。

話は変わるが、先日うちの病院から”Performance Award”という「賞」をいただいてしまった。受持ち患者さんの退院前に、なんとか保険を通して退院後にも在宅看護が受けられるようにと他部門との交渉に時間を割いたのが評価された模様。アメリカでは医療費が高額であるために、まだ状態が安定していない患者さんでもどんどん退院させられる。この患者さんもそんなケースのひとつで、この状態で退院してもまた具合が悪くなって再入院してくるのは明らかだった。アメリカの医療制度に腹立たしさを感じつつも、「これがなんとかならないなんて絶対に間違っている!日本ではこんなことは絶対にありえない!なんとか手はないものか・・。」とあちこちの部門に連絡をとりまくり、ようやく退院直前にその患者さんへの保険を通じての在宅看護が承認された、という、まぁそういういきさつだったわけなのだが。

しかし知らないところで誰かがきちんと自分の仕事を評価してくれている、ってのは本当にうれしいことです。で、その賞をもらうと、うちの病院からもれなく地元のレストランのお食事券と、映画の券2枚と、有給4時間分がもらえるのだけれど、(すばらしい!)今日はキヨシ君と一緒のお休みだったのでそのレストランのお食事券を使ってブランチをしてきたのだ。いや〜、美味しかった。天気も良くて、外のデッキのテーブルでお日様をさんさんと浴びながらビュッフェ式のブランチをお腹いっぱい食べさせてもらい、「ただ飯っていいね。」と喜ぶ貧乏夫婦。(笑)

さらに話は飛んで、最近のキヨシ君の日本語はどうなっているかというと、これがさっぱりだ。北島三郎のCDに合わせて時々「シャミセン〜」「オトコ〜、イチダイ〜!」などとこぶしを回すぐらいで、日常会話は全然だめ。やっぱりアメリカ人に日本語って難しいんだろうか。私だってがんばって英語覚えたんだから、彼にも日本語を覚えてもらわないと困るんだけど・・・。


6/21/05

私が今回妊娠してからというもの、キヨシ君が私の大嫌いな皿洗いを「これからは僕がします!」と宣言してくれたのだ。キヨシ君、好き!(←単純な。)しかし彼は、私が「もう使えるスプーンが一本もない、キー!」とか「もう綺麗な鍋やフライパンがなくて調理が出来ないじゃん!」という状態になるまで腰をあげない。「もういい。自分で皿洗いする。」と私がイライラしだしたのをみかねたキヨシ君が、「やります、やります!」と。まぁ毎回こんな状態であります。

実はたった今もそんな調子で仕方なく皿洗いを始めたキヨシ君。彼は皿洗いをする時には好きなCDを大音響にかけて、鼻歌を歌いながらシンクやコンロの上に山積みになった食器を洗うのだけれど、今日の彼の選んだCDは、なんと「北島三郎ベスト16」。大嫌いな皿洗いをしてもらっている身としては、何も文句が言えない。


6/16/05

毎日もりもりどんぶり飯を食べているのに体重があまり増えない。しかし下っ腹はやっぱり出てきて、今まではいていたジーンズやパンツのウエストの部分がさすがにちょっときつくなってきた。やっぱりベイビー・ナンバー・ワンの仕業だろうか。キヨシ君は私がいつものジーンズをはいているのを見るたびに、「親分!ちょっとこっちに来て!これきつくない?!ダメだよ、ベイビー・ナンバー・ワンがのびのび大きくなれるように、お腹の所に十分余裕のあるパンツをはかないと!はやく大き目サイズのパンツを買っておいで!」と言いながら勝手に私のジーンズのボタンを外し、「はい、赤ちゃん、これでちょっと足を伸ばせるねぇ。」などとのたまうので、私は大手を振ってショッピングに。彼から「服を買いなさい」と言われたことなどたぶん初めてのことではなかろうか。(笑)しかしあちこちまわってみた結果、この田舎町には洒落たマタニティー服を売っている店など皆無に等しかったことがわかる。しかたがないので大きめサイズのパンツ(激安)を2着買い、そしてちょっと素敵なマタニティー服をオンラインで注文した。届くのが楽しみだなぁ〜。


6/12/05

妊娠すると酸っぱいものが食べたくなると日本では言い、アイスクリームやピクルスが食べたくなる、とアメリカでは言うようなのだが。私の場合は、なぜか「揚げ物」だ。妊娠前は全然そんなことなかったのになぁ〜・・・。おとといの夜中にも、「フライド・ポテトが食べたい!」と駄々をこね、「フライド・ポテトがダメなら(マクドナルドの朝メニューに出ている)ハッシュ・ブラウンでもいい!!!」とキヨシ君を散々困らせた。一旦「食べたい」となると、実際に食べるまでその食べ物のことしか考えられなくなるのでとても大変。

しかし一番困っているのは家にないモノを「食べたい」「食べたい」と毎晩私に駄々をこねられるキヨシ君であろう。「今家にないでしょ。」「明日買ってあげるから。」と何度も私をなだめ、そして脂っこいものを時々一緒に食べさせられている彼は、元・ベジタリアンという超・健康オタク。彼が気を使って「オーガニック」の果物や野菜を色々と買って来てくれるのはありがたいが、私が食べたいのは「フライド・ポテト」なんだよ!


6/8/05

お腹の中の赤ちゃんに話しかけるのに、なにか呼び名をつけてあげよう、とキヨシ君に提案してみた。「う〜ん、そうだなぁ」としばらく考え込んでいたキヨシ君は、「そうだ、ベイビー・ナンバー・ワンと呼んであげよう!」と言った。・・・。そんな。

「でもさ、イニューだって私のベイビーのようなものだから、イニューがナンバー・ワンで本物の赤ちゃんはナンバー・ツーじゃないの?もしくは本物の赤ちゃんの方を”ヒューマン・ベイビー”にするとか。」(←私のセンスもどうかと思うけど。笑。)と私が答えると、常にイニューに敵対意識を持っているキヨシ君は「フンッ」と鼻で笑った後、「いや、本物の赤ちゃんの方がナンバー・ワンだね。親分がどうしても”イニューだって私達のベイビーだ”って言うなら、イニューは”ベイビー・ナンバー・ゼロだ。」と。ひどい。ま、いいんだけどさ。

そんなキヨシ君は、ちょくちょく「親分、ちょっとここに来て!」と私を呼びつけ、自分の目の前に私を横向きに立たせて「お腹、大きくなった?」と私の下っ腹をなで、「おっ!これは!大きくなってきてるんじゃな〜い?」と喜んでいるという。多分それはただの脂肪なのに。


6/4/05

そろそろ妊娠14週目に入るところなので、職場の同僚達にも妊娠報告をした。仕事柄、体力を使うことも多いし、特に重い患者さんの体位変換や移動などをするときに、皆が私が妊娠していることを知っていれば助けも借り易くなるだろうし、万が一の為に感染症を持った患者さんの受持ちから外してもらったり、皆に色々配慮をしてもらわなければならない。職場で私が妊娠していることを報告すると、皆自分のことのように喜んでくれ、「わー、おめでとう!」と次から次に抱きつかれ、「お腹まだ全然出てないね。」と腹をなでられ、(当たり前だ。まだ3ヵ月ちょいなのだ。笑。)ナースステーションは大騒ぎになった。

そして昨日。うちの病棟にもドップラーが常備してあることに(今更ながら)気付いた私は、同僚の看護師Jに「ちょっと、これで私の赤ちゃんの心音チェックしてみてくれない?」と聞いてみた。Jはフィリピンから来た看護師で、歳も私と同じ30歳だが、まだ子供はいない。Jは大きな目をさらに大きくして小声で「それは面白そうだね。カモン!」とドップラーのケースを片手に私を休憩室に連れて行き、私のパンツを陰毛ちらりぐらいまでグイッと下げて、頼もしく私の下腹部にドップラーを当てた。その割には「私、産婦人科で働いたことないからどの辺にドップラー当てたらいいかわかんないよ。」としばらくあっちに当てたりこっちに当てたりしていたのだが、そうこうしているうちにようやく「シューシューシューシュー」という早い心拍が聞こえてきた。私はこれで2回目だがJは胎児心音を聞くのは初めて。「うわー、こんなに早いんだー。面白いー!」と彼女ははしゃぎ、1分間の胎児心音を計ってくれた。(ちなみに160拍であった。)

職場でこんなことをして遊べるのも、看護師の特権かもしれない。(笑)


6/1/05

キヨシ君がどうしても「スター・ウォーズV」を観に行きたいというので、「映画の後にデニーズでおごってくれるなら」という条件付で一緒に映画館に観に行って来た。私はサイエンス・フィクションもの、アクションもの全般が苦手なのだ。スター・ウォーズシリーズも、実は今回まで一度も観たことがなかった。案の定上映中に居眠りをしてしまったので、おおまかな話の流れしか覚えていないが、なぜにスター・ウォーズがアメリカ人にこれほど受けるのか、映画を実際に大画面で観た後も全くわからない。(世界中で流行っているようではあるが・・・)典型的なアメリカ人には程遠いキヨシ君さえも惹きつけてしまう魅力が果たして「スター・ウォーズ」に本当にあるのか。

ヨダをペットにしたい、とちょっとだけ思った以外には特になんの感想もなく、2時間半は過ぎた。キヨシ君が約束通り映画館のとなりのデニーズに連れていってくれたので単純な私はそれで満足した。キヨシ君が「アネキンは、」とか「〜〜は、」とか(ごめんなさい、主要人物の役名すら覚えていないのです、アネキン以外。我ながらひどいなぁ。)色々と感想を述べてきていたのに、私といったら「ヨダってカワイイね。」とか、「ヨダみたいな患者さんいっぱい病院に来るよ。」とか、そんな程度の感想しか述べられないのであった。


5/30/05

今日は皆さんにご報告したいことが。実は私達に待望の赤ちゃんが出来ました。今妊娠3ヵ月で、予定日は12月14日です。(なんと私の父親の誕生日と全く一緒だという・・・。)前回のこともあるし、初期にまたちょっとした出血があったりして、キヨシ君も私もこの数ヶ月間ヒヤヒヤしながら毎日「どうか元気に育ってくれ」と願いつつ暮らしてきたのですが、先週の金曜日の健診でドップラーで胎児心音も確認できて、やっとじわじわと「本当にお母さんになるんだなぁ」と実感が湧いてきた所です。

金曜日の健診には診察室までキヨシ君も一緒についてきて、M先生が私のおなかにドップラーをあてるのを心配そうに見守っていてくれました。(前回はもうちょっとで3ヶ月、という時に出血が起こって、ドップラーでの胎児心音が確認できなかったことをきっかけに流産がわかった、という過去があるので・・・。)シューシューシューシュー、という赤ちゃんの早い心音が聞こえた時は3人とも一瞬しーん、とした後、「イエーィ!」「ワー!」「キャー!」とおおはしゃぎ!(笑)M先生は私達が「赤ちゃんが欲しいと思ってるんですけど・・・」と打ち明けた時から、私の健康上の理由で赤ちゃんが出来なかった時期や、やっと妊娠して大喜びしたと思ったら流産してしまってものすごく落ち込んでいた時期まで、ずーっと見てきているので、私達のうれしさが本当に良くわかってくれているようで、「よし、ボリュームを上げてあげよう!」とドップラーの音を大きくして聞かせてくれた後、「親分、キヨシ君、ありがとう!今日一日めちゃくちゃ忙しくて散々な金曜日だったけど、最後の最後に親分達のおかげで最高の気分で仕事をあがれそうだわ!本当に良かったわね!まだ100%安心とは言えないけど、ここまで来れて、胎児心音まで確認できれば流産の可能性はグンと下がったからね!」とニッコニコ。

キヨシ君はその夜、私達の赤ちゃんを抱っこしている夢を見たそうで、「なんか、すごいちっちゃい赤ちゃんなのに、もうしゃべってるんだよ!賢い赤ちゃんだった。」と翌朝言っておりました。赤ちゃんの心音を聞いたのがよっぽど心に残っていたんだろうなぁ〜。(笑)私の方は、4ヶ月目に入ってつわりもだいぶ楽になったのだけれど、やっぱりまだ疲れやすいし、とにかく眠い!!!仕事から帰って来てなにか食べたらベッドに直行、という毎日を過ごしています。なのでHPの更新もだいぶお座なりになっていますが、そこの所は大目に見ていただけるとありがたいです。とりあえず、うれしいニュースをここでまた皆さんに報告できることをすごくラッキーに思います。暖かく見守ってくださいね。


5/26/05

日本では看護師がしてはいけないことになっている処置(医師ではないと出来ない処置)も、こちらでは看護師の日常的な仕事になっていることが多い、ということは以前にも書いた。そんな処置の数々を、オリエンテーション期間中になんとかマスターせねば!と積極的にみつけてきてはやらせてもらっている。(もちろんプリセプターナースの指導の元で。)先週は、Central Line (中心静脈栄養カテーテル)の抜去と、術後の創部を留めている Staple(ホチキスの針のようなもの)の除去なんかをやらせてもらった。

まぁ、実際にやってみればそんなに怖がるようなことでもないのだけれど、「日本じゃ医師じゃないとこんなことやっちゃいけないのに・・・。」と思うだけで、やっぱりちょっと怖い。IV push (静脈注射)なんかもすでにどんどんやらせてもらっているけれど、モルフィンとか循環器系に作用するような薬剤なんかは、もう治療薬マニュアルが勧めているよりもかなり長い時間をかけて注入していたり。だってやっぱり怖いもの!こっちの看護師さん達は(もちろん全員ではないけれど)、もう単に慣れているのか、薬剤の副作用の怖さをしっかり学校で習ってきていないのか、降圧剤なんかでも簡単にさっさと注入していたりするので本当にヒヤヒヤする。

まぁ、私はこの調子で石橋を叩きつつ、色々学んで行きたいと思います。せっかくもらった免許、取り上げられることのないように。


5/24/05

仕事は順調。患者さんを3人受け持ち、患者さんの看護ケアはもちろんのこと、記録から申し送りまでをほとんどひとりでこなせるようになってきた。この調子だ!(←と自分に言い聞かせる。)


5/18/05

今日は私達の3度目の結婚記念日だ。2人とも仕事だったのだけれど、帰宅後に一緒に「サーモン・ベイク」に行ってきた。「サーモン・ベイク」は地元では夏の風物詩となっていて、屋外で炭火で焼いてくれるアラスカ・サーモンやハリバット(巨大ひらめ?)、プライム・リブの他に、サラダ、ドリンク、デザート、その他もろもろを自分で好きなように取って外で食べられる。(ずっとほったらかしだったPHOTOページに写真何枚か載せました。)

それにしても3年。あっという間だったような気もするし、キヨシ君とはず〜っと長いこと一緒にいるような気もする。まぁ、彼と出会ったのが5年前なので長いと言えば「長い」と言えるのかもしれないが。

結婚1年目は一緒に「夫婦」として住み始めて、それなりにお互い慣れるまでイライラすることやもどかしいことなんかもあって、結構大変な1年だったような気がするのだが(そう感じているのは私だけだったりして。)、結婚2年目からはようやく「2人のペース」がつかめてきて、かなりのんびりしながら2人の時間を楽しめるようになった。そして私達の結婚3年目は本当に色々なことがあった。キヨシ君の昇進(カウンセラーに昇格)、私の初めての妊娠、流産、念願だったフェアバンクス郊外への土地の購入、私の受験、そして看護師免許取得。

楽しいことも辛いことも文字通り色々あったわけなのだけれど、キヨシ君さえいてくれたら、あのボケーっとした、メガネ、ヒゲもじゃ、薄らハゲ(キヨシ君は若いのに髪の毛が相当「きて」しまっている。)の長い顔が、ひょろ〜っとした体が、私の周りをうろうろしていてさえくれたら、私は何があっても生きていけるだろう、と新たに確信できた結婚3年目だった。

結婚4年目もどうか良い年でありますように。


5/17/05

夢を見た。どうやら、日本のセブンイレブンにいるらしかった。「うわ〜、日本のコンビニだ〜!めったに来れないから好きなだけ美味しいもの買っちゃお!」と心の中でものすごく興奮しながら、私が手に取っていたものはなぜか海老せん。(カッパえびせんではなく、大きくて丸くて薄っぺらく焼いてある、あれです。)その海老せんのパッケージを片手に、「セブンイレブンだからおでんは絶対にかかせないね。レジに言ったら”たまごと大根と糸こんとはんぺんお願いします。って言うのを忘れないようにしよう。」とか、「肉まんを2つ買おう」とか、もうそれはそれは我ながらすごい喜びようだった。そこで目が冷めた私の悲しさを、ここでどうやって表したらよいのかわからないほどだ。


5/12/05

仕事は順調。毎日毎日新しいことを学んでいる。脳細胞がどんどん増えていく感じがするが、それはそんな「気がする」だけだろう。人間の脳は10代をピークに、その後は死んでいくだけだ、とどこかで聞いたことがある。

さて、そんな忙しい日々の合間の貴重な休日に、私はキヨシ君とドライブに行った。キヨシ君の友人のトレステンとその彼女のレベッカが電気も通っていない所に30エーカーの土地を買った、というので、そのエリアを見に行ったのだ。綺麗だったけれども道路さえまだ通っていなかったので、いったいどこにどうやって道を切り開き、どの辺に家を建てるのかさえ想像もつかなかった。そしてそのエリアが私のお師匠様、ジーナの自宅からそう遠くないことに気付いた私はそこで気軽に彼女に電話。「今さ〜、キヨシ君と〜〜の辺りにいるんだけど、ジーナ今家にいる?キヨシ君がジーナが建てた(実際にはジーナと元・夫が一緒に建てたらしいのだが)家を見たい、って言ってるんだけど。」と言うと、「お〜、今自宅にはいないんだけどぜひぜひ寄って見て行って〜。鍵かかってないし。(!)冷蔵庫も勝手に開けてあるものなんでも飲んだり食べたりしていいから。あ、でも言っとくけど今雪解けで道路がひどくて、2.5キロ手前から車乗り入れることできないよ。」などと言う。

ジーナの自宅2.5キロ前に車を停め、そこで長靴(いつも車につんである)に履き替えた私達はぬかるんだ道をとにかく歩いた。そして着いたジーナの自宅。私は以前お邪魔したことがあるがキヨシ君は初めて。その辺にごろごろ転がっているムース(ヘラジカ)の足や、キッチンの壁に掛けられたものすごい形相のイノシシの頭などを見て驚く。そして物置を覗いたキヨシ君は、「お、親分、ここ、すごいよ。ムースかカリブーかわかんないけど、とにかく動物の足が50以上は積み上げられてるよ。なんで!?」と恐れおののいていた。「ジーナ、自分で狩った動物はここで自分でさばくからじゃないの?肉は食べるし毛皮は何かに使うけど、足はどうしていいかわかんないからごろごろ転がしてあるんじゃないの?」と適当に答えておく。

お言葉に甘えてジーナのプロパン冷蔵庫(ジーナの所には電気が通っていない)を覗くが、ビールと怪しげな肉とかしか入っていなかった。素敵。「ジーナって、カッコ良くない!?」と鼻息を荒くしながら聞く私に、キヨシ君は「う〜ん・・・。変わってはいるね。」と苦し紛れに答えていたのだった。男にはなかなかわからないのかなぁ〜、このジーナの良さが!!!


5/6/05

「スミス・レイクの氷が溶けたらイチョウウキゴケ(苔の一種)の採取に行きたい」と常々うるさかったキヨシ君。「ひとりで行っておいで。」と冷たく突き放していたのに、「親分と一緒に行く!」と言ってきかない。根負けした私は昨日イニューの散歩がてら、そんなオタクな夫についてスミス・レイクまで散策に出た。「ある!あるよ!イチョウウキゴケ!!」と興奮する夫と、久々の森の中の散歩に興奮する犬を尻目に、私はただひたすら襲ってくる蚊の大群と孤独に闘っていたのだった。


5/3/05

病棟でのトレーニング5日目。とうとう2人の患者を受け持ち、看護ケアから記録、申し送りまですべて自分で行う。もちろんプリセプターのシェリーが常に監視はしてくれているのだけれど。(笑)この3ヶ月のトレーニング期間中に、学べることは出来るだけ学んでおこう(そうじゃないとひとり立ちした時に困るので)と思っているので、なにか新しいことがあれば見ているだけではなく、積極的に自分でやらせてもらうことにしている。シェリーは「親分は飲み込みが良いからひとり立ちするのも早いよ!」と言ってくれているのだが、そうはいくか。彼女にはきっちり3ヶ月間ついてもらわないと困るのだ。(笑)

今日私が受け持った患者さんのひとり、BさんはICU(集中治療室)から状態が安定したのでうちの病棟に転棟してきた70台の背の高いハンサムなおじいさん。実は私は彼の最愛の奥さん、Mさんを去年看取っている。この夫婦は本当に仲が良く、Mさんが入退院を繰り返している間、Bさんは毎日朝早くから夜遅くまで奥さんに付き添っていた。2人の仲良しぶりをからかう私に、「私達結婚してから一度もケンカをしたことがないのよ。」とMさんがのろけていたのを覚えている。2人が結婚50周年を迎えて間もなく、Mさんは亡くなった。その後、夫のBさんはすっかり気を落としてしまい、それまで元気だった彼が風邪をこじらせただの肺炎になっただのと、ちょくちょく入院してくるようになったのだ。奥さんを亡くして1年。未だに「Mが恋しくてねぇ。毎日寂しくて気が狂いそうなんだ。俺も早くMの所に行ってあげたいんだよ。」と涙を見せるBさん。亡くなってまでこんなに旦那さんに愛されているMさんは本当に幸せ者だよなぁ、とうらやましくなると同時に、奥さんの死後、ただただ自分の死を待ちわびているようなBさんを見ているととても悲しくなる。

そんな彼と再び対面した今日、私は「Bさん、お久しぶりです。私がBさんのナースです。私、とうとうRNの免許が取れたんですよ!」と報告すると、すっかり涙もろくなった彼は私の手を取って「本当にがんばったねぇ。良かったねぇ。Mにも教えてやりたかったなぁ〜。親分はもうナーシング”アシスタント”じゃなくて本物のナースになったんだよ、ってねぇ〜。」と涙をこぼしながら喜んでくれた。

彼がもう生きるのは疲れた、早く妻の所に行きたい、という気持ちは良くわかるが、そんなBさんを見ているとどうしてもまた元気になって欲しい、と思うのだが、それは私のわがままなのだろうか。


5/1/05

長いこと日記をほったらかしにしていたのにも理由(いい訳とも言う)があり。24日、先週の日曜日からさっそくRN(正看護師)としてのトレーニングが始まったのと、27日から今朝までキヨシ君のご両親が遠方から泊まりに来ていた、というのが主な理由。こんな私も一応「お嫁さん」をしていたわけなのだ。そして今日からはキヨシ君が仕事のためアンカレッジに3泊することになっており、今朝キヨシ君のご両親をお見送りした後に、今度はキヨシ君を空港に連れて行って見送り、今イニューと私は急に静かになったキャビンでのんびりだらだらした午後を楽しんでいる、という具合なのだ。ふぅ。

さて、とうとう始まったRNとしての仕事。日本では救命救急センター、そしてICU(集中治療室)での4年間の経験があるとは言え、やはりその後の5年のブランクは大きい、というのが正直な感想だ。しかし最初からプリセプター(3ヵ月間私を1:1で教育してくれる先輩看護師)のシェリーには「私を全く経験のない新人看護師だと思って、小さな事からすべて教えて欲しい。」とお願いしてあるので、彼女は私のペースに合わせて初歩的なことからきちんと教育してくれている。ありがたいことだ。シェリーはCNA(看護助手)から始め、その後LPN(準看護師)になり、そしてRNになったというキャリアの持ち主で、ものすごく経験が豊富だ。一見とっつきにくく話し方がぶっきらぼうなので誤解されがちだが、実際はとても暖かい心の持ち主で、どんなに忙しくても患者さんの細やかなケアに一切手を抜くことがないので、私はナーシングアシスタントとして彼女と働いていた頃から、「RNになったら絶対にこの人から色々学びたい」と思っていたのだ。本人と婦長さんに相談した結果、2人とも私のリクエストを快く引き受けてくれ、私のプリセプターはシェリーが勤めてくれることになったのだった。

日本では看護師が行ってはいけないことになっている処置(術後の包交、静脈注射、経管栄養チューブの挿入、抜糸、などなど)もこちらでは日常的なRNの仕事なので、1から学ばなくてはならないことも多い。そして記録。これは慣れるまでに少し時間がかかりそうだ。うちの病院では数年前からカルテ(医師の指示表、看護記録、その他もろもろすべて含む)を少しづつコンピューター記録に移行してきており、最近はほとんどすべての記録がコンピューターで行われる。これも日本では考えられなかったことのひとつ。このほかにも、小さなことをひとつひとつあげたらきりがないけれど、やはり日本とアメリカの看護は異なるところが多いというのが現実だ。でも看護の基本はどこに行っても変わらないと思うし、3ヵ月間こつこつと先輩看護師から仕事をひとつひとつ学び、自分の知識として蓄えていくことで自信は後から付いてくるものだと信じ、今は取りあえず脳みそをスポンジのようにして勉強していくしかないのだろう。まわりの暖かいサポートもあることだし、自分が恵まれた環境にあることを感謝することも忘れずに。



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